貴焦2
「ねえ」
「うん?」
「……あたしに、できると思う?」
何が、とは言わなかった。「何がですか?」と訊き返されたら、そのまま首を振って話をなかったことにしようと思った。
しかし潮は顎に手を当て考える素振りをしてから、ゆっくりとベンチに腰掛けた。
「個人的な意見を言うのなら、できると思います。今まで50だと思っていたスコアが、実際には80あったんでしょう。それって二色さんや凍花さんよりも高い数値なんです。スコアはイヴィルブラッドにとってポテンシャルと同義で、トレーニング次第で実力に直結すると聞きました。だから、素質は問題ないはずです。顕質の扱いや技巧面に関しては、トレーニングを重ねていくしかないと思いますが」
「……あたしのセンスしだいってこと?」
「センスは天賦のものではなく、磨くものですよ」
それっぽいことを言ってくれる。潮がやけに決まった顔をつくるものだから、夏目は可笑しくなって高い笑い声を上げた。
「ははは、あー、そうだね。たしかにセンスは磨くものだ。……そういえば、潮って結構ふざけるほうだよね。最近ずっと暗かったから忘れてたわ」
「直球で言いますね」
「安心したって言ってんの」
夏目は軽くなった心のままに想いを吐き出した。
「本当はあたしたちが助けてあげたかったし、悔しいけど。でも、またこうやって笑ってくれるなら、なんだっていいや」
「夏目……」
「話、聞いてくれてありがとね。前向きに考えるよ」
そろそろ彼女を戻してやるべきだろうと思い、話を切り上げる。潮は寂しそうに眉を下げ、「次、いつ会える?」と上目遣いに夏目を見つめた。
「なにそのかわいい顔。会おうと思えば会えるよ」
「うん……。じゃあ、また今夜連絡しますね」
潮が立ち上がり、階段のほうへと歩く。
恋たちも行ってしまったし、あたしはもう帰ろうか。部外者が長居していいところじゃないだろう。
そう思って後ろ姿を見送っていると、手すりに手を添えた潮がぽつりと呟いた。
「私、小学校で初めて仲良くなったのが夏目なんですよ」
「え、そうだっけ」
「忘れちゃったんですか? お腹が痛いってうずくまっていた夏目を、三人くらいの男の子がからかっていて。注意してもやめなかったから、私、ちょっと喧嘩しちゃったんです。相手の子に怪我をさせてしまって、母に怒られました」
昔を思い出して語る潮の横顔に、ふと記憶の幻影が重なって見える。
ああ、そうだった。
生まれつき身体の弱かったあたしは、小学校に入ったあとも体調を崩すことが多く、ズル休みだ、と同級生に揶揄されてばかりだった。
その日も学校帰りにお腹が痛くなって屈んでいたら、下校途中の男の子に見つかって……、「また嘘ついてる」「ほんとは痛くないくせに」って責めるような言葉をかけられた。今にして思えば、休んでも怒られず、先生にも手をかけてもらっていたあたしは、疎ましくて卑怯なやつだと思われても仕方がなかったと思う。
それでも、その言葉はつらかった。
男の子が飽きていなくなるのを待つしかない、と涙を堪えていたときだった。
『困っている人をいじめるなんて最低です。先生に言いつけますよ』
両手を腰に当て、小さな身体を少し反らしてそう言った女の子の姿。
──なつかしい。なつかしくて、眩しい。
潮と共に過ごした時間が長すぎて、隣にいるのがあたりまえで、すっかり色褪せていた気持ち。
幼い子が特撮ヒーローやアニメに憧れるのとなんら変わらない。あたしもこうなりたいと思った。かわいくてかっこよくて優しい、あたしのはじめてのヒーロー。
そのヒーローは、子供の頃よりもずっとかっこよく、綺麗に成長した姿で微笑んだ。
「あのとき、夏目に出会えてよかった。これからも、きっと傍にいてくださね」
言葉にできない感情の奔流に、夏目は泣きそうな顔でうなずく。
身体が強くなったのに、心はこんなにも弱いままだ。それに気づかず、潮をずっと待たせてしまった。
手を伸ばすなら、覚悟を決めなくちゃ。
ヒーローは傷だらけになっても立ち上がる。くずおれたって前を向く。勇気をくれる仲間が、いつだって傍にいるからだ。
「……あんたが、あたしの身体を治してくれたの? ダミー」
独り言のような問いかけに返事はなく、見つめた手のひらを握りしめた。
──舞台の幕を上げるのは、自分だ。
夏目が去ったあとの観察室には、静かな空調の音だけで響いていた。
*
「あーん、眠くなってきた。誰かコーヒー買ってきてぇ。キツめのブラックで」
「自分で行ってくださいよ……」
「遠山、鰹節パックの恩を忘れるな」
「あれを仕打ちと言わず恩と言いますか……」
大きなあくびを噛み殺しながら背もたれに思い切り体重を乗せる千早に、遠山と呼ばれた眼鏡の研究員はため息を吐いた。そのデスクの引き出しには、皆が老舗和菓子屋の饅頭を差し入れでもらうなか、一人だけ差し出された鰹節パックがしまわれている。
「なによ、不満だった? じゃあこれ、私の分あげる」
「え」
「感謝してよねー。ちなみに賞味期限今日までだから」
「し、室長……!」
黒糖の薄い生地のなかに、ずっしりと重たい餡子が詰まったそれを両手で受け取る。なんて尊い重みなんだろう。この人についてきてよかった。
でも──、
「お礼にコーヒー買ってきて」
「言うと思いましたよ!」
遠山が盛大に突っ込むと、研究室の扉が開いた。
「すみません。千早さんここにいますか」
「……夏目ちゃん?」
「ああ、よかった。話がしたいんですけど、時間いいですか」
どこかすっきりとした笑顔を浮かべた夏目が、千早に歩み寄る。
なぜここに、と一瞬考えたが、今日は恋と冬柚の出勤日であったことを思い出す。今は六花がロッカーや制服の案内をしているはずだが、ついてきていたんだろう。
千早は椅子を半回転させて夏目に向き直ると、下心を隠そうともせず首を傾げた。
「えー、なになに。もしかして心決めてくれた?」
「はい」
「……はい?」
想定外の返答に、千早が口を半開きにする。
「そうじゃないです」と呆れ顔で返されることを想像していたのだが、夏目は照れたようにはにかんで続けた。
「あたしを、アロウズに入れてもらえませんか。戦闘員として、ダミーと一緒に」
千早はまばたきを繰り返し、夏目の手を取って握りしめると、「もちろん!」と力強くうなずいてデスクを漁り始めた。「ちょっと待って、気が変わらないうちに契約書書いてもらうから!」
整理整頓が苦手なのか、出しっぱなしの書類の上にどかした書類がさらに積み上がっていくのを見て、夏目は苦笑いを零した。
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