土が還る日

〇お題「植物」の短編です。













 視界には、果てしなく青い空が広がっていた。

 それだけが、家守やもりには不思議だった。


 地球を覆う大気は、戦争によって壊されてしまった。

 敵味方がアンモニア化合物を兵器として無節操に使用したため、世界中で、雨や雪や粉塵となって地上へ浸み込んだのだ。

 そうして、土壌微生物は死に絶え、草木は枯れた。

 土は、土でなくなったのだ。

 今も変わらない青い空の下で、ほとんどすべての生物が滅んでいた。


 家守やもりたちが暮らしているのは、かつての農業試験施設である。

 幸いにも地下には居住区が用意されており、地上には実験用の畑だった土地が広がっている。


 土壌の浄化と再生。


 それが、初代の研究チームに課せられた使命だった。

 衛星軌道上の居住施設へ人類総人口の約3割の人々が移されたあとも、地上に残った研究者たちは作業を続けた。

 地球を人類の手に取り戻すという使命感だけを支えにして。

 最初の世代には、まだ信じるべき未来像があったのだ。

 やがて、三十年が過ぎて。

 世代が入れ替わり、まだ若い彼女が研究チームに所属した頃には、誰も未来という言葉を口にしていなかった。





 人類最後の武器は、銃でも爆弾でも、まして金銀財宝ではなかった。

 施設地下の巨大な保管庫には、米、麦、豆、トウモロコシをはじめ、名前さえ分からなくなった植物の種まで、ご丁寧に並べられていた。

 そして、硝化菌をはじめとした細菌類や菌類までも。

 これらは失われた土壌を再構築するための切り札、

 かつては、その辺にありふれていた植物の種子や土壌生物だった。





 家守やもりは、いつものように畑へ出た。

 防護マスクを着け、作業手袋を二重に装着する。

 数日前に発芽はしていたものの、葉先が茶色に変色して枯れてしまったものを見つけた。

 家守やもりは黙って、その枯草を抜いた。

 根にこびりついた土をこそいで採取し、分析端末へ入れる。

 数秒後、画面にアンモニア濃度の数値が映し出された。


 ――これも、許容値を大きく超えている。


 家守やもりはため息をつくと、分析端末を閉じた。


 隣の区画を眺めると、同僚の夜鷹よたかが土を掘り返しているところだった。

 夜鷹よたかは、家守やもりより少し年上の男性だった。

 二人は、この施設に残された、最後の生き残りだった。



 夜鷹よたかは手に握っていた土をしばし眺めると、先ほどの家守やもりのようにため息をついた。

 力を失った指の間から、土がさらさらと零れ落ちていった。


「駄目だった?」


 夜鷹よたかは視線も合わせず、ただうなずいた。


 生育条件、試験区画、散水量……

 何を試しても、結局は枯れてしまう。

 ぎりぎり成木となっても、花が咲かない。


 土は、人間の所業を三十年では忘れてくれないのだ。

 ひたすら実験という名の失敗だけを繰り返す日々。





 働きづめで、二人がいつものようにくたくたになった夜のことだった。

 この施設の食糧備蓄が豊富だったのは、もう過去の話だ。

 夜鷹よたかは、端末に映し出された食糧の残量を指でなぞった。

 二人が消費すれば、節約しても六か月分。

 新たに補充しようにも、食糧のあてなどない。

 あとは施設に残された実験用の種子くらいしかなかった。

 夜鷹よたかの後ろにいた家守やもりは、その数字の意味には気づいていたが、知らぬふりを装った。





 事件は、その翌朝に起きた。

 朝食の時間を過ぎても、夜鷹よたかが現れなかったのだ。

 嫌な予感を覚えた家守やもりは、施設内をくまなく探した。


 居住区。

 実験室。

 地下倉庫。


 施設内のどこにも夜鷹よたかの姿は見当たらない。

 夜鷹よたかの防毒マスクは残されているというのに。

 最後に、祈る気持ちで地上の畑を見て回ることにした。


 施設からそう離れていない畑で、こと切れていた夜鷹よたかを見つけた。

 ひどい化学熱傷を負った彼の顔面は、ひどただれていた。


 ――苦しかっただろうに……





 それから数日、惰性で実験を続けていた家守やもりだったが、突然何かに憑かれたように施設中を探し回り始めた。


 ――どこかに夜鷹よたかのメッセージが残されてはいないか。


 だが、どこにも、なかった。

 ただ、食糧庫の配給予定表だけが。

 あの日から家守やもりだけに分配するよう、変更されていただけだった。


 つまり、事故でもなく、衝動的な自殺でもなかったのだ。

 それは家守やもりのための選択。


 たとえ先延ばしでしかなかったとしても。

 ここでは、水もまた貴重品である。

