第24話 試合と、誤解と、針のむしろ
【令和・市民体育館】
キュッ、キュッ、とバッシュが床を擦る高い音が響き、ボールを弾く重い音が歓声と混ざり合う。
独特の熱気と、制汗スプレーの混じった匂い。
一週間後、俺、平太嶺は、もっとも縁遠い場所にいた。
市民体育館の観客席だ。
「ガハハ! 見ろ平太! あのお嬢ちゃん、飛んだぞ! いやあ、若いってのはいいのう!」
隣で豪快に笑うのは、先日まで腰痛で「イテテ」と呻いていたはずの我が祖父、幸欠(こうじ)だ。
俺のポーション(という名のコラボドリンクという設定)ですっかり全快した爺さんは、声の張りからして違う。
周囲の視線が痛い。爺さん、声がデカいよ。
「じっちゃん、静かにしてくれよ。目立つだろ」
「何を言うか。応援に来たんだ、気合を入れんでどうする」
そもそも、なぜ俺たちがここにいるかといえば、すべては愛姉ちゃんの『ご招待』のせいだ。
『日曜日、おじいちゃんと一緒に応援に来てね。チケット用意したから(ニッコリ)』
あれは招待じゃない。召喚状だ。拒否権のない赤紙だ。
俺たちが応援するのは、勿論、一週間前には全治二週間の捻挫で泣いていたはずの、佐々木恵さんだ。
コート上の佐々木さんは、包帯すら巻いていなかった。
サポーターこそ着けているが、それは予防的なものだろう。
軽やかに跳躍し、スパイクを叩き込む姿は、怪我人どころか、以前より動きが良い気さえする。
「……効きすぎだろ、あれ」
俺は冷や汗をかきながら呟いた。
ゲーム内アイテム『ポーション(小)』。
効果説明:『HP回復(小)。外傷、打撲、軽度の骨折程度なら即座に治癒する』。
その「即座」が、まさかこれほど劇的だとは。
ファンタジー世界の「当たり前」を現代に持ち込むと、それは「奇跡」を通り越して「ホラー」になりかねない。
ドーピング検査とかないよな? 魔法薬だから成分出ないよな?
俺が内心でヒヤヒヤしている間に、試合は進んでいく。
うちの学校の女子バレー部は、正直そこまで強くない。
地区大会を勝ち抜き、地域大会へ進むのがやっとのレベルだ。
だが、今日は違った。
エースである佐々木さんが復帰し、しかも絶好調だ。何より、「一度は諦めかけた最後の大会に、全員で出られた」という事実が、チーム全体の士気を爆上げしていた。
「いけーっ! 恵ー!」
ベンチ横で、マネージャーの愛姉ちゃんが声を張り上げている。
一回戦、二回戦と、危なげなく突破していく。
そして迎えた三回戦。相手はシード校だ。
何度も全国に行っている名門校相手に、流石に実力差は埋められなかった。
それでも、青春スポ根ドラマのような一方的な展開にはならず、食らいつき、ラリーを続け、最後は力尽きた。
セットカウント0-2。
負けた。
けれど、整列して挨拶をする彼女たちの顔に、悲壮感はなかった。
泣いてはいるが、それは悔し涙というより、やりきった清々しい涙に見えた。
「青春だねぇ……」
俺はなかば他人事のように、なかば羨ましく思いながら拍手を送る。
と、その時だ。
コートから引き上げようとしていた佐々木さんが、観客席の俺たちに気づいた。
彼女は足を止め、愛姉ちゃん(こちらも気づいた)と何か言葉を交わすと、二人してこちらに向かって大きく手を振ったのだ。
あの、クラスカースト最上位の美少女エースと、学園のアイドル的存在のマネージャーが。
満面の笑みで。
俺と爺さんに。
「おー! お疲れさん!」
爺さんは能天気に振り返している。
だが、俺は違った。
周囲の男子生徒たち、特に他校の応援に来ていた連中や、うちの学校の生徒たちからの視線が一斉に俺に突き刺さる。
「あいつ誰だ?」「なんで手振られてんの?」「氏ね」という明確な殺意。
俺は小さく会釈するのが精一杯だった。
……頼むから、俺をモブのままにしておいてくれ。
◇
【月曜日・平太家玄関】
翌日の早朝。
爺さんは元気よく出港していった。
「じゃあな平太! 留守は頼んだぞ! お土産はマグロでいいか!?」
「いいから気をつけて行ってこいよ。腰、大事にな」
嵐のように去っていった爺さんを見送り、俺は久しぶりの一人暮らし(=パラダイス)を取り戻した。
さあ、これで誰に気兼ねすることなくゲームに没頭できる……はずだった。
俺には学校という現実(リアル)のクエストが残っていたのだ。
【状元学園F高校・1年C組教室】
登校して教室に入った瞬間、空気が変わった気がした。
いつもなら、教室の隅の席で空気のように存在を消している俺だ。
だが今日は、教室に入った途端、数人の視線が俺を捉えた。
「あ、平太くん! おはよう!」
声をかけてきたのは、佐々木恵さんだった。
昨日までユニフォーム姿だった彼女が、今は制服を着て、しかも俺の席の近くまで歩み寄ってきている。
教室が一瞬で静まり返った。
「お、おはよう、佐々木さん……」
「昨日は応援来てくれてありがとう! おじいちゃんにもよろしく伝えてね」
「あ、ああ。爺ちゃんも楽しんでたよ」
それだけの会話だ。
ごく普通の、社交辞令のような会話。
だが、相手は学年のアイドル的存在である佐々木さんで、俺は地味なゲームオタクの平太嶺だ。
