第13話 星見のリオの呼び出し

 アリシアさんと共に夜の『囁きの森』へ向かい、月光花の群生地で死闘を繰り広げたあの日から、数日が経っていた。

 おばあさんの熱は無事に下がったようで、ギルドで顔を合わせたアリシアさんは、見違えるほど明るい笑顔を見せてくれた。俺が少し無理をして余分に採ってきた月光花も、ちゃんとお役に立てたらしい。

 俺自身も、あの夜に手に入れた新しいスキル『静寂の歩み』の感覚を確かめながら、アヤネと一緒に簡単な薬草採取の依頼をこなす、比較的穏やかな日々を送っていた。

 筋肉痛もすっかり引き、異世界での生活という異常な状況にも、俺の身体と心は図太く順応しつつある。さくら茶屋のまかないの味にもすっかり胃袋が掴まれ、朝起きればエルモアの街の喧騒が心地よいBGMのように聞こえるようになっていた。


 だが、そんな薄氷の上のような平和は、ある日の昼下がり、唐突に終わりを告げた。


 カランカラン、と。

 さくら茶屋の入り口のベルが、少し乱暴に鳴り響いた。

 昼のピークを過ぎ、店内に客はまばら。俺はカウンターの隅で、アヤネからこの世界の文字の読み方を教わっている最中だった。

 入ってきたのは、見慣れない少年だった。十代前半くらいだろうか、動きやすそうな革の軽鎧を着て、少し緊張した面持ちで店内を見回している。


「あの、ヒムロ・スイさんは……いらっしゃいますか?」


 少年の声は、静かな店内に妙に大きく響いた。

 俺は持っていた羽ペンを止め、椅子から立ち上がった。


「俺だけど。何か用ですか?」

「っ! あ、冒険者ギルドからの使いです! ギルドマスターの、星見のリオ様が、ヒムロさんを大至急お呼びです!」


 その瞬間。

 俺の全身から、サーッと血の気が引いていくのが分かった。

 足の先から冷水に浸かったような、強烈な悪寒。心臓が、ドクン、ドクンと嫌な音を立てて早鐘を打ち始める。


「星見の、リオさんが……俺を?」


 無意識のうちに、声が上ずっていた。

 ギルドマスター。エルモアの街の冒険者たちを束ねるトップであり、あの眼帯をした長身の女性。

 一介の初心者冒険者にすぎない俺が、直々に呼び出される理由。

 そんなものは、一つしか思い浮かばなかった。


(……バレたのか?)


 俺の、戦闘の異常性が。

 エルモアに来る前、あの火山地帯から続く森で、ゴブリンの群れをたった一人で全滅させたこと。

 月光花の森で、レベル差が倍以上ある月光ウルフの群れを、あり得ないスキルの連続使用で撃退したこと。

 もしや、敵の命を奪い、その能力を強制的に己のシステムに組み込む『黒鷲の簒牙』という忌まわしいジョブの正体まで知られたのか?


 もしそうだとしたら、俺はどうなる?

 危険な化け物として処刑されるのか。それとも、どこかの組織に捕らえられて、一生実験台として扱われるのか。

 最悪の想像ばかりが、次々と脳内を駆け巡る。手のひらに、じっとりと冷たい汗が滲んだ。


「スイさん……?」


 隣でアヤネが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。俺の顔面は、きっと今、ひどく青ざめているはずだ。