 涙さえ、惜しまねばならないほどに。





 家守やもりは、夜鷹よたかの遺体をかつての仲間たちが眠っている墓地、施設のすぐ裏に埋めることにした。

 硬い地面をシャベルで叩き割り、掻き出し、どうにか小さな穴を掘ることができた。

 腐敗し始めた夜鷹よたかの身体を小さな墓穴の底に横たえると、土をかけて覆い隠した。

 墓標にできるものがなかったので、まだ柔らかい土に夜鷹よたかと書いた。

 しかし、すぐに強い風が吹いて、名前は消えてしまった。

 家守やもりの目から、これまで抑えてきた涙がとめどなく零れ落ちた。


 墓標もなく。

 供える花もなく。


 やがて家守やもりは立ち上がり、種子保管庫へ足を運んだ。





 種子保管庫の冷却装置は、あと二百年は稼働できる。

 一年も経てば、ここを管理する人間はいなくなるというのに。

 なんという皮肉なのか。


「何のために?」


 家守やもりは台車で運べる限りの保存容器を持ち出した。


 大事にしてきた植物の種子。

 そして、細菌類と菌類と微生物の培養器。


 ――もう、いらない。


 一人残された家守やもりには、この先の実験に、もう何の意味も感じられなかった。

 墓地へ引き返した家守やもりは、仲間たちの墓の上に、保存容器の中身を撒いた。


 種を。

 微生物を。


 そしてホースを引っ張ってくると、貴重な水までも、贅沢に墓地の上にぶちまけた。


「もう、どうなってもいいや」


 その日から、家守やもりは寝て食べるだけの生活を送り始めた。





 夜鷹よたかが居なくなってから、はや一年が過ぎた。


 最後の食事を取った家守やもりは、あらかじめ決めていた場所へ向かった。

 直に観る空は、青かった。

 その空の先には、巨大な居住施設が浮かんでいると聞く。


 家守やもりの世代が直接知らない、人類の移住計画。


 たくさんの食糧。

 豊かな土壌。

 綺麗な空気。

 美しい畑。


 ――もし見下ろしているのなら、

 地球に残された最後の人の姿を見るがいい。


 ないものづくしで、彼女は笑うしかなかった。





 ――最期の場所は、夜鷹よたかたちの傍に。


 とっくに一人きりだった。

 だからといって、一人で終わるのはごめんだった。


 喉がむせる。

 目も痛い。


 すぐ傍にあるはずの墓地までが、ひどく遠く感じられた。

 そして、腐食したまぶたで目が潰れかけた家守やもりが墓地で見たもの。


 彼女には最初、それが何なのか分からなかった。


 夜鷹よたかの墓の土饅頭つちまんじゅうおおうように、小さな緑が芽吹いていた。


「一、十、百……たくさん」


 数えきれないほどの緑の芽が、地面に満ちていた。

 見回すと墓地のあちらこちらでも、さまざまな植物が芽吹いていた。

 これが、かつて地上を満たしていた生命たち。

 夜鷹よたかたちの墓から生まれた、地球再生の礎となるであろう小さな草むら。

 目を凝らしてよく見てみると、夜鷹よたかを埋めた土饅頭つちまんじゅうおおった緑の足元には、小さな白い菌糸までも広がっていたのだ。


 ――心なしか、呼吸が楽になった気がする。


 小さな白い菌糸のさらに奥では、目に見えない硝化菌たちが動き出していた。

 少しずつではあるが、活発に活動を始めた硝化菌の働きによって、猛毒のアンモニア化合物が、植物にとって危険すぎない別の窒素化合物へと変えるサイクルが回りだしたのだ。


 ――人類が壊した循環を取り戻すための反撃、ドミノ倒しが、ここから始まる?


 家守やもりにとって残念なことに、もうそれを確かめるすべはない。

 事態をようやく理解できた家守やもりは、その場に膝をついた。

 そして、もはや見えなくなった目で、どこまでも青い空を見上げた。

 残り少ない命の限り――





 かつて、地球では五度の大量絶滅があったとされている。

 そして、生き残ったものたちが、次の時代を謳歌してきた。

 家守やもりたちの涙から幾千年か先の未来に、緑に満ちた地上が戻るのだろう。














 元ネタは、

 『冷たい方程式』

   /トム・ゴドウィン著

   宇宙船に積まれた燃料と酸素の残量を、

   備蓄食糧の残量へ変換したタイムリミットの明示。

 『アンドロメダ・ストーリーズ』

   /竹宮惠子・作/光瀬龍・原作

  死体から地球の生命が誕生したシーンを、

  生命の循環の再生へ変換したラストシーン。




 戦争、絶対ダメ。


 あと、一面の緑で誤魔化しているけど、

 結構グロいエンディングです。

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