第23話 悪魔のゲームと、奇跡の安売り


【令和・平太家自室】


 三連休の最終日。

 俺は自室に籠城し、PCの画面と睨めっこを続けていた。

 画面の中では、相変わらずレイがラザニアの街で忙しなく動き回っている。

 所持金(ゴールド)は十分に貯まった。

 信用ランクも回復した。

 物件情報のウィンドウを開けば、『港近くの好立地・倉庫付き店舗』が俺の手を待っている。

 だが、俺はまだ『購入』ボタンを押せずにいた。


「……罠だ。これは絶対、孔明の罠だ」


 俺の疑心暗鬼は極まっていた。

 今まで散々、手形詐欺だの連鎖倒産だの税金だのと、運営(状元大学&会計ソフトメーカー)の悪意に晒されてきたのだ。

 ここで素直に店を持たせてくれるとは到底思えない。

 買った瞬間に『欠陥住宅でした』とか『シロアリ被害発生』とか、あるいは『前オーナーの借金付き』とか、ろくでもないイベントが発生する未来しか見えない。


「とりあえず、店は保留だ。まずは情報を集める」


 俺はレイを操作し、冒険者ギルドの酒場で聞き込みを続けた。

 そこで俺は、このゲームの根幹に関わる、ある衝撃的な事実を知ることになる。


『アイテムボックス? ああ、伝説の勇者様が持っていたというアレか?』


 古参の冒険者が、エールを煽りながら語り出した。


『あるにはあるらしいぜ。空間魔法の極致とかなんとか。だがな、俺たち一般人には関係ねえ話だ。あんな便利なもんがあったら、運送業者が全員廃業しちまうからな』


 ……なるほど。

 この世界に「魔法の収納」は存在する。

 だが、プレイヤーには意図的に開放されていないのだ。

 なぜか?


 『物流コストと在庫管理の苦労を味わわせるため』だ。

 便利すぎる機能は、経営シミュレーションとしての難易度を下げる。だから封印されている。

 なんて底意地の悪い仕様だ。

 さらに、俺は別のNPCからもっと黒い話を聞かされた。


『人手が足りない? なら「奴隷」を買えばいいじゃないか』


 商人が悪びれもせず言った。


『犯罪奴隷や借金奴隷なら安く手に入るぞ。逃げ出さないし、文句も言わない。最高の労働力だ』


 俺は戦慄した。

 ファンタジー作品では定番の設定だが、現代日本の高校生向け教材でそれをやるか?