「あ、いや……なんでもない。すぐ行くよ」


 俺が少年に向かって引きつった笑みを向けると、厨房の奥から、サクラさんがゆっくりと歩み出てきた。

 彼女はカウンター越しに俺の顔をじっと見つめ、それから、いつものような穏やかで、全てを見透かしているかのような深い微笑みを浮かべた。


「……行ってらっしゃい、スイ。心配しなくていいわよ」

「サクラさん……」

「あの人は、信用していいわ。変なふうにはならないから、安心して話してきなさい」


 サクラさんの言葉には、不思議な力があった。

 俺を売るような目じゃない。俺を陥れようとする人間の目じゃない。

 彼女がそう言うのなら、少しだけ信じてみようと思えた。


「……はい。行ってきます」


 俺は小さく頷き、アヤネの「気をつけてねー!」という明るい声に見送られながら、使いの少年と共にさくら茶屋を後にした。



     ◆ ◆ ◆



 冒険者ギルドへの道のりは、いつもの数倍長く感じられた。

 眩しい太陽の光も、行き交う人々の活気ある声も、今の俺には全く届かない。ただ自分の革靴が石畳を叩く音だけが、不気味に耳に響いていた。


 ギルドに到着すると、使いの少年は俺をホールの奥にある階段へと案内した。

 普段、俺たちのような下位の冒険者が立ち入ることのない二階エリア。分厚い絨毯が敷かれた静かな廊下を進み、一番奥にある重厚な両開きの扉の前で、少年は立ち止まった。


「こちらです。失礼します」


 少年が軽く頭を下げて立ち去り、俺は一人、その扉の前に取り残された。

 唾を飲み込む。喉がカラカラに乾いている。

 コンコン、と。震える手で二度、扉をノックした。


「入れ」


 中から、低くよく通る女性の声が響いた。

 俺はドアノブを握り、ゆっくりと扉を押し開けた。


 ギルマス執務室。

 壁際には天井まで届く巨大な本棚が立ち並び、無数の書類や羊皮紙が山積みになっている。部屋の奥の大きなマホガニーのデスクには誰も座っておらず、代わりに、部屋の隅にある応接用のソファで、星見のリオが一人で優雅にお茶を飲んでいた。


 長い藍色のポニーテール。右目を覆う黒い眼帯。

 軽鎧ではなく、今日は少しラフなシャツに黒いスラックスという出で立ちだが、そこから発せられる威圧感は、ギルドのホールで見かけた時と全く変わっていなかった。

 彼女の残された左目が、俺を真っ直ぐに射抜く。


「来たな。……まあ、そこに座って」


 リオさんが顎で向かいのソファをしゃくる。

 俺はガチガチに緊張したまま、言われた通りにソファの端に浅く腰を下ろした。


「紅茶でいいか?」

「あ、はい……いただきます」


 リオさんがティーポットから紅茶を注ぎ、俺の前にカップをコトリと置く。湯気と共に、華やかな花の香りが漂った。

 しかし、俺にはそれを味わう余裕など一ミリもない。

 沈黙が痛い。部屋の空気が、まるで水の中にいるように重く感じられる。


「……さて」


 カップをソーサーに戻し、リオさんは腕を組んで深くソファに背を預けた。

 彼女の鋭い左目が、俺の全身を品定めするように舐め回す。


「単刀直入に聞く。あんた、ただの『レベル10』じゃないだろ」


 ビクッ、と俺の肩が跳ねた。


「ゴブリンの群れを全滅させた件はまあいい。あれは火事場の馬鹿力と運が重なったと判断した。だが……この前、ギルドのホールでちょっとした喧嘩騒ぎがあっただろ」


 リオさんの言葉に、俺は息を呑んだ。

 あの日。俺がアリシアさんをかばって、チンピラみたいな冒険者の前に立った時のことだ。


「あの時、私は二階からあんたの動きを見ていた。ただの初心者の動きじゃなかった。重心の置き方も、威圧感も、どう見ても見習い剣士のものじゃなかった。あれだけでも十分に異常だったが……極めつけは、昨日の月光ウルフの件だ」


 リオの声は、淡々としているがゆえに、逃げ場のない刃のように俺の喉元に突きつけられているようだった。


「アリシアからの報告も聞いた。レベル20前後の賢い狼四匹を相手に、レベル10そこそこの剣士が、かすり傷一つ負わずに三匹を仕留めて生還した。報告によれば、あり得ない跳躍力を見せたかと思えば、次は腕力だけで狼の背骨を砕き、さらには音波の衝撃や、精神に直接作用するような威圧まで使ったというじゃないか」


