第十九話 アンカーへの初接近

 出発前のベース・ゼロは、妙に静かだった。


 戦闘の前でも、発掘の前でも、拠点というのはこういう空気になる。

 慌ただしいのに、妙に音が少ない。

 全員が自分の持ち場を分かっていて、余計なことを言わなくなるからだろう。


 中央ハブの立体図には、いつもの三点が浮かんでいる。


 ベース・ゼロ。

 管理局跡。

 アンカー。


 そしてその外側に、赤いヴァルガ私掠群。

 灰青色の新勢力。

 さらに少し離れて、白い《ラグランジュ・リンクス》。


 もう完全に、この星系は“価値があるから人が寄ってきた場所”の顔をしていた。


「最終確認だ」


 俺はアンカー推定位置を拡大する。


「今回の目的は三つ。アンカーの実在確認。照会層までの到達手順の確認。可能なら“何を照合する場所なのか”を一段深く読む」


 リェンが腕を組んだまま言う。


『“持ち帰りは?”』


「なし。今回は情報だけ」


『“よし”』


 ダルクも露骨に安堵した顔をした。


『“それならいい。アンカーで何か見つけても、無理に抱えて帰るなよ”』


「分かってる」


『“分かってて前科があるから言ってる”』


 ぐうの音も出ない。


 エルフィナは端末に表示した照会手順を最後にもう一度確認していた。


『“順番は変えないでください。第一に系統照会、第二に認証中継器、第三に予備鍵束第三片の存在照合です。逆順や同時実行は危険です”』


「了解」


『“あと、アンカーは管理局跡より“沈黙が正しい反応”である可能性があります”』


「どういう意味だ」


『“質問の仕方が違うと、何も返ってこない。でもそれは“死んでいる”のではなく、“お前に答えるべきではない”という意味かもしれない”』


「面倒な性格してるな」


『“重要な場所ほど、そうなります”』


 ノアが補足する。


『つまり、反応がないこと自体も情報です』


 今回は同行者を乗せない。


 ヴァルハラ・コアで行くのは俺とノアだけ。

 エルフィナはベース・ゼロ中央ハブで遠隔補助。

 リェンは防衛。

 ダルクは給電と緊急隔壁。

 ミアは生活維持と応急対応。


「じゃあ行ってくる」


『“死なないで”』


 リェンの言い方はいつも通りぶっきらぼうだが、内容はかなり本気だ。


「まだ掘る場所が残ってるからな」


『“その返しもいつも通りね”』


     ◇


 ヴァルハラ・コアは、ベース・ゼロのベイから静かに離れた。


 今回の進路は最短ではない。

 一度、管理局跡寄りの既知空域へ出て、そこでごく薄い異常反応を残す。

 その上で、外周側へ大きく弧を描いてアンカー推定位置へ向かう。


 囮の匂いを残し、本命は別。

 性格が悪い作戦だが、こういうのは嫌いじゃない。


『現在、ヴァルガと新勢力の局地衝突は管理局跡寄りに偏っています』


 ノアの報告に、俺はホログラムを見た。


 赤と灰青の点が、互いに薄く重なりながら離れ、また寄る。

 一気に潰し合うのではなく、主張線を押し合っている形だ。


「新勢力は賢いな」


『ええ。ヴァルガのように感情で前に出ません。ですが、引きすぎもしない。支配権を取りたい動きです』


「ヴァルガからすると、一番嫌な相手だろうな」


『はい』


 そのおかげで、アンカー側の意識は薄い。

 まだ誰も“第三の芯”に気づいていないのだ。


 遠回りの進入はうまくいった。

 途中でヴァルガの索敵ドローンが一つ、管理局跡側へ引き寄せられるのも見えた。

 あれならしばらくこちらには来ない。


『アンカー推定領域へ接近』


 正面スクリーンに映るのは、確かにただの放棄観測ブイ群だった。


 細長い観測塔。

 球形センサーポッド。

 壊れた中継フレーム。

 ゆっくり漂う反射板。


 一見すれば、古くて価値のない監視設備の残骸だ。

 管理局跡やベース・ゼロのような“分かりやすい大物感”がない。


「偽装としては優秀だな」


『同意します。戦利品としての見栄えが悪く、かつ観測ブイ残骸ならこの宙域では珍しくありません』


 だから残った。

 多分そういうことなんだろう。


「入り口は」


『まだ見えません。まずは保全観測層への通常接近からです』


 ヴァルハラ・コアをブイ群の外縁へ寄せる。

 不用意に中心へ入らない。

 こういう場所は、最初の一歩で嫌われると面倒だ。


『通常観測層、反応なし』


 エルフィナの声が中央ハブから届く。


『“正常です。次、系統照会”』


「行こう」


 ノアが管理局跡由来の照会断片を、ごく弱く流す。

 すると、漂っていた観測ブイの一部に、微かな変化が出た。


 光だ。


 壊れているはずの球形ポッドの一つが、ほんの一瞬だけ青白く明滅した。

 さらに少し離れた中継フレームにも、同じタイミングで線が走る。


『反応あり』


 ノアが告げる。


『保全観測層が系統照会を認識しました』


「死んではいないな」


『“はい。次、認証中継器です”』


