第6話 貧乏商人の旅立ちは、死骸を引き摺る音と共に
【令和・平太家自室】
画面の中のレイは、なけなしの全財産を叩いて手に入れた『薄汚れた革鎧』を身に纏っていた。
防御力は上がったが、懐は寒々しい。
所持金、ほぼゼロ。
このままでは今夜の宿代どころか、夕飯のパンすら買えない。
「……休んでいる暇はないな」
俺は即座にギルドの受付に取って返し、一番手っ取り早い依頼書をむしり取った。
『薬草採取(ノルマ5束)』。
報酬は銀貨1枚と銅貨数枚。安いが、今の俺には命綱だ。
「行ってくる」
「えっ、嶺くん、もう日が暮れますよ? 今から外に出るんですか?」
隣で同じくギルド登録を済ませたばかりの優さんが、心配そうに声をかけてくる。
ゲーム内の空は既に茜色に染まりかけていた。
夜のフィールドは魔物の活性が上がり、視界も悪くなる。初心者が足を踏み入れる時間帯ではない。
「大丈夫だ。俺には“土地勘”がある」
俺はレイを操作し、街の門を全力疾走で駆け抜けた。
目指すは、街から西へ1キロほど離れた森の入り口付近。
前回のプレイ(黒字倒産したあの時だ)で、俺は何度もこの周辺を探索し、薬草の群生地を完璧に把握していた。
このゲーム、植物の生息ポイントはランダムではなく固定なのだ。
他のプレイヤー(NPC含む)に採り尽くされていなければ、そこにあるはずだ。
「これはギャンブルだ。もし誰かが先に採っていたら、夜の闇の中で魔物に食われてゲームオーバー。だが、残っていれば……」
俺はマップを確認しつつ、最短ルートをひた走る。
あった。
薄暗くなりかけた森の端に、緑色に発光するエフェクトが見える。
薬草だ。しかも手つかずの群生地だ!
「勝った!」
俺はマウスを連打し、手当たり次第に薬草をむしり取った。
1束、2束……よし、ノルマ達成。いや、予備も含めて10束いこう。
作業を終える頃には、周囲は完全に闇に包まれていた。
遠くで狼の遠吠えが聞こえる。
長居は無用だ。俺はスタミナゲージギリギリまでダッシュを使い、城門へと滑り込んだ。
ギルドに戻ると、酒場の喧騒が迎えてくれた。
受付カウンターに薬草の束をドサリと置く。
『えっ……? 依頼を受けたのはついさっきですよね?』
受付嬢が目を丸くしている。
無理もない。往復の時間と採取時間を考えれば、あまりに早すぎる。
『まさか、事前に採取していたものを隠し持っていたのですか? ……いえ、鮮度は抜群ですね。規定数ありますし、問題ありません』
彼女は狐につままれたような顔をしながらも、報酬を支払ってくれた。
このゲーム、依頼を受けてから採取しなくても、現物さえあれば達成扱いになるのだ。
まあ、今回は本当に走って採ってきたのだが、不正を疑われるのも無理はない速さだったろう。
「ふぅ……これで今夜は屋根の下で眠れる」
報酬を受け取った俺は、ギルドに併設された酒場で一番安い『クズ野菜のスープと硬いパン』を注文し、空腹ゲージを回復させた。
そして、そのままギルドの2階にある簡易宿泊所へ向かう。
個室ではない。大部屋に雑魚寝だ。
いびきはうるさいし、ダニはいそうだが、野宿よりはマシだ。
一泊銅貨5枚。格安である。
「嶺、あんた本当に迷いがないわね……」
後ろで見ていた愛姉ちゃんが、呆れたように呟く。
「生き残るためには効率重視だ。優さんも、今日はもう宿屋に泊まってログアウトした方がいいぞ。夜道は危険だ」
「は、はい。私も一番安い宿屋にします」
こうして、再スタートの初日は幕を閉じた。
◇
それからの一週間は、まさに修行僧のような日々だった。
朝一番に起きて依頼を受け、昨日の場所へ直行して薬草を採取。
その帰りに、石ころ片手にホーンラビットを探し回り、見つけ次第撲殺して素材を剥ぎ取る。
夕方にはギルドに戻り、換金して雑魚寝部屋へ。
このルーティンをひたすら繰り返した。
「愛先輩、嶺君、見てください! 私、棍棒を買いました!」
「お、いいな。リーチが短いから気をつけろよ」
隣の優さんも順調に成長しているようだ。彼女は安全策をとって薬草採取メインで稼いでいるらしい。
そして10日目。
俺の所持金は、ついに目標額に達した。
「おやじ、一番安い剣をくれ」
『おう、この使い古しの銅の剣なら銀貨15枚だ』
刃こぼれがあり、錆も浮いているが、立派な武器だ。
石ころとは殺傷能力が違う。
俺は震える手で購入ボタンを押した。
