第3話 リア充イベントと受験戦争



【令和・平太家自室】


 季節は巡り、冬の気配が漂い始めた。

 あの『黒字倒産事件』から数ヶ月。俺、平太嶺(へいたれい)は、封印したPCの代わりに参考書と向き合う日々を送っていた。

 だが、俺の部屋は静寂とは無縁だった。


「はい、ここの英単語テスト、満点取れた人ー?」


「はーい!」


「……惜しい、一問ミス」


 先生役の愛姉(あいね)ちゃん、優等生の小田国優(おたくにゆう)さん、そして凡人の俺。

 この奇妙な勉強会は、俺がゲームを辞めた後も続いていた。

 理由は単純。愛姉ちゃんの機嫌がすこぶる良いからだ。


「いやー、あのレポートのおかげで簿記の成績が爆上がりよ! 先生に『君には商売の才能があるかもしれない』なんて言われちゃってさー!」


 愛姉ちゃんは上機嫌で、買ってきた高級ケーキの箱を開ける。

 俺の屍(ゲームオーバー)を礎に築かれた栄光だが、まあ、そのおかげでこうして美味しいケーキにありつけるなら悪い気はしない。


「嶺くん、このショートケーキ美味しいよ! あーんして」


「自分で食うよ! 優さんも見てるだろ!」


「ふふっ、仲良しですねぇ」


 優さんはニコニコしながら紅茶を啜っている。

 当初のよそよそしさはどこへやら、今ではすっかり俺たちの輪に馴染んでいた。

 ゲームの話こそしなくなったが、アニメやラノベの話題で盛り上がれる貴重な同志だ。


 それにしても、美少女二人に囲まれてお茶会とは。

 はたから見れば、これは紛れもないリア充イベントではないか。

 俺の人生、どこでフラグが立ったんだ?


