第05章 会社側の接点

 篠宮慶子の過去を追ううちに、調査は榊原美緒の勤める会社へ戻り始めていた。

 問題は、採用候補者が誰かだけではない。その会社が、二十年前の処理とどこで接しているのかだった。


 黒崎は三本目へ視線を移した。


「三本目は、会社側の接点だ」


 杉本が首を傾げる。


「会社側、ですか」


「そうだ」


 黒崎は上側に一本線を足した。


「榊原さんの会社で、今回の採用に決裁権を持つ人物がいる。その人物が、安西家の過去とどこかで繋がっている可能性が出てきた」


 佐伯が少し身を乗り出す。


「まだ、可能性の段階ですよね」


「そうだ。だからこそ、ここでは接点候補として扱う」


 黒崎はそこで、ようやく名前を書いた。


 真田雅彦


「現時点で見えている候補は、エス・フィールズシステムの社長、真田雅彦だ」


 杉本が小さく息を吐く。


「社長」


「榊原さんの話では、今回の採用は社長決裁まで進んでいる。もしこの人物が安西家の過去と接点を持っているなら、今回の採用と無関係とは言い切れない」


「でも、まだ“接点があるかもしれない”段階ですよね」


 佐伯が確認する。


「そうだ」


 黒崎ははっきり答えた。


「今の時点で決めていいのは、ここを調べる必要があるということだけだ」


 黒崎はそこでペンを置いた。


「会社を選ぶのは、たいてい未来のためだ。待遇、仕事内容、通勤、再出発。だが今回の応募は、未来だけを見ている動きに見えない」


「過去にも向いてる」


 水瀬が言う。


「たぶん」


 黒崎は否定しなかった。


     ◇


 昼前に、榊原から篠宮慶子に関する追加資料が届いた。

 面接時の評価シート、提出書類一式、社内の選考コメントの抜粋。整理の行き届いた資料だった。


 杉本がプリントアウトをまとめながら言う。


「榊原さん、相当ちゃんとしてますね」


「抜けがない」


 黒崎が答える。


「こういう人ほど、勘だけでは来ないですもんね」


「その通りだ。そして、この人はそれを“確認しないといけない材料”に変えようとしてる」


 資料の中には、ごく普通の評価が並んでいた。


 論理的。

 受け答えは落ち着いている。

 実務レベルは十分。

 慎重だが消極的ではない。

 現場での調整力に期待。


 どれも、採用候補者としては好意的な言葉だ。

 そこに不自然さはない。

 むしろ不自然なのは、そこまできれいに評価されている人物に対して、榊原ひとりが強い違和感を持っていることだった。


「一次面接の同席者、榊原さん以外はどう見てたんですか」


 佐伯が資料をめくりながら聞く。


「少なくとも書面上は高評価だな」


「じゃあ本当に、榊原さんだけが気づいた」


「そういうことになる」


「火傷の痕って、そんなに目立ってたんですかね」


 黒崎は言った。


「知っている人間には、それが思い出すきっかけになることがある」


 人の顔は年を取る。

 名前も変わる。

 髪型も話し方も変わる。

 だが昔の傷は、思いもよらないところで記憶の取っ掛かりになる。


 佐伯は資料から顔を上げた。


「でも、榊原さんの気づきって、本人からしたら最悪ですよね。隠したい人なら、一番嫌な見つかり方じゃないですか」


「だから、隠したい人じゃないんだと思う」


 水瀬は短く答えた。


「見つかりたくなかった人なら、もっと別の形で生活してる。名前も、職歴も、応募先も、もっと安全に寄せる。わざわざ昔の接点が残ってるところに来ない」


「でも、偶然ってことも」


「ある」


 水瀬はあっさり認めた。


「でも、偶然なら偶然で、今のところそれを支える材料がない」


 佐伯は少し黙った。

 その様子を見て、黒崎が口を挟んだ。


「佐伯」


「はい」


「最初に普通の疑い方をするのは間違ってない」


 佐伯が顔を上げる。


「身元を偽っているかもしれない、採用リスクがあるかもしれない。依頼としてはそれが入口だ。問題は、その疑いをいつ手放すかだな」


「……はい」


「手放すには、手放せるだけの材料がいる。逆に言えば、材料が揃うまでは、思い込みで同情にも寄るな」


 佐伯は小さく息を吐いた。


