第20話 傷だらけの英雄(パシリ)と女神の戯れ


【令和・状元学園F高校グラウンド】


 運動会当日は、憎らしいほどの快晴だった。

 雲ひとつない秋空。絶好のスポーツ日和。

 だが、俺の心はどんよりと曇っていた。


「……痛い。視線が痛い」


 入場行進の最中、俺は背中に無数の棘が突き刺さるような感覚を覚えていた。

 高校の運動会は、小中学校の頃とは少し趣が違う。

 保護者の姿はまばらで、あくまで「生徒たちの、生徒たちによる、生徒たちのための祭典」という色合いが濃い。

 じいさんは遠洋漁業で不在だが、仮にいたとしても「男の祭りに親が出る幕じゃねえ!」とか言って来なかっただろうから、その点は気楽だ。

 問題は、生徒たちの熱気――という名の殺気だ。


「おい平太、気合入れろよ。足引っ張んな」


 同じクラスの男子が、すれ違いざまに俺の肩を小突いていく。

 言葉は檄(げき)を飛ばしているようだが、目の奥が笑っていない。

 優さんや府城さんと同じサークルに入り、一つ上の学年のアイドル・愛姉ちゃんと幼馴染というだけで、俺は全校男子の敵認定を受けているらしい。

 特に今日は、他クラスの連中からの視線も鋭い。

 敵味方に分かれて戦う運動会というシチュエーションが、彼らの闘争本能(嫉妬心)に火をつけているようだ。


「はぁ……。今日も頼むぞ、相棒」


 俺はこっそりとポケットの中の空き瓶を撫でた。

 今朝、家を出る前に『スタミナポーション』をキメてきた。

 身体は軽いが、心の重さまでは消してくれない。

 俺の出番は少ない。

 全員参加の『棒倒し』と『騎馬戦』、そして午後の『持久走(選択種目)』だけだ。

 たった三種目。それさえ乗り切れば、俺の平和は守られる。


          ◇


 そして始まった、午前の部のメインイベント『棒倒し』。

 俺たち1年C組は、守備陣形を組んで敵の襲来を待ち構えていた。

 俺のポジションは、棒を支える土台の一人。

 一番地味で、一番痛い役回りだ。


「来るぞ! 構えろ!」


 号砲と共に、敵クラスの特攻隊が雪崩れ込んでくる。

 怒号。砂煙。肉と肉がぶつかり合う鈍い音。

 ポーションの効果で動体視力が上がっている俺には、迫り来る敵の動きがスローモーションのように見えた。


 右から来るタックルをいなし、左からの蹴りを避ける。

 お、俺、結構やれるんじゃないか?

