第5章:完璧ではない最高の思い出

学校へ向かって歩いていると、ズボンのポケットの中で携帯電話が振動した。


その朝、青空と涼しい空気の中、街の喧騒はすでに始まっていた。私はいつもの道を歩きながら、耳に差したヘッドホンから流れる音楽に浸っていた。


振動は続いた。携帯を取り出すと、画面にはあかりさんからのメッセージが表示されていた。


あかりさん「琉依くん!一緒に登校しよう!パン屋の近くの交差点で待ってる!」


私は足を止めた。その交差点は学校とは反対方向だった。すると、もう一通のメッセージが届いた。


あかりさん「お願い!絶対大事なことだから!🙏」


少し迷った後、私は方向を変えることにした。


パン屋の前にあかりさんが待っていた。


彼女はリュックを背負い、髪はポニーテールに結んでいた。


「琉依くん!メッセージ無視すると思った!」


「なんでここにいるの?」


あかりさんは私の腕を引っ張り、学校から離れて私にとって見知らぬ小道へと歩き始めた。


「とりあえず歩こう。歩きながら説明するから」


「あかりさん、これ、学校への道じゃないよ」


「知ってる」


私は足を止めた。「どこに行くの?」


あかりさんは振り返り、その表情は今やずっと真剣なものになっていた。


「今日、コンサートがあるんだよ!ラインナップが最高なんだ。見逃すのはもったいないよ」


私はまばたきをした。「来週じゃなかったの?」


「それは別のやつ。こっちは私たちのお気に入りの、スペシャルなアンダーグラウンド・バンドが出演するんだ。音楽店で話したのを覚えてる?」


「あかりさん……学校に行かなきゃ」


「たまにサボりくらい、いいでしょ?」と、彼女は懇願するような顔をして「お願い?」


「僕はサボったことないんだ」


「だからよ! 新しい経験になるんだから!」あかりさんは一歩近づいてきた。


「琉依くん、私、めったに頼みごとなんてしないの。でも今日は……どうしても見に行きたいの。一緒に来てくれない?」


彼女の目には、ただの誘い以上の切実さが宿っていた。


「お願い?」


私の心の中で葛藤が渦巻いた。これは間違っていることだと分かっていたが、ここ数週間の出来事を考えると、彼女をがっかりさせたくないという気持ちもあった。


「……わかった。でも、これが最初で最後だ」


あかりさんの顔がパッと輝き、彼女は嬉しそうに私の手をぎゅっと握った。


「やった!ありがとう!君は最高だよ!」


私は彼女に任せた。彼女の手は温かかった。私たちは市バスに乗り、学校の友達に会わないように普通の電車は避けた。バスはほとんど空いていて、私たちは後ろの席に座った。あかりさんは穏やかだが少し物憂げな表情で窓の外を眺めていた。


