第4話

 九十九はシーツで包丁を拭きながら、獣の声に混じって聞こえてくる雑音や人間の悲鳴に耳を澄ます。


「……ゲームのクリア条件は、街からの脱出。この敷地面積の中から、それも獣を倒しながら出口を見つけるとなると、約六時間のタイムリミットも心許ない。だからまずすべきは、」


「仲間集めか」


「うん。でも現状の僕の能力的に、外に出たら普通に囲まれて殺されると思う。だから探索範囲はこのホテル内にしたい。

 響いてくる音的に、たぶんまだ数人戦っていると思うし。僕自身ここで籠っているよりも、戦った方が異能に目覚めそうだしね」


「確かにな。俺も鼠と殴り合っている時に覚醒したし」


「その上で一時間経過したら、異能が覚醒したしていないに関わらず、探索範囲を外に広げよう」


「いいのか?」


 心配気な剣持に、九十九は強く頷く。


「全員が同じ手術を受けているなら、覚醒できないのは僕の問題だ。それで貴重な時間を浪費するのは、誰のためにもならないから」


「漢だなぁお前。……ハッ。良いね、乗った」


 ニヤリと笑った剣持が、九十九の肩に腕を回す。


「なぁ九十九、俺ぁお前と組めて良かったぜ」


「な、何だよいきなり」


 照れる九十九を、剣持は笑う。


「お前と一緒にいれば、生き残れそうな気がするわ」


「何言ってんのさ。僕は剣持に守られる気満々だからね?」


「ダハハッ 正直だな!」


 爆笑する剣持に釣られて笑いながら、九十九はドアスコープを覗き、耳をつけて外の音を聞く。

 彼の唇に人差し指を当てるジェスチャーに、剣持も口の前でバッテンを作った。


「……ちょっと近くに多いから、もう少し待とう。戦っている人には悪いけど」


「何言ってんだ。死んだら元も子もねぇからな。俺らの命が最優先だろ?」


「だね」


 九十九は音が漏れないようにドアから離れ、ベッドに腰掛ける。

 剣持は窓の外を監視するため、カーテンの影に椅子を置いて腰を下ろした。


「そういや九十九、お前趣味とかあんの?」


「え? 何で今そんなこと」


「バッカお前、今だからこそだよ。ずっと気ぃ張ってちゃ疲れちまうだろ?」


 確かに、一理あるな。流石剣持だ。


「趣味……、深夜散歩かな。親に黙って歌舞伎町とか行くの好きだよ」


「マっジかよ⁉︎ じゃあ今度良いとこ案内してやるよ! ボンキュッボンだらけだぜ?」


 なぜ初対面の彼に、自分の一番の秘密を打ち明けてしまったのか? 僕にも分からなかった。それでも否定しないでくれて、同じ場所から笑ってくれる彼の存在が、僕にはとても心地良かった。


