第九話 旧中継門管理局跡
ベース・ゼロの中央ハブは、出撃前の静けさに包まれていた。
照明はまだ万全じゃない。
壁の古い端末も半分以上は死んだままだ。
それでも、ここがもう単なる廃墟ではないことは誰の目にも明らかだった。
水がある。
電力がある。
防衛線がある。
帰る場所がある。
その事実が、俺の判断を少しだけ大胆にする。
「今回の目的は三つ」
ホログラム上に、星系外縁の反応源と敵包囲配置を並べる。
「一つ。管理局跡らしき構造物の実在確認。二つ。使える設備の有無。三つ。敵がどこまで気づいてるかの確認」
リェンが腕を組んだまま言う。
『“交戦は?”』
「避ける。だが、見つかって逃げきれる範囲なら撃つ」
『“いつも通りね”』
「一番勝率が高い」
今回は大人数で行かない。
ヴァルハラ・コアで俺とノア。
それに同行者は一人だけ。
誰にするかで少し迷ったが、結局エルフィナになった。
理由は単純だ。
旧規格の反応を現場で読むには、彼女の認証鍵と知識が必要になる可能性が高い。リェンの護衛能力も捨てがたいが、ベース・ゼロ側の守りを任せる役目がある。
当人同士は案の定ひと悶着あった。
『“私が行きます”』
『“駄目です”』
『“私がいなければ、現地で判別できない情報があります”』
『“だからこそ駄目なのよ。狙われてる本人が前に出てどうするの”』
リェンとエルフィナの応酬はしばらく続いたが、最後は俺が切った。
「行く。ただし条件付きだ」
二人がこっちを見る。
「エルフィナは艦内から出ない。現地で降りるのは俺だけ。ノア経由でデータを読む。危なくなったら即帰る」
リェンはなおも不満そうだったが、エルフィナは先にうなずいた。
『“受けます”』
『“エルフィナ”』
『“リェン。私がここで何もせず守られるだけなら、この船に乗ってきた意味がありません”』
まっすぐな声だった。
若いが、腹は決まっている。
リェンは長く息を吐いてから、ようやく折れた。
『“……絶対に無茶はしないで”』
「それは俺にも言ってるのか?」
『“もちろんよ”』
「善処する」
『“信用できない返事ね”』
最近このやり取りが増えた気がする。
◇
ヴァルハラ・コアは、ベース・ゼロのベイから静かに離れた。
今回は奇襲ではない。
隠密が第一だ。
熱源を抑え、推進も最小限。残骸帯の影を選びながら、包囲網の薄い綻びを抜けていく。補給支援艦を削った影響はまだ残っており、敵の位置にはわずかな乱れがあった。
『現在の包囲密度なら、発見されずに管理局跡候補へ接近できる確率は七十四パーセントです』
「悪くない」
『艦長の許容基準が徐々に危険寄りへ変化している気がします』
「最初からこんなもんだろ」
『否定できません』
正面スクリーンに、反応源領域が拡大表示される。
そこは、ベース・ゼロ周辺の採掘残骸帯とは少し雰囲気が違っていた。
より規則的だ。
漂っている破片の形も、採掘アームやコンテナではなく、アンテナ支柱、外壁パネル、円環状フレーム、通信中継塔の残骸じみたものが多い。
「施設の種類が違うな」
『はい。工業系ではなく、制御・通信・観測に寄った構造体群です』
つまり当たりの可能性が高い。
エルフィナが補助席から静かに言う。
『“この配置……管理局本体というより、外縁補助制御区画かもしれません”』
「本体じゃない?」
『“中継門管理局は普通、核になる制御層を厚い外殻で守ります。その周辺に観測アレイ、補助電源、認証中継棟が散る構造が多いです”』
「じゃあまだ奥があるかもしれないわけか」
『“はい”』
それは朗報でもあり、面倒でもある。
価値が高い。
同時に、敵も本格的に欲しがる。
『艦長、前方に小規模熱源』
ノアの警告で、思考を切る。
スクリーンに赤点が二つ。
艦ではない。もっと小さい。
「何だ?」
『偵察ドローン、あるいは哨戒ポッドと思われます。ヴァルガ私掠群のものか、旧施設の残骸由来かは不明』
ここで交戦すれば隠密性が下がる。
だが放置して接近時に見つかるのも困る。
