第25話 バレたら厄介なポーション
【令和・平太家玄関】
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が目に染みる午前六時。
重い瞼をこすりながら玄関のドアを開けると、そこには見慣れない無地のダンボール箱が鎮座していた。
送り主の欄は空白。品名にはただ『雑貨』とだけ書かれている。
怪しさ満点だ。もしこれが普通の荷物なら、俺は間違いなく爆発物処理班を呼んでいただろう。
だが、俺には心当たりがありすぎた。
「仕事が早すぎるぞ、闇ギルド……いや、クロネコならぬ闇ネコか?」
箱を開封すると、中には緩衝材に包まれた小瓶が10本。
黄色く発光する液体がチャプチャプと揺れている。
ゲーム内アイテム『スタミナポーション』だ。
効果:『疲労回復(中)。眠気スッキリ、集中力アップ。ただし効果時間は三時間』。
昨夜、PC画面の向こう側にある通販サイト(という名の闇取引窓口)でポチったばかりの商品が、こうしてリアルに手元にあるという事実は、何度経験しても脳がバグる。
「さて、と……」
俺は小瓶の蓋を開けた。
柑橘系のような、それでいて少し薬っぽい独特の香りが漂う。
正直、今の俺にこれが必要かと言われれば、肉体的には不要だ。
昨日は一日中部屋に引きこもっていたし、睡眠も十分とった。
だが、精神的には瀕死だ。
昨日の学校での出来事――佐々木さんとの接触、男子からの殺気、優さんからの冷たい眼差し――を思い出すだけで、胃がキリキリと痛む。
登校拒否という選択肢が頭をよぎるが、期末試験前だ。休むわけにはいかない。
これはドーピングではない。生きるための活力だ。
そう自分に言い聞かせ、俺は黄色い液体を一気に流し込んだ。
「んぐっ……うおっ!?」
炭酸でもないのに、喉がカッと熱くなる。
次の瞬間、視界がパッとクリアになり、身体の底から力が湧いてくるのを感じた。
だるかった手足が軽い。思考が鋭敏になる。
HP回復ポーションほどの劇的な「奇跡」ではないが、それでも効果は抜群だ。
まるで、さっきまでモノクロだった世界が、急に4K画質になったようだ。
「……よし。これなら、いける」
俺は鏡の前で無理やり口角を上げ、元気な顔を作った。
男子の殺気も、女子の冷笑も、今の俺なら強メンタルでスルーできるはずだ。
俺はカバンを掴むと、無敵(薬漬け)の気分で家を飛び出した。
【状元学園F高校・1年教室】
だが、現実はそう甘くなかった。
教室に入った瞬間、俺を迎えたのは、昨日以上に重苦しい空気だった。
「あ、平太くん! おはよう!」
まるで昨日のリプレイを見るかのように、佐々木恵さんが満面の笑みで近づいてくる。
違うのは、その背後にいる大下美香さんが、さらにニヤニヤ度を増していることだ。
そして、周囲の男子たちの視線が、昨日よりも鋭利な刃物と化していることだ。
「お、おはよう……佐々木さん」
俺は引きつった笑顔で応える。
ポーションのおかげで声は震えなかったが、内心は冷や汗ダラダラだ。
佐々木さんは悪気がないぶん、タチが悪い。
彼女が俺に話しかけるたびに、クラス中の男子の「なんであいつが」ゲージが上昇していくのが分かる。
「この間はありがとね。おかげで筋肉痛も全然ないよ!」
「そ、そりゃよかった……あはは」
頼むから「例のドリンクのおかげ」とか言わないでくれよ。
俺は必死に目配せをして、会話を早々に切り上げた。
だが、受難は続く。
男子からの殺意は相変わらずだが、最近は女子からの視線も痛いのだ。
以前なら、俺のようなモブ男子など視界に入っていなかったはずだ。
だが今は違う。
「あの子、なんで佐々木さんと仲いいの?」「なんかキモい」という、よそよそしいというか、不審者を見るような目が突き刺さる。
今まで眼中になかっただけに、これも地味に辛い。
透明人間から、異物へとランクアップした気分だ。
放課後。
今日はサークルの活動日だ。
だが、今の俺に部室へ行く勇気はない。
優さんと府城さんの冷たい視線に耐えられる自信がない。