装備画面で、メインウェポンを『石ころ』から『銅の剣』に変更する。
攻撃力が一気に跳ね上がった。
「よし……これでやっと、スタートラインだ」
俺は画面の中のレイに剣を振らせてみた。
シュッ、という風切り音。悪くない。
さて、準備は整った。
王都周辺での小銭稼ぎは卒業だ。そろそろ次の街へ行商に出るべきだろう。
目指すは、王都の南に位置する港町ペンネ。
以前のプレイでも拠点にしていた、交易の玄関口だ。
「ここからペンネまでは、乗合馬車なら半日、徒歩なら丸一日ってところか」
マップを確認しながら思案する。
乗合馬車は安全で早いが、運賃がかかる。
今の俺の全財産は、剣を買ってしまったせいで雀の涙だ。
それに、馬車に乗っている間は何もできない。経験値も金も入らない。
「歩くか」
俺は決断した。
徒歩ならタダだ。それに、道中で魔物を狩れば、ペンネに着く頃には素材が溜まっているはずだ。
まさに一石二鳥。
俺は王都の門を出て、南へと続く街道を歩き出した。
だが、俺は一つ、重大なことを忘れていた。
このゲームが、無駄にリアル志向であることを。
『野生のホーンラビットが現れた!』
街道を外れて少し歩くと、早速カモが現れた。
銅の剣を持った今の俺に死角はない。
突っ込んでくるウサギを、剣の腹で受け流し、返す刀で一閃。
一撃だ。
石ころで何度も殴打していた頃とは効率が段違いだ。
「よし、一匹ゲット」
俺はホーンラビットの死骸を拾い上げた。
さて、これをどうするか。
ファンタジーゲームなら、ここで『アイテムボックスに収納』を選択して終わりだ。亜空間に無限に収納できる便利なあれだ。
しかし、俺のメニュー画面にそんな便利なコマンドはない。
あるのは『持つ』か『捨てる』かだ。
「……そういえば、アイテムバッグもまだ買えてないんだった」
アイテムバッグ。中身がたくさん入る魔法の鞄。
この世界には存在するが、高級品だ。一流の冒険者か大商人でなければ持っていない。
当然、Fランクの俺が持っているはずもない。
俺の手元にあるのは、安物の麻袋(容量小)と、荒縄だけだ。
「……やるしかないか」
俺はホーンラビットの足に荒縄をくくりつけた。
そして、それを腰のベルトに結びつける。
要するに、ぶら下げるのだ。
その後も順調に狩りは進み、さらに二匹のホーンラビットを仕留めた。
三匹とも荒縄で縛り、腰からぶら下げる。
さらに、麻袋には道端で摘んだ薬草がパンパンに詰まっている。
画面の中のレイは、酷い有様だった。
薄汚れた革鎧を着た男が、錆びた剣を背負い、腰からは血の滴るウサギの死骸を三つもぶら下げて、ズリズリと引き摺りながら街道を歩いているのだ。
地面には赤い線が続き、ハエがたかっているエフェクトまで見える。
「うわぁ……嶺、それ絵面が最悪よ」
愛姉ちゃんが顔をしかめた。
「仕方ないだろ! アイテムボックスがないんだから! これを持って歩くしかないんだよ!」
「でもさぁ、これファンタジーゲームでしょ? もうちょっとこう、魔法でポン!みたいなのないの?」
「ないんだよ! このゲームを作ったのは大学の経営学部と会計ソフトメーカーだぞ! 『物流コストと在庫管理の難しさを知れ』っていうメッセージなんだよ、きっと!」
俺は叫んだ。
誰だよ、こんな仕様にしたやつは。
アイテムボックスのスキル一つあれば、世界はもっと平和になるのに。
俺の悲痛な叫びをよそに、レイは重そうに死骸を引き摺りながら歩き続ける。
すれ違う馬車の乗客たちが、ギョッとした顔でこちらを見ている気がする。
NPCの視線までリアルに痛い。
「優さん、アドバイスだ。アイテムバッグを買うまでは、大きな獲物は狩るなよ。持ち運べなくて泣くことになるぞ」
「は、はい……肝に銘じます」
優さんは引きつった笑みを浮かべた。
日は高く昇り、じりじりと体力を奪っていく。
空腹ゲージが減り、スタミナも限界に近い。
それでも俺は歩みを止めない。
この三匹のウサギと薬草が、ペンネでの最初の活動資金になるのだ。
貧乏商人の旅立ちは、希望のファンファーレではなく、死骸を地面に引き摺るズリズリという音と共に始まった。
目指す港町ペンネまで、あと半日の距離。
俺は歯を食いしばり、マウスを握りしめた。
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