第40話 ノスタルジック
「……宿に案内するって話じゃなかったのか?」
あまりの理不尽な展開に、僕は思わず抗議の声を上げた。
「ん? ああ、別にそれでもよかったんじゃが、邪魔が入ってお主らに万が一があったらつまらんからのぉ」
アレスは悪びれる様子もなく、ひょうひょうとした態度でそう答えた。
「邪魔?」
「おん、ほれ……アイツみたいな」
その言葉と同時だった。アレスが僕たちの後方、今まで歩いてきた人気のない通りを鋭く睨み付けた。
――ズンッ!!
先程街中で感じたあの圧倒的な『殺気』が、今度は一点に凝縮されて放たれた。物理的な質量すら感じるほどの重圧が空気を震わせる。
慌てて僕も後ろを振り向いた。
すると、僕たちの100メートル程後ろ、街路樹の物陰に潜んでいたと思われる黒装束の何者かが、白目を剥いてばたりと地面に倒れ伏すのが見えた。
「え……」
「英雄の存在に懐疑的な、辺境国家の差し金といったところかの」
アレスは倒れた刺客らしき人物を気にも留めず、楽しそうに笑う。
「英雄殿以外は気づいて警戒しておったみたいじゃが……こういうのはまだまだ苦手みたいじゃの」
ニヤニヤと笑いながら僕を見るアレス。
どうやら、アカリやセイヴィア、ゴレムさん、それにコナトスやシュピーゲルさんも、尾行の存在に気づいていたらしい。全く気づかなかったのは僕だけだった。
「向こうにおる間も、ちょくちょく来たじゃろ?」
アレスが不思議そうに問い掛けてくる。
「……いや、今初めて見た」
僕が正直に答えると、アレスは「ほぇ?」と気の抜けた声を漏らし、キョトンと首を傾げた。そして、何かを察したように隣に立つシュピーゲルさんへと視線を移した。
「……ああ、なるほど。やはり過保護すぎるのではないか? シュピーゲル殿」
その言葉に、僕はハッとしてシュピーゲルさんを見る。
「シュピーゲルさん……あなたもしかして」
「知らん」
シュピーゲルさんは露骨に顔を逸らし、低い声で短く言い放った。
しかし、その分厚い背中からは「不器用な優しさ」が痛いほど伝わってくる。彼は、僕の知らないところで僕を守ってくれていたのだ。
「という訳じゃ、理解してくれたかな?」
アレスが再びパンッと手を打ち、仕切り直すように言う。
確かに、一般の宿屋に泊まって関係ない人々を巻き込むよりは、この化け物のテリトリーにいる方が外部からの刺客対策としては最も安全だろう。
……皮肉な話だが。
「まあ、そういうことなら……」
「ちょっと待てよ」
僕が折れかけたその時、コナトスが鋭い声で言葉を遮った。
彼はアレスをキッと睨みつけ、腰の剣に手をかけたまま一歩前に出る。
「爺さん、俺達は明日『殺し合い』をするんだよな?」
「ああ。別に殺し合いが目的ではないが、最終的に死人が出るかもしれんな」
アレスはまるで明日の天気を予想するような、どうしようもなく軽い口調で肯定した。
「明日殺し合う相手と同じ所で寝食を共に出来るはずがないだろ。……それとも、余裕だからって俺たちを舐めてんのか?」
コナトスの言葉には、戦士としての強烈な矜持と怒りが込められていた。
命を懸けて戦う『敵』から施しを受け、その庇護下で眠る。それは彼にとって、プライドを泥で踏みにじられるに等しい屈辱なのだろう。
しかし、そんなコナトスの剣幕を受けても、アレスの表情は変わらなかった。
彼は深くため息をつくと、少しだけ呆れたような目を向ける。
「はぁ……コナトスや。お主なりにワシの『敵』になろうとしてくれるのは嬉しいが、ワシが求めているのはそんな一般論的な敵じゃない」
「……何?」
「ワシはただ、戦いの最中で相手の一挙手一投足に驚きたい。感動したい。ワシの言う『敵』とは、そういう者じゃ」
それは、常人の理解を遥かに超えた純粋すぎる価値観だった。
憎しみや対立、プライドといった感情はどうでもいい。ただ己を昂ぶらせ、未知の境地を見せてくれる存在だけを求めている。それ以外は心底どうでもいいのだ。