 ここからが一段深い。


 認証中継器を介して、“こちらはたまたま近くを飛んだ船ではない”と示す。

 すると今度は、ブイ群の中心寄りにある壊れたリング片が、ゆっくりと回転角を変えた。


 さっきまでデブリの一部にしか見えなかったものが、少しだけ規則的な動きを見せる。


「今の、自然じゃないな」


『ええ。不自然です』


 エルフィナの声に緊張が混じる。


『“照合層の手前まで来ています。最後に、予備鍵束第三片の存在照合を……”』


 ここが一番危ない。


 やりすぎれば、隠れている本体そのものを起こしかねない。

 だがやらなければ、入口の輪郭は出ない。


「短くやれ」


『“分かっています”』


 封印筐体“第三”はベース・ゼロに置いたまま。

 直接持ってきてはいない。

 だが近傍照合に使った位相記録を通して、“こちらは同系列の断片を保持している”という匂いだけ流す。


 数秒。


 その後、アンカー推定領域の中心が、ほんの少しだけ歪んだ。


 爆発でも光でもない。

 空間の見え方がずれるような、薄い揺らぎ。


『……来ました』


 エルフィナの声が小さくなる。


『“照合層です”』


 ホログラム上で、ブイ群の中心にあった“ただの残骸の集まり”が、実は円環を描いていたことが分かる。

 その内側に、さらに一段小さい構造がある。

 普段は完全に光学偽装されているらしい。


「これがアンカー本体か」


『その手前です』


 ノアが訂正する。


『外殻偽装が剥離しかけているだけです。まだ“入口がある”と認めただけで、本体照合には進んでいません』


 それでも十分すごい。


 今までただの観測ブイ帯にしか見えなかった場所に、確かに“隠された層”があると証明されたのだから。


「何を聞ける」


『“一問か二問です。それ以上は危険”』


「なら、一番重いやつを聞く」


 エルフィナも迷わなかった。


『“アンカーの役割確認です”』


 照会を投げる。


 反応は、管理局跡よりさらに遅かった。

 返答が来るまでの沈黙が長い。

 その間、こちらが品定めされているような圧すら感じる。


 やがて、断片文字列が返る。


『“照合核……予備鍵束真正性確認……断片群統合前検証……”』


 そこまで読んで、エルフィナが息を吐いた。


『“やはりです。ここは、鍵束の“本物判定”と“汚染確認”をする場所です”』


「つまり、断片を集めてもここを通さないと危ない」


『“はい。少なくとも、汚染記録がある系列なら必須です”』


 第二問も行けるか。


「残りを聞くなら」


『“必要断片数、です”』


 エルフィナの答えは早かった。


『“第三片だけでは足りないのは明らかです。何枚あれば照合を始められるのか、それだけでも知る価値があります”』


「やれ」


 返答までの沈黙は、今度はさらに長かった。


 嫌な感じがする。

 やりすぎたか、と思ったその時、アンカー中心の揺らぎがほんの少し強くなる。


 返ってきた文字列は短かった。


『“照合開始条件……三片以上……中核系列一致……”』


「三片」


『“はい……”』


 エルフィナがゆっくり繰り返す。


『“予備鍵束の断片が少なくとも三つ。しかも同じ中核系列で揃っている必要がある”』


 今あるのは第三片だけ。

 足りない。

 だが目標ははっきりした。


 あと二つ。

 それも同系列。


 そこまで見えた時点で、ノアが硬い声を出した。


『艦長、外部状況急変』


「何だ」


『ヴァルガと新勢力の局地戦が拡大。新勢力側の後続一隻が到着した可能性があります。交戦域が外周へ膨らみつつあり、アンカー方面の空域も安全とは言えなくなります』


「切るぞ」


『賛成です』


 エルフィナも即答した。


『“これ以上は危険です。今の情報だけで十分大きい”』


 その通りだ。


 アンカー本体の存在。

 照合層の実在。

 役割。

 必要断片数。


 これだけ取れれば、今日の仕事は上出来すぎる。


「切断。離脱」


     ◇


 帰路についたヴァルハラ・コアの正面スクリーンには、遠くで交差する光が見えていた。


 ヴァルガと新勢力の局地戦だ。


 派手な艦隊決戦ではない。

 だが明らかに、互いの縄張り主張が強くなっている。

 小型艇同士の接触だけでは済まず、コルベット級同士が射程を意識し始めていた。


『新勢力後続艦、到着を確認。小型ではありません。おそらく武装支援艦です』


「増えたか」


『はい。これにより、ヴァルガとの戦力均衡は微妙に崩れます』


「どっちに?」


『短期的には新勢力側が有利になる可能性があります。統制が高く、後続艦の運用が整っています』


 リェンの言っていた通りだ。

 この連中は、雑に突っ込まない分だけ崩れにくい。


「ヴァルガは焦るな」


『間違いなく』


 つまり、こっちへの強襲は少し遅れるかもしれない。

 だが代わりに、“短期間で成果を出すための無理”をやってくる可能性が上がる。


