第6話
軍議には久し振りに
彼は
当然のように蜀や涼州方面の情報も持ち帰り、それと
冬の季節が目の前だ。
次の春までは大きな動きはないかもしれないと言いつつも、春に開花する策謀の種は冬に蒔かれるものだと周瑜が言うと、一堂はこの冬はより慎重に情報収集に力を注ぐべきだという意見で一致した。
董卓と組んで
孫呉が匿っている袁紹の消息はまだ知られていない。
曹操が元々の同盟から自分の軍に袁紹軍を取り込む動きを見せたら、孫呉も軍の一部を
(まあ元々建国してからは、策様は反董卓連合とは距離を置いていたからな……。
その策様がまさか呂布討伐を果しちゃったら戸惑うわな)
淩統はすっかり人気のなくなった建業の城の一画から、城下町の方を眺めた。
冬の間にそういう勢力から同盟など持ち掛けが行われるかもしれない可能性もあるというし、場合によっては袁紹との同盟に孫呉が持ち込むこともある。
静かだが、何か大きなことが起きるような前のような予感は淩統も感じていた。
「淩統殿」
回廊に出て、なんとなく手摺りに凭れかかってツラツラ考えていた淩統は完全に不意を突かれて慌てて振り返った。
そこに陸遜が立っている。
確かに陸遜がこんなに呆気なく背後を取られてる所は見たことがない、とまた自分の失態を自覚したような顔を見せた淩統に、陸遜は一瞬目を見張るような表情をしてから苦笑した。
常に集中し、身の回りの気配に敏感でなくてはならない。
陸遜は幼い頃からそう教え込まれて来たので、今ではそれが習性のように身についている。
足音を立てない、
背は出来る限り物に対して立つ、
誰かの隣に立たない、など。
自然と今はそうなる。
あれは武人として当然の反応だったが、あれが六道では一瞬の隙になる。
武器が破損したり手から離れた時は、無視しろと一番最初の立ち会いから教えているが、どうしても反射的に目が追ってしまうのだ。
六道が時に相手をする暗殺者は、一瞬の隙ついて襲いかかって来る術を叩き込まれているのだ。
彼らが勇猛な武将さえ討ち取れるのはその一瞬の行動が抑制されてないからなのである。
淩統は見事な武芸者だが、身につけたその武人としての習性が、六道の修行においては足を引っ張る可能性はかなりあった。
だがいずれにせよ、今はそんな簡単に背を取られるようでは六道の長など夢のまた夢だ、などと言って淩統を叱りに来たわけではない。
自分を振り返って表情を強張らせた淩統に、以前の大らかな姿が重なり、このままこの人を今までと全く別のものに作り替えてしまって本当にいいのだろうかと、陸遜は疑問が捨てられない。
「……貴方を殺しに来たわけではないんですから。そんな顔をしないで下さい」
言われた淩統はバツが悪そうに視線を逸らした。
「そういうんじゃ……ないけど」
「今、構いませんか?」
「うん……」
ドキ、とする。
六道の修行をさせてくれと志願してから、一度として陸遜がこういう風に話しかけて来たことはなかった。
長として見極めると厳しい冷淡な態度しか、彼は見せなくなった。
以前は自分に対する容赦のようなものがもっとあった気がするけど、それもなくなった。
しかし自分が「厳しく修練してくれ」と要求した以上、それは受け入れるしかない。
なんだろう。
やっぱり貴方には無理だと言いに来たのかなと、淩統が思いついたのはそれくらいしかなくて、六道と関わらない、以前の平穏な暮らしに戻れることをそれは意味していたけど、陸遜に失望されてそうなるのかと思うと全然嬉しくない。
「以前、私の薬師の師匠を訪ねた山を覚えていらっしゃいますか?」
「え?」
色々なことを焦って考えていた淩統は一瞬、目を瞬かせた。
「あの……周瑜殿が毒にやられた時の?」
「はい。
「うん……」
忘れようにも忘れられない険しい山道だった。
「貴方の武術は存分にこの目で確認しました。
もちろん、我々の
馬術の実力はすでに確認済みですし。
