ショート5 ライフ・サブスク
交差点の赤信号を待つ群衆を、佐藤は高層ビルのテラスから見下ろしていた。
視界の隅で、ARコンタクトが通行人の「保護ランク」と「残基準値」を淡々と表示する。 佐藤はグラスを傾け、自分の瞳を覗き込んだ。
黄金のリング――ゴールド・プラン。 その内側に、小さく回転する数値。
〈保護残量:98.7%〉
それは、ナノマシンが肩代わりできる“致死損傷の総量”。
自然死以外のあらゆる死を回避し、負傷を瞬時に修復するナノマシン・サービス「ライフ・サブスクリプション」。
病死のみをカバーする安価な「ブロンズ」、あらゆる事故からも身を守る中階級の「ゴールド」、そして不老長寿と完璧な安全を保証する最上位の「ダイヤモンド」。
リングの輝きが、その人間が受けるべき敬意の量を決定する。瞳に何も宿さない「未加入者」は、いつ壊れるかもわからない不潔な消耗品として、軽蔑されている。
佐藤は視界に浮かぶ決済ウィンドウを指先で弾いた。
〈緊急チャージ:+5.0% / ¥48,000〉
高い。
だが、ゴールド契約者にとってはコンビニで水を買う程度の出費だった。
「命が減ったら足せばいい」
佐藤は笑い、手すりを越えた。そのまま空中に足を踏み出した。
落下。衝撃。粉砕。
〈保護残量:98.7% → 96.2%〉
次の瞬間、ナノマシンが全身を駆け巡り、損傷を再接合する。 骨は繋がり、血管は編み直され、皮膚が再生する。
視界に小さく通知が灯る。
〈致死損傷:記録済〉 〈未処理ログ:+1〉
佐藤は何事もなかったかのように立ち上がり、悲鳴を上げる群衆の間を歩き去った。
それが彼の日常だった。
異変は、その夜に来た。
スマホが震える。
『【重要】自動決済失敗』 『本日24時までに決済が完了しない場合、契約を終了しログ処理へ移行します』
舌打ちしながら再試行する。だが、赤い表示が重なる。
『信用スコア低下により、自動徴収を実行します』
次の瞬間、口座残高が高速で減っていく。
だが――足りない。
『残高不足。プランを段階的に縮退します』
視界のリングが揺らぐ。
【ゴールド → シルバー】
同時に、表示が書き換わる。
〈保護残量:42.1%〉 〈未処理ログ:12〉
「……は?」
背筋が冷える。
未処理ログ。 それは、“後回しにされている死”。
さらに通知が増える。
『未納状態のため、保護残量の補充は停止されています』 『追加チャージ機能はロックされています』
さっきまで指先一つで呼び出せたはずの決済ウィンドウは、灰色に凍りついていた。
「ふざけやがって……!」
銀行のロビーは混乱していた。
「今チャージすればログを処理できるんだ!」 「ランクが落ちたら処理能力が足りなくなる!」
職員は機械的に答える。
「未納状態では追加課金はご利用いただけません。ログ処理は現在のプラン範囲に制限されます」
つまり――
今のプラン抱えきれない“死”が、確実に残る。
佐藤は窓口に詰め寄ろうとしたが、そこの警備員に襟首を掴まれた。
「順番を守れ、低ランク」
振り向いた先。 ダイヤモンドのリングが静かに輝いている。
佐藤は路上へ投げ捨てられた。
残り時間、7分。
街を彷徨いながら、佐藤は漠然と理解する。
自分は死を克服していたわけじゃない。 ただ、“支払いを先延ばしにしていただけ”だった。
信号待ちの老人と目が合う。
リングはない。 だがその足取りは、慎重で、確かだった。
――ログがない。
その事実が、何よりも重かった。
23時59分。
〈保護残量:0.3%〉 〈未処理ログ:12〉
通知が再表示される。
『契約終了まで残り10秒』 『未納ログは契約終了時に処理されます』
「やめろ……やめてくれ……」
世界が、わずかに巻き戻った。
トラックの接近。 落下の浮遊感。 胸を貫く痛み。
それらが、同時に再生される。
逃げ道はない。
それはすでに、「起きたこと」だからだ。
翌朝。
歩道の端に、歪んだ肉塊が転がっていた。
誰も近づかない。
通行人たちは視界の情報だけを確認し、無言で回避する。
〈未加入者〉 〈価値:算出不可〉
頭上の巨大スクリーンで、モデルが微笑む。
『あなたのリスクに、最適な保護を』
一瞬だけ、映像にノイズが走る。
そこに表示されたのは――
〈未処理ログ:∞〉
〈回収対象:全契約者〉
すぐに広告は元に戻る。
誰も気づかない。
誰も、気にしない。
この街では今も、終わることのない“それ”が続いている。
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