 冷や汗が、背中を伝い落ちる。

 アリシアさんには悪気はない。ギルドの報告義務として、戦闘の状況を正確に伝えただけだ。


「あんたの力は、どう考えても歪だ。一つの系統を極めた魔法使いや剣士ならともかく、そんなバラバラな能力を、たったレベル10で使えるはずがない。まるで、別々のスキルを無理やり一つの身体に貼り合わせているみたいだ。……あんた、ギルドの登録カードには『見習い剣士』と書いているが、本当のジョブは何だ?」


 息が止まりそうだった。

 心臓の音がうるさくて、自分の声がちゃんと出せるかどうかもわからない。

 言えるわけがない。

 俺のジョブは『黒鷲の簒牙』です、なんて。


「……『見習い剣士』、です」


 俺は、膝の上でギュッと拳を握りしめ、自分でも驚くほど掠れた声で嘘をついた。

 絶対に目を逸らしちゃいけない。逸らしたら、全てが終わるような気がした。俺は、リオさんの鋭い隻眼を真っ直ぐに見返した。


 数秒間、重苦しい沈黙が部屋を支配した。

 リオさんの左目が細められ、俺の嘘を一枚一枚ひっぺがすように探ってくる。彼女はまだ俺の本当の能力を知らない。ただ、明確な『異常』を感じ取って問い詰めているだけだ。

 俺は奥歯を噛み締め、必死にその視線に耐えた。


「……そう」


 不意に、リオはフッと息を吐き、組んでいた腕を解いた。


「まあいい。あんたにも、言えない事情の一つや二つあるんだろう。今日はそれ以上は詰めない」

「……え?」


 予想外の言葉に、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。

 追及は終わり? ギルドマスターとしての権力を使えば、俺に無理やり口を割らせることなんていくらでもできるはずなのに。


「それより、話を変えるぞ」


 リオさんは再び紅茶のカップを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。

 そして、俺の脳天をかち割るような、とんでもない爆弾を平然と投下した。


「あんたの話、少しだけサクラから聞いた。……あんた、別の世界から来たそうだな」


 ガタンッ!

 俺は思わず立ち上がりかけ、膝をテーブルに強くぶつけた。

 痛みを気にする余裕なんてない。目の前が真っ白になった。


「な……っ!? なんで……」


 頭が混乱する。

 サクラさんが、喋った?

 俺が地球から来た異邦人だという最大の秘密を?

 あんなに「誰にも言わない」って約束してくれたのに。俺がどれだけ怯えていたか、知っているはずなのに!

 裏切られた。そんな絶望感が、急速に俺の胸を黒く染め上げていく。


「おいおい、そんな顔をするな。落ち着いて座れ」


 パニックに陥りかけた俺を、リオの低く落ち着いた声が制した。


「心配するな。この話を知っているのは、私とサクラだけだ。ギルドの他の連中にも、お偉方にも、誰にも他言しない。サクラも、あんたを裏切って私に話したわけじゃない。むしろ逆だ」

「……逆、ですか?」


 俺は混乱したまま、ゆっくりとソファに座り直した。


「あいつは、あんたを守るために私に話したんだよ」


 リオさんは小さく息をつき、窓の外、エルモアの街並みに目を向けた。


「エルモアの街は、平和に見えるが、裏では色々な思惑が渦巻いている。あんたみたいに、正体不明で異常な力を持ったガキがフラフラしていれば、いずれ目をつけられる。だからサクラは、私にだけあんたの素性を明かして、『この子を庇護下に置いてやってくれ』と頭を下げてきたんだ」


