運命のリボン2
「なんかこの子が先走って、勝手に顔合わせたみたいだけど……。改めて、彼女が橘ミト。今後あなたと一緒に任務についてもらうパートナーよ」
「これからよろしくね、夏目」
「よ……よろしく……」
アロウズ研究室内、ミーティングルーム。
夏目が右手で左腕を引き寄せながら視線をやや外して挨拶をすると、千早はミトを手で示したポーズのまま硬直した。
数拍の間を挟み、千早が困惑と不安の入り混じった表情でミトに向き直る。
「ちょっとミト、あんたどんな挨拶したの? 初手から夏目ちゃんドン引いてるんだけど!」
「えーっ、普通に挨拶しただけですよ? 運命の相手に巡り会えて嬉しいって、どうしても直接伝えたかったの」
ミトが両手を頬に当てうっとりと言うと、千早は右手で目元を覆って天を仰いだ。「オーマイゴッド」と低く呟く声が聞こえる。
ミトは唇を尖らせて続けた。
「だって千早さん、私ずっと待ってたのに誰とも組ませてくれないんだもん。ようやく結びついた赤い糸なのよ。逃してたまるかってえの」
「あんたを組ませなかったのには諸々の理由があるけど……。くそ、まずは名誉挽回からか。ミトはね、近畿支部で候補生としてトレーニングを積んでいたの。知識や技量は申し分ないわ。一癖あるけど、きっと頼もしい相棒になると思う。一癖あるけど」
「あー、ひどい。一癖って二回言った」
「ミト、一つ真剣な忠告をしておくわ。人付き合いのコツは適切な距離感よ。そこをミスると赤い糸だって簡単にブチッと千切れるからね」
「あは、こわーい! 大丈夫よ、私夏目とならうまくやっていけそうな気がするの。ね、夏目」
同意を求めるミトの無邪気な笑顔に、夏目はなんとか取り繕った笑みで返す。喉元まで出かかった「無理です」の言葉を必死に押し留めて、代わりに細い息を吐き出した。
落ち着け。落ち着け夏目。きっと千早さんだって、何か考えがあって組み合わせを決めているに違いない。そうですよね。そうだって言って。
夏目の複雑な胸中など知る由もなく、千早は残念そうに腕を組んだ。
「じつは二人にプレゼントも用意しているんだけど、まだ調整が終わっていないみたいでね。遠くないうちに渡せると思うから、楽しみにしていてね」
「プレゼント?」
「えー、なになに? 誓いのウェディングケーキとか?」
「発想が怖いって。そんなわけないでしょ。その日までのお楽しみ、ね」
「千早さんのいじわる〜」
*
「わあ、ここがトレーニングルームなんだ。さすが本部、近畿より広いね」
「近畿支部ってどこにあるの?」
「大阪だよ。私、出身は茨城なんだけど、候補生期間はあっちで教えてもらってたんだ。美味しいもの多いし、ユニバもあるし、楽しかったよ」
トレーニングルームの無骨な壁を見回しながらミトが言う。出会いの印象が強烈すぎただけに身構えていたが、いざ話してみればなんてことはない、明るい普通の女の子だった。
上は夏目と同じ黒いショートジャケットだが、下はハイウエストのフレアスカートとショートブーツで、可愛らしい格好をしている。夏目は動きやすさを重視してショートパンツを履いていたが、ミトはメイクやお洒落が好きなようだった。
「へえ、あたしも行ってみたいな。そういえば、橘さんってさ……」
「ミト」
「ん?」
「名前で呼んで。橘さんって、なんか他人行儀で嫌」
不満げに頬を膨らませるミトに、夏目は「ミトってさ」と素直に言い直した。変に反論すると面倒な方向に機嫌を損ねそうだということは、この短時間でなんとなく察することができる。
「ミトって、千早さんと知り合いなんだね。もしかして他の人たちのことも?」
「うん。千早さんとか等々力さんは近畿に出張で来ることも多かったし、私も時々こっちで研修受けてたから、みんなのこと知ってるよ」
話しながら、二人は早々にトレーニングルームをあとにした。
次いで食堂にやってきた。昼食時を過ぎた食堂は、まばらに人がいるだけで閑散としている。営業時間が夕方までのこの食堂は、店じまいの準備をしているのか、キッチンのほうからは水の流れる音と食器が擦れる音が響いていた。
「メニューは日替わりが二種類。あとはレギュラーメニュー。この券売機で食券を買って、カウンターの人に渡すんだよ。あたしのオススメはフライドポテト」
「ふうん、夏目はポテトが好きなんだ。他には?」
「色々食べるよ。うどんとか、カレーも好き」
「甘いものは置いてないの?」
「歩いて五分くらいのところにコンビニがあるから、そこに行くしかないね」
「そっか。夏目はいつも何買うの?」
「……プリンとかチーズケーキとか。さっきから、あたしのことばっかり訊くね。自分の好きなもの食べなよ」
「私なんでも食べれるもん。それなら夏目の好きなものが食べてみたい」
恥ずかしげもなくそんなことを口にするミトに、夏目は何と答えていいのかわからなくなる。
初対面の相手に、そこまで興味の比重が偏るものだろうか。
そもそも、出会い頭のテンションからおかしかったのだ。運命の相手だとか生涯を共にするだとか、何年も心を擦り合わせて至るべき関係性に、最初から手をかけてよじ登ろうとしてくる豪胆さ。
「あのさ、ミト──」
こんなことを訊いていいものか悩みつつ、踏み込もうとした遠慮がちな声は、「そうだ!」というミトの高い声に掻き消された。
両手を叩いたミトは嬉しそうに振り返って言う。
「ねえ、夏目。来週の祝日って非番でしょ? 一緒にでかけようよ。こっちの美味しいお店、案内してほしいな」
「ああ、ごめん。その日は予定が……」
「予定? 私を優先できないほど大切な予定なの?」
「え……」
夏目は驚きのあまり、二の句が継げなくなった。
ワタシヲユウセンデキナイホドタイセツナヨテイナノ?