その圧倒的なまでの『自己中心的な純粋さ』を前に、コナトスはギリッと奥歯を噛み締めた。これ以上、言葉で噛み付いても意味がないと悟ったのだろう。
「チッ」
コナトスは盛大に舌打ちをすると、荒々しい動作で重厚な門を押し開き、誰よりも先にずかずかと屋敷の敷地へと足を踏み入れていった。
やがて案内されたのは、数十畳はある無駄に広い板張りの大広間だった。
歩くたびに床板が微かに軋む音だけが響く。質素だが造りは立派で、大人数が集まることを想定したような空間だった。
「この通り無駄に広いからのぉ。部屋も人数分あるじゃろう。ワシの部屋以外は好きに使っていいから寛いでくれ。案内は……コナトスにしてもらうといい」
アレスは僕たちの方を振り返ることもなく、ひらひらと手を振りながら、さっさと屋敷の奥へと歩き去ってしまった。
コナトスは、盛大に頭を掻きむしり、深い深いため息をついた。
「はぁ……とりあえず案内する。ついて来てくれ」
不機嫌さを隠そうともしない声でそう言い捨てると、コナトスは迷いのない足取りで大広間を出て、長い廊下へと進んでいった。
⬜⬜⬜⬜⬜
中庭に面した長い縁側を歩き、客間らしき部屋が並ぶ棟へとやってきた。
「ここらの部屋は好きに使って良いだろう。爺さんのことだから大して掃除もしてないだろうし、埃が溜まっているだろうがな」
コナトスが立ち止まり、ずらりと並ぶ障子戸を顎でしゃくった。
「やったね! じゃあボクはあそこにする!!」
ずっと重苦しい空気だった反動か、セイヴィアが嬉しそうに声を上げ、一番奥にある日当たりの良さそうな部屋へと駆け出した。
「おい! その部屋は……」
コナトスが慌てて制止の声を上げたが、一足遅かった。セイヴィアは勢いよく障子を開け放つ。
しかし、埃が舞うのを嫌がって顔をしかめるかと思いきや、セイヴィアはパチクリと目を丸くした。
「あれ? 全然綺麗じゃん。もしかして誰か使ってた?」
セイヴィアの言葉に、僕も中を覗き込む。
確かに、他の空き部屋とは違い、その部屋は畳の目までしっかりと拭き上げられ、塵一つ落ちていないほど綺麗に清掃されていた。布団こそ敷かれていないが、今すぐにでも寝泊まりできそうな状態だ。
追いついたコナトスは、綺麗に保たれたその部屋を見て、どこか気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……そこは、俺の部屋だ」
「へぇ!」
セイヴィアがポンと手を打つ。
「ああ、そういえばキミの実家でもあったんだね。もしかして、ちょくちょく帰って来てた?」
無邪気な問い掛けに、コナトスはきつく唇を噛み締めた。
「……いや、ここ数年は帰って来てない」
「え、そうなの?」
首を傾げるセイヴィアの横で、ゴレムさんが淡々とした声で推測を口にした。
「もしかして、コナトスさんがいつ帰って来ても良いように、アレスさんが掃除していたとかですかね」
その言葉に、その場にいた全員の間に奇妙な沈黙が落ちた。
あの、他人の命など意にも介さず、ただ己の剣と未知の強敵だけを求める剣聖が、家を出て行った身内の部屋を、帰ってくる日を待ちわびながらコツコツと掃除している姿。
――あまりにも、想像が追いつかない。
「……まさか、あのアレスにそんなノスタルジックなところがあると思いますか?」
沈黙を破ったのはアカリだった。その声には、冷ややかな響きが混じっている。かつてアレスに命を奪われた彼女からすれば、あの狂人にそんな人間らしい情愛があるなど、到底信じられないのだろう。
「はは、全く想像できないですね。」
ゴレムさんも、微かに肩をすくめて苦笑いした。合理的な彼から見ても、アレスの行動原理と『留守の部屋を掃除する』という家庭的な行為は結びつかないらしい。
「……」
皆の言葉を聞きながら、コナトスはただ無言で、自分の綺麗に保たれた部屋をじっと見つめていた。
その表情からは、怒りとも、戸惑いともつかない、複雑な感情が滲み出ているように見えた。
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