 サクラさんが、俺のために頭を。

 その事実を知り、俺の胸の奥で暴れ回っていた黒い感情が、スーッと嘘のように引いていくのを感じた。

 彼女は、俺を売ったんじゃない。俺がこの理不尽な世界で生き延びられるように、最も権力のあるギルドマスターを味方につけてくれようとしたのだ。


「私とサクラは、腐れ縁みたいなものでね。昔から色々と世話になってるんだ。あの人がそこまで言うなら、私も無下にはできない。……それに」


 リオさんは再び俺に向き直り、その左目で俺を静かに見つめた。


「あんたを見てると、どうにも放っておけない気分になる」

「俺を見てると……?」

「ああ」


 リオさんは自らの右目を覆う黒い眼帯を、指先でそっとなぞった。


「私はね。昔、『銀翼の盟約』っていうクランにいたの」


 銀翼の盟約。

 どこかのゲームのギルド名みたいな響きだったが、リオさんの口から出たその言葉には、血と泥にまみれた重い実感がこもっていた。


「二十五歳の時だった。当時は、ギルド本部から『SSS級候補』なんて持ち上げられて、自分は無敵だと本気で思い上がってた。どんな化け物だって、私の剣で切り伏せられるってな」


 リオさんの口調は淡々としていたが、その奥には、癒えることのない深い後悔と痛みがドロドロと渦巻いているのが、俺にもはっきりと伝わってきた。


「だけど、ある特殊な依頼での戦闘で……私は全てを失った」


 彼女の左目が、空虚な空間を彷徨う。


「想定外の強さを持った化け物だった。私の指示ミスと、慢心。結果として、私はこの右目と、パーティーの仲間の半数を永遠に失った。生き残った仲間たちも、二度と剣を握れない身体になった奴ばかりだ。……私は逃げるようにギルドの第一線を退いて、このエルモアの街に流れ着いた。負け犬の、末路ってやつさ」


 圧倒的な、敗北の経験。

 俺みたいな、まだこの世界に来て数日しか経っていないガキには想像もつかないような、血と泥にまみれた壮絶な過去が、彼女の言葉の端々に重くのしかかっていた。


「だからね、ヒムロ。あんたがあのギルドのホールで、必死に剣を振るっているのを見た時……『昔の私にはなかったもの』を持ってると思ったの」

「……え?」

「私はあの頃、恐怖なんて知らなかった。自分が最強だと驕り高ぶって、死ぬことなんて考えもしなかった。そのせいで、一番大切な仲間たちを死なせたのよ」


 リオさんの左目が、静かに俺の顔を見つめていた。


「でも、あんたは違う。震えてて、恐怖で今にも逃げ出しそうな顔をしてるのに、それでも、背中にある誰かを守ろうとして、自分の理解を超えた異常な力に振り回されながらも、必死に前に出た」

「……俺、そんな立派な人間じゃないです」


 俺は俯き、両手を強く握りしめた。


「いつも死ぬのが怖くて、足が震えてて、逃げ出したいって思ってます。誰かを守るなんて、そんな大層な覚悟なんてなくて……ただ、目の前で人が死ぬのが、嫌だっただけで……」


 ゴブリンを殺した時も、狼を殺した時も、俺の心の中は醜い感情でいっぱいだった。「自分が死にたくない」という恐怖と、「もう傷つきたくない」というエゴ。

 俺は、決してヒーローなんかじゃない。


「知ってるよ」


 リオさんの声は、驚くほど優しかった。

 顔を上げると、彼女は俺を真っ直ぐに見つめ、微かに微笑んでいた。


「あんたが本当は臆病で、強くなんかないことくらい、最初から分かってる。……でもな、スイ。あんたは強いんじゃなくて、『強くあろうとしている』んだよ」


 強く、あろうとしている。

 その言葉が、俺の胸の奥の一番柔らかい部分に、ストンと落ちてきた。


「恐怖に震えながらでも、逃げ出さずに剣を握った。自分が傷つくことを恐れながらでも、後ろにいる誰かを守ろうとして前に出た。それは、生まれ持った『強さ』なんかよりも、ずっと価値のあるもんだ」


