運命のリボン

 上機嫌に鼻歌を奏でながら、キャリーケースを引いた一人の少女が新大阪駅内を淀みない足取りで進んでいく。柔らかくウェーブした明るい髪は肩につかないくらいの長さで、両側に飾られた黄色いリボンが風に揺れている。

 目を引くお洒落なお土産も、鼻腔をくすぐる肉まんの匂いも、今の彼女の足を止めることはできない。

 少女はただ一つの期待を胸に、目的地へと向かう最中だった。

 

「はあ、楽しみ。すっごく楽しみだなあ。どんな子なのかな。年齢は? 好きな映画は? 嫌いな食べものは? ……ああ、はやく直接訊きたいよ」


 まるで恋する相手に会いに行くようなうっとりとした甘さを滲ませて、少女はスマホを自動改札機にかざしてホームへと向かう。

 天井から吊り下がった電光掲示板に自分が乗る列車の番号を見つけると、ピンク色のリップで彩った唇が三日月のような笑みを浮かべた。


「ね、──鳴海夏目ちゃん」




 運命うんめいのリボン




「も……もうムリぃ!」


 夏目は盛大な弱音を吐きながら、背中からべったりと床に倒れた。胸が大きく上下し、酸素を肺に取り入れるのに必死になる。トレーニングルームのひんやりと冷たい床の温度が、夏目の上がりきった熱を吸収していく。

 ふと視界が陰り見上げると、稽古をつけてくれていた史織が眉を下げて笑っていた。


「おつかれ。そろそろ昼休憩にしようか」

「はい……」


 返事をするのも絶え絶えになりながら、夏目は上体を起こす。ペットボトルが目の前に差し出され、礼を言って受け取った。

 少しぬるくなったミネラルウォーターが口から胃の中までを滑り落ち、オーバーヒートしていた思考が晴れてくる。


「史織さん、ぜんぜん汗かいてないですね」

「そりゃあ、動いてるのはきみだから」

「でも、何度もお手本見せてくれたし。あたしも体力つけないとダメだなあ」


 黒いグローブをはめた右手を地面につき、傍らに転がるスピアを見下ろす。


 アロウズと契約を交わしてから、まもなく一ヶ月が過ぎようとしていた。

 素人同然の夏目は、学校の休日はすべてアロウズに費やし、座学から基礎トレーニングまでを一通り叩き込んだ。情報量が多すぎて、何かを憶えるたびに何かを忘れていくのだが。

 それでも、それなのに、一ヶ月前の潮の成績には遠く及ばない。トレーニングを始めてから知ったことだが、あの日彼女がこなしていた練習メニューは、第一線で戦う二色や史織たちと同等のメニューだったという。鬼指導だと泣き言を言っていたのは、誇張でもなんでもなかったらしい。


 潮の言葉が脳裏にリフレインする。

 センスは天賦のものではなく、磨くもの。

 今になって思う。それって、磨き上げる対象が原石であった場合に真価を発揮するのではないか。

 石ころは、いくら磨いたって石ころだ。


「潮みたいには、まだまだできないな」


 ぽつりと呟く。史織は得心がいったようにうなずいた。


「なるほど、あの子と自分を比べているのか。それはたしかにもどかしいかもしれないな」

「史織さんからみても、潮ってしごできですか」

「しごでき……? まあ、頭一つ抜けていると思うよ。白夜のハイペースな教え方にも食らいついているし、たしか彼女の顕質はハクドウだったね。ハクドウは、元々すごく戦闘向けだからなあ……」


