第七章 バレたら厄介なポーション
第22話 疑心暗鬼のゲーム経営と、戻ってきた最大の懸念事項
【令和・平太家自室】
運動会の振替休日を含めた三連休。
俺は、表向きは「重度の捻挫で自宅療養中」という設定を守りつつ、実際には健康体そのものでPCの前に座り続けていた。
ポーションのおかげで足の痛みは皆無。
学校に行く必要もなく、誰にも邪魔されない。
ゲーマーとしては至福の時間だ。
画面の中では、レイがラザニアの街で商いを行っていた。
以前の「循環取引詐欺」と「従業員の持ち逃げ」による店舗閉鎖から、ようやく立ち直りつつある。
『異界通販(リアル・トレード)』を駆使したチートじみた資金調達と、地道な行商の成果で、所持金はかつてないほど潤沢だ。
金貨が唸るほどある。
ラザニアの不動産屋(冒険者ギルド兼務)に行けば、以前よりも立派な店舗物件を即金で買うことだってできる。
「……でもなぁ」
俺の手は『購入』ボタンの上で止まったまま動かない。
踏ん切りがつかないのだ。
脳裏をよぎるのは、前回のトラウマだ。
信頼して雇った錬金術師たちに裏切られ、在庫を持ち逃げされたあの朝の絶望感。
人間不信になりそうだ。いや、もうなっている。
「店を持てば維持費がかかる。人を雇えば人件費とリスクが発生する。……本当に大丈夫か?」
俺はPCのブラウザで、別のタブを開いた。
検索ワードは『銀行 不祥事』『横領 手口』。
現代日本の金融トラブル事例だ。
このゲームは「現代社会の縮図」を謳っている。ならば、現実で起こりうるトラブルは、ゲーム内でも起こり得ると考えるべきだ。
「……うわ、結構あるな」
検索結果には、行員による顧客の預金着服や、保険外交員の詐欺事件などがずらりと並ぶ。
大手だろうが地方だろうが、金のあるところには悪意が集まる。
さらに検索を進めると、戦前の『取り付け騒ぎ』や『銀行倒産』の記事まで出てきた。
ゲーム内の『商業ギルド』は、銀行の役割も果たしている。
もし、ギルドが破綻したら? 俺の預金は?
「……もっと怖いのは『地面師』か」
最近ニュースで話題の、他人の土地を勝手に売却して金を騙し取る詐欺師グループ。
ゲーム内で俺が買おうとしている物件、本当にギルドが所有権を確認しているのか?
もし偽造書類だったら?
金を払った瞬間に売主がドロンしたら?
「あーもう! 疑い出したらキリがねぇ!」
俺は頭を抱えた。
ただのゲームだぞ。なんでこんなに胃を痛めながらプレイしなきゃならないんだ。
だが、このゲームの制作陣(状元大学経営学部&会計ソフトメーカー)の性格の悪さを考えれば、これくらいの罠は平気で仕掛けてくるはずだ。
教育目的? 嘘つけ。これは精神修行だ。あるいは人間不信養成プログラムだ。
「……とりあえず、物件購入は保留だ。賃貸で様子を見よう」
俺はリスク回避を選択した。
石橋を叩いて叩いて、結局渡らない。それが今の俺のプレイスタイルだ。
ふと、視線をPCの脇に移す。
そこには、赤い液体が入った小瓶が二本、転がっていた。
『ポーション(小)』の残りだ。
「これの使い道も考えないとなぁ……」
自分の怪我は治してしまった。
あと二本。
ゲーム内ならガブ飲みできるが、現実ではそうもいかない。
捨ててしまうのはもったいないし、かといって持っていてもリスクしかない。
どうしたものか。
そんなことを考えていると、玄関の方で音がした。
ガチャリ、と鍵が開く音。
誰だ? 愛姉ちゃんか?