 リオさんは身を乗り出し、俺の目をしっかりと見据えた。


「私は、そういう奴を応援したい。……私みたいに、取り返しのつかない失敗をして後悔する前に、あんたがちゃんと自分の足で立てるように、少しだけ手を貸してやりたいんだ」


 目頭が、少しだけ熱くなった。

 この世界に来て、こんな風に俺自身の内面を、俺の泥臭い足掻きを肯定してくれた大人は、初めてだった。

 サクラさんの温かさとはまた違う、同じ『戦場』を知る者としての、厳しいけれど確かな愛情。


「……ありがとうございます」


 俺は、深く頭を下げた。

 心の中に渦巻いていた警戒心や恐怖が、嘘のように溶けて消えていくのを感じた。


「よし、しんみりした話はここまでだ」


 リオさんは机の引き出しを開け、一枚の大きな羊皮紙の地図を広げた。

 そこには、エルモアの街とその周辺の森、山脈などが詳細に書き込まれていた。

 その中の一箇所、南の深い森の奥に、赤いインクで大きなバツ印がつけられている。


「近々、この街で大規模な討伐依頼を出すわ。……ターゲットは、南の洞窟に巣食った『ゴブリン・ロード』よ」

「ゴブリン……ロード」


 ただのゴブリンじゃない。その上位種、いや、王を意味する言葉。


「レベルは50。配下のゴブリン数百匹を統率し、すでに近隣の村をいくつか壊滅させている。ギルドの総力を挙げて叩き潰すわ。推奨ランクはC以上、エルモアにいるCランク、Dランクのベテランたちを総動員する」

「レベル50……」


 俺は息を呑んだ。

 ワイルドベアがレベル22で、あの絶望的なプレッシャーだった。レベル50なんて、想像もつかない化け物だ。


「その大規模討伐に……あんた、連れて行くわよ」

「はあ!?」


 俺は思わずソファから腰を浮かせた。


「いやいやいや! おかしいでしょ! 俺、ついさっきEランクになったばっかりのレベル10ですよ!? 推奨Cランクって言いましたよね!?」

「ええ。正式なメンバーとして入れれば、他の冒険者から不満が出る。だから、私が個人的に引率する『見学枠』として連れて行く」

「見学って……なんで俺なんかを」

「あんたのレベルを、一気に引き上げるためよ」


 リオさんは地図を指差しながら、淡々と説明を続ける。


「この世界のシステムには、ある程度の法則がある。あんたのレベルは今10だけど、今のままのペースで薬草採りや森の浅い場所の魔物狩りをしていても、いずれ確実に伸び悩むわ」

「伸び悩む?」

「ええ。レベル20が一つの大きな壁なの。それを超えると、格下の魔物を倒しても経験値の効率がガクンと落ちる。だから、レベル20に到達するまでに、なるべく多くの『強い敵』を踏み台にして、一気に経験値を吸い上げておく必要があるのよ」


 俺は唖然としてリオさんを見つめた。


「ちょっと待ってください。それじゃあ、俺にそのレベル50の化け物を倒せって言うんですか?」

「馬鹿ね、あんた一人で勝てるわけないでしょ。主力はCランクの連中よ。あんたは、そのおこぼれを貰えばいい。……それにね」


 リオさんは、意味深な笑みを浮かべた。


「スイ。冒険者にとって、レベル20ってのは特別な節目なんだよ」

「節目……ですか?」

「ああ。この世界じゃ、レベルが20を超えると、人間の『器』が一段階広がると言われている。魔力の許容量が増えたり、より多くの技術をその身に宿せるようになるんだ。……あんたのその『歪な力』のキャパシティも、20を超えればきっと何かしらの変化が起きるはずだ」


 器が、広がる?


(俺の黒鷲の簒牙に……何かしらの変化が起きるってことか?)