聞き間違いであることを願ってしまうほど強烈な言葉の羅列。ミトのじっとりとした不信な眼差しが突き刺さり、夏目は動揺のあまり敬語で答えた。
「だ、大事な予定……です」
単に恋や冬柚とでかけるだけなのだが、そうでも言わないとこの場を切り抜けられそうになかった。
ミトは「ふうん」と低く鼻を鳴らすと、拗ねたように顔を逸らす。
「ま、今回は許してあげる。そのかわり、次の非番は絶対私とでかけてね。約束よ」
*
「いやあ、ひっさびさの休みだよねー! 今日は丸一日遊び倒すぞー!」
「いえーい!」
少し暑いほどの陽気の下、駅前の広場でテンションの高い恋と冬柚が拳を突き上げた。映画館までの道のりをスマホのナビで確認していると、恋が以前から気になっていたというカフェをいくつかピックアップして伝えてくる。
ガレットの店、パスタの店、パンケーキの店、エトセトラ。
「お腹足りないでしょ」と冬柚が呆れると、「三つくらいいけないかな?」と恋は眉を寄せ真剣に呟いた。
「夏目!」
突然名前を呼ばれ、驚いて振り返る。そして思わず「げっ」と苦虫を噛み潰したような呻きが漏れた。
「ミト……」
白いレースのブラウスに黒いワンピースを着た私服のミトは、少し不満げに、いや、非常に憤慨した様子でヒールを叩きつけるようにして近付いてくる。
その気迫に思わず後ずさるが、ミトはむくれた顔で夏目に詰め寄った。
「なんでここにいるの? 今日空いてないって言ったじゃん」
「いや見てわかるでしょ、二人とでかけるから空いてなかったの」
「それが大切な用事? 信じられない! 私のこと騙したの!?」
「信じらんないのはこっちだよ! 先に約束してたほうを優先するのが普通でしょ」
「私は夏目のパートナーだよ!?」
「関係ないから!」
ヒートアップして声が大きくなる二人に、通り過ぎる人々からの怪訝な眼差しが向けられる。冬柚と恋はどうしていいかわからずに、睨み合う二人から薄情にも少し距離をとって見守った。
しかし冬柚が意を決するように唾を飲み、おずおずと口を開く。
「あのぉ、ミトちゃん」
「……何よ」
不機嫌なミトの眼光に、冬柚が「ひぇ」と小さな悲鳴を上げる。恋が隣から「がんばれ、いったれ」と無責任な応援をよこした。
目を見るのが怖いのか、冬柚は視線を彷徨わせながら言う。
「い、今から映画に行こうと思ってるの。チケットもまだ買ってないから、よければ一緒に、どうかなあ、とか……思ったり……」
「嫌」
語尾が尻すぼみになっていく冬柚の提案を、ミトはまるで興味ないとばかりに一蹴した。続けて言う。
「映画なら私と夏目だけで観に行く。あんたたちはその間買い物でもしててよ。ね、そうしよ──」
「ミト」
妙案が浮かんだとばかりに、ミトは笑顔で夏目の腕に絡みついた。そこに冷水を浴びせるような、強い抑止を孕んだ声が落とされる。
ミトはびくりと肩を震わせると、子供が母親の顔色を窺うかのように上目遣いに夏目を見た。
夏目の目が厳しく細められ、明確な非難の眼差しをミトに向ける。ミトは黙り込んだ。
腕に絡みついた手が力なくほどけていく。みるみるうちに瞳が潤み、大きな瞳は溢れんばかりの涙に覆われた。
夏目が怯んで息を呑む。
「何、なんで……なんでよぉ」
しゃくり上げるのを堪えるように唇を引き結び、声を震わせる姿が痛々しく目に映る。
強く言い過ぎただろうか。泣かせるつもりなんてなかった。好意を跳ねのけた罪悪感がじりじりと胸を灼く。
夏目が思わず手を伸ばすと、ミトは叫んで走り出した。
「夏目の方向音痴でカナヅチでオタンコナスのオニャンコポンーーー!!!」
「なんて!?」
根拠のない悪態を並べ立てた罵倒を残し、ミトは人混みを突っ切ってあっという間に遠ざかっていった。
伸ばした手が行き場をなくし、ゆっくりと垂れ下がる。
見えなくなった背中の方向を茫然と見つめていると、恋が横目で夏目を見やり呟いた。
「泣ーかせたー……」
「え!? あたしが悪いの!?」
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