彼女は私に近づき、耳元でささやいた。


「平日の学校をサボると、なんだか気分が違うよね」


私は彼女の横顔を見つめた。ほのかに微笑む彼女の目には、奇妙で可笑しい罪悪感がきらめいていた。


「よくサボるんだね?」


あかりさんは振り返って首を横に振った。


「ううん、これが初めてなの。だからすごくワクワクしてる。まるで……時間が止まったみたい」


彼女は視線を窓の外に移し、頬に赤みを差していた。それが光の反射によるものなのか、それとも別の理由によるものなのかは分からなかった。


コンサート会場である街の端の公園は、私たちが8時頃に到着した時点ではまだ閑散としていた。


「見て! あそこがグッズブースよ!」 あかりさんは私の手を引いて、ブースの列へと向かった。


彼女は、熱心にバンドのポスターやレコード、ピンバッジを物色した。それから、Tシャツを何枚か手に取った。


「琉依くん、これ見て!」


彼女はインディーズバンドのロゴが入ったバケットハットをかぶり、私に写真を撮ってほしいと頼んできた。


「写真撮って!記念に!」


私は彼女のスマホを受け取り、シャッターを切った。彼女の笑顔は純粋だった。


「よし、次は君の番!」私が笑顔を作る間もなく、彼女は私の写真を撮った。


「マジで真剣すぎるよ。変だけど……それ、君に似合ってる」


私たちはさらに見て回った。あかりさんは同じピンを2つ選んだ。


「えっ、カップルピン買おうよ! 」


「……カップル?」


「つまり、友達としてのお揃いってこと!誤解しないで!」


彼女は慌てて説明しながら顔を赤らめ、一つは自分のバッグに、もう一つは私のバッグにピンをつけた。


「ほら! これで私たち、お揃い」


私たちはフードストールに向かった。チーズ料理を売るブースの前で、あかりさんの目が輝いた。


「うわぁ、グリルドチーズサンドイッチ!琉依くん、これ買わなきゃ」


「君、チーズ入りの食べ物すごく好きだね」


「人生は短い、チーズを食べよう!」


彼女はグリルドチーズとローデッドフライを注文した。それから、私たちはブースの近くのベンチに座って周りの人々を眺めながら食事をした。


「すごくおいしい」


「ただ食事のせいで、すごく幸せそうに見えるね」


「おいしい食事は人生を豊かにする。それが私の人生哲学よ」


テーブルの上で、あかりさんのスマホが振動した。発信者表示:怜さん。


彼女は罪悪感に満ちた表情でスマホを見つめた。2度目の振動。発信者はユウトくんだったが、彼女は電話に出なかった。すると、グループチャットの通知が次々と届いた。あかりさんはスマホを裏返した。


「出ないの?」


あかりさんは首を横に振って無理やり笑顔を作った。


「後で。今はこれを楽しむ時間!」


しかし、彼女の手は少し震えていた。9時頃、ステージに近づくとバンドがちょうどセッティング始めたところだった。あかりさんはすぐにスマホでスケジュールを確認した。


「よし、今はインディー・フォークのアコースティック・バンドね。それから10時には…」


突然、ドラムの爆音と激しいギターのリフが空気を切り裂いた。


ドーン、ドーン、ドーン。


ステージに登場したのはメタルコアのバンドだった。あかりさんは凍りつき、驚きで目を丸くした。彼女はすぐにスマホのスケジュールを開き、顔はたちまち真っ赤になった。パニックに陥っていた。


「えっ、やばい。私、スケジュールを間違えた!アコースティックバンドだと思ったのに。今、私たちはメタルコアのコンサートに居合わせてる!」


私は、今まで見たことのないあかりさんの顔を見て、小さく微笑んだ。


彼女は両手で顔を覆った。


「恥ずかしい!」


ボーカルが激しく叫び始め(スクリーム)、観客も頭を振り始めた(ヘッドバンギング)。その間、あかりさんは後ずさりを始めた。


「ねえ、場所を変えよう……」


私は彼女の手首を掴んだ。彼女は驚いて私の方を振り向いた。


「待って。せっかく来たんだから、見てみようよ?」


「でも……これ、私たちの音楽じゃないし」


「最高の思い出って、完璧じゃないものだって君が言ってたよね」


私は彼女がかつて言った言葉を繰り返した。


「これを思い出にしてみない?」


彼女は長い間私を見つめた後、ゆっくりと笑顔を浮かべた。


「……わかった。このバンドたちを楽しんでみよう」


私たちは群衆の端にとどまった。音楽は強烈で生々しく、そして解放的だった。ボーカルは感情を込めてスクリームを上げた。


あかりさんはリズムに合わせて体を動かし始め、やがてゆっくりと頭を振ってその熱狂は最高潮に達した。髪は乱れ、笑顔は最高に輝き、彼女は完全に音楽のリズムに溶け込んでいた。


不思議なことに、私もつられて解放された。何も考えずに音楽に身を任せた。感情が爆発したとき、あかりさんは自由に叫んだ。彼女がすべての重荷を解き放ってありのままの自分になり、生き生きとしているのが見えた。彼女は……本当に魅力的だった。


曲が終わると、あかりさんが私を振り返り、少し息を切らしながら目を輝かせていた。


「ヤバい! あれ……めっちゃ激しかった!」


「気に入った?」


「最高! 予定通りじゃなかったけど、これ……すごい。 予定外の方がいい時もあるよね」


「うん、予定外のことって……一番価値がある時もあるよね」


私の注意はバンドの演奏よりも彼女に向いていた。午後4時頃、私たちは空っぽになったステージの前に向かった。夕暮れの光が差し始めていた。


「ここで写真撮ろう!」


私たちは見知らぬ人に写真を撮ってもらった。あかりさんは私のすぐそばに立ち、私たちの肩が触れた。スマホを受け取ると、あかりさんは撮ったばかりの写真を見ながら優しく微笑んだ。


「今日のことをずっと覚えていたいな」


私たちは公園を横切ってベンチに座った。そこからは、人がまばらになり始めたコンサートの様子が見えた。あかりさんは、さっき演奏したバンドについて話し始めた。


「さっきのメタルコアのバンド、意外と良かったね。ボーカルの感情がすごく生々しかった」


「ドラマーが凄かった。ブラストビートがキレキレだった」


あかりさんは私を見つめ、私の反応に驚きと戸惑いを隠せない様子だった。


「え、テクニックまで気にしてたの?ただ雰囲気を感じてるだけかと思ったけど」


「ちょっと分かるんだ。いろんな音楽を聴いているし、大輝が楽器のことをよく教えてくれるから」


「わあ、琉依君は音楽を違う角度から楽しめるんだね。キャラクターの成長だ!」


「君は悪い影響だ」


「君にとって最高の悪い影響だよ!」


その答えには誇りがにじんでいた。


その後、私たちはただ黙り込み、心地よい静けさを味わっていた。


「ありがとう、琉依君。今日のこと、本当に最高だった」


「まるで、日常のルーティンから解放された気分だった。学校も、課題も、そしてあらゆる責任からも」


「僕も。コンサートに誘ってくれて。楽しかった」


彼女のスマホがまた振動した。怜さん、ユウトくん、そしてお母さんからの数十件の不在着信とメッセージ。彼らの心配がひしひしと伝わってきた。


あかりさんは短い返信を送り終えると、深く息を吸った。「大丈夫。もうすぐ帰るから。心配かけてごめんね」 そう言って彼女はスマホを置いた。


「みんな、心配しすぎ。たった1日サボっただけなのに」


「さあ、帰ろう」


突然、彼女は立ち上がり、私たちはタクシーに乗った。道中、あかりさんはただ窓の外を見つめていた。窓ガラスに映る彼女の顔は静けさを放っていたが、悲しみを隠しているようだった。


「今日は間違いなく、私の人生で一番クレイジーな日だ」


「そうだね。君もスケジュールを見間違えたし」


私が冗談のつもりでそう言うと、あかりさんは笑って私の腕をポンと叩いた。


「えっ!それって忘れられない思い出ね!」


「ミスがあったからこそ、思い出に残るんだ」


「その通り! 最高の思い出って、完璧じゃないものよね。そう思わない?」


「……うん、そう思う」


あかりさんは再び窓の方へ視線を向けた。再び訪れた静寂が私たちを包み込み、今度は以前よりもずっと重く感じられた。


「琉依くん、たった1日で全てが変わるって信じられる?」


「どういう意味?」


「例えば……ある一瞬が転機になるということ。人生の見方が変わるような一日があるということ」


「……そうかも。どうして?」


「だって、今日って、私にとって『あの日』だから」


彼女の口調には確信が込められていた。まるでこの瞬間を記憶に刻み込んでいるかのように。


タクシーは交差点で止まり、あかりさんは降りた。ドアを閉める前に、彼女は窓に少し身を乗り出して私を見つめた。


「琉依くん?」


「ん?」


「あなたは私が思っていた人とは違うわ。一緒にいてくれて……ありがとう」


手を振ると、あかりさんは遠ざかっていった。私は車内に一人残された。運転手がバックミラー越しに微笑みかけた。


「彼女さん、いい人ですね。今日は幸せそうでしたよ」


「彼女は僕の彼女じゃない」


「まだ、ってこと?」


私は答えずに、ただその笑顔に微笑み返した。


夜、スマホのギャラリーを開き、夕日の光を背景にしたシルエットだけの私たちの写真を見つめた。あかりさんの顔を拡大すると、そこにははっきりと自由な表情が浮かんでいた。


メッセージ受信通知。


あかりさん「家に着いたらすぐにママに小言を言われたわ。ハハ……今日は10点満点! 最高の一日! ところで、私たちの写真をアルバムに保存したよ。へへ。おやすみ!🌙」


そのメッセージを見つめた後、私もその写真をフォトアルバムに保存した。他人の写真をフォトアルバムに保存するのはこれが初めてだった。


横になりながら、あかりさんの言葉が頭の中で響いた。「だって、今日って、私にとって『あの日』だから」「一緒にいてくれて……ありがとう」


彼女はきっと何かを隠している。そのせいで、友達たちはあんなに心配している。


その真実を知るのが怖くなり始めた。なぜなら、初めて誰かを失うのが怖くなったからだ。そして、その相手はあかりさんだった。


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