第一章 ――L'enfer c'est les autres――

第2話

 九十九は腕の中に物悲しさを覚え、ゆっくりと目を覚ます。

 いつもなら来る筈の強制目覚ましが、今日はなぜだか来なかった。どうせリビングのおもちゃで遊んでいるのだろう。朝から元気なことだ。


 九十九は大きなあくびをしながら体を伸ばし、いつもとは違う肌触りのシーツを退ける。

 いつもと同じ動きで洗面所に向かおうとして、そこでようやく、


「…………?」


 目に映る光景が、いつもとは違うことに気づいた。

 知らないベッド、知らない天井、知らない部屋。

 見たこともないホテルの一室で、口を開けたままベッドに腰掛けている自分。


 この状況を鑑みて、寝起きで回っていない九十九の頭が、まず出した結論。

 それは、


「……夢か?」


 当然、そこに行き着く。


 よく見れば、着ていた服も変わっている。

 体にフィットする長袖コンプレッションウェアの上からスポーツウェアを着て、足には既にランニングシューズを履いている。

 勿論だが、こんな服着た覚えはないし、持ってすらいない。


 とりあえず立ち上がった九十九は、カーテンを開けて窓の外を見てみた。


「……」


 知らない街だった。いや、街、と言って良いのか?

 雑に並べられ、積み重ねられた店舗や家屋。

 湾曲した空。

 平面の太陽。

 色のない街並み。

 まるで、着色前の都会ジオラマの中に入ってしまったような、そんな不思議な気持ちが九十九を襲う。


 その時だった。

 部屋の隅から、携帯のアラームに似た不快な音が鳴り響いた。


「――ぃっ⁉︎ ……くりしたぁ」


 恐る恐る近づいてみると、鳴っているのは近未来的な腕輪型デバイスだった。ベッド脇のテーブルの上で、銀色の腕輪がやかましく振動している。


 耳障りで不快なアラート。こっちまで不安になってくる音。

 ……早く止めればいい。そうは思うのだがしかし、九十九の視線は、腕輪の隣にある物に向けられていた。


 ……一振りの、包丁に。


「……デバイスと、包丁? ……」


 闇バイトでもさせられるのか?

 否が応にも覚めてきた頭が、現状を理解しようと回転しだす。

 あの歪んだ空と太陽を見るに、ここは巨大なドーム状の建物の中だ。それも街の一部を再現できるような規模の。

 加えて支給されたのは、動き易い服と、デバイスと、武器。


 全てを加味した上で仮説を立てるなら、巨大な裏組織に拉致された僕が、デバイスと武器だけを渡され、とある施設に閉じ込められている。

 と言った感じになるが……どうにも現実味に欠ける。

 かと言って夢にしてはリアルがすぎるし、もしこれが夢なら、恐らく僕は何らかの病気を患っている。

 ……うん、病気だな。目が覚めたら病院に行こう。

 結論に至った九十九は、とりあえずうるさいデバイスを掴み、画面をタップした。



 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 腕輪を装着してください。

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 音は止んだが、代わりに表示される文言。

 別に反抗する理由もないし、指示通り左腕に装着する。


 しかし同時に違和感を覚えた。

 音が止み、静かになったからこそ分かるのだ。

 ドアの外から、窓の外から、街中から微かに響いてくるアラートが。


 ……僕だけじゃないのか? でもこれは僕の夢で、あぁもう頭がおかしくなりそうだ。

 九十九は眉間を揉みながら、装着した腕輪を見る。



 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ▼Prayer name:九十九 依絆

 ▼Genre. :【Survival】

 ▼Title. :【楽しい動物園】

 ▼Rule   :迫り来る魔獣を倒し、隠された出口を見つけて、この街から脱出せよ!

 ▼Time limit :【05:58:24】

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



「……は?」


 ……は? である。

 ジャンルに、ルールに、タイムリミットって、……こういうの、ドラマとか漫画で見たことあるぞ。所謂、デスゲー――


「ッぎゃァアアア⁉︎」


「――っ⁉︎」


 静寂を切り裂いた絶叫に、九十九の体が数㎜浮いた。

 声の出所は扉の外、恐らく同じフロア。早鐘を打つ心臓を落ち着かせ、九十九はドアノブに手をかける。その際一瞬迷い、包丁を手に取った。


 ……ゆっっくりとドアを開け、隙間から外の様子を窺う。

 想像通り、外には簡素な廊下が続いていた。もう少しだけ開き、右を見るも誰もいない。

 となると、何かが起きたのは左通路。数回深呼吸した九十九は、意を決して通路に頭を出し、左を向いた。

 ……そして、見てしまった。



 人間の頭部を齧り、口元を赤く染めている二匹の巨大なねずみを。



 ガリガリグチュグチュという湿った音。

 鋭利な前歯にこびりついた血肉。

 見開かれ、充血した両目。

 何より、漂ってくる、くらつくほどの血と獣の臭い。


 ……これが夢ではないと悟るには、充分すぎる恐怖であった。


「ッ、キチチチッ、……ギッ?」「チチチチチッ、……ギチチッ」


 目が、合った気がした。

 固まった九十九に、本能が大音量で警鐘を鳴らす。

 ――今すぐ逃げろ、と。


「――っ‼︎」


 九十九が咄嗟にドアを閉めたのと、巨大鼠が地を蹴ったのはほぼ同時。

 タタタンッという軽い音が鳴った直後、ドアが衝撃に揺れた。

 九十九はドアをロックして、全力で押さえる。

 っ何だ⁉︎ 何だあれ⁉︎ 遠目からでも分かった。あの鼠、大きさが人の胴体くらいあったぞ⁉︎ それに人を食べっ、食べていた⁉︎


「ハァッ、ハァッ、ハァッフゥッ、ハァッ」


 荒くなってしまう呼吸を必死に抑えながら、体全体でドアを押す。

 何でこんなことに? 何でっ、どうして⁉︎

 ……そこまで考えた九十九の脳内に、昨夜の記憶が蘇る。

 ――謎の手紙。怪しいQRコード。知らない団体からの招待状。YESを押した自分。そして今、僕は巨大施設に隔離され、包丁片手に、化け鼠に食べられそうになっている。

 ……まさか、本当にそうなのか?


「っじゃあこれ、本当にッ、本当にデスゲーム⁉︎」


 そんなことがあるのか? あり得るのか? あって良い筈がない! 人権を無視した歴史的犯罪行為だ‼︎ だから何だ⁉︎ こんなことをする奴らに道徳を説いて何になる⁉︎ まずは死なないことだろ⁉︎ 落ち着け僕っ、落ち着け。焦った時こそ、冷静に、だ。


「フゥゥ〜〜……」


 大きく深呼吸をした九十九が、頬を伝う冷や汗を拭った。

 その時、ドアの外が騒がしくなる。「ギゥッ⁉︎」「ギシァッ‼︎」という鼠の声に混じった、鈍く重い音。何かが激しく壁に叩きつけられたのを最後に、空気が止まった。


 ……数秒の静寂。


「ッ誰かいるのか?」


「っ⁉︎」


 不意にドアの奥から聞こえた声に、九十九は目を見開く。

 慌ててドアスコープを覗くと、そこには自分と同じ年くらいの青年が焦った顔で立っていた。


「いるなら開けてくれっ、頼む! 鼠なら倒した!」


 その言葉を聞いた九十九は、迷いなくロックを外してドアを開ける。

 青年が素早く中に滑り込む間際、巨大鼠の死骸が目に入る。


 廊下に転がるそれらは、頭を潰され血の泡を吐いていた。

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