いや、今日は部活のはずだ。
俺は慌てて足を引きずる演技モードに入り、リビングへと向かった。
「……ただいま」
玄関に入ってきたのは、日焼けした老人――じいさんだった。
だが、いつものような「ガハハ!」という豪快さがない。
背中を丸め、どこか辛そうにしている。
「じいちゃん!? おかえり、早かったな」
「おう……。今回は近場だったからな」
じいさんは靴を脱ぐのも億劫そうに、ゆっくりと上がり框(かまち)に腰を下ろした。
「どうしたんだよ。元気ないじゃん」
「ああ……いやな、腰をやっちまってな」
じいさんは顔をしかめて腰をさすった。
「漁の期間が終わったから帰ってきたんだが、今回は波が荒くてな。踏ん張った拍子にグキッといっちまった。さっき病院に寄ってきたんだが、先生に『お歳なんですから自重してください』って怒られちまったよ」
「そりゃそうだろ。じいちゃん、もう若くないんだから」
俺は呆れつつも、心配になった。
じいさんは頑丈だけが取り柄みたいな人だ。そのじいさんがここまで弱音を吐くのは珍しい。
急に老け込んだようにも見える。
「なぁじいちゃん。遠洋漁業、そろそろ引退したらどうだ? 近場の釣り船くらいにしておけよ」
「……そうもいかん。M市の漁協には恩があるし、なにより稼ぎがいいからな」
「金ならなんとかなるって。それに、俺の保護者がいつも不在なのも、そろそろマズイんだよ」
俺は運動会の件を持ち出した。
怪我をして病院に運ばれた時、保護者への連絡がつかずに学校側が困惑していたこと。
今回のようなことがまたあれば、学校や役所から何か言われるかもしれないこと。
俺自身の心配性(ゲームのせいだ)も加速している。
「……すまねえな平太。迷惑かけてる自覚はあるんだが」
じいさんは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「でもな、腰さえ治ればまだやれるんだ。薬も貰ったんだが、効き目が弱くてな。しかも飲むと眠くなるから、船の上じゃ危なくて飲めねえ」
じいさんは痛み止めの袋をテーブルに置いた。
腰痛。
漁師にとっては職業病のようなものだが、悪化すれば生活に支障が出る。
痛みに顔を歪めながら、ヨロヨロとリビングへ歩いてくるじいさん。
その姿を見て、俺の脳裏にあるアイテムが浮かんだ。
――ポーション。
俺は自室へ戻り、引き出しから小瓶を一本取り出した。
赤い液体。HP回復薬。
俺の捻挫を一瞬で治した、禁断の秘薬。
これを他人に使うのはリスクが高い。
だが、相手は身内だ。たった一人の肉親だ。
このままじいさんが痛みに苦しむのを見ているのは、寝覚めが悪い。
「……やるか」
俺はリビングに戻り、じいさんに小瓶を差し出した。
「じいちゃん、これ飲んでみ」
「あん? なんだこれ、栄養ドリンクか?」
「まあ、そんなもんだ。……すごく効くらしいぞ。俺も飲んだけど、疲れが一発で吹っ飛んだ」
嘘は言っていない。
じいさんは怪訝そうな顔で小瓶を受け取った。
「変な色だな……。眠くはならねえのか?」
「ならない。むしろスッキリする」
「ふうん……ま、平太が言うなら飲んでみるか」
じいさんは疑いもせず、コルクを抜いて中身を一気に飲み干した。
俺は固唾を飲んで見守る。
数秒後。
「……ん? お?」
じいさんが目を見開いた。
そして、恐る恐る腰をひねり、立ち上がった。
「……痛くねえ」
じいさんは屈伸をし、前屈をし、最後にはその場で軽くジャンプしてみせた。
「すげえ! なんだこれ!? 痛みが消えたぞ! 身体が軽い!」
「よ、よかったな」
俺は引きつった笑みを浮かべた。
効果てきめんだ。やはりこの薬はヤバい。
じいさんは「魔法の薬だな!」と大はしゃぎしているが、あながち比喩ではない。
「ありがとな平太! これですぐにでも船に乗れるぞ!」
「い、いや、少しは休めよ……」
元気になったのはいいが、これでは引退の話が遠のいてしまったかもしれない。
まあ、痛みが取れたなら良しとするか。
「俺、飯の準備するから。じいちゃんは休んでて」
「おう、悪いな。病院の食堂で軽く食ってきたから、俺はいらんぞ」
「分かった」
俺は台所へ向かった。
簡単なチャーハンでも作ろう。
背後でじいさんがテレビを見ながら笑っている声が聞こえる。
平和だ。
疑心暗鬼のゲーム経営と、現実のトラブル。
二つの世界を行き来しながら、俺はフライパンを振った。
残り一本となったポーションの小瓶が、部屋の隅で怪しく光っている気がした。
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