第5話

 怒り噛みつき吠えまくっている狼を内側から観察しながら、驚きすぎて逆に冷静になってしまった頭を回す。


 このバリア的何かが、僕の異能なのか?

 であれば操作はオートかマニュアルか。

 そもそも操作できるのか?

 反撃は、無理そうだな。

 包丁は目に刺さったままだし、武器ないし、これ攻撃力なさそうだし、


 ……よし、逃げよう。


 即座に立ち上がり走り出そうとした九十九を、しかし狼達が逃す筈もなし。

 助走をつけた一匹が狙いを定め、鉄扉を吹っ飛ばす体当たりを彼の背中にかました。


「グルァッ‼︎」


「ぬぁっ⁉︎ おっ、と」


 しかし九十九はバヨンッボゥンと壁と天井にバウンドし、床に転がる。当然、無傷。


「……ガルゥ、ッアオォオオン!」「ルォオオオオン!」「アオォオオン!」


 いける! これなら生き延びられる!

 九十九は降って湧いた勝機に口角を上げ、玄関へ向けて全力疾走。外に飛び出そうとした直後、


「ガウゥッ‼︎」「グルルァッ‼︎」「バウッバウッ‼︎」「ギャギャンギャンッ‼︎」「ヴァン‼︎」


「ッま⁉︎ ッたかよ⁉︎」


 雪崩れ込んできた五匹の狼に吹っ飛ばされ、再び部屋に逆戻り。

 メチャクチャに噛みつかれ、揉みくちゃにされ、振り回される最中、九十九の耳が、ブチブチッという嫌な音を拾う。

 それだけで察した。

 このバリアには、ダメージを許容できる限界値があるんだ。どうするッ、どうする⁉︎


 その時、目の回る視界の端で、九十九はある物を捉えた。

 必死に手を伸ばす彼に呼応して、球体から触腕が伸び、――掴む。


「邪魔ッくさい‼︎」

「ギャヴ⁉︎」


 瞬間、振り上げられたダンベルが、遠心力そのまま狼の頭を叩き潰した。

 そこから始まるのは、最早美しさの欠片もない、命と命のぶつかり合い。

 合理も信念もかなぐり捨てた、本能と本能の殺し合い。

 噛みつかれ引きちぎられ吹っ飛ばされ、叩き潰し振り回し叩き壊す。

 十畳間で行われる血みどろの決戦は、しかし唐突に終わりを告げる。


 振り回していた触腕を噛みちぎられ、ダンベルが吹っ飛んで壁に突き刺さった。


 ッマズい⁉︎

 九十九がそう感じた時には、既に数多の牙が迫っていた。

 一斉にゲルを噛みちぎられ、九十九の首が露出する。

 そこへ飛び込む片目の狼。


 本日二度目の死を覚悟し、


「ッアアアアア‼︎」


 九十九はヤケクソで拳を振り抜いた。

 ――瞬間、轟音。

 床に亀裂が走り、片目の狼がブッ飛び、他の狼の死体を巻き込んで壁に衝突。ピクリとも動かなくなった。


「……」


 粉塵が舞う室内を、困惑の沈黙が流れる。


 拳を振り抜いた体勢のまま、九十九はゆっくりと視線を動かす。

 ……僕じゃない。

 いきなり窓から飛び込んできたのだ。



 この、女性が。



「良い異能ね。私の盾になりなさい」



「……は?」


 いきなり現れた女性を、九十九は唖然と見つめる。

 吸い込まれるような、濡羽色の長髪。

 強い意志を感じさせる、黒真珠のような瞳。

 雪原の如く滑らかな、白磁の肌。

 花開く前の蕾のように柔らかく、しっとりと閉ざされた唇。

 美しいという言葉は、この人のために作られたのかもしれない。

 彼女の前では、ミロのヴィーナスですら霞むだろう。


 長袖のインナーとスポーツウェアを着ているのを見るに、自分と同じプレイヤー。

 お礼を言おうと九十九が口を開こうとしたその時、待ってくれていた狼一匹が、痺れを切らして彼女に飛びかかった。

 っマズい!

 言われた通り盾になろうとした九十九は、


「お座り」

「ギャビュ⁉︎」


「ッ⁉︎ ……」


 しかし彼女の振り下ろした拳を見て、足を止めてしまう。

 一撃で床に殴り落とされた狼の脳天は、あまりの威力に陥没してしまっていた。


 肘から先を染めるドス黒い赤は、デザインではなく恐らく返り血。

 何より、後ずさる残りの狼を見れば分かる。

 ……この場で最も強いのは、彼女だ。


「……ポイントが逃げる」


 その一言を皮切りに、始まる虐殺。

 我先に逃げようとする狼を蹴り飛ばし壁に穴を開ける彼女を目に、九十九は壁にもたれ、そのまま床に腰を下ろす。


 彼の脱力に呼応するように、ゲル物質も空気に溶けて消えてしまった。

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