 史織は顎に手を当て、思案をまじえながら言う。


「そうなんですか?」

「うん。もし相良がアロウズ入りを断っていたら、千早は地の果てまで追いかけて勧誘し続けただろうね」

「怖すぎるんですけど」


 先日のおぞましい笑顔を思い出し、洒落にならない結末を見た気がして背筋にうすら寒いものが走る。


「ふふふ。まあ、まるく収まってよかったよ。午後は別の仕事があるから付き合えないが、また必要なときはいつでも声をかけてくれ」

「はい。いつもありがとうございます」




 二人がトレーニングルームを出ると、それを呼び止める声がした。


「あ、史織。夏目ちゃん」

「水恵」


 艶やかな長い髪をリボンのように結んだ水恵が、片手を上げて廊下の向こう側から歩いてくる。


 水恵は史織のパートナーで、アロウズに来てからは何度か顔を合わせているが、その度に綺麗だなあと心の中で感嘆する。容姿もそうだが、表情や所作が柔らかく品があって、女性が憧れる女性ランキングによく名前を連ねているのも納得できる。


 水恵は二人の目の前まで来ると両手を後ろで組み、柔らかな笑顔を浮かべて言った。


「おつかれさま。トレーニングは一区切りついた?」

「ああ、今日はここまでにするよ」

「ちょうどよかった。研究室に呼ばれてるの。このまま一緒に──」


 そこまで言ったとき、「ホァッ……!」と珍妙な悲鳴が上がった。もちろん水恵ではない。目を丸くして声がしたほうを見ると、水恵が来たのとは反対側の廊下に、冬柚と顔を真っ赤にした恋が立ち尽くしていた。