「剣持は?」


「俺は筋トレだな。九十九も案外タッパあるし、鍛えてんだろ? 身長いくつよ?」


「百七十五㎝だったかな。それに鍛えているわけじゃないよ。ジムも全然行けてないし」


「おおやっぱり! どこのプロテイン使ってんだ? どこのジム行ってんだ?」


「ちょっ、暑苦しっ」


 トレーニーはこうやって話題を作るのか? 会話の仕方まで脳筋だな。


「好きな食い物は?」


「カレーかな」


「CaCa壱のパリチキカレー食ったことあっか? あれバカうめぇぜ?」


「当然知ってるよ」


「俺のダチの特技がカレーの早飲みでよぉ。九十九の特技は?」


「……勉強?」


「ブハッ、やっぱまじめちゃんじゃねぇか! 俺筋トレ」


「特技じゃないでしょそれ。……はぁ、そろそろ行こうか」


「あいよ」


 間延びした返事を背中に聞き、九十九の頬も自然と緩んでしまう。

 彼の言う通り、こういう時こそ雑談はした方が良いのかもしれない。

 何だか癪だが、おかげで少し気が――



 ――グァシャァァアンッッ‼︎



「――っガ⁉︎ ぐっ」


 鋭い破裂音と共に、九十九の背中が蹴り飛ばされる。

 弾け飛んだ無数のガラス片を全身に浴びながら、九十九は勢いよく倒れ込んだ。

 な、何が起きた⁉︎

 理解の追いつかない頭をゆっくりと上げ、後ろを振り返る。


「いつつ。大丈夫剣も……ち…………ぇ?」


 ……振り返った体勢のまま、九十九の全身が硬直する。


 充血した双眸。灰色の体毛。


 ……眼前の光景を受け入れることを、脳が拒んでいる。


 荒い息遣い。鼻を突く獣臭。


 ……身の毛もよだつほどの殺意を向けられて、強制的に現実に引き戻される。


 ソレは獰猛な牙を剥き出し、低く唸っていた。

 ソレは涎を垂らし、むせ返るほどの血の臭いを放っていた。


「……グルルルル」「ゥルルルルッ」


 ほぼ自分と変わらない大きさの巨狼を前にして、しかし九十九の目は別の場所を見ていた。


 狼の一匹に咥えられ、ダラリと力無く垂れ下がった彼。

 ……剣持は首に噛みつかれたまま、虚な瞳で九十九を見つめていた。


「……に……げ、ぉ。……く、もゴプッ」


「ぁ、」


 鈍い音が響き、剣持の瞳から光が消える。

 大量に零れ出た彼の命が、ビチャビチャと床に落ちて九十九の頬に跳ねた。


 ……いや、え? ここ何階だと思って、は? 何で、僕を庇って、何で、蹴られて、僕は助かって……。

 九十九は恐怖で奥歯を鳴らしながら、もう喋ってはくれない彼に問い続ける。

 今の今まで笑っていたのに、まだ始まってすらいないのに。良いとこ連れてってくれるって、言っていたのに。


「グルルルッ?」


「っ、くぅッ」


 歯を食いしばった九十九は、狼に背を向けて全力で走る。

 ッ一か八か、動かなきゃ死ぬだけだろ‼︎

 剣持の最後の言葉に震える体を支えられ、ドアに手を伸ばした。


「なっ、ガッハッ⁉︎」


 直後、弾かれるように開いたドアにブチ当たり、再び部屋の中央まで吹っ飛ばされた。


「っ⁉︎ っ⁉︎⁉︎ グゥっ、ケホッ、ケホッ、」


 ドアノブがめり込んだ腹を抑えながら、九十九は目を白黒させる。

 横に転がるひしゃげた玄関ドア。そして廊下を歩いてくる、三匹目の狼。

 クッソ!


 九十九は三匹の狼に囲まれ、ジリジリと壁際まで後ずさる。

 僕を餌としか思っていなくて、その上鉄製の扉を吹っ飛ばす獣が三匹? 詰みでしょこれ?


 俯いた九十九の頬が、悲壮に塗れた笑みで歪んだ。

 ……もしかしたら、全部悪い夢なのかもしれない。僕は拉致なんてされていないし、デスゲームにも参加していないし、剣持も……剣持も、……っ。


「来るなッ‼︎」


「ッ……」「ッグルルル」「グルァッ」


 しかし九十九は目に涙を滲ませながらも、強く握った包丁を構えた。

 夢であってたまるか、彼の存在を否定してたまるかッ。現実逃避なんてバカな真似はやめろよ僕。抵抗は無駄。どうせ死ぬ。だけど僕は死にたくない。剣持が助けてくれた命を、無駄にしたくない!


「っ殺す。お前ら、絶対殺してやるッ」


 非力で哀れな彼を見て、狼三匹は嘲るように唸る。

 待ちきれないと言わんばかりに、一匹が九十九に向けて飛びかかった。


 極限状態の影響か、まるで時間が引き伸ばされるような感覚に陥る。

 九十九はスローモーションで迫ってくる狼の眼球めがけ、手に持った包丁を思い切り振り下ろした。


「ギャゥン⁉︎」

「ぐっ⁉︎」


 狼の左目が潰れ血が吹き出し、九十九の肩から腕にかけてが爪で裂かれる。

 痛み分け。


 しかし九十九を脅威と判断した他二匹の行動は、彼が体勢を立て直すよりも数段速かった。

 気づけば左右から迫っている大顎を前に、九十九は思い出す。



 ――あ。……アゲパンに朝ごはんあげないと。



 遅々とした死を前にして脳裏に浮かぶのは、やはりと言うべきか、母と愛犬の顔だった。


 首に噛みつかれ、肉が引きちぎられ、徐々に食い殺されていく痛みが…………いつまでたっても、来ない?


 恐怖でまぶたを閉じていた九十九は、ゆっくりと目を開けた。

 そして、本日一番の不思議を目にする。


「……え?」


 自分と巨狼の間に出現した、半透明の……何だ、これ?


 九十九に噛みつこうとした狼三匹が、半透明の壁に遮られてもがいている。

 触れてみても、ブヨブヨと反発して元の形に戻ってしまう。感触はゲル状物質に近いが、いや、というか本当に何だこれ?

 九十九が呆気に取られて放心していると、狼の一匹がゲル壁の端に気づく。


「ガルァアッ‼︎」

「ッや、ば⁉︎」


 狼が回り込もうとした瞬間、ギュルンッ、とゲルの形状が変わり、九十九を守るように球体化した。

 三六〇度全方位からの攻撃に対応した、絶対防御。

 尻餅をついたまま固まっていた九十九は、一旦体育座りになり、深呼吸をする。


 ……さて、どうする?

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