第6話

 数十秒後。

 手についた血を払いながら、彼女が部屋に帰ってくる。


「……何をしているの?」


「せめてもの供養です」


 九十九は力なく倒れている剣持を抱き抱え、彼をベッドに寝かせて布団を被せた。


 ……手を合わせて黙祷を捧げる九十九を、彼女は不思議な物を見る目で観察していた。


「……お待たせしました。まずは、助けていただいてありがとうございます」


「ええ。助けられたのだから、馬車馬の如く働きなさい」


「……。盾になれ、というのは?」


「それ以上でもそれ以下でもないわ。私を守り、私のために死ぬ肉壁になりなさい」


「……。それは、協力関係になる、という認識でよろしいでしょうか?」


「いいえ? 服従関係と言った方が正しいわね。命を救われた相手に何かを求めるほど、あなたは厚かましい人間なのかしら?」


 ……おっと。

 笑顔で固まる九十九に、彼女も笑顔を返す。

 前言撤回しよう。彼女はヴィーナスなどではない。氷の刃のような美貌で恐怖と死を操る、まるでメデューサだ。

 しかし、事実彼女がいなかったら、僕は今頃狼の腹の中だ。恩を返さないほど不義理ではないし、この提案は僕にもメリットがある。


「早く決めてくれないかしら? 時間切れで死んだら責任取ってくれるの?」


 彼女のあの馬鹿力があれば、ゲームクリアも容易になる。断る選択肢はない。

 九十九はできるだけ自然に微笑みながら、手を差し出した。


「分かった。立派な肉壁になれるよう、努力するよ」


「ふふっ、嫌味ったらしい男ね。イラついて殴ってしまわないか心配だわ」


「ははっ、是非手加減してくれると助かる」


 握手はしてくれない感じね。

 手を引っ込めた九十九を、彼女は鼻で笑う。


「……あなたの笑顔、人に媚びる豚の臭いがするわ。今までもこれからも、そうやって人の目だけ気にして生きていくのね。とても良い生き方だと思うわよ?」


「……痛いところ突いてくるなぁ」


「不快だから、私の前では二度と笑わないでちょうだい」


「え、僕のこと嫌いなの?」


「嫌いよ」


「衝撃の事実」


 九十九は狼の死体から包丁を引き抜き、血を拭う。

 ……剣持さん、使わせてもらいます。

 心の中で彼と最後の挨拶を交わし、壁にめり込んでいたダンベルを抜き取った。

 おっも、あの人こんなの振り回していたのか。

 ……ダメだ、思い出すと泣きそうになる。

 九十九は武器を両手に、割れた窓から遠くを眺めていた彼女に並ぶ。


「名前を聞いても?」


「人の名前を聞くなら、まず自分から名乗るべきじゃないかしら?」


「武士かよ」


「何か言った?」


「いいえ? 九十九 依絆と申します。以後お見知りおきを」


黒月 妃永くろつき ひな。お見知りおかなくて結構よ」


「忘れたくても忘れられないでしょうね」


れないでくれる?」


「勿論トラウマです」


 黒月は靡く黒髪を耳にかけ、遠方を指差す。

 ちょうどそこから砂煙が打ち上がった。


「あそこに向かうわよ」


「は? いやいや、騒ぎは避けた方が良いでしょ。何でわざわざ危険な場所に」


「バカなの? それ、スライドしてみなさい」


 九十九が腕のデバイスをスライドすると、画面が切り替わる。

 人喰い鼠 :1pt 

 一角兎 :5p 

 フェンリル:10pt 


 スクロールすると、他にも魔獣のシルエットとポイントがズラリと並んでいる。

 ……なるほどね。ゲームのクリア条件は脱出だけど、魔獣を倒すごとにポイントが貰えると。

 換金率は……1ptで一万円? あのモンスター鼠一匹倒して一万円しか貰えないのかよ⁉︎ もっとくれても良いだろ!


「結構渋いし、無駄な争いは避けるべきだとお」


「あなたに拒否権はないのよ」


「……へ?」


 突然尻を蹴られ、窓の外へと突き飛ばされる。

 ……おい、待て、ここ五階、は⁉︎


 黒月の浮かべる良い笑顔が、ゆっくりと遠ざかっていく。

 九十九の額から、今日一番の冷や汗が噴き出した。


「ッなにしてんだお前ぇええええ⁉︎」


「あははっ」


 空を舞った二つの背中が、血生臭い街に大きな影を落とした。

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