第17話 連鎖する嫉妬と、俺の知らない青春
【令和・平太家リビング】
じいさんと愛姉ちゃんがいない静寂の一週間。
俺はその時間を最大限に活用し、PCの画面にかじりついていた。
画面の中では、レイがラザニアと王都を往復し、着実に資産を増やしている。
『胡椒』のリアル・トレード(課金)で得た資金を元手に、安全な海路を使って堅実な商いを繰り返す。
信用ランクも回復し、一度失った店をもう一度構える日もそう遠くはないだろう。
「ふふっ……待ってろよ、ラザニアの物件」
俺が不敵な笑みを浮かべていた、その時だった。
バン! と玄関のドアが開く音がした。
鍵はかけていたはずだが、合鍵を持っている人物は限られている。
「あーつーいー!! なによこれ! 下界は灼熱地獄じゃない!」
ドタドタとリビングに入ってきたのは、大きなスポーツバッグを抱えた愛姉ちゃんだ。
合宿から帰ってきたのだ。
信州の避暑地から帰還した彼女にとって、湘南の湿気を帯びた暑さは耐え難いものらしい。
「おかえり。エアコンついてるだろ」
「設定温度下げて! あと扇風機こっち向けて! アイスある!?」
愛姉ちゃんはソファーに倒れ込みながら矢継ぎ早に要求を飛ばす。
俺はため息をつきつつ、冷蔵庫からアイスを取り出して渡した。
「ほらよ。合宿、どうだったんだ?」
「最高だったわよ! 朝晩は涼しいし、ご飯は美味しいし、他校のマネージャーとも友達になれたし!」
愛姉ちゃんはアイスを齧りながら、いかに信州が快適だったかを力説し始めた。
そして、バッグから包みを取り出す。
「はいこれ、お土産。信州そば」
「お、ありがとう」
「というわけで、今日のお昼はこれね。よろしく」
彼女は包みを俺に押し付けた。
乾麺だ。茹でなきゃ食えない。
つまり、俺に作れということだ。
「……へいへい」
俺は台所に立ち、大鍋に湯を沸かした。
茹で上がったそばを冷水で締め、氷水にさらす。つゆと薬味を用意して、ざるそばの完成だ。
ズルズルとそばを啜りながら、愛姉ちゃんはスマホをいじり始めた。
「あ、優ちゃん? うん、今帰ったとこ。……え? いるの? じゃあ来ちゃいなよ」
通話を終えると、愛姉ちゃんはニヤリと笑った。
「優ちゃんと府城さん、近くにいるって。来るわよ」
「は? なんで?」
「なんでって、お土産渡したいし。それに女子会よ、女子会」
俺の家はいつから集会所になったんだ。
数分後、インターホンが鳴り、優さんと府城さんがやってきた。
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔します、平太さん」
二人は勝手知ったる他人の家といった風情で、俺が玄関に向かう前にリビングに入ってきた。
俺が台所でそば湯の準備をしている間に、ちゃぶ台は占拠され、菓子袋が開けられている。
「愛先輩、おかえりなさい! 合宿どうでした?」
「もー、最高だったわよ優ちゃん! 聞いて聞いて!」
愛姉ちゃんのマシンガントークが炸裂する。
俺は完全に空気だ。
仕方がないので、俺は部屋の隅にあるPCに向かい、ゲームの続きを始めた。
背後でキャッキャという声が響く中、黙々と帳簿をつけるシュールな光景。
だが、会話の内容が不穏な方向へシフトしたのを、俺の耳は聞き逃さなかった。
「……えっ、いいなぁ! クルージングですか!?」
優さんの素っ頓狂な声だ。
「そうなのよー。じいちゃんの船でね、半島の方までぐるっと。風が気持ちよくてさー」
愛姉ちゃんが、合宿前に行ったじいさんとの船旅の話をしている。
あれは確か、俺たちのサークル合宿の話を聞いた愛姉ちゃんが「海ずるい!」と駄々をこねたのがきっかけだったはずだ。
「嶺くんも一緒だったんですか?」
「うん、操舵室でじいちゃんと黄昏てたわよ」
その瞬間、背中に突き刺さる視線を感じた。
恐る恐る振り向くと、優さんが頬を膨らませて俺をじっと見ていた。
「嶺くん……ずるい」
「は?」
「私だって船に乗りたいです! 海、行きたいです!」
優さんが身を乗り出して抗議してくる。
府城さんも「いいですねぇ、クルーザーデート」などと煽ってくる。
いや待て、あれはクルーザーじゃない。年季の入った漁船だ。魚臭いぞ。
「いや、俺に言われても……船はじいさんのだし、なにより俺は操船できないし」
「むぅ……」
優さんは納得がいかない様子だ。
考えてみればおかしな話だ。
サークル合宿で俺たちが海に行ったのを羨ましがった愛姉ちゃんが、じいさんにねだって船を出させた。
その話を今度は優さんが聞いて、羨ましがっている。
嫉妬の連鎖(チェーンコンボ)だ。
しかも、そのすべての中心に俺がいるという、なんとも居心地の悪い状況。
優さんのご機嫌斜めな様子を見て、愛姉ちゃんがパンと手を叩いた。
「分かった! じゃあ行きましょうよ、海!」
「えっ、行けるんですか?」
「船は無理だけど、海水浴場ならすぐそこじゃない。じいちゃんの顔が利く『海の家』があるから、そこ予約するわ。明日!」
愛姉ちゃんの行動力は相変わらずだ。
その場でスマホを取り出し、漁協の青年会に電話をかけ始めた。
地元の人間ならではのコネクションである。