「回避できるか」
『右方向のフレーム帯へ入れば、視線を切れます。ただし進路は少し遠回りになります』
「それでいい」
艦首を切る。
ヴァルハラ・コアが巨大なリング残骸の内側を滑るように移動する。外では二つの赤点が規則的に巡回していた。
『敵由来の単純哨戒パターンに見えます。旧施設の自律機械にしては動きが整理されすぎています』
「つまりヴァルガも薄く探ってるか」
『その可能性が高いです』
なら、こっちだけが気づいているわけではない。
ただ、相手も確信は持てていない。
その差が今の優位だ。
◇
十分ほどの低速潜行の末、管理局跡候補が見えてきた。
それは一言で言えば、壊れた塔だった。
巨大な円筒構造が斜めに折れ、外装の半分が剥がれ落ちている。周囲には輪状のフレームが幾重にも散り、まるで花弁を失った機械の花みたいだった。外壁には細かなアンテナ群の残骸。中央部には、黒い穴のように開いた接続港。
採掘ステーションとは違う。
明らかに“情報を扱う施設”の顔つきだ。
『位相残留反応、強度上昇』
ノアが告げる。
『この構造物周辺で検出される揺らぎは、ベース・ゼロから拾ったものと一致傾向にあります』
エルフィナが端末に手を添えた。
『“間違いありません。旧式照会規格の反射癖があります。完全に死んだ施設ではない”』
「生きてるのか?」
『“少なくとも、何かが眠っている”』
俺は慎重に艦を接続港の陰へ寄せた。
ここはベース・ゼロのように丸ごと艦を隠すには狭い。だが短時間の係留ならできる。外部センサーにも映りにくい位置だ。
「ノア、係留。エルフィナは艦内待機」
『了解です』
『“了解しました”』
準備を整え、俺は一人で簡易エアロックへ向かう。
背中には短銃身ビームカービン。腰にサイドアーム。ヘルム越しの視界に、ノアの補助表示が浮かぶ。
『艦長、内部構造は不明瞭です。前回同様、旧式自律機械の残存には注意してください』
「了解」
『あと、今回は“価値のあるものを壊さない”優先度が前回よりさらに高いです』
「分かってる。撃つ時はよく見る」
『それでも艦長は時々勢いで撃ちます』
「信用がないな」
『経験則です』
管理局跡の内部は、ベース・ゼロ以上に静かだった。
いや、静かというより“音が吸われる”感じに近い。空気はほとんどなく、微細な霧状粒子が漂っている。照明は死んでいるが、壁面の一部に細い燐光が流れており、完全暗闇ではない。
通路は円形断面。
壁面に埋め込まれた端末や、中継ケーブルの束。
ところどころに、見たことのない紋章。
『“その紋章、旧管理局系統のものです”』
艦内から、エルフィナの声が通信で届く。
『“中央に三重円、その外に断線した弧線。大戦前の広域門制御局で使われた印です”』
「本物か」
『“はい”』
その先の小部屋に入ったところで、最初の収穫があった。
壁一面に並ぶラック。
ただしデータ端末ではない。
黒く細長い柱状ユニットが何十本も収められている。
「何だこれ」
ノアがスキャンする。
『高密度記録媒体、あるいは認証補助モジュールの可能性があります』
エルフィナの息を呑む気配が通信越しに伝わった。
『“保管庫です。補助記録柱……!”』
「使えるのか?」
『“状態次第です。でも、一部でも読めれば大きい”』
こいつはすごい。
思わず一本持ち帰りたくなるが、今は欲張らない方がいい。
「位置記録だけして先へ行く」
『賢明です、艦長』
通路を進むと、途中で隔壁に行き当たった。
完全閉鎖ではない。半分開いて止まっている。
その隙間から奥を覗いた瞬間、ノアの警告が走る。
『熱源! 右上!』
反射で身体をひねる。
天井近くの配線束の陰から、細い赤光が走った。
ビームではない。切断用か穿孔用の作業レーザーだろう。だが人体には十分危険だ。
壁を蹴って横へ流れながら、発射元を見る。
浮遊機械。
前回の多脚型とは違う。円盤に近い本体から細いアームが四本伸び、先端に工具やセンサーをぶら下げている。整備用ドローンの成れの果てらしい。