俺はスマホを取り出し、部長の薔薇園先輩にメッセージを送った。
『すみません、今日は急用ができたので休みます』
送信ボタンを押し、俺は逃げるように校門を出て、自宅への道を急いだ。
【平太家・自室】
「……ただいま」
誰もいない家に声をかけ、俺は自室に直行した。
制服を着替えるのももどかしく、俺は朝届いたばかりの箱から、二本目のスタミナポーションを取り出した。
朝飲んだ分の効果は切れかけている。
これから期末試験に向けた勉強をしなければならない。
今のメンタルで机に向かうには、もう一本キメるしかない。
「……んぐ、ぷはっ」
二本目を空にする。
再び脳が覚醒し、疲労感が消え失せる。
ふと、我に返った。
「……これ、ヤバくないか?」
朝に一本、帰宅して一本。
完全に薬漬けの生活だ。
ほとんどヤク中だよな、これ。
だが、背に腹は代えられない。
俺は机に向かい、教科書を開いた。
ポーションの効果は絶大で、文字がスラスラと頭に入ってくる。
倫理観と引き換えに手に入れた集中力で、俺は猛勉強を開始した。
それからの一週間は、まさに廃人ロードまっしぐらだった。
朝起きてポーションを飲み、学校での針のむしろに耐え、帰宅してまたポーションを飲み、深夜まで勉強する。
幸いなことに、心配していた中毒症状のようなものは出なかった。
ゲーム内でもスタミナポーションは一番効果の薄い、ありふれたアイテムだ。
一般市民や冒険者が日常的にガブ飲みしている描写がある。
もし依存性が強ければ、セリエ王国はとっくにゾンビ映画のような世界になっているはずだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は今日も黄色い液体を喉に流し込んだ。
あくまで気持ちの上での「依存」だが、今の俺にはこれがないと生きていけない気がした。
【期末試験終了後・放課後】
そして、地獄の一週間が終わり、期末試験も終了した。
手応えは十分。
今回も学年上位をキープできるだろう。
だが、俺の心は晴れなかった。
試験の結果が発表されれば、また「あいつ勉強だけはできるんだよな」「調子乗ってる」と陰口を叩かれる未来が見える。
それに、優さんたちとの関係も冷え切ったままだ。
「はぁ……」
廊下を歩いていると、向こうから愛姉ちゃんが歩いてきた。
俺を見つけるなり、ニタニタといやらしい笑みを浮かべて近づいてくる。
「よう、お疲れ嶺。試験どうだった?」
「まあまあだよ。……愛姉ちゃんこそ、なんか機嫌いいな」
「そりゃそうよ。だって、いいことしたからね」
愛姉ちゃんは俺の背中をバシッと叩いた。
「後輩の小田国さんたちに、佐々木さんの件、ぜーんぶ教えておいてあげたわよ」
「は?」
「『あいつは不器用だけど、困ってる人は放っておけない奴だから』ってね。恵が怪我した時、嶺が励まして助けてあげたって、美談仕立てで説明しといたわ」
「お前……ポーションのことは?」
「言うわけないでしょ。あくまで『嶺の献身的なサポート』のおかげってことにしておいたわよ。誤解が解けてよかったわねぇ」
愛姉ちゃんは、本当に憎たらしいほど『ニヤニヤ』しながら言った。
俺は呆気にとられた。
いつの間にそんな根回しを。
だが、その効果はてきめんだったらしい。
「あ、平太さん!」
向こうから優さんと府城さんが走ってきた。
その顔には、先週までの冷ややかな表情はなく、申し訳なさそうな、それでいて親愛のこもった笑顔が浮かんでいた。
「お疲れ様です! あの、私たち、誤解してて……」
「愛先輩から聞きました! 佐々木さんを助けてあげたんですね!」
「見直しましたよ平太さん! やる時はやる男だったんですね!」
二人は俺を取り囲んで褒めちぎる。
どうやら、「一軍女子に取り入った裏切り者」から「陰ながら人を助ける心優しきオタク」へとジョブチェンジできたようだ。
俺はホッと胸を撫で下ろした。
「……まあ、分かってくれたならいいよ」
確かに救われた……のか?
愛姉ちゃんの手のひらで転がされている気もするが、結果オーライだ。
これでサークルにも顔を出せる。
佐々木さんは相変わらず「平太くん!」と絡んでくるようになったが、優さんたちが味方になってくれたおかげで、女子からの冷たい視線は緩和された。
男子からの殺気は相変わらずだが、まあ、それは耐えるしかない。
【冬休み・平太家】
そして迎えた冬休み。
俺たち学生にとって、天国のような時間がやってきた。
じいさんは「次はタラだ!」と言って北の海へ行ってしまったので、家は俺の独壇場だ。
だが、静寂は長くは続かなかった。
「おっじゃましまーす!」
「お邪魔します、平太さん」
「寒いー! コタツ入れて!」
初日から、優さん、府城さん、そして愛姉ちゃんが我が家に雪崩れ込んできた。
コタツを占領し、ミカンを貪り食う女子たち。
夏休みと同じ光景だ。
やることも変わらない。
優さんと府城さんにとっては、まだあのゲームは学校必須の課題だ。
真剣にならざるを得ない。
「平太さん、この時期の『カッペリーニ』って何を売ればいいですか?」
「冬は海が荒れるから、保存食が高騰するぞ。干し肉を持っていけ」
「なるほど! ありがとうございます!」
俺のアドバイスを受け、二人は順調にゲームを進めている。
だが、一人だけ様子が違う人物がいた。
愛姉ちゃんだ。
彼女はコタツで丸くなりながら、漫画を読んでいる。手元には課題のプリントがあるが、真っ白だ。
「……愛姉ちゃん、ゲームやんなくていいのか? 課題あるんだろ」
「ん? ああ、大丈夫よ。私もう『終わった』ことになってるから」
「は?」
「嶺のプレイデータと結果をまとめて、さも自分がやったようにレポート書くからいいのよ。どうせ先生もイチイチ確認しないし」
愛姉ちゃんは悪びれもせず言った。
結局、俺は彼女がこのゲームを真面目にプレイしている姿を一度も見たことがない。
授業中などは先生の目もあるから何度か触ってはいるようだが、実質的な攻略は全て俺任せだ。
少し許せない気持ちはある。
俺がどれだけ苦労してこのクソゲーを攻略したと思っているんだ。
だが、ふと思う。
このゲームのおかげで、じいさんの腰は治った。
佐々木さんの怪我も治り、彼女は無事に最後の大会に出て、ハッピーエンドを迎えることができた。
優さんたちとの仲も深まった(一度壊れかけたが)。
愛姉ちゃんがゲームを俺に押し付けなければ、ポーションとの出会いもなかったわけだ。
「……まあ、よしとするか」
俺は小さく呟いて、自分のPCに向き直った。
画面の中では、レイが雪の降る王都で商いを行っている。
ここまで来たら、絶対にこのゲームをクリアしてやる。
大商人になって、この理不尽な世界を見返してやるんだ。
「でも、このゲームって終わり(エンディング)があるのかな……」
ふとした疑問が口をついて出た。
シミュレーションゲームに明確な終わりはないことが多い。
だが、この『現代日本の縮図』のような世界には、きっと何かしらの答えがあるはずだ。
俺はコタツの中で足を伸ばし、優さんの足に当たって「あ、すみません」と謝りながら、冬休みの長い戦いに備えた。
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