「もしもしー? あ、ケンちゃん? 私、平太んとこの隣の愛だけど。……うん、明日海の家使いたいんだけど空いてる? あ、オッケー? サンキュー!」
通話終了。所要時間三十秒。
「決まり! 明日の朝10時集合ね! 水着忘れないでよ!」
「やったー! ありがとうございます愛先輩!」
優さんと府城さんがハイタッチして喜んでいる。
俺の予定は聞かれていない。
まあ、拒否権なんてないのだが。
◇
翌日。快晴。
俺たちは地元の海水浴場に来ていた。
お盆を過ぎてクラゲが出始める時期だが、今年は猛暑のせいでまだ海水浴客は多い。
じいさんの知り合いがやっている海の家で着替えを済ませ、浜辺へ出る。
「うわー、海だー!」
「暑いけど気持ちいいですね!」
水着姿の女子三人が波打ち際へ走っていく。
愛姉ちゃんはスポーティなビキニ、優さんはフリルのついた可愛らしい水着、府城さんはパレオ付きの大人っぽい水着だ。
壮観である。
周りの視線が集まるのが分かる。
そして、その後ろを浮き輪を持ってトボトボ歩く俺への視線も。
「なんだあの男」「ハーレムかよ」「爆発しろ」という幻聴が聞こえてきそうだ。
「嶺! 早く来なさいよ!」
「嶺くん、冷たくて気持ちいいですよ!」
二人に手招きされ、俺も海に入った。
水をかけ合い、浮き輪でプカプカ浮き、砂浜でスイカ割りをする。
ベタだ。あまりにもベタな青春イベントだ。
だが、楽しい。
サークル合宿の時も楽しかったが、今日はまた別格だ。
幼馴染の愛姉ちゃん、憧れの優さん、そして府城さん。気心の知れたメンバーだけで過ごす時間は、オタクの俺にとっても心地よいものだった。
休憩中、海の家のおじさん(じいさんの飲み仲間)がかき氷を持ってきてくれた。
「おう平太、青春してるなぁ! じいさんが見たら泣いて喜ぶぞ」
「からかわないでくださいよ……」
「ガハハ! いいじゃねえか。男一匹に女三匹……じゃねえ、三人か。隅に置けねえなぁ!」
おじさんは豪快に笑って去っていった。
愛姉ちゃんたちが「おじさん面白いー」と笑っている横で、俺はかき氷で頭をキーンとさせていた。
ふとスマホを見ると、サークルのグループLINEが荒れていた。
どうやら府城さんが、今の状況(水着写真付き)をアップしたらしい。
『おい平太! 貴様また海に行ってるのか!』
『しかも女子とプライベートで!?』
『裏切り者おおおおお!』
『8月末の会議、覚悟しておけよ……(薔薇園)』
先輩たちからの怨嗟の声が画面を埋め尽くす。
俺はそっとスマホを閉じた。
今は考えないでおこう。未来の俺がなんとかするはずだ。
「嶺くん、どうしたんですか? 難しい顔して」
優さんが覗き込んでくる。
濡れた髪が頬に張り付いて、なんとも言えない色気がある。
「いや、なんでもない。……楽しんでる?」
「はい! 最高です! 誘ってくれてありがとうございます!」
優さんの満面の笑みに、俺の不安も吹き飛んだ。
まあ、いいか。
彼女じゃなくても、こうして一緒に遊べるだけで十分だ。
俺は、俺にしては上出来すぎる夏休みを噛み締めた。
◇
だが、イベントが終わっても、彼女たちの侵攻は止まらなかった。
それからの夏休み後半、三人は頻繁に俺の家に集まるようになった。
名目は『ゲーム攻略と文化祭の準備』。
だが実態は、エアコンの効いた俺の家での『女子会』だ。
「ねえねえ、この新作コスメ可愛くない?」
「あ、それ気になってたんです!」
「嶺ー、麦茶おかわりー」
俺の部屋でファッション誌を広げ、恋バナに花を咲かせ、俺をパシリに使う。
お前ら、自分の家でやれよ。
そう言いたくなるが、優さんが楽しそうにしているのを見ると、強くは言えない。
「あ、でもちゃんと研究もしてますよ?」
優さんが申し訳なさそうにノートPCを開く。
「この街の特産品、相場が変動しやすいですね。グラフにまとめておきます」
「助かるよ優さん。……愛姉ちゃんは?」
「私は監督よ、監督。あんたたちが頑張ってるのを見守るのが仕事」
愛姉ちゃんは寝転がったまま手を振る。
絶対に課題やってないだろ、この人。
まあ、学校側も「破産したらやり直せばいい」というスタンスらしいから、愛姉ちゃんがプレイしなくても(俺のプレイデータがあれば)バレないのかもしれないが。
そんなこんなで、俺の家は夏休みの間、半ば女子のたまり場と化していた。
騒がしくて、落ち着かなくて、でもどこか楽しい日々。
ボッチ気質だった俺の生活は、この数ヶ月で劇的に変わってしまった。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、少なくとも退屈はしていない。
そして8月末。
夏休みの終わりと共に、サークルの『検討会』の日がやってきた。
俺たち(というか俺)が集めた膨大な攻略データと、女子たちとの思い出(という名の火種)を抱えて、俺は学校へと向かう。
待ち受けるのは、薔薇園先輩たちの尋問か、それとも称賛か。
どちらにせよ、俺の胃が痛くなることだけは確定していた。
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