だが敵味方識別は完全に死んでいる。
「一体だけか?」
『近傍は一体。遠方反応は不明』
射撃は躊躇した。
記録設備を壊したくない。
「ノア、妨害波で止められないか」
『試みます』
ヘルム内にノイズが走る。
次の瞬間、浮遊ドローンの動きが一瞬だけ鈍った。
「効いた!」
『一時的です!』
俺はその隙に距離を詰め、カービンではなく腕でアームを掴んだ。機械が暴れる。工具のひとつがヘルムをかすめたが、逆手でセンサー部へ衝撃を叩き込む。
一度。二度。
最後に本体中央へサイドアームを押し当て、極短射。
焦げ臭い匂いとともに、ドローンは沈黙した。
『無力化を確認』
「壊したくない時ほど近接になるんだよな……」
『艦長の運動神経に依存した解決策です』
「勝ったからいい」
問題は、その先だった。
隔壁の奥には、広い制御室があった。
半球状の部屋。中央に円柱端末。周囲を囲むように弧状コンソールが並び、その多くは沈黙している。だが中央円柱の下部だけは、今も微かに光っていた。
『位相反応の中心です』
ノアが断言する。
エルフィナの声が震える。
『“そこが補助制御核です。管理局跡で間違いない……”』
「使えるか?」
『“可能性は高いです。でも現地で触るのは危険です。誤作動で完全停止するかもしれない”』
俺は中央円柱を見上げる。
触りたい。
だが今は我慢だ。
先に構造を読みたい。
「ノア、非接触スキャン優先」
『了解』
その時だった。
ノアの声色が急変する。
『艦長、外部変化。敵熱源複数接近』
「何だと?」
『ヴァルガ私掠群の小型艇二、管理局跡領域へ進入。どうやらこちらを追ったわけではなく、この領域自体を捜索しています』
つまり、相手もここに勘づいている。
最悪ではない。だが、猶予は短い。
「隠れたままやり過ごせるか」
『小型艇だけなら可能性はあります。ただし彼らが降下偵察を始めると、艦内のエルフィナさんが危険です』
通信越しに、エルフィナの声が落ち着いて響く。
『“私は大丈夫です”』
「大丈夫じゃない。選択肢を考える」
スクリーンがない場所でも、頭の中で盤面が組み上がる。
敵小型艇二。
ここは狭い構造物群。
ヴァルハラ・コアは接続港の影。
相手はまだこちらの正確な位置を知らない。
なら――
「ノア、外部構造を使って視線切りできる場所は」
『管理局跡の背面フレーム帯。そこへ抜ければ一時離脱可能です』
「敵を一機ずつにできるか?」
『できます。通信妨害とデブリ干渉を併用すれば』
「よし」
この時点で、もう一つ見えてきたことがある。
敵の包囲は、ベース・ゼロを完全に閉じるための陣ではある。
だが広く薄い。理由は単純で、相手も“何を守るべきか”をまだ確定できていないからだ。
ベース・ゼロ。
門反応。
管理局跡。
全部が候補で、全部を見たい。
だから戦力が分散している。
それが弱点だ。
「ノア」
『はい』
「敵はまだ、中心目標を決めきれてない」
『同意します』
「なら、もっと迷わせれば包囲は薄くなる」
『はい、艦長』
つまり今後の戦い方はこうだ。
ベース・ゼロだけを守るんじゃない。
管理局跡という第二の価値地点を持ち出し、敵に“どちらが本命か”を分からなくさせる。
相手の注意が割れれば、少数側でも局地優勢を作れる。
これは大きい。
「一度戻る。今は情報だけ持ち帰る」
『了解』
「その前に、中央制御核の形状データと保管庫位置、全部記録」
『実行中です』
管理局跡の価値は本物。
敵も薄く嗅ぎつけている。
そして包囲網は、その欲張りのせいで弱くなる。
十分すぎる収穫だった。
俺は制御室を後にし、接続港へ急ぐ。
帰り道で、さっき無力化した整備ドローンの残骸をちらりと見た。
完全な死体じゃない。もし時間があれば解析して、施設保守系のプロトコルを抜けるかもしれない。
使えるものは全部使う。
それがこの宇宙での基本だ。
◇
ヴァルハラ・コアへ戻ると、外ではすでに小型艇のセンサー光が構造物群を舐め始めていた。
『敵小型艇二、なおこちらの正確な位置は未把握』
