第09章 消された娘
昼前に、榊原から篠宮慶子に関する追加資料が届いた。
採用手続きの進行状況、通知予定日、面接後の社内メモ。
前回同様、整理の行き届いた資料だった。
杉本が紙を揃えながら言う。
「榊原さん、ここまで細かく出してくれるんですね」
「自分でも、もう依頼の形が変わってきてるのを分かってるんだろうな」
黒崎はそう言って資料へ目を落とした。
そこには、採用決裁までの流れが事務的に記されている。
一次面接、二次面接、現場評価、社長決裁。
どこにも不自然な赤字はない。
採用実務として見れば、きれいに通っている。
だからこそ、逆に引っかかる。
人物の評価が高く、手続きも滞りなく進む。
その流れ自体は、会社では珍しくない。
だが今の状況では、その“普通に通る”感じがかえって不気味だった。
黒崎は資料を閉じた。
「この流れの中で、榊原さんだけが止まってる」
佐伯が言う。
「はい」
「そこが大きい」
黒崎は短く答えた。
違和感を持った人間が一人だけいる。
他は全て、普通に進んでいる。
だからこそ、この件では“普通に進む”ことそのものが、いまや確認対象になっていた。
◇
城戸から短い返信が入った。
――本人特定より、「なぜその会社を選んだか」の確認を優先してもよい段階に見えます。
――ただし、企業側へ返す情報はなお絞るべきです。
――“採用候補者の問題”と“会社側の問題”を混ぜると誤ります。
黒崎はスマートフォンを伏せた。
やはり、見るべき中心はそこだ。
篠宮慶子が誰か、よりも、なぜここへ来たのか。
その問いが先に立ち始めている。
「黒崎さん」
杉本が声をかけた。
「榊原さん、大丈夫でしょうか」
杉本の声は低かった。
「そうだな」
「確認した先にあるのが会社の側の問題だったら、今まで自分が働いてきた場所の見え方そのものが変わってしまう・・・・・・やっぱり、きついですね」
黒崎は、その言葉にすぐには返さなかった。
榊原はまだ、そこまで言葉にしてはいない。
だが、自分が見つけた違和感の先にあるものが、採用候補者本人よりも会社のほうへ伸びている可能性には、もう気づき始めているだろう。
「依頼人が知りたいことと、知るべきことは、同じとは限らない」
黒崎がそう言うと、杉本は小さく頷いた。
「でも今回、そこ、最初から少しズレてたんですね」
「そうだろうな」
黒崎は言った。
「採用していい人物か、という依頼に見えて、本当は“この人はなぜここに来たのか”のほうへ引っ張られてる」
◇
夜、事務所を閉める前。
佐伯はパソコンを閉じてから、水瀬のほうを見た。
「理央さん」
「何」
「今日見た感じ、あの人、自分がどこまで来たかを確かめに来てるんですよね」
「たぶん」
「じゃあ、次は誰かに見せる段階かもしれないってことですか」
水瀬は少しだけ考えた。
「そうかもしれない」
黒崎は、その短いやりとりを聞いていた。
篠宮慶子は、ただ仕事を探してここへ来たわけではない。
何かを取り戻すためか、何かを認めさせるためか、そこまではまだ断定できない。
だが少なくとも、この会社を選んだことには、生活以上の意味がある。
黒崎は最後に事務所の明かりを落としながら、窓の外を見た。
暗くなったガラスには、自分の顔と室内の輪郭が薄く重なって映る。
人は、見つからないために姿を消すことがある。
だが、見つけさせるために戻ってくることもある。
今回がどちらなのかは、まだ分からない。
ただ、問いの形はもう変わっていた。
篠宮慶子が誰なのか。
ではない。
彼女は、なぜここに来たのか。
◇
真相というものは、ある日突然、きれいな形で現れるわけではない。
むしろその反対で、あちこちの不自然さが少しずつ逃げ場を失っていき、最後に残った形を、人は“真相”と呼ぶだけだ。
黒崎は、机の上に広げた資料を前に、そんなことを考えていた。
安西家の記録。
直人の曖昧な記憶。
篠宮慶子の現在の履歴。
母・安西文江の長期療養。
そして、火傷の痕。
ここまで来ると、もう断片は十分だった。
足りないのは、それぞれの断片がどこで一本に繋がるのか、その芯だけだ。
黒崎は、城戸から届いたメールを読み返した。
――「死んだはずの人間が生きていた」だけで見ると、読み違えます。
――見るべきは、誰がどの時点で家族の経路を切ったのかです。
――本人が証言者であり、同時に“保護対象”として処理された可能性を念頭に置いてください。
その一文が、今日の調査の芯だった。
◇