 倫理観どうなってんだ。

 だが、その商人はニヤリと笑ってこう続けた。


『まあ、あんたの世界にも似たようなもんはあるんだろ? 名前が違うだけでな。「社畜」とか言ったか?』


「……ッ!?」


 俺は言葉を失った。

 社畜。会社に飼い慣らされ、文句も言わずに働き続ける現代の奴隷。

 このゲームは、そこまで皮肉っているのか。

 アイテムボックスを排除して物流の厳しさを教え、奴隷制度を通じて現代労働社会の闇を突きつける。


「……悪魔だ」


 俺は確信した。

 このゲームを作ったのは、教育者ではない。人の心を折ることを愉悦とする悪魔だ。


 『大商人になる』という夢を見せつつ、その実態は『世の中そんなに甘くねえよ』とプレイヤーを精神的に追い詰める拷問器具なのだ。


「上等じゃねえか……!」


 だが、不思議と俺の心に火がついた。

 ここまでコケにされて、黙って引き下がれるか。

 悪魔が作ったルールなら、悪魔的な方法(リアル・トレード)で攻略してやる。

 俺はキーボードを叩く手に力を込めた。

 絶対に、このクソゲーを完全攻略してやる。


          ◇


 そんな風に、俺が画面の中の社会の闇と格闘すること数時間。

 気づけば時計の針は午後二時を回っていた。

 昼飯も食わずに没頭していたせいで、腹の虫が鳴き出す。

 何か作ろうか、と腰を上げた時だった。


 ガチャリ。

 玄関が開く音がした。

 じいさんだ。病院に行っていたはずだ。

 医者から「遠洋漁業に行っても良い」というお墨付きをもらうために。

 あれだけ腰を痛めておきながら、治った瞬間にまた海へ出ようとする。あの人の辞書に「懲りる」という言葉はないらしい。


 俺が溜息をつきながらリビングへ向かうと、そこには予想外の光景があった。


「ただいまー。おい平太、客人を連れてきたぞ」


 じいさんの後ろから、二人の女子が入ってきた。

 愛姉ちゃんと、同じクラスの佐々木恵さんだ。

 だが、いつものような明るさはない。

 愛姉ちゃんは眉を下げて困ったような顔をしており、佐々木さんに至っては目が赤く腫れ、今にも泣き出しそうだった。

 そして何より、佐々木さんは片足を引きずり、愛姉ちゃんに肩を借りていた。


「……どうしたんだよ、それ」


「おう、病院で会ってな。タクシーで送ってきたんだ」


 じいさんは事情を説明するでもなく、ドカッとソファに座った。


「詳しい話は後だ。平太、悪いが昼飯を作ってくれ。三人分だ」


「えっ、俺が?」


「俺は腹が減って力が出ねえ。頼んだぞ」


 強引すぎる。

 だが、沈み込んでいる二人を前にして断るわけにもいかない。

 俺は黙って台所に立ち、冷蔵庫の余り物でチャーハンを作り始めた。

 中華鍋を振る音だけが響く。

 その間、リビングからは重苦しい沈黙が漂ってきていた。

 出来上がったチャーハンを皿に盛り、テーブルに並べる。

 佐々木さんは「すみません……」と小さく言ってスプーンを手に取ったが、食が進んでいないようだった。


 愛姉ちゃんも、いつものような勢いがない。


「で、どうしたんだ? その足」


 じいさんが水を向けた。

 愛姉ちゃんが、ポツリポツリと語り出す。


「……部活の練習中にね、恵が着地に失敗して。私が病院に連れて行ったの」


「診断は?」


「捻挫。……全治二週間だって」


 その言葉を聞いた瞬間、佐々木さんの目から涙がこぼれ落ちた。


「うっ……うう……」


「恵……」


 俺でも知っている。

 来週の週末から、バレー部の地区大会が始まることを。

 三年生にとっては最後の大会。負ければ引退だ。

 うちの高校は強豪ではないから、勝ち進むのは難しい。実質、来週が引退試合になる可能性が高い。

 佐々木さんは一年生ながらレギュラー入りし、エースアタッカーとして期待されていた。


 憧れの先輩と一緒にコートに立てる最後のチャンス。

 それを、怪我で棒に振ることになったのだ。


「先輩たちと……最後なのに……っ! 私、私がドジ踏んだせいで……!」


 佐々木さんは顔を覆って泣き崩れた。

 愛姉ちゃんが背中をさするが、かける言葉が見つからないようだった。

 全治二週間。

 大会には絶対に間に合わない。

 残酷な現実だった。

 じいさんは、泣きじゃくる佐々木さんを見て、ふと俺の方を向いた。


「平太、あれはもう無いのか?」


「……あれって?」


「この間、俺にくれた栄養ドリンクだ。変な色のやつ」


 ドキリ、とした。

 ポーションのことだ。


「あれを飲んだら、俺の腰痛は一発で消えた。まるで魔法みてえにな。……もしかしたら、お嬢ちゃんの足にも効くんじゃねえか?」


 じいさんは純粋な善意で言っている。

 だが、俺の背中には冷たい汗が流れた。

 効く。間違いなく効く。