「あ、ええと……恋ちゃんと冬柚ちゃん。こんにちは」

「こここ、こんにち、こんにちは」

「こんにちは、水恵さん、史織さん。二人もお昼ごはんですか?」

「ううん、私たちはもう少しお仕事。でも、なんだかお腹空いてきちゃったな。史織、用が済んだら私たちもお昼にしましょう」


 史織が笑顔でうなずく。水恵が「それじゃあ、またね」と手を振って踵を返すと、史織も小さく頭を下げて立ち去った。

 恋がほうと息を吐きながら、遠くなる背中を見つめる。


「名前……憶えてくれてた……」

「食堂の日替わり何だった?」

「カツカレーとアラビアータだよ」

「二人とも感動薄くない!? そんなんで人生楽しいか!?」




「……水恵?」


 史織が名前を呼ぶ。水恵ははっとして顔を上げた。


「あ……何?」

「いや、ずっと黙っているから。どうかした?」


 不思議そうに問いかける史織に、水恵は視線を落として逡巡したのち、ためらいがちに口を開いた。


「恋ちゃん、いるでしょ。私、ずっと気になっていて」

「……水族館のショーをしたあとも、そんなことを言っていたね。会ったことがある気がするって」

「ふふ、うん。だから、研究室であの子を見かけたときは、本当にびっくりしたわ。でも、何度思い返してもしっくりこないの。やっぱり気のせいなのかな」


 思い出せないことがもどかしいのか、水恵は小さく唸る。二人分の革靴は、ゆっくりとした足音をとめない。

 ややあって、水恵は首を振った。


「ダメね、あの子はあんなに私を慕ってくれているのに。いつかちゃんと思い出せるといいんだけど」




  *




「Q.イヴィルとは?」

「空気中のブラッドセルが結合して生まれる結晶生命体。コアと呼ばれる心臓部を軸に形成され、コアを破壊されると霧散する」

「Q.ブラッドセルとは?」

「二〇十八年、空鹿に落ちた隕石から発生したといわれる未解明の粒子。日本本土に蔓延しているが、えー……、関東圏が最も濃度が高く、イヴィルが発生しやすいとされる」

「Q.顕質とは?」

「イヴィルが持つ超常的な性質のこと。イヴィルブラッドにも継承される」

「Q.イヴィルブラッドとは?」

「空気中のブラッドセルを長期間体内に取り込み続けた結果、イヴィルと同等の顕質を持つようになった人間のこと」

「すごい、全問正解! 今度の小テストも完璧だね」

「うう……この間覚えた数学の式が抜けていく……」

「わりと深刻な弊害出てんな」


 全問正解したのに、喜ぶどころか頭を抱える冬柚の姿に夏目が苦笑する。

 夏目と同じく、恋と冬柚もまた膨大な情報量に脳のキャパシティを圧迫されていた。想像以上に覚えることが多い。

 消費した糖分を補充するように、冬柚がレギュラーメニューのハンバーグ定食をを口に入れる。

 恋が夏目に訊ねた。


「夏目のほうは調子どう?」

「きっつい。グローブの使い方も最近ようやくわかってきたところ」


 言いながら、夏目は自身の左手を握って開く。

 黒々とした艶のあるグローブが手首までを覆っている。最初は慣れない圧迫感に何度も外して、はめてを繰り返していたが、最近はだいぶ手に馴染んできた。

 右手のグローブはポテトをつまむために外して傍らに置いてある。それだけが少し面倒くさい。


「研究室屈指の開発品らしいね、そのグローブ。それがないとスピアを生成できないんでしょ?」

「うん。このグローブがブラッドセルの放出を手助けしてくれるんだって。それを意識的に結晶化することで、スピアをつくるんだ。すごく器用な人だとグローブなしでもできるらしいけど」

「等々力さんとかできそうだよね」

「あはは、あの人できそー」


 他愛ない話をしながら、夏目はアラビアータと一緒に注文したフライドポテトを咀嚼した。細切りで、少し強めに効かせた塩が疲れた身体に染み渡る。

 恋が突然、瞳をきらめかせて身を乗り出した。


「そういえばもうすぐだよね、夏目のパートナーが来るの! もう連絡来た?」

「まだ名前しか聞いてないよ。なんだっけ……タチバナミサト? だったような」

「橘ミト、よ。鳴海夏目ちゃん」


 夏目がポテトを咥えたまま、大きく目を見開いて顔を上げた。

 柔らかそうにウェーブした明るい髪が、肩の上でふわりと揺れる。二つの黄色いリボンが髪の両側に飾られていて、大きな瞳が夏目を見下ろしていた。


 誰。いや、名前は今聞いた。橘ミト。タチバナミサトではなく、タチバナミト。

 

 夏目は喉を鳴らして、大量の空気と共にポテトを飲み込んだ。


「ハ、ハジメマシテ」

「はじめまして! やっぱり、あなたが夏目なんだ。あたしの運命のパートナー、これから生涯を共にする相手だもの。千早さんの紹介を待ちきれなくて会いに来ちゃった」


 両手を胸の前で握って距離を詰めてくるミトに、夏目が慌てて背中を反らす。焦点がぼやけるほど顔を近付けてくる彼女に違和感を覚えた。看過できない発言があった気がして、頭の中のテープレコーダーを早戻しする。


 ──生涯を、なんだって?


「待って。生涯を、何?」

「生涯を共にする相手。つまり運命共同体。パートナーってそういうことでしょ? これからはお互いの失敗を補い合って、喜びは分かち合っていこうね、夏目」


 いやおかしいおかしい。言葉のチョイスと認識が徹底的に間違っている。

 確かにそういった意味合いのパートナーも世の中には存在するだろう。けれど、アロウズにおけるパートナーとは、二人一組になってイヴィルと戦う相棒のことだ。そのはずだ。


 一瞬冗談かとも思ったが、笑い飛ばすには関係の浅い相手だったし、なにより無邪気にきらめく瞳が嘘などついていないことを夏目に伝えてくる。

 開いた口が塞がらず、夏目は「はあ」と曖昧な返事をした。冬柚と恋が言葉を失っているのを感じる。


「じつはロッカーの整理が途中なの。挨拶もできたし、積もる話はあとでじっくりしようね、夏目!」


 言いたいことを好きなだけ言って、ミトと名乗った少女は身を翻し、嵐のように食堂を去って行った。

 残された三人はぽかんと口を開け、お昼時の喧騒の中、恋が唖然とした表情のまま言う。


「すごいうちらのこと眼中になかったね」

「こう言うのもなんだけど、夏目、あの人とうまくやっていけるの?」

「わからん……今から不安しかない……」


 夏目はどこか別の次元を見つめながら呟いた。

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