問題は子供の頃から六道の者が身につけている、あの特殊な身のこなしです。
特に山岳戦では六道の機動力は敵を圧倒しますから、あれだけは極めていただかなければなりません。
こちらは正直貴方は未知数です。
しかし私もすでに片腕になっている。
次の大きな戦は冬が明けたらということになると思います。
こちらもあくまでも予測の域を越えませんが……どうにかなるべく早く会得してもらわなければならない。
だから、私も幼い頃訓練で使ったあの山に修行の場を移したいんです。
甘いことは言いたくないので最初に言っておきますが、かなり過酷な修行になりますよ。
……それでも、貴方が構わないというのなら数日後にでも出発したいのです」
淩統はぽかん……とした顔をしてしまった。
「あの……どうかしました?」
「いや……それって第一関門は一応突破したから第二関門に来ていいってお誘い?」
「お誘いというか……、まあ修行が本格的になるので場所を変えましょうという」
淩統は盛大に溜息をつくと、その場にしゃがみ込んだ。
「淩統殿」
彼は両手で顔を覆っている。
「よかった……俺絶対これ以上やっても無理って言われるんだって思ったから……」
瞬きをしてから陸遜は淩統を見下ろす。
「……淩統殿。それで……その修行のことなのですが」
「うん……」
「私も同行するかを、少し悩んでいます」
淩統は顔を上げた。
「長としては修行の全てを見届けるべきだとは思うのですが、貴方は少し事情が特殊です。
とにかく今から六道の機動力を身につけられるかどうかが問題で、長を任せれるか任せられないかはそのあとの話なのです。
私と彼らの関係性を思い出してもらえれば分かると思いますが、私は彼らを率いていますが、重要な局面ではまず自分で動きます。
そういう長の姿を見ているから、彼らは極限状態でも長を信頼してくれる。
彼らと同じ、そしてそれ以上の働きが出来ない者には、彼らを束ねる素質はありません。
無論、これは貴方たち軍の人間も根本は同じだと思いますが。
……とにかく貴方が適応できるか。
この見極めだけならば六道の人間でも出来ます。
ですからこの冬少し情報収集を私自身もしたいと思っていることもあり、六道の部隊に貴方を預けて、集中して修練をしてもらうか。
しかし貴方が私の助言が必要だと思うなら、私も同行し修行を見ようと思います。
この冬は貴方に時間を割いても構わない」
「……なんでそれを俺に聞くの?」
「それは……」
しゃがみ込んだまま尋ねて来た淩統に、
「……悪く思わないで欲しいのですが、貴方は……自分がちゃんと意識され気にかけられていると感じられれば非常にそれを支えにし頑張る傾向がありますが、反面集中力を削がれる面もある。
逆に自分が少しも気にかけられてない状況には弱いですが、こちらも反面、もうどうしようもないところまで追い詰められると想像以上の力を発揮する面もあるんです。
今回、貴方は最初から非常に集中出来ています。
それならば私が同行した方が貴方に余計な重圧を与え、集中力を妨げるようなことになっても困る」
「少しも気にかけられてない状況には弱いって人を寂しがりみたいに言わないでほしいんだけど」
「仰いますが、貴方は自分が思っているよりも寂しがりです」
はっきり言われて淩統は閉口した。
確かに自分が
「……それって、陸遜がついてくるかどうか、俺が決めていいってこと?」
「今回はとにかく貴方を鍛えられるだけ鍛えることが目的ですから。
貴方が、私がいると集中出来ないというのならば私は建業に残ります」
片膝をついたまま淩統は少し考えて、もう一度顔をあげる。
「陸遜自身はどっちの方がいいと思ってるの?」
「私ですか?」
「うん」
「わたしは……」
陸遜は腕を組もうとし、失った腕の方の肩へ手を伸ばした。
最近この仕草をしているのをよく見る。
「正直、迷っています。
でもそれは……この修行自体が異例のことだからなのです。
