第四十四話:邂逅、そして死の警告
中層五階、冷たい氷の床が続く帰路。
修行を終えたメルは、全身の痛みに耐えながら、前を歩くシルヴィアの背中を必死に追いかけていた。魔力の残滓が雪のように舞い、静寂が二人を包み込もうとしたその時。
シルヴィアが、唐突に足を止めた。
「……何かしら、この反吐が出るような魔力は」
その声には、先ほどまでの傲慢な余裕は一切なかった。鋭い殺気がシルヴィアの周囲に渦巻き、彼女の持つ杖が過剰なまでに青白い光を放つ。
メルも足を止め、暗闇の奥を見据えた。
迷宮の奥底から、よろよろと、幽霊のような人影が這い出してくる。
煤に汚れ、顔面は死人のように蒼白。瞳の焦点は定まらず、吐き出す呼吸は熱を失っている。
「……フェリアさん!?」
メルの叫びと同時に、その影――フェリアが糸の切れた人形のように崩れ落ちた。メルは痛む身体を忘れて駆け寄り、彼女を抱きとめる。
「フェリアさん! しっかりしてください! フェリアさん!!」
「あ、はぁ……あ……メル……?」
フェリアの身体は、氷のように冷たくなっていた。深刻な魔乏症。急激に魔力を吸い尽くされた結果、生命維持に必要なエネルギーさえ枯渇しかけている。メルは即座に掌をフェリアの胸元に当て、先ほど修行で掴んだばかりの精密な魔力操作で、癒やしの光を流し込んだ。
「(……もっと細かく、優しく。彼女の欠けた欠片を埋めるように……!)」
メルの必死な治癒によって、フェリアの瞳に僅かな生気が戻る。しかし、彼女の身体の震えは止まらない。それは魔乏症のせいだけではなく、魂に刻まれた恐怖によるものだった。
「どういうことかしら。アンリエットの駒が、なぜこんなところで無様に転がっているの」
シルヴィアが二人を見下ろしている。その表情は険しい。フェリアはメルの腕の中で、途切れ途切れに声を絞り出した。
「見たの……十三階の、廃棄区画……。魔物の
「工場の真ん中に、何がいたの」
シルヴィアの問いに、フェリアは震える唇で答える。
「男よ。高級な……外套を着て……。そこに立っているだけで、世界が腐っていくような……あんな恐ろしい魔力、私、知らない……」
フェリアがその男の風貌――帽子の形、身に纏っていた独特の装飾、そして死を体現したかのような魔力の質感――を伝えた瞬間。
シルヴィアの表情が、目に見えて凍りついた。
常に冷静沈着で、他者を睥睨していた彼女の眉間に、深い皺が寄る。杖を握る指先が白くなるほどに震え、その瞳には動揺という名の色が、激流となって溢れ出していた。
「……ありえないわ。あの男は、数年前の掃討作戦で、最下層の深淵に消えたはず……」
シルヴィアの口から漏れたのは、祈りにも似た絶望の呟きだった。
「……あの男、生きていたのね」
「シルヴィアさん……? 知っているんですか、あの人を」
メルの問いかけに、シルヴィアは答えなかった。代わりに彼女は、今までに聞いたこともないほど深刻で、重苦しい声音で二人を突き放した。
「……いい、二人とも。今の話はすべて忘れなさい。記憶の底に沈めて、二度と思い出さないことよ」
「え……でも、あんな恐ろしいことが行われてるのに……!」
「黙りなさい!!」
シルヴィアの怒号が階層に響き渡り、周囲の壁が瞬時に凍りついた。
彼女の瞳に宿っていたのは、二人に対する怒りではない。自分自身でさえ制御しきれないほどの、焦燥だった。
「貴女たちが首を突っ込んでいい領域ではないの。あそこに近づくことは、自ら死の口に身を投じるのと同じ。いいえ、死ぬことさえ許されず、永遠に魔核を搾り取られるだけの家畜にされるわ」
シルヴィアは二人から視線を逸らし、拳を固く握りしめた。王都最強の一角が、これほどまでに怯えを露わにしている。その事実が、フェリアが見たものの正体を何よりも雄弁に物語っていた。
「二度と近づくことは許さない。これは警告ではないわ。……私たちが、かつてあそこで何を失ったかを知れば、貴女たちにそんな勇気は残らないはずよ」
シルヴィアはそれだけ言い残すと、背を向けて歩き出した。その足取りは、いつもの優雅さを欠き、どこか逃げるようにさえ見えた。
迷宮の闇に包まれた、血の匂いのする沈黙。
メルは、衰弱したフェリアを背負い、冷たい氷の道を歩き出した。
手にした強振木の輝きも、フェリアが命懸けで持ち帰った情報も、今はただ、巨大な影に飲み込まれようとしていた。
――五日間の空白が、終わろうとしている。
クロが待ち続ける地上へ。
三つの灯火は、絶望という名の闇を抱えたまま、再び合流の時を迎えようとしていた。
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魔力ゼロの最速剣士 〜天才魔導士と聖域の支援術師に執着されてパーティを組むことになった〜 縁 @enisi616
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