 そう思った瞬間だった。


「オラァッ! そこどけリア充!」


 死角から、重戦車のような巨漢が突っ込んできた。

 敵クラスのラグビー部員だ。

 避ける間もなく、強烈なボディアタックが俺の横腹に直撃する。


「ぐはっ!?」


 息が止まるほどの衝撃。

 俺の身体は木の葉のように吹き飛ばされ、地面に転がった。

 だが、悲劇はそこで終わらなかった。

 俺が倒れたその場所に、棒を奪おうと殺到した後続の集団が、雪崩のように覆い被さってきたのだ。


「ぎゃっ!」


 右足首に、あり得ない方向からの荷重がかかる。

 バキ、という嫌な音が体内で響いた。

 激痛が脳天を突き抜ける。

 その直後、審判の笛が鳴り響いた。

 1年C組の勝利。俺たちの棒は守りきられたのだ。

 歓声が上がる中、俺は一人、砂埃の中でうずくまっていた。


「……あ、これ、やったわ」


 足が動かない。

 クラスメイトたちは勝利に沸き立ち、ハイタッチを交わしている。

 俺の屍(負傷)の上に築かれた勝利だというのに、誰も俺を気に留めていない。

 これがモブの末路か。


 俺はズキズキと脈打つ足首を押さえながら、退場門の方へと這っていこうとした。


「あれ? 平太くん?」


 ふと、頭上から声が降ってきた。

 顔を上げると、そこには体操服姿の天使がいた。

 いや、クラスの一軍女子、佐々木恵さんだ。

 彼女は心配そうな顔で俺を覗き込んでいる。


「佐々木さん……」


「大丈夫? 顔色悪いよ。……あ、足!」


 彼女は俺の腫れ上がった足首を見て、短く息を呑んだ。


「動ける?」


「いや……ちょっと無理かも」


「待ってて。今、美香(みか)呼んでくるから……あ」


 佐々木さんが視線を走らせた先では、次の種目『借り物競走』の準備が始まっていた。

 そこには、ビブスをつけた保健委員の大下美香さんの姿があった。

 彼女は選手として招集されているため、持ち場を離れられないのだ。


「美香、走らなきゃいけないんだ。……仕方ない、私が連れて行くね」


「えっ?」


 言うが早いか、佐々木さんは俺の右腕を自分の肩に回し、グイッと身体を持ち上げた。

 華奢な見た目に反して、意外と力がある。さすがバレー部のエースだ。


「ちょ、佐々木さん!? いいよ、俺一人で這って行くから!」


「何言ってんの。そんな足で歩けるわけないでしょ。ほら、掴まって」


 有無を言わさぬ迫力。

 俺は彼女に体重を預け、二人三脚のような格好で歩き出した。

 だが、俺の足は思った以上に重傷だったらしく、スピードが出ない。

 ヨチヨチと、亀のような歩みでグラウンドを横切る。


 当然、目立つ。

 全校生徒の注目が集まる。


「おい見ろよ、平太の野郎……」


「佐々木さんに肩借りてやがる」


「ふざけんな! 俺も怪我したい!」


「役得かよ! あいつ絶対わざとだろ!」


 男子席から、どす黒い怨嗟の声がどよめきとなって押し寄せてくる。

 痛い。足より視線が痛い。

 俺は「すみません、すみません」と心の中で謝りながら、縮こまって歩くしかなかった。


 そんな俺の心中を知ってか知らずか、佐々木さんはケロッとしていた。

 むしろ、この状況を楽しんでいる節さえある。


「あーあ、みんな見てるねー。平太くん、美人な私と密着できて嬉しい?」


「……勘弁してください。殺されます、俺」


「あはは! 大丈夫だよ、私が守ってあげるから」


 佐々木さんは悪戯っぽく笑い、さらに身体を寄せてきた。

 柔らかい感触と、汗と制汗スプレーの混じった甘い匂いが、理性を揺さぶる。

 やめてくれ。俺のライフはもうゼロよ。


「ねえ、なんなら触ってみる? 私の胸」


「ぶっ!!」


 俺は思わず噴き出しそうになった。

 なんてことを言うんだ、この人は!

 慌てて周囲を見渡す。幸い、歓声にかき消されて誰にも聞かれていないようだ。


「さ、佐々木さん! 冗談でもそういうこと言っちゃダメだって!」


「ふふっ、平太くんってウブだねぇ。顔真っ赤だよ」


 佐々木さんはニヤニヤしている。

 この小悪魔的な性格、誰かに似ていると思ったら……そうだ、愛姉ちゃんだ。

 そういえば二人ともバレー部だ。類は友を呼ぶと言うが、あの部活にはこういう人材しかいないのか?


 俺は冷や汗を流しながら、必死に平常心を保とうと努力した。


「……重くないか? 俺、結構あるだろ」


「ううん、全然。毎日トレーニングしてるしね。愛先輩のしごきに比べたら、平太くん一人運ぶくらい余裕よ」


 頼もしいお言葉だ。

 長い長い道のりを経て、ようやく校舎の入り口に辿り着いた頃には、俺は精神的に疲労困憊していた。

 足の痛みなど忘れるほどのプレッシャーだった。


「着いたよ。保健室まであと少し」


「ありがとう……本当に助かった」


 俺たちは薄暗い廊下を歩き、保健室のドアを開けた。

 そこには、誰もいなかった。

 養護教諭の先生もグラウンドに出ているらしい。

 静寂に包まれた保健室のベッドに、俺は倒れ込むように座った。


「ふぅ……」


 ようやく解放された。

 佐々木さんは額の汗を拭いながら、ニコッと笑った。


「先生来るまで待っててあげる。一人じゃ寂しいでしょ?」


「いや、戻っていいよ。次の種目あるだろ?」


「いいのいいの。私、次は応援だけだから」


 彼女はパイプ椅子を引き寄せ、俺の目の前に座った。

 その距離、わずか数十センチ。

 ドキドキが止まらない。

 これは、怪我の痛みによる動悸なのか、それとも……。


 俺は、早く先生が戻ってきてくれることを、神に祈るしかなかった。

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