午前中、佐伯が新しい資料を持ってきた。
ノートを机に置き、黒崎の向かいに立つ。
「一つ、会社側との関係で見逃せない線がありました」
「何だ」
「安西邦彦が勤めていた会社、当時の名称から辿ると、今のエス・フィールズシステムの前身にあたります」
黒崎は顔を上げた。
「どの程度だ」
「社名変更と部門再編を何回か挟んで、今のエス・フィールズシステムになってます。それと、もう一つ」
「何だ」
「安西家は、ただの社員の家ではありませんでした。前身会社の創業家筋に連なる家です」
水瀬が小さく息を吐いた。
「創業家筋……」
「はい。二十年前の時点で、経営の中心にいたわけではありません。でも、古い社員の間では無視しにくい名前だったようです。邦彦自身も役員ではありませんが、創業家の親族筋として扱われていた形跡があります」
佐伯は紙を差し出した。
古い法人名。
吸収合併。
部門統合。
名称変更。
表だけ見れば、よくある企業の履歴だ。
だが、そこに安西邦彦の勤務先履歴が重なると、意味が変わる。
「つまり、安西家と榊原さんの会社は無関係じゃない」
「はい」
佐伯は頷いた。
「少なくとも、まったく別の会社に偶然入った、では済まないです」
黒崎は紙を見たまま言った。
「そこが立つと、“なぜこの会社だったのか”の意味も変わるな」
ただ就職先を探した結果ではなく、
昔から繋がっている場所へ戻ってきた可能性が出る。
◇
その時、杉本が追加資料を持ってきた。
「榊原さんからです。会社側の古い沿革資料と、昔の総務まわりの話、だそうです」
黒崎は受け取った。
沿革資料の中ほどに、若いころの男の写真が載っている。
柔らかい笑顔、細いネクタイ。いかにも“調整役として重宝されそうな男”の顔だった。
その下に、名前がある。
真田雅彦。
紹介文にはこうある。
総務部門に所属し、社内外のトラブル対応、関係各所との調整業務に従事。創業家筋や古い取引先との折衝にも関わり、困難な案件も円満に収めることで知られる。
佐伯が顔をしかめた。
「嫌な紹介ですね」
「何がだ」
「円満に収める、って。こういう時、たいてい誰かの都合の悪いものが見えなくなってるじゃないですか」
黒崎は、その言葉を否定しなかった。
直接壊す人間より、
壊れたあとの形を整える人間のほうが、長く善人の顔をしていられることがある。
「それと」
杉本がもう一枚の紙を差し出す。
「当時を知っている古い社員の話です。昔の総務案件は、口頭だけで済ませず、最低限の控えや引き継ぎメモが残ることが多かったそうです」
「正式書類ほどではない」
「はい。でも、送付控えとか、走り書きのメモとか、そういう半端な紙は残りやすかったみたいです」
水瀬が言う。
「安西家が会社と深く繋がっていたなら、家の外で処理を引き受ける人間がいてもおかしくない」
「そうだな」
黒崎は答えた。
まだ、真田雅彦が何をしたかまでは言えない。
だが、少なくともこの男は、
“会社側で、面倒事の処理に回れる位置にいた人間”
として見えてきた。
それだけで意味は重い。
◇
午後、水瀬が別の資料を持って戻ってきた。
「篠宮慶子の履歴、気になる切れ方がありました」
「何だ」
「今の生活圏に繋がる前に、一度だけ、かなり離れた地方都市で生活していた時期があります」
黒崎は視線を向ける。
「前後との繋がりは」
「薄いです」
水瀬は紙を差し出した。
「進学とか転勤とか、普通の移動理由が見えにくい。生活の流れの延長じゃなくて、一度切って別の場所へ置いた感じがします」
「追ったのか」
「はい。その地域に、当時、小さな民間の女性支援施設がありました。今は名前が変わってますけど、家庭事情のある若年女性を受け入れていた形跡があります」
佐伯が顔を上げた。
「保護施設みたいなものですか」
「表向きはそうだね」
水瀬は答えた。
「元の家庭や人間関係から距離を置いたまま生活を立て直せる運用だったみたいです」
「都合がいいな」
黒崎が言う。
「かなり」
水瀬は小さく頷いた。
「保護と言えば保護です。でも、誰かを元の人生から切り離す場所としても機能します」
黒崎は、その言葉を机上の資料と重ねた。
安西家と会社の関係。
会社側で調整に回れる立場の男。
その後の履歴にある、不自然な地方への断絶。
まだ線は細い。
だが、別々の方向は向いていない。
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