「なら先に出る」
『背面フレーム帯への離脱コース、表示』
艦をそっと浮かせる。
接続港の影から離れ、巨大フレームの裏側へ沿うように移動。
敵小型艇の一機がこちらに気づきかけるが、ノアが即座に短時間の通信妨害をかける。
『センサー同期を一時撹乱しました』
「いい」
一機目が遅れる。
二機目は別方向へ回る。
分かれた。
「これでいい。喧嘩は帰り道だ」
『はい、艦長』
ヴァルハラ・コアは管理局跡領域を離れ、再び残骸帯の影へ戻っていく。
背後では、敵小型艇が遅れて捜索を始めていた。
彼らは何かを感じている。
だがまだ掴めていない。
その“まだ”が、こちらの武器になる。
◇
ベース・ゼロへ帰還すると、中央ハブには張りつめた空気と、少しの高揚があった。
俺が持ち帰ったデータを見て、リェンが低く言う。
『“本当に管理局跡だったのね……”』
「しかも補助制御核と保管庫つきだ」
ダルクは呆れ半分、興奮半分で端末を叩く。
『“こんなの、辺境争いの獲物じゃないぞ。完全に大勢力案件だ”』
「だろうな」
エルフィナは記録データを読みながら、ゆっくりとうなずいた。
『“補助制御核の生存率は予想以上です。うまくいけば、門の照会だけでなく、旧台帳の断片取得まで狙えるかもしれません”』
「そこまでいけるか」
『“可能性はあります。ただし時間が必要です”』
「敵も時間をかけてくる」
リェンがそこで口を開く。
『“なら、むしろ好都合かもしれない”』
「どういう意味だ?」
『“敵は今、二つの価値地点を疑い始めた。ベース・ゼロと管理局跡。どっちも欲しいなら、どっちにも戦力を貼る必要がある”』
「そうだな」
『“なら、包囲はさらに薄くなる。少なくとも一点集中ではなくなるわ”』
その通りだ。
これはただの防衛戦じゃなくなってきた。
敵に“守るべき目標”を増やさせることで、こっちは数的不利を相殺できる。
ノアが整理する。
『現状、敵は以下の三つを警戒対象としている可能性があります。第一、鍵持ちであるエルフィナさん。第二、拠点化が進むベース・ゼロ。第三、管理局跡由来の異常反応』
ホログラムに三つの点が並ぶ。
『戦力が限られた私掠群にとって、三地点の同時確保は容易ではありません』
「つまり、これから先の勝ち筋は」
俺は三点を線で結びながら言う。
「相手を三択で迷わせ続けることだ」
エルフィナが静かに俺を見る。
『“あなた、やっぱり開拓者というより、まず戦術家ですね”』
「生き残るには順番がある」
「場所を取る前に、相手の計画を壊す」
外では、ヴァルガ私掠群の包囲が少しずつ再編されていく。
だがもう、彼らは“廃採掘ステーションに逃げ込んだ獲物”だけを見てはいない。
この星系そのものに、もっと大きな価値が眠っている。
その予感が、戦いを次の段階へ押し上げていた。
そしてそれはきっと、ヴァルガだけでは終わらない。
もし連邦や企業勢力、あるいは他の辺境軍閥がこの匂いを嗅ぎつけたなら。
ベース・ゼロを巡る争いは、私掠群退治では済まなくなる。
ダルクが苦々しく言った。
『“嫌な予感がするな……”』
俺も同感だった。
「大きい話になってきた」
ノアが即答する。
『艦長の好みでは?』
「トラブルの規模がでかいのは好きじゃない」
『ですが、価値のある未開拓資源は好きです』
「否定はしない」
中央ハブの青い照明が、静かに脈打つ。
ベース・ゼロは、もうただの避難所じゃない。
管理局跡の存在が確かなら、この星系は拠点候補から戦略拠点候補へ変わる。
そしてその変化を、一番早く掴んでいるのは今のところ俺たちだ。
「次は管理局跡を本格的に触る準備だ」
リェンがうなずく。
『“その前に、ヴァルガの配置ももう一度崩したいわね”』
「そうなる」
門を掘るにも、拠点を固めるにも、敵の目を曇らせる必要がある。
戦いはまだ序盤だ。
だが盤面は確実にこちら向きに動き始めていた。
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