第16話 漁師の船出と孤独な研究
【令和・平太家】
二泊三日のサークル合宿を終え、俺は久しぶりに我が家に帰還した。
海で遊び、夜はゲーム談義に花を咲かせ、憧れの優さんとも少しだけ距離が縮まった(ような気がする)。
充実感と共に玄関のドアを開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「ガハハ! 帰ったか平太! 随分と焼けたな!」
「おかえりー、嶺!」
リビングのちゃぶ台を挟んで、真っ黒に日焼けした巨漢と、部屋着姿の女子高生が談笑している。
じいさんと、愛姉ちゃんだ。
じいさん、帰ってきてたのかよ。ていうか、なんで愛姉ちゃんがそんなに馴染んでるんだ。
「ただいま……。じいちゃん、いつ帰ってきたんだ?」
「お前が出かけた翌日だよ。入れ違いだな」
じいさんは美味そうにビールを煽る。
愛姉ちゃんが俺の荷物を受け取りながら、興味津々な顔で聞いてきた。
「で、どうだったの合宿! 優ちゃんとは何かあった? 手くらい繋いだ?」
「繋ぐかよ。……まあ、星を見ながら語り合ったりはしたけどな」
「えっ、うそ!? あんたにしては上出来じゃない!」
愛姉ちゃんが目を丸くする。
実際には「星が綺麗ですね」「そうですね」で終わった会話だが、嘘は言っていない。
俺が合宿での出来事――海水浴や花火、そして文化祭の出し物が決まったこと――を話すと、じいさんは「青春だなあ」と目を細め、愛姉ちゃんはなぜか不機嫌そうに頬を膨らませた。
「いいなぁ……。海、いいなぁ……」
「愛姉ちゃんだって、もうすぐ合宿だろ? バレー部の」
「うちは信州(長野)の山奥よ! 学園の保養施設に缶詰で、ひたすら基礎練と紅白戦! 海なんてないわよ!」
愛姉ちゃんがバンバンと畳を叩く。
状元学園は金持ち学校なので、各地に豪華な合宿施設を持っているらしい。羨ましい限りだが、彼女にとっては「海がない」ことが不満らしい。
「あーあ、私も海行きたーい! 水着着てキャッキャしたーい!」
「散歩でも行ってくりゃいいだろ。そこまで歩いて十分だぞ」
俺が冷たくあしらうと、愛姉ちゃんはさらに機嫌を損ねた。
「そういうことじゃないのよ! もっとこう、非日常感が欲しいの! 船に乗って潮風を感じるとかさぁ!」
「……船か」
それまで黙って聞いていたじいさんが、ニヤリと笑った。
「よし、なら明日出すか。俺の船」
「えっ?」
「久しぶりに動かさねえとエンジンが腐るからな。沖まで軽く流すぞ。乗るか?」
「乗る乗る! 絶対乗る!」
愛姉ちゃんが即答した。
じいさんは俺の方を見て、「お前も付き合え。どうせ暇なんだろ」と言い放つ。
文化祭に向けたゲーム攻略という崇高な任務があるのだが、スポンサー(じいさん)には逆らえない。
こうして、翌日のクルージングが決まった。
◇
翌朝。快晴。
俺たちは地元の小さな漁港にいた。
じいさんの持ち船『幸嶺丸(こうれいまる)』。
遠洋漁業で乗っている大型船ではなく、近海での漁や釣り船として使っていた中型船だ。
古い船だが、手入れは行き届いている。
「よーし、出港だ! 舫(もや)い解け!」
「了解!」
俺の手慣れた作業でロープが解かれ、ディーゼルエンジンが唸りを上げる。
船は港を離れ、青い海原へと滑り出した。
風が気持ちいい。
愛姉ちゃんは舳先(へさき)に立ち、「タイタニックごっこ~!」とか叫んではしゃいでいる。相手がいないので一人芝居だが。
「すっごーい! 江ノ島が見えるー!」
「落ちるなよー」
俺は操舵室の横で、じいさんと並んで海を見ていた。
この街で生まれ育った俺にとって、海は身近な存在だ。
じいさんの背中を見て育ったせいか、船の揺れも心地よく感じる。
「……なぁじいちゃん。俺も将来、漁師になろうかな」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。
あの理不尽なゲームや、学校での人間関係に疲れていたのかもしれない。
海の上は自由だ。シンプルだ。
だが、じいさんの返答は意外なほど厳しかった。
「やめとけ」
じいさんは前を見据えたまま、短く言った。
「漁師は甘くねえ。今は機械も良くなったが、それでも板子一枚下は地獄だ。自然相手に命張って、取れなきゃ一文無し。……お前がやってるあのゲームと一緒だ」
「ゲームと……?」
「ああ。理不尽で、厳しくて、保証なんてどこにもねえ。俺は好きでやってるが、お前に同じ苦労をさせたくはねえんだよ」
じいさんは太い腕で舵を切った。
「心配すんな。お前を大学に行かせるくらいの甲斐性は、まだ俺にもある。だからお前は、しっかり勉強して、もっと広い世界を見ろ。……ま、たまにはこうやって付き合ってくれるだけで十分だ」
その横顔は、いつもの能天気な酔っ払いではなく、海の男の顔だった。
かっこいいな、くそジジイ。
俺は黙って頷くしかなかった。
◇
楽しいクルージング(という名の近海遊覧)を終え、家に帰ると、じいさんはすぐに荷物をまとめ始めた。
「じゃあな平太! 次は四国沖だ!」
「はあ!? もう行くのかよ!?」
「カツオが俺を呼んでるんでな! M市の漁協がうるさいんだよ、『伝説の漁師の手が借りたい』ってな! ガハハ!」
じいさんは高笑いと共に去っていった。
家にいたのは実質三日くらいか?
