第39話 盗賊団の噂
「さて、それじゃあ商談といきましょうか」
アルマンが顎でわずかに合図を送ると、背後に控えていた大柄な部下たちが一斉に動き出した。
馬車の荷台から降ろされていく木箱は、どれも重厚で頑丈な造りをしている。地面に置かれるたびに、土埃が小さく舞い上がった。
明智がゆっくりと御者台から飛び降りた。
彼は扇子をぱちりと開き、品定めをするような足取りで木箱へと近づいていった。
「確認させていただきますぞ、アルマン殿。こちらが瓶詰め百箱、でよろしかったですかな」
「ええ、そうよ。中身は全部グランタリア産の瓶詰めよ。向こうじゃ輸出禁止の代物だから、値段はそれなりにするわよ」
「もちろんですとも」
明智は屈み込み、手近な木箱の蓋を開けた。厳重に詰められた緩衝材の隙間から、中の瓶を一本、指先で慎重に引き抜く。
冷ややかな光を反射する透明なガラスの向こう側には、まるで時間が止まったかのように鮮やかな色彩を保った野菜と、脂の乗った肉が隙間なく詰め込まれていた。
明智はその瓶を目の高さまで掲げ、多角的に光に透かして観察する。
「ふむ。保存状態も申し分ない。これは売れますぞ」
「さすが商人。目利きが早いわね」
「この程度、スキル【目利き】を以てすれば朝飯前ですぞ」
明智の口元に柔和な笑みが浮かび、それと同時に扇子が鋭い音を立てて閉じられた。その一連の動作には、一分の隙も存在しない。
「では代金の方を――」
明智が仕立てのいい上着の懐に手を差し入れ、ずっしりとした重量感のある革袋を取り出した。金属同士が擦れ合う鈍い音を立てるその袋を、彼はアルマンの手元へと差し出す。
アルマンは受け取ったその袋の紐を解くことすらせず、中身の金貨を数えようともしないまま、背後に立つ部下へと無造作に放り投げた。
放物線を描いた革袋は部下の手のひらに収まり、再び鈍い金属音を響かせた。
「確認しなくていいのか?」
思わず俺が声をかけると、アルマンは両肩をわずかにすくめて見せた。
「明智ちゃんが誤魔化すような真似をするなら、その時はその時よ。でもこの子、そういうことはしないでしょ」
「拙者のことを信用してもらえているのは嬉しいのですが、なんとなく複雑な気分ですな」
明智は眉を八の字に曲げ、困惑を隠さない苦笑いを浮かべた。
アルマンの部下たちは、組織的かつ無駄のない動きで、降ろした木箱を今度は明智の荷馬車へと次々に積み替えていく。衣服が擦れる音と、木箱が荷台に収まる重い音だけが規則正しく周囲に響く。
桐島がその様子をじっと見つめ、積まれた木箱の中を覗き込んだ。
「これ、お肉と野菜……? わざわざこんなの買い付けに来たの?」
「この世界の保存食といえば干し肉か塩漬けくらいだからな。それに比べたら瓶詰めは格段に質がいい。グランタリアが瓶詰めの技術を独占したがるのも納得だ」
「独占……? 他国では売られてないの?」
「瓶詰めを考えたのは異世界人なんだと。つまり、俺たちクラスメイトの誰かということになる」
「ほへぇー!?」
「影山ちゃんの言う通りよ。グランタリアにしかない技術だからこそ、連中は必死に秘密にしてるの。輸出禁止にしてるのもそのためね」
「じゃあこれ、かなりまずいやつじゃないですか」
桐島の顔に、明確な不安の色が走った。
「まずいわね」
アルマンは感情の起伏を感じさせない、あまりにもあっさりとした口調で応じた。
「でも、商売ってそういうものよ。需要があるところに高値で供給する。それだけ」
その言葉を聞いた明智は深く首を縦に振った。
彼の瞳には商人としての冷静な計算が宿っており、アルマンの提示した危険な論理に深く同意していることが見て取れた。
まさにその時だった。
アルマンの視線が、それまでの弛緩した空気から一転して、すっと鋭く水平に移動した。
それは有栖川の佇む方向へと向いたというよりも、何かもっと抗いがたい強大な力によって、強制的に視線を吸い寄せられた、と表現する方が正確だった。
アルマンの顔に貼り付いていた、あのねっとりとした甘ったるい笑顔が、ほんの一瞬、完全に消失する。
「……あら」
地を這うような低い声だった。
その一言に宿る響きは、先ほどまでの軽妙なやり取りとはまるで別物だった。
空気が変わる。
有栖川もまた、その変化を即座に察していた。
胸の前で腕を組んだまま、彼女は正面からアルマンを見据える。端正な顔立ちは微動だにしない。
しかし、その蒼い瞳には鋭い警戒の色が宿っていた。
二人の視線がぶつかる。
その場にいた誰もが口を閉ざし、息を潜めた。
重苦しい沈黙が広がる中、アルマンがゆっくりと口を開く。
「そっちのお連れさんも、影山ちゃんのお仲間かしら?」
「恋人よ!」
「あら、影山ちゃんも隅に置けないわね」
アルマンの顔に再び笑みが浮かんだ。
だが、その笑みは先ほどまでのものとは明らかに違っていた。
有栖川へ向けられた視線が、その全身をゆっくりとなぞる。
まるで品定めをするように。
そして同時に、思いも寄らない強敵と遭遇したことを楽しむように。
その瞳の奥で揺れているのは、警戒か、それとも興味か。
いや、その両方だった。
アルマンは笑っている。
しかし、その目だけは獲物を見据える捕食者のままだった。
「変わった剣を持っているわね」
「刀よ」
有栖川は短く答えた。
その声音に揺らぎはない。
「ふぅん」
アルマンは小さく頷くと、それ以上は何も聞かなかった。
あまりにもあっさりと視線を外し、まるで興味を失ったかのように話を打ち切る。
だが、本当にそうなのかは分からない。
有栖川もまた何も言わなかった。
ただ、胸の前で組んでいた腕を静かに解き、その両手を自然な位置へ戻す。
いつでも動けるように。
そんな無言の意思表示にも見えた。
俺は二人を交互に見た。
短いやり取りだった。
だが、その裏では互いに相手を測り合っていたような気がする。
アルマン。
有栖川。
どちらも底が知れない。
その事実だけが不気味なほど重く、胸の奥に刻み込まれていた。
◆
荷の積み替えが終わり、一息ついたところでアルマンが何気ない調子で口を開いた。
「そういえば、このあたりで最近盗賊が出るって話よ」
その言葉に、明智が扇子を広げながら頷く。
「街でもその噂は耳にしましたな」
「グランタリアの騎士団出身の男が仕切ってるらしいのよ。……確か、ロベル公爵家の三男だったかしら」
「公爵家の三男が盗賊を?」
思わず眉をひそめる。
公爵家といえば、どこの国でも指折りの名門だ。
そんな家の人間がなぜ盗賊団の頭などやっているのか。
まったく話が繋がらなかった。
「なんでまた騎士団の、それも上位貴族がそんなことに」
「色々あったらしいわよ」
アルマンは他人事のように肩をすくめた