「分かりました」


     ◇


 午後、黒崎探偵事務所の提携弁護士、城戸真司から短い返信が入った。


 ――採用調査の形式で処理するには危ない案件に見える。

 ――本人特定より、二十年前の“死亡”がどう扱われてきたかの確認を優先。

 ――会社側の接点候補の位置づけが見えた時点で、企業側に返す情報の範囲は再整理が必要。


 黒崎はスマートフォンを伏せた。

 やはり城戸も、中心は身元確認だけではなく、二十年前の出来事の扱われ方にあると見ている。


「黒崎さん」


 杉本が声をかけた。


「榊原さんのこと、少し気になってるんですけど」


「何がだ」


「もしこれ、本当に会社側の過去に繋がってたら、榊原さん、自分が掘り当てたことになりますよね」


「そうなるな」


「きついですよね」


 杉本は静かに言った。


「会社として確認しなきゃいけない。人事だから。でも、確認しているつもりで、自分が働いている場所のほうを見せられるのは怖い」


 黒崎はすぐには答えなかった。


 採用候補者を見ていたはずなのに、調べた先で揺らぐのが会社の側だとしたら。

 榊原が感じていた気持ち悪さは、たぶんそこに近い。


 榊原は、そこまでの覚悟はまだしていないだろう。

 だが心のどこかでは、自分が見つけた違和感の先に、採用候補者ではなく会社側の問題がぶら下がっている可能性も感じている。

 だからこそ、あの人は怖がっていた。


「依頼人が知りたいことと、知るべきことは、同じとは限らない」


 黒崎がそう言うと、杉本は小さく頷いた。


「でも今回、そこ、ズレていきますよね」


「最初から少しズレてる」


 黒崎は言った。


「採用していい人物か、という依頼に見えて、本当は“この人はなぜここに来たのか”のほうへ引っ張られてる」


 杉本はそこで少しだけ目を細めた。


     ◇


 その日の整理は、そこまでに留めた。


 会社側の接点候補は浮いた。

 だが、まだ人物を断定する段階ではない。

 篠宮慶子の今の生活も、安西家の過去も、会社側の線も、それぞれはまだ細いままだ。


 だからこそ、ここで急いで結論を置くほうが危ない。



「今日は、ここまでだな」


 黒崎がそう言うと、佐伯がパソコンを閉じながら、ぽつりと言った。


「黒崎さん」


「何だ」


「もし、本当に同一人物だったら。……何しに来たんでしょうね」


 その問いは、この日の終わりにふさわしかった。


 黒崎が答える前に、水瀬が資料を閉じた。

 少しだけ考えてから、佐伯のほうを見る。


「会いたい人がいるんじゃない」


 佐伯は水瀬へ視線を移した。


「兄に?」


「かもしれない。でも、それだけじゃない気がする」


 杉本が照明を一つ消しながら言う。


「会いたいんじゃなくて、見せたいのかもしれませんよ」


 佐伯が振り返る。


「何を」


「自分がここまで来たことを」


 黒崎はその言葉を聞いていた。


 会いたい。

 見せたい。

 認めさせたい。

 どれもまだ推測だ。


 だがもし、この件の中心にいるのが“隠れていた人”ではなく“戻ってきた人”なのだとすれば、そこにはたしかに、誰かに見せなければならないものがあるのかもしれない。


 全員が帰ったあとも、黒崎はしばらく机に残っていた。

 机の上には、今日増えた断片が並んでいる。


 小学校時代には、もう火傷の痕がある。

 大学時代、榊原は直人の実家でその痕を見ている。

 兄は妹の死を疑っていないが、その根拠はまだ曖昧だ。

 そして今、同じ名前の女が、過去の接点が残る場所へ現れている。


 ただ似ていた、それで終わるには、もう引っかかりが増えすぎていた。


 死んだはずの妹。

 火傷の痕。

 曖昧な根拠。

 逃げているようには見えない採用候補者。


 どれもまだ、事実にはなっていない。

 だが、それぞれが同じ方向を向き始めている。


 篠宮慶子が誰なのか。

 ではない。


 安西慶子は、どうして家族の前から消えたのか。

 そして、どうして死んだものとして扱われてきたのか。

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