 それが何を意味するのか、今の俺には分からない。自分がさらに『化け物の力』に近づいていくような気がして、少しだけ薄ら寒いものを感じた。


「どんな風に変わるかは、その時のお楽しみだ。期待して待ってろ」


 リオさんは俺の内心の不安には気づかず、ただ冒険者の先輩として、ニヤリと笑ってみせた。


「さて、本題はここからだ。よく聞け、スイ」


 リオさんの表情が、再びギルドマスターとしての厳しいものに戻った。

 彼女は広げた地図の上で、ゴブリンの群れの配置を指でなぞるように説明を始めた。


「いい? ロード級は、知能を持った人型のモンスターよ。ただの獣とは違う。さらに、報告によれば呪術を使うシャーマンが3体、ロードの周囲を固めている」


 リオさんは、俺の目を真っ直ぐに見据えて、厳しい声で告げた。


「あんたがどうやってその異常な力を引き出しているのか、具体的な方法はあえて聞かない。だけど、どんな力にも『限界』や『代償』があるはずよ。すべてを抱え込んだまま、無傷で勝てるような甘い戦場じゃない」

「……」

「本物の死闘の中では、何かを捨てなきゃいけない瞬間が必ず来る。自分の戦術、武器、あるいは無駄なプライド。……生き残るために、今のうちから頭を回して考えておきなさい。自分が何を切り捨てて、何を選ぶのか。戦場では、迷う時間は一秒もないわよ」


 リオさんの言葉は、一般論としての戦闘の心構えだったのだろう。

 だが、俺の胸には、それ以上の重さを持って突き刺さった。


 満杯になった俺のスキル枠。

 次に強い力を得ようとした時、俺は自分が抱え込んだ化け物の力のうち、『どれかを捨てなければならない』。

 まるで俺の抱えている葛藤を完全に見透かしているかのような彼女の言葉に、俺は乾いた唇を舐め、ゆっくりと頷いた。


「……わかりました。覚悟して、準備しておきます」

「よろしい。出発は三日後よ。サクラとアヤネには、適当に理由をでっち上げておきなさい」


 リオさんはそう言って、再び地図を丸め始めた。

 それが、退出の合図だった。



     ◆ ◆ ◆



 ギルドを出た時、エルモアの街はすでに深い夕闇に包まれていた。

 赤と青の二つの太陽はすっかり地平線の下に隠れ、代わりに冷たい風が、火照った俺の頬を撫でていく。

 大通りには魔法の灯りがぽつぽつと灯り始め、仕事終わりの冒険者たちが酒場へと吸い込まれていく活気ある声が響いている。


「……ふぅっ」


 歩きながら、俺は大きく息を吐き出した。

 サクラさんに俺の素性がバレていたことには驚いた。

 でも、不思議なことに、絶望感はなかった。

 むしろ、ずっと背負い込んでいた重い鉛の塊が、少しだけ軽くなったような、奇妙な安堵感が胸の中に広がっていた。

 俺が異邦人だと知ってもなお、俺を化け物扱いせず、守ろうとしてくれる人がいる。

 俺の異常性を疑いながらも、「強くあろうとしている」と、俺の泥臭い足掻きを肯定して、背中を押してくれる大人がいる。


「……何を取って、何を捨てるか、ね」


 夜空を見上げながら、ポツリと呟く。

 近いうちに、俺はゴブリン・ロードという恐ろしい化け物と戦うことになる。

 怖い。死ぬのは怖いし、スキルを取捨選択して、自分がどんどん人間からかけ離れた存在になっていくのも怖い。


 でも、俺には帰る場所がある。

 サクラさんがいて、アヤネがいて、アリシアさんがいて、そして、厳しいけれど俺を導いてくれるリオさんがいる。

 地球の日常は遠くなってしまったけれど、俺の『居場所』は、この異世界に、確かにまた一つ増えたのだ。


 俺は深く、冷たい夜の空気を肺いっぱいに吸い込み、さくら茶屋へ続く緩やかな坂道を、少しだけ力強い足取りで登り始めた。

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