エレベーター

 雑居ビルのエレベーターは、古いものほど嫌な音がする。


 私は点検用の鍵束を鳴らしながら、地下機械室への階段を降りていた。


 築四十年以上。

 駅前の古い商業ビル。


 昼は人が多いが、大半のテナントが閉まる。

 今日は閉館後の定期点検だった。


 時刻は二十三時過ぎ。


 管理人は先に帰っている。

 館内には、私しかいない。


 機械室へ向かう途中、ふと一階のリサイクルショップがまだ開いているのが見えた。


 シャッター半開き。

 店員が片付けをしている。


「まだ営業してたんですか」


「あと少しで閉めます」


 何気なく店内を見る。


 ガラスケースの中に、黒いスマホがあった。


 壁紙は、煙の流れる薄暗い通路。

 奥にぼやけた黒い影。


「それ、安いですよ」


 店員が言う。


「傷も少ないし」


 私は苦笑する。


「仕事用、ちょうど替えようと思ってたんですよね」


 小さな点検会社だからスマホも自前だ。

 今のスマホはバッテリーが限界だった。


 連絡と点検アプリくらいしか使わない。

 中古で十分だ。


 ケースを開けてもらい、手に取る。


 その瞬間。

 画面が乱れた。


 ノイズ。


 煙。

 倒れた男。

 見開かれた目。


「……っ」


 一瞬で消える。


「どうしました?」


「いや、なんか動画が」


「中古なんで、データが残ってたかもしれませんね」


 店員は気にしていない。

 私は曖昧に笑い、そのスマホを購入した。


     ◇


 深夜のビルは静かだった。

 空調の低い振動だけが、壁の奥から響いている。


 私は点検用の制服に着替え、エレベーター制御盤を開けた。


 古い巻上機。

 油の臭い。


 タブレットへ点検結果を入力しながら、新しいスマホを設定する。


 画面は綺麗だった。


 だが時々、一瞬だけノイズが走る。


 煙の映像。

 暗い通路。

 倒れた男。


「なんなんだよ……」


 気味が悪い。

 再起動しようとしたとき、通知が出た。


【新着動画】


 見覚えのない通知だった。

 

 開く。

 暗い映像。

 狭い空間。


 最初、何が映っているのか分からなかった。

 だが、徐々に理解する。


 エレベーターシャフトだった。


 上を見上げる映像。


 ワイヤー。

 ガイドレール。

 非常灯。


 まるで、シャフトの底から撮影しているみたいだった。


「……は?」


 映像の中で、エレベーターが降りてくる。

 ゆっくり。

 暗闇を塞ぐように。


 その瞬間。

 背後で、“チン”と到着音が鳴った。


 私は振り返る。

 エレベーターだった。

 閉館しているはずなのに、勝手に一階へ到着している。


 扉が開く。

 誰もいない。

 古い蛍光灯だけが点滅している。


「誤作動か……?」


 私は中に入り、操作盤を見る。

 行先表示がおかしかった。


 【B13】


 そんな階は存在しない。


「……なんだこれ」


 次の瞬間。

 扉が閉まる。


 エレベーターが動き始める。

 上ではなく、下へ。


 ゆっくり。

 ありえない。


 このビルに地下十三階なんてない。

 なのに表示だけが減っていく。


【B5】

【B6】

【B7】


 私は慌てて非常停止を押した。

 反応しない。


 エレベーターは降り続ける。


 低い振動。

 ワイヤー音。


 どこまでも落ちていく感覚。


 スマホが震える。

 画面が勝手に点灯する。


 映っていた。

 暗いシャフト。

 その底。

 赤黒いものが広がっている。


 壊れた身体。

 安全帯。

 ヘルメット。


 潰れた顔。


 私だった。


「……え?」


 息が止まる。


 その瞬間、急激な浮遊感。


 視界が回転する。


 轟音。


     ◇


 気づくと、私は立っていた。


 静かだった。


 非常灯だけが赤い。


 目の前には、開いたエレベーター扉。


 中は空。


 私は呆然と周囲を見る。


「……今の」


 記憶が曖昧だった。


 だが、違和感がある。


 音が遠い。


 呼吸の感覚がない。


 制服を見る。


 汚れていない。


 なのに、床に血がある。


 エレベーターシャフトの底。


 赤黒く潰れた何か。


 ライトを向ける。


 人だった。


 安全帯。

 工具袋。

 制服。


 私だった。

 頭が、不自然に潰れている。


 ようやく理解しかけた、そのとき。


「落としましたよ」


 すぐ後ろで声がした。

 振り返る。

 暗い廊下に、誰かが立っている。


 黒い。

 服ではない。

 輪郭そのものが暗闇みたいだった。


 顔は見えない。

 その手に、スマホがある。

 私のスマホ。


「……なんで」


 影は答えない。

 静かに差し出してくる。

 もう片方の手に、長いものが見えた。


 細長い柄。

 先端だけが、大きく弧を描いている。

 どこかで見た形だった。

 思い出せない。


 私は震える手でスマホを受け取る。

 画面が点灯する。

 そこに映っていた。

 

 エレベーターシャフト。

 底に倒れた私。

 その横に立つ、黒い影。


 さらに画面奥、非常灯の赤の中に、別のスマホが落ちている。


 知らない黒いスマホ。

 画面には、煙の流れるネットカフェの通路。

 その奥に、ぼやけた黒い影。

 まるで、前の持ち主がまだ残っているみたいだった。


 その瞬間。


 シャフトの奥から、着信音が聞こえた。

 知らないメロディ。

 暗闇の底から。


 黒い影が、ゆっくりそちらを見る。


 その長いものの先端が、ゆっくり動く。

 何かを引き上げるみたいに。


     ◇


 一か月後。

 駅前のリサイクルショップ。

 店員が、新しく入ったスマホをケースへ並べる。

 黒いスマホだった。


 画面には、赤い非常灯に照らされたエレベーター内部。

 その隅に、ぼやけた黒い影。

 作業服姿の男が足を止める。


「これ、仕事用によさそうだな」


 店員がケースを開ける。


 その瞬間。

 画面が一度だけ乱れた。

 ノイズ。


 シャフトの底。

 潰れた点検員。

 開いたままの目。


 だが次の瞬間には、もう消えていた。

 男は気づかないまま、スマホを手に取った。

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