 あれは『HP回復薬』だ。捻挫程度なら、飲んだ瞬間に完治する。

 だが、それは禁忌だ。

 身内であるじいさんに使っただけでもリスクがあったのに、他人である佐々木さんに使えばどうなるか。


 「奇跡の薬」の噂が広まれば、俺の平穏な日常は終わる。

 俺は口ごもった。


「いや、あれは……その……」


 俺が躊躇していると、愛姉ちゃんが顔を上げた。


「嶺、何か持ってるの? すごい薬」


「えっと……まあ、通販で買った怪しいドリンクだけど」


「お願い! ダメ元でもいいから、恵にそれをあげて!」


 愛姉ちゃんが身を乗り出して懇願する。

 佐々木さんも、涙に濡れた目で俺を見つめた。

 その目は、藁にもすがる思いで救いを求めていた。


「平太くん……私、なんでもします。だから……」


 女子にそこまで言わせて、断れる男がいるだろうか。

 いや、いない。

 ここで断れば、俺は一生後悔するだろう。そして、じいさんにも軽蔑されるだろう。


 リスク? 知ったことか。

 目の前で泣いている女の子一人救えないで、何が大商人だ。


「……分かった。待ってて」


 俺は自室に入り、机の引き出しを開けた。

 残りは一本。最後の一本だ。

 赤い液体の入った小瓶を握りしめ、俺はリビングに戻った。


「これだ。……味は保証しないけど」


 俺は小瓶を佐々木さんに手渡した。

 彼女は震える手でそれを受け取り、コルクを抜いた。


「……いただきます」


 意を決して、赤い液体を飲み干す。

 ごくり。

 その瞬間、彼女の表情が変わった。


「あっ……熱い!?」


 足首を押さえる。

 包帯の下で、患部が発光している(ように見えた)。

 数秒後、佐々木さんは恐る恐る立ち上がった。


「……痛くない」


 彼女はその場で軽く足踏みをし、次に屈伸をした。

 そして、信じられないという顔で俺を見た。


「治ってる……? え、嘘、全然痛くない!」


「マジで!? 恵、ちょっとジャンプしてみて!」


「うん!」


 ぴょん、と佐々木さんが跳ねた。

 綺麗なフォームでの着地。痛みで顔をしかめることもない。

 完治だ。


「すごーい! 何これ!? 魔法!?」


「やったぁ! これで大会に出られるわよ恵!」


 二人は手を取り合って喜び、抱き合った。

 じいさんも「ガハハ! やっぱりあのドリンクは凄えな!」と笑っている。

 だが、俺の心臓はバクバクしていた。

 喜びが落ち着いた後、必ず来る質問があるからだ。


「ねえ嶺、これ何なの? どこで売ってるの?」


 案の定、愛姉ちゃんが目を輝かせて聞いてきた。

 佐々木さんも興味津々だ。アスリートにとって、怪我を即座に治す薬など喉から手が出るほど欲しいだろう。


「……あのな、よく聞いてくれ」


 俺は真剣な顔を作って、二人(とじいさん)に向き直った。


「これは、海外のサイトで見つけた『治験薬』に近いものなんだ。成分もよく分からないし、日本じゃ未認可だ。たまたま『限定モニター募集』で3本だけ手に入れたんだよ」


「3本だけ?」


「ああ。一本は俺が運動会で怪我した時に飲んだ。もう一本はじいちゃんにあげた。そして、これが最後の一本だ」


 俺は「もう二度と手に入らない」ことを強調した。


「だから、このことは絶対に他言無用だぞ。もし学校や病院にバレたら、俺は薬事法違反で捕まるかもしれないし、みんなもドーピング検査で引っかかるかもしれない」


 脅し文句を並べると、二人の顔色がサッと青ざめた。


「や、ヤバいやつなの!?」


「副作用とかないの!?」


「俺とじいちゃんは今のところ何ともない。でも、公になったら面倒なことになるのは確実だ。だから、これは『自然治癒力が凄まじく高かった』ことにしてくれ。いいな?」


 俺の必死の説得に、二人はコクコクと頷いた。


「わ、分かったわ。嶺が捕まるのは嫌だし……」


「私も、大会に出られなくなるのは困るから……絶対に言いません!」


 どうやら納得してくれたようだ。

 愛姉ちゃんはまだ「でも、そんなサイト本当にあるの?」と訝しげだったが、目の前で起きた奇跡(完治)と、俺の真剣な態度に押され、それ以上は追求してこなかった。


「ありがとう、平太くん。このご恩は一生忘れません!」


 佐々木さんが深々と頭を下げる。

 その笑顔を見たら、まあ、一本くらい安いもんだと思えた。

 じいさんも「よくやった」という顔で頷いている。

 こうして、俺は『最後のポーション』を使い切り、ひとまずの危機を回避した。


 だが、この一件がきっかけで、俺の学校生活がさらにカオスな方向へ転がっていくとは、この時の俺はまだ予想していなかった。

 女の秘密の共有は、時として予想外の連帯感(と誤解)を生むのだから。



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