 その時、ラグランジュ・リンクスから短い通信が入る。


『“状況更新。新勢力は暫定的にヴァルガ後方を分断する位置を取った。しばらくは両者の牽制継続と予測。追加交換条件の微調整を提案したい”』


「来たか」


『ええ』


 ノアが静かに言う。


『向こうは、現在の情報交換関係を一段だけ強めたいのだと思われます』


 使えるなら使うべきだ。

 ただし向こうに踏み込ませすぎない範囲で。


「繋げ」


     ◇


 通信が繋がると、例の落ち着いた女性の声が響いた。


『こちら《ラグランジュ・リンクス》。“目の貸し借り”の条件を一段だけ調整したい』


「聞こう」


『私たちは外縁監視を厚くする。その代わり、そちらからは“内側の大きな変化”だけでなく、“新たに価値が増したと判断した地点があれば、その有無だけ”を教えてほしい』


 上手いな、と思う。


 座標は要らない。

 詳細も要らない。

 ただ“増えたかどうか”だけ。

 それならこちらも嘘をつきにくいし、向こうは価値の上昇局面を読む材料を得られる。


「欲張るな」


 俺はまずそう返した。


『そちらも同じでしょう?』


「否定しない」


 少し考える。


 アンカーの存在は隠したい。

 だが“価値地点が増えた”こと自体を、永遠に隠し通せるわけでもない。

 むしろ向こうが別経路で気づいた時、こちらだけ黙っていた方が関係が悪くなる。


「条件付きならいい」


『どうぞ』


「“有無”だけだ。位置も種類も言わない。そっちも同じく、新勢力とヴァルガの勢力変化について、“大きな転換点の有無”だけを返せ」


 少し間が空いて、相手が答える。


『受けます』


「それともう一つ。そっちがこの宙域へ物理的に近づく時は、事前に一度だけ知らせろ」


『……理由を聞いても?』


「誤射を避けるためだ」


 半分本音で、半分牽制だった。


 向こうもそれを分かっているだろう。


『合理的です。受けましょう』


 交渉はそこでまとまった。


 完全な同盟ではない。

 だが“知らないうちに一歩踏み込み合う”よりはずっとマシだ。


 通信を切ったあと、ノアが短く総括する。


『関係は、限定情報交換から“限定事前通知つきの緩い観測協力”へ一歩進みました』


「長いな」


『要するに、少しだけマシになりました』


「それなら分かる」


     ◇


 ベース・ゼロへ戻ると、中央ハブの全員が結果を待っていた。


「アンカーは本物だ」


 俺がそう言うと、空気が変わる。


 エルフィナはすぐに補足した。


『“照合層まで届きました。アンカーは、予備鍵束の真正性確認と汚染検証を行うための中核照合点です”』


 ダルクが顔をしかめる。


『“つまり、あそこを押さえられたら鍵束の扱いで主導権を取られるってことか”』


「そういうことだ」


『“最悪だな……”』


「だから先に行く意味がある」


 リェンが続ける。


『“必要断片数は?”』


『“三片以上。同じ中核系列で揃える必要があります”』


 エルフィナの答えに、全員が一度黙った。


 今あるのは第三片だけ。

 つまり足りない。

 でも遠い目標じゃない。

 少なくとも、本保管区画や管理局台帳のどこを掘ればいいかが見えた。


「次に狙うのは第四か第五か」


『その可能性が高いです、艦長』


 ノアが補足する。


『ただし中核系列一致が条件である以上、単純に番号だけで判断はできません。補助台帳の続きの解析を進める必要があります』


「了解」


 その時、外部表示で新勢力の後続艦がもう一段前へ出た。


 ヴァルガの赤点もそれに応じて動く。

 戦線は完全には崩れていない。

 だが相互不信は強まっている。


 つまり今の星系は、こういう状態だ。


 ベース・ゼロはこっちが保持。

 管理局跡はまだ誰も完全支配していない。

 アンカーは、たぶんまだこっちしか知らない。

 ヴァルガと新勢力は噛み合い始めた。

 ラグランジュ・リンクスは値踏みしながら、少しだけこちらへ寄った。


 かなり悪くない盤面だ。


「次は補助台帳の続きを解く」


 エルフィナがうなずく。


『“第四片、第五片、そして中核系列の照合ですね”』


「そうだ」


 リェンが壁にもたれながら、少しだけ口元を緩めた。


『“少なくとも、今は敵より一歩先ね”』


「その一歩が一番大事だ」


 中央ハブの青白い光が静かに揺れる。


 アンカーの本体にまだ触れたわけじゃない。

 予備鍵束もまだ一片しかない。

 敵は増え、交渉相手も増えた。


 それでも、盤面の芯はこっちが先に掴み始めている。


 開拓ってのは、多分そういう競争なんだろう。


 何かを見つけた時点ではまだ勝ちじゃない。

 それを誰より早く理解して、守って、使える形にした時に初めて、自分のものになる。


 なら、まだやることは山ほどある。

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