【K市立進士中学校・グラウンド】


 だが、現実は甘くない。

 学校では、最後の大型イベントである運動会が迫っていた。

 クラスの雰囲気は浮足立ち、受験勉強のストレス発散とばかりに熱を帯びている。

 特に運動部の連中にとっては、最後の晴れ舞台だ。

 そして、そんな彼らにとって、俺は格好の標的だった。


「おい平太、もっと声出せよ! 気合足りねえぞ!」


「あ、すんません」


 騎馬戦の練習中、サッカー部の主将である大柄な男子生徒が、俺の背中をバシッと叩く。

 痛い。物理的にも精神的にも。

 最近、俺に対する風当たりが強い。

 理由は分かっている。優さんと仲良くしているからだ。

 クラスでも一、二を争う美少女である優さんと、地味でオタクな俺が、放課後一緒に帰ったりしているのが気に入らないらしい。


 特に、優さんを狙っていた野球部のエースなんかは、俺を見る目が完全に殺し屋のそれだ。


「あいつ、なんで小田国さんと……」


「勉強教えてもらってるらしいぜ」


「調子乗ってんじゃねえぞ、モブのくせに」


 陰口が聞こえる。

 いや、もはや陰口ですらない。堂々とした悪口だ。

 だが、俺は反論しない。

 あの理不尽なゲームで鍛えられたメンタルは、これくらいの逆風では折れないのだ。


 手形のサイト120日に比べれば、男子の嫉妬など可愛いものである。

 そして迎えた運動会当日。

 俺は「どうせ活躍できないし」と諦めの境地で参加したが、案の定、散々な目に遭った。


 棒倒しでは下敷きになり、リレーではバトンを落としそうになり、借り物競走では「友達がいない人」というお題を引いて絶望した。

 だが、唯一の救いは、優さんが応援してくれたことだ。


「嶺くん、頑張ってー!」


 彼女の黄色い声援が聞こえた瞬間、俺の足が少しだけ速くなった気がした。

 そして、その声援を聞いた男子たちの殺気が、さらに膨れ上がったことも感じた。

 結果、俺は満身創痍で運動会を終えた。


 順位? 聞くな。参加することに意義があるんだ。


【冬・平太家】


 運動会が終わり、季節は冬へ。

 学校中が受験一色に染まる中、俺たちの勉強会も佳境に入っていた。

 じいさんは相変わらず漁に出ていて不在だが、愛姉ちゃんがほぼ毎日入り浸っているので、寂しさを感じる暇もない。


「ここはこう! 過去問の傾向からして、今年は確率が出るわよ!」


「愛姉ちゃん、それヤマ勘だろ」


「女の勘よ! 信じる者は救われるの!」


 愛姉ちゃんの指導はスパルタだが、不思議と的を射ていることが多い。

 優さんもメキメキと成績を伸ばし、志望校であるF高校商業コースの合格圏内に入りつつあった。


 俺も『B』判定から『A』判定へとランクアップし、手応えを感じていた。

 そんなある日、学校でちょっとした事件が起きた。

 成績が伸び悩んでいる運動部の男子数名が、俺に絡んできたのだ。


「おい平太、お前カンニングしてねえよな?」


「は? してないけど」


「嘘つけ! お前みたいなオタクが急に点数上がるわけねえだろ!」


 胸倉を掴まれる。

 暴力沙汰はまずい。受験前だ。

 俺が抵抗せずにいると、そこに割って入ったのは優さんだった。


「やめてください! 平太くんは毎日頑張ってるんです!」


「うっせえ! お前は騙されてるんだよ!」


「騙されてなんかいません! 平太くんは……平太くんは、すごい努力家なんです!」


 優さんの剣幕に、男子たちはたじろいだ。

 普段はおっとりしている彼女が、これほど怒る姿を初めて見た。

 結局、教師が来てその場は収まったが、俺の心には温かいものが残った。

 守られるヒロインもいいが、守ってくれるヒロインも最高だ。


【正月・某有名神社】


 年が明け、いよいよ受験シーズン本番。

 愛姉ちゃんの提案で、俺たちは初詣に行くことになった。

 場所は、近県でも屈指の初詣スポットとして知られる某有名神社だ。

 元日の朝、神社は人でごった返していた。

 参道はすし詰め状態で、牛歩戦術のように少しずつしか進まない。


「うわぁ、すごい人……」


「これ、お参りまで何時間かかるんだ?」


「覚悟してたけど、ここまでとはねー」


 俺と優さんは単語帳を片手に待ち時間を有効活用しようとするが、愛姉ちゃんだけはキョロキョロと落ち着きがない。

 彼女にとって、これも一つのイベントなのだろう。


「あ、見て見て! あのお巡りさん、面白いこと言ってる!」


 愛姉ちゃんが指差した先には、ワンボックスタイプのパトカーの上に立ち、マイクを握る女性警察官の姿があった。

 DJポリスというやつだ。


『はい、そこのお兄さん、石段を走って登ってもご利益は変わりませんよー。むしろ転んで厄がついちゃいますからねー』


『焦らないでくださいねー。神様は逃げませんからー。あ、でもお賽銭は逃げないようにしっかり握っていてくださいねー』


 軽妙な語り口に、殺伐としていた参拝客たちの間に笑いが起きる。

 ピリピリした空気が和み、皆の顔が少しだけ優しくなる。

 すごいな。言葉一つで場の空気を変えてしまうなんて。

 俺は感心しながら、その様子を眺めていた。


 ゲームの中の商人たちも、こんな風に客の心を掴んでいたのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 五時間並んで、ようやくお参りを済ませた俺たちは、お守りを買って帰路についた。


 帰り道、優さんがポツリと言った。


「私、合格祈願じゃなくて、別のことお願いしちゃいました」


「え、何?」


「内緒です。……でも、叶うといいな」


 優さんは顔を赤らめて微笑んだ。

 その笑顔が、冬の寒空の下でやけに眩しく見えた。

 後日、学校で「平太が小田国と初詣デートしてたらしいぞ」という噂が広まり、俺は再び針のむしろに座らされることになったが、それもまた青春の一ページだろう。


 そう思えるくらいには、俺も図太くなっていた。


【春・合格発表】


 そして迎えた合格発表の日。

 俺と優さん、そして愛姉ちゃんは、状元学園F高校の掲示板の前に立っていた。

 心臓が早鐘を打つ。

 手汗が止まらない。


 あの黒字倒産の時よりも緊張しているかもしれない。


「……あった」


 俺の受験番号を見つけた。

 普通科合格者一覧の中に、確かに俺の番号があった。


「あった! 私もあったよ!」


 隣で優さんが歓声を上げる。

 商業科の合格者一覧に、彼女の番号もあった。


「やったー! 二人とも合格よー!」


 愛姉ちゃんが俺たち二人に抱きついてきた。

 三人で抱き合い、喜びを分かち合う。

 周りの目なんて気にならなかった。

 ただただ、嬉しかった。


「おめでとう、嶺くん、優ちゃん!」


「ありがとう、愛姉ちゃんのおかげだよ」


「ありがとうございます、愛先輩!」


 涙目で笑う優さんを見て、俺は思った。

 ああ、これが青春ってやつか。

 ゲームばかりしていた俺が、こんな充実感を味わえるなんて。

 オタクにあるまじきリア充ぶりだが、まあ、たまにはいいだろう。


 だが、この時の俺はまだ知らなかった。

 高校生活が始まれば、あの悪魔のゲームとの再会が待っていることを。

 そして、それが俺の人生をさらに狂わせていくことを。

 春の陽気の中、俺はただ純粋に、新しい生活への希望に胸を膨らませていたのだった。


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