私が両腕を使えれば喜んで貴方を自ら鍛えましたが、それは出来ない。
だから信頼する部下に貴方を預けますが、そもそもこれも例外的なことなのです。
貴方がもし六道の長になった時は、私の部隊を引き継がせるのではなく、貴方に六道を一人ずつ自ら選抜し、自分の部隊を作ってもらうつもりです。
私も、そうした。
六道と長の関係は絶対的な主従関係です。父子関係にも近いほどの。
私の部下も私が選び、私が鍛え上げました。私が彼らから学ぶことは一つもありません。
それが六道の信頼関係なのです。
しかし今回、大陸の情勢が時を待ってくれない場合がある。
その場合例外的に貴方には私の部隊を引き継いでもらうことになる可能性が高い。
六道は一代限りという原則にこれも反する。
貴方を教えた部下をあまり貴方の指揮下に加えたくないのです。
その者が『長は自分が教えた』などという認識を持ち、例え悪意でない機転だとしても長を軽んじ自分の下に見るようなことがあっては決してならないからです。
だから貴方を教えた者は、貴方の麾下からは外したい。
そういうものは私の側に残して私が使おうと思っています。
その見極めが、非常に難しい。
だからその場にいたほうがいいとは思いますが、貴方が私がいては集中出来ないというのであれば……どうしたんですか?」
目を丸くして陸遜の言葉を聞いている淩統に気づき、彼は尋ねて来た。
「……いや……」
少しも自分が気になるからとか、
逆に自分が頼りなくて心配だからとか、
あまりにそういう理由が出てこなくて、逆に吹き出してしまった。
「あの……」
ぷくくく、と笑っている淩統に、なるほど色々悩みがあるんだなあと思うような表情をして話していた陸遜は小首を傾げている。
確かに自分は、彼女に比べれば比較にならないほど能天気だ。
少しばかり親切にされると俺に少しくらい気があるんじゃないかな、なんて都合よく考えてしまう。
貴方は頼りないから見てないと心配だなんて言われても、策様や
そして孫呉の武将として陸遜に信頼されることだった。
「陸遜さあ……。君って、少しも俺の剣技誉めなかったくせに、『貴方が長になったら』って一応そんなとこまで考えてくれてんだね」
父親の言った通りだ。
彼女は言葉より、行動で語る人なのだ。
彼女の行動を見ていれば自分を信頼してくれたことや、想ってくれてしてくれたことはたくさん今までもあったはずなのに、「好きだ」という明確な言葉を欲してばかりいた結果、陸遜の語るたくさんの大切な行動を見逃して結局たった一人で戦わせた。
陸遜の、風に吹かれると大きくはためくようになった左腕の服の袖を見遣る。
淩統はゆっくりと立ち上がって自分から陸遜の方に近付いていくと、中身の何もない右腕の服の袖先を軽く握った。
この腕はその代償だ。
自分はこれからは、この腕の代わりを務めなければならない。
「淩統殿?」
「この腕を失わせたのは、俺だ。
だからこの仕事だけはやり遂げたい。
中途半端にはやらない。
君が来ても来なくても、それだけは誓うよ。
だから陸遜が決めてくれていい」
淩統はそう言うと袖を放した。
背を向けて歩き出して、すぐ振り返ると、佇んでいた陸遜へ足早に駆け寄り両手で首を包み込むようにして仰向かせ唇を重ねていた。
自分でそうしたのに淩統は慌てたように駆け出して行く。
陸遜はああいうのを避けることも、反射的に張り飛ばすことも容易いはずだ。
だがそういう風にならないことがある。
(そういう風にならない理由が俺は知りたい)
単純な愛情や、情けではないと思う。
今の自分には見えないものがたくさんある。
淩統は自分が変わることでそういうものが見えて来る気がした。
そういう人間になりたいのだ。
【終】
異聞三国志【雪が降る前に】 七海ポルカ @reeeeeen13
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