相変わらず嵐のような人だ。
そして翌日。
今度は愛姉ちゃんが出発した。
「行ってくるわね嶺! お土産は信州そばでいい?」
「ああ、気をつけてな。怪我すんなよ」
「アンタこそ、ご飯ちゃんと食べなさいよ! ゲームばっかりして死なないようにね!」
彼女もまた、大きなスポーツバッグを担いでバレー部の合宿へと旅立っていった。
行き先は長野県にある状元学園の合宿所。
そこは大学のサークルなども利用する大規模な施設で、他校との交流も盛んらしい。
いわゆる「リア充合宿」の気配がするが、まあバレー漬けの愛姉ちゃんには関係ないだろう。
こうして、平太家には静寂が訪れた。
じいさんは海へ。愛姉ちゃんは山へ。
残されたのは俺一人。
完璧なシチュエーションだ。
「……よし、やるか」
俺は自室のカーテンを閉め切り、PCの電源を入れた。
これから一週間、誰にも邪魔されない時間がある。
文化祭の展示用データ収集も大事だが、俺にはもっと重要な、そして誰にも言えない研究テーマがあった。
『異界通販(リアル・トレード)の検証』
俺は画面の中のレイを操作し、ラザニアの闇ギルド『黒猫亭』へと向かわせた。
前回は『砂糖』と『塩』で大金を稼ぎ、『スタミナポーション』でテストを乗り切った。
だが、この機能にはまだ底知れない可能性がある。
「送れるのは食品だけか? 文房具は? 機械類は?」
「逆に、向こうから取り寄せられるのはポーションだけか? 魔道具は? 素材は?」
俺は一万円の『専用転送箱』を惜しげもなく購入し(資金は砂糖で稼いだ金貨を一部換金した……というのは嘘で、じいさんが置いていった生活費から拝借した。後で埋め合わせる)、様々な実験を行った。
実験1:ボールペン(100円)を送る。
結果:闇ギルドでの買取不可。『インクの構造が解析不能』として突き返された。
考察:こちらの科学技術が使われているものは、あちらの世界の理(ことわり)に弾かれる可能性がある。
実験2:100均のガラス玉(ビー玉)を送る。
結果:買取価格・銅貨1枚。
考察:ガラス自体はあちらにもある。精巧だが魔力がないため、ただの子供の玩具扱い。宝石の代わりにはならない。
実験3:胡椒(コショウ)を送る。
結果:買取価格・金貨5枚。
考察:大当たり。中世レベルの世界において、香辛料は金と同等の価値がある。砂糖に次ぐ有力な資金源だ。
「なるほどな……。こちらの『常識』があちらの『非常識(宝)』になり、逆もまた然りか」
俺はノートにデータを書き込んでいく。
これは文化祭では絶対に発表できない、俺だけの裏攻略本だ。
さらに、俺は通販サイト『黒猫』のラインナップを詳しく調べた。
俺が闇ギルドに持ち込んだ覚えのない商品が、いくつか並んでいることに気づく。
『魔物の牙(装飾用):5000ポイント』
『謎の種子(植物):1000ポイント』
どうやら、俺以外にもこの機能を使っているプレイヤーがいる……わけではないだろう。
おそらく、ゲーム内のNPCや、運営側が用意した「お遊び要素」としてのラインナップだ。
あるいは、俺が知らないだけで、世界のどこかに別の「穴」が開いているのかもしれない。
「……深淵を覗いている気分だ」
俺はゾクリとした。
たかがゲーム、されどゲーム。
この一週間、俺は誰とも会話せず、ひたすら異世界と現実の境界線を探り続けた。
孤独だが、充実した時間。
じいさんの言う「海の上の自由」とは違うかもしれないが、この電子の海もまた、俺にとっては広大で魅力的なフロンティアだった。
一週間後。
研究の成果(と大量のコショウ在庫)を抱え、俺は満足げにPCをシャットダウンした。
ちょうどその頃、愛姉ちゃんから『帰るよー!』というLINEが届いた。
俺の静かな夏休みは終わりを告げ、また騒がしい日常が戻ってくる。
だが、今の俺には強力な武器(知識と資金)がある。
どんなトラブルが来ようとも、乗り越えてみせるさ。
……なんて思っていた俺は、甘かった。
帰ってきた愛姉ちゃんが持ち込むトラブルは、俺の想定(ゲームの仕様)を遥かに超える、リアルな感情のもつれだったのだから。
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