この組み合わせの違和感は、スライムの群れの中にドラゴンが混ざっているようなものだ。
さらに、追い打ちをかけるように、佐々木さんの親友である大下美香さんまでやってきた。
「平太さん、昨日はありがとね。恵から聞いたよ、すごい『差し入れ』のおかげだって」
大下さんは意味深にウインクしてみせた。
彼女は保険委員で責任感が強く、以前俺が怪我をしたときも世話になったことがある。
だが、その「差し入れ」という単語のチョイスは誤解を招くからやめてほしい。
ポーションのことだと俺には分かるが、周囲にはどう聞こえるか。
「……ねえ、なんか平太、佐々木さんと仲良くない?」
「大下さんとも話してるし……」
「なんであのモブ野郎に、あの一軍女子二人が……?」
ひそひそ話が聞こえる。いや、聞こえるように言っているのか。
男子たちの視線には、明確な殺意(ジェラシー)が含まれていた。
特に、佐々木さんを狙っているサッカー部の連中からの視線が痛い。物理的に痛い。
運動会の時のタックルの痛みが蘇るようだ。
俺は必死に教科書を開き、勉強しているフリをして現実逃避を試みた。
【休み時間・廊下】
だが、受難はこれだけで終わらなかった。
逃げるように向かった図書室の前で、俺は同じサークル仲間である小田国優(ゆう)さんと鉢合わせた。
彼女は中学からの友人で、数少ない「同志」だ。
いつもなら「昨日のアニメ見た?」なんて軽口を叩き合う仲なのだが。
「……あ、優さん」
「…………」
優さんは、俺の顔を見るなり、ジトッとした目を向けた。
ゴミを見るような目、というよりは、裏切り者を見る目だ。
「……バレー部のエースと、ずいぶん仲がいいようですね」
「えっ」
「昨日、愛さんから聞きましたよ。『平太がなんかイイコトして恵に感謝されてる』
って」
愛姉ちゃん……!
余計なことを。文脈を端折りすぎだろ。
それじゃあまるで、俺が何か下心を持って佐々木さんに取り入ったみたいじゃないか。
「いや、あれは、その……」
「へぇ……ふーん……」
優さんは冷ややかに鼻を鳴らすと、プイと顔を背けた。
「リア充への階段、おめでとうございます。爆発すればいいのに」
「待って! 誤解だ! 俺は魂までゲーマーだ!」
弁解しようとしたが、優さんはスタスタと去ってしまった。
隣にいた、同じくサークル仲間の府城(ふじょう)美麗さんも、俺を軽蔑するような眼差しで見下ろしてくる。
「平太さん……オタクの風上にも置けませんね」
「なんでだよ!?」
どうやら、愛姉ちゃん経由の話が、オタク女子特有のフィルターを通して「一軍女子に取り入って調子に乗ってる裏切り者」というストーリーに変換されているらしい。
いや、そもそもポーションのことは話せないのだから、誤解を解く方法がないのだ。
教室に戻れば男子からの針のむしろ。
サークルに行けば女子からの冷たい視線。
なんだこれ。
モテキか? これが噂のモテキの副作用なのか?
いや、断じて違う。これはただの冤罪だ。
俺はただ、爺さんの腰を治したかっただけで、そのついでに人助けをしただけで、さらに言えばゲームで大商人になりたいだけなのに。
◇
【放課後・平太家自室】
「……はぁ」
帰宅した俺は、自室のPCの前で深いため息をついた。
画面の中では、俺のアバター『レイ』が、王都マカロニの市場で元気に駆け回っている。
最近、ゲーム内では『闇サイト』こと裏ギルドとのコネクションが安定し、現代日本の物品を持ち込んだり、逆にゲーム内のアイテムを取り寄せたりできるようになった。
ビジネスチャンスは無限大だ。
だが、今の俺にはもっと切実な問題が迫っていた。
期末試験だ。
学校生活があまりに気まずく、精神を削られすぎて、試験勉強に全く身が入らないのだ。
教科書を開いても、佐々木さんの笑顔(と、その背後にある男子たちの殺気)、そして優さんの冷たい視線がチラついて集中できない。
このままでは、成績が下がって補習になり、冬休みのゲーム時間が削られてしまう。
それだけは阻止せねばならない。
「……背に腹は変えられん」
俺はインベントリを開き、あるアイテムを選択した。
『スタミナポーション』。
効果:疲労回復、集中力向上。ただし、効果が切れると反動で泥のように眠る。
ゲーム内では、長距離の行商や、徹夜での帳簿整理に使われるアイテムだ。
これを飲めば、一夜漬けも余裕だろう。
以前の中間テストでもお世話になった禁断の秘薬。
中毒性はないとされているが、この「頼ってしまう心」こそが中毒なのかもしれない。
「これで……乗り切るしかねえ……」
俺はモニターからポーションを取り寄せ(という設定の宅配ボックス経由の手続きを行い)、覚悟を決めた。
まさか、異世界のアイテムを、こんな世俗的な目的で乱用することになるとは。
商人の道は険しいが、学生の道もまた、地雷原だらけである。
今回、正直やばいかもしれない。
俺は通販サイトの『購入』ボタンをクリックし、明日届くであろう「解決策」を待つことにした。
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