ネカフェ

 終電を逃した。

 サークルの打ち上げで盛り上がりすぎたのだ。


 金曜の深夜一時。

 駅前はまだ明るかったが、人通りは減っている。


 私は改札前でスマホを見下ろした。

 始発まで待つしかなかった。


 目についたネットカフェへ入る。


 二十四時間営業。

 雑居ビルの七階。


 エレベーターの中は、煙草と古いカーペットの臭いが混じっていた。


 受付には眠そうな店員が一人いる。


「個室、六時間で」


「はい」


 会計を済ませる。


 その横に、小さな中古ショーケースがあった。


 イヤホン。

 モバイルバッテリー。

 型落ちスマホ。


 その中の一台に、妙に目が留まる。


 黒いスマホだった。

 壁紙は、暗い廃墟の廊下。

 奥に、ぼやけた黒い影が立っている。


「それ、配信者が使ってたらしいですよ」


 店員が言った。


「配信者?」


「なんか心霊動画の人。事故で死んだとかで、買取に流れてきたやつ」


 私は苦笑する。


「縁起悪いですね」


「逆に人気あるんですよ、そういうの」


 値段を見る。

 安かった。


 今使っているスマホはバッテリーが死にかけている。

 時間潰しも兼ねて、私はそのスマホを買った。


     ◇


 個室は狭かった。


 鍵付きの防音ブース。

 薄いマット。

 小さなPC。

 空調の低い唸り音。


 私は靴を脱ぎ、壁にもたれた。


 買ったばかりのスマホを起動する。

 画面が一瞬だけ乱れた。


 ノイズ。


 暗い廃墟。

 崩れた床。

 倒れた男。


 首が曲がっている。


「……っ」


 一瞬で消えた。

 すぐに壁紙へ戻る。


 暗い廃墟の廊下。

 奥に立つ、黒い影。


「なんだよ……」


 中古だからだと思うことにした。

 動画データの残りか何かだろう。

 イヤホンをつけ、動画サイトを開く。

 おすすめ欄に、奇妙なサムネイルが出てきた。


『配信中に消えた心霊配信者』


「あ」


 さっき店員が言っていたやつだと気づく。


 再生する。


 暗い廃ホテル。

 配信者の男。

 コメント欄。


『後ろ』

『誰かいる』

『黒いやつ』


 コメントが高速で流れていく。


 そして、床が抜ける瞬間。

 動画が止まった。


 ノイズ。


 一瞬だけ、画面奥に黒い影が映る。


 私は思わずイヤホンを外した。

 そのタイミングで、個室の外から足音が聞こえた。


 ゆっくり。

 擦るみたいな歩き方。

 カーペット越しなのに、妙にはっきり聞こえる。


 通路を誰かが歩いている。

 こんな時間だ。

 別におかしくはない。


 だが、足音が個室の前で止まった。


 沈黙。


 私は息を止める。


 コンコン。

 扉が鳴った。


「……はい?」


 返事をする。

 何も返ってこない。


 数秒後、また歩き出す音がした。


「なんだよ……」


 私は苦笑し、スマホへ視線を戻す。

 通知が出ていた。


【ライブ配信を再開しました】


「は?」


 タップする。

 暗い映像が映った。

 どこかの廊下。

 狭い。

 赤いランプが点滅している。


 最初、何が映っているのか分からなかった。

 だがすぐに気づく。

 ネットカフェの通路だった。


「……え?」


 映像が揺れる。

 まるで誰かが歩きながら撮影しているみたいに。

 七階の通路。

 個室番号。

 こちらへ近づいてくる。

 私の個室へ。

 背筋が冷える。

 ありえない。


 私は勢いよく扉を開けた。

 誰もいない。

 静かな通路だけ。


 だが、スマホ画面の中では、まだ“誰か”が歩いている。


 カメラが止まる。

 私の個室の前。

 映像の中の扉が、ゆっくり開いた。

 そこに映っていた。

 椅子に座る、私。

 スマホを持っている。


「……っ」


 その瞬間、画面の中の“私”がこちらを向いた。


 目が合う。

 顔色が悪い。

 口元が黒ずんでいる。


 その背後に、黒い影が立っていた。

 輪郭だけが、人の形をしている。

 顔は見えない。


 その手に、長いものがある。

 細長い柄。

 先端だけが、大きく弧を描いていた。


 次の瞬間。

 館内放送が鳴る。


『火災が発生しました。落ち着いて避難してください』


 同時に、どこかで悲鳴が上がった。


 焦げ臭い。


「え……?」


 通路の奥から、白い煙が流れてくる。


 人の足音。

 叫び声。


 だが、どこか遠い。

 水の中みたいにくぐもっている。


 私は走り出した。

 階段へ向かう。

 だが煙が濃い。

 喉が焼ける。

 視界が霞む。

 咳き込む。

 苦しい。


 壁に手をつく。

 そのとき、気づいた。

 

 息をしていない。


 苦しいのに、呼吸出来ていない。


 胸が上下していない。


「……え?」


 視界の奥で、人が倒れていた。


 通路の隅。

 煙の中。

 スマホを握った男。

 白目を剥き、口から泡を吹いている。


 私だった。


 理解が追いつかない。


 だが、さっきから瞬きをしていないことに気づく。


 どれだけ目を閉じようとしても、まぶたが動かない。


 その瞬間。


「落としましたよ」


 すぐ後ろで声がした。


 振り返る。

 煙の中に、黒い影が立っている。

 輪郭だけが異様にはっきりしていた。

 顔は見えない。


 その手に、スマホがある。

 私のスマホだった。


「……なんで」


 影は何も答えない。


 ただ静かに、スマホを差し出してくる。


 もう片方の手の長いものが、煙の中でゆっくり揺れる。


 その先端だけが、妙にはっきり見えた。


 私は震える手でスマホを受け取る。

 画面が点灯する。


 そこには、今の通路が映っていた。


 煙。

 倒れた私。


 その横に立つ黒い影。


 さらに、その画面の中のスマホにも、同じ映像が映っている。


 何重にも。


 どこまでも続くみたいに。


 その奥で、黒い影だけが、少しずつ近づいていた。


     ◇


 翌日。


 火災事故はニュースになった。


 古い雑居ビルの漏電火災。

 死者六名。


 ネットカフェ利用客の一人が、避難途中に煙を吸って死亡したと報じられた。


     ◇


 駅前のリサイクルショップ。


 店員が、新しく入荷したスマホをケースへ並べる。

 黒いスマホだった。


 画面には、煙の流れる薄暗い通路が映っている。

 その奥に、ぼやけた黒い影。


 高校生くらいの男が足を止める。


「これ、動画見るのによさそう」


 店員がケースを開ける。


 その瞬間。

 画面が一度だけ乱れた。


 ノイズ。


 煙の中で倒れた男。

 開いたままの目。

 その横に立つ、黒い影。


 だが次の瞬間には、もう消えていた。


 高校生は気づかないまま、スマホを手に取った。

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