鏡面

 ──あたし、これから何されんの?


 無機質な白いタイルの壁に囲まれ、気になるものと言えば背後の壁に取り付けられたシャッタードアのみ。装飾も何もないだだっ広い空間の中、夏目は遠い目をして立ち尽くしていた。

 恋と冬柚とも離されてしまったし、六花は「ちょっとここで待っててください」と言い残して姿を消したまま戻ってこない。数分くらいだろうか、十分は経っていないと思う。


 ──潮は、無事なのかな。いや、潮の心配している場合か? 今の状況、まるで自分までイヴィルブラッドだと疑われているみたいだ……。


 そこまで考えて、ふと腑に落ちる。

 イヴィルブラッドだと疑われている。

 潮の付き添いが自分だけ許されたのも、名前を訊かれたのも、採血されたのも、そのためだと考えれば辻褄が合う。

 でも、それは勘違いだ。

 スコアは毎年測定しているけれど、50を上回ったことはない。たまにコントロールを飲み忘れることもあるけれど、そのせいで不調を感じたこともない。


 弁明するべきか? 六花さん、早く戻ってこないかな……。


 六花が出て行った扉を何度も見ていると、カシャン、と背後から物音がした。




 鏡面きょうめん




 潮と別れたあと、夏目たちは六花に案内され、一階の医務室に連れて行かれた。

 水族館でイヴィルに襲われた直後だったこともあって、案内先が医務室であることはあまり疑問に思わなかった。自分は特に怪我もなかったので、処置があるとすれば尻もちをついた冬柚くらいだろうと。

 そこで露木沙慧子つゆきさえこと名乗るアロウズのドクターに出会った。茶髪を後ろで団子にしてまとめた、清潔感のある白衣の女性だ。

 挨拶もそこそこに、沙慧子は言った。


「夏目さん、採血をしてもいいですか?」


 嫌だ、とは言えなかった。

 その採血とやらも、思い出してみれば妙だった。

 左腕に採血針を刺している最中、やけに近くに六花が立っているなと思えば、右手の指先にちくりとした痛み。驚いて訊くと、指先にキャピラリーとやらの針を刺したのだと、申し訳なさそうに答えてくれた。


 十分程度で結果が出るからと、沙慧子は奥の部屋からアイスティーと焼き菓子を持って来た。

 突拍子のない展開に三人は顔を見合わせながらも、にこやかな沙慧子と六花の雰囲気に感化され、気づけば歓談しながら潮が戻ってくるのを待っていた。


「わあ、じゃあみなさん高校生なんですね! 懐かしいなあ、私昔から理系だったんで、国語とか歴史がもう苦手で」

「わかりますー! 昔の人って名前似すぎですよね。よりともとかよりみつとか」

「そうそう! 建物の名前も長くて難しいし……」


 恋が持ち前のコミュニケーション能力を遺憾なく発揮してくれたおかげで、最初は警戒心が抜けなかった冬柚も少しずつ絆され、アロウズって思ったよりいい人たちなのかも、と最後は笑顔すら見せていた。


 検査結果が出ると六花が慌てた様子で部屋を出て行き、一抹の不安が胸をよぎった。六花が潮を連れて戻ってくることを期待したが、戻ってきたのは六花一人。

 戻ってきた六花に先ほどの焦りは見られず、落ち着いた素振りで言った。


「結果の説明を室長からするそうです。お手間ですが、もう一度ご案内しますね」


 そして案内された先が──この、何もない白い部屋だった。




  *

 



「恋! 冬柚!」

「潮!」


 千早と白夜について行った先の部屋で、潮は不安そうに身を寄せ合っている恋と冬柚を見つけた。

 二人は潮に気がつくと、ぱっと明るい笑顔を浮かべてベンチから立ち上がり、数年ぶりの再会を喜ぶような熱烈なハグで潮を出迎えた。


「生きててよかったぁ! 大丈夫? 変なことされてない?」

「ないです、大丈夫」

「もー、心配したよ。てか今度は夏目が攫われたんだけど。これなんなの?」

「夏目はどこに……」

「あそこにいるよ。下に見えるでしょ」


 冬柚が指差した先には、まるで窓の向こう側を観察するために取り付けられているかのような、数メートル幅の巨大な室内窓があった。手前にはキーボードやスイッチ、ランプなどが取り付けられた大きなコントロールパネルが置いてある。

 潮が窓から見下ろすと、眼下に広がるのは白いタイル張りの大きな空間で、インテリアが一つもない無機質な大部屋が広がっている。

 その中央に、夏目が一人、ぽつんと立っていた。


「夏目……!」


 夏目は目線を床に落としたり、爪をいじったりして時間を持て余しているように見える。どうやら危険な目に遭っているわけではなさそうだ。

 潮はほっと胸を撫で下ろした。


 その後ろで、腕を組んで立つ白夜に二つの視線が絡みつく。耐えかねた白夜が顔を向けた。


「なんだよ」

「いや、なんでここにいるのかと……」

「ばか、恋! 刺激しちゃダメでしょ」


 なんでもなにも、アロウズ内に自分がいるのは普通であるし、むしろお呼びでないのはそっちなんだが、と不審者を見るような視線を疎ましく思いながら、「相良の子守りだ」と返した。下の階で起きることが手に負えなくなった場合の保険も兼ねていることは伏せて。

 二人は大きな目で瞬きを繰り返し、「さがら」「こもり」と小さくおうむ返しをした。


 千早は奥でクリップボードを抱えて立つ六花に歩み寄る。


「六花ちゃん、様子はどう?」

「変わりありません。何も言わずにあそこに置いてきてしまったから、ずっと不安そうで……ちょっとかわいそうになってきちゃいました」

「いやあ、申し訳ないけどね……。まあ、簡単に顔は出さないか。史織しおりに連絡して」

「……本当にやるんですか」

「不安?」

「そりゃあそうですよ。医務室で少し話しましたけど、夏目ちゃん、すごくいい子ですよ」


 六花が眉を下げて言う。話したのは測定結果が出るまでの短い間だったが、友達想いで面倒見のいい、しっかり者という印象を持った。

 積極的に話をする恋の話をさりげなく補完したり、自分から遠い位置の焼き菓子を見つめる冬柚にそれを手渡したり、まわりを見て気を配るのが上手い。そして、それを恩として感じさせないフランクな気質。

 他人に害を与えるような人物とはとても思えなかった。


「大丈夫よ。史織は寸止めのプロだから」

「はじめて聞きました」

「そりゃあ私だって穏便に済ませたいけど、それはあの子次第でしょ」

「そう、ですよね」

「私やっちゃうよ」

「あーっ、やりますよぅ! ちゃんとやりますから」


 六花は慌てて白衣のポケットからスマホを取り出し、番号をタップして耳に当てた。一言二言交わし、通話を切る。

 そして千早の指先がコントロールパネルに伸び、赤いボタンを押した。

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イヴィルブラッド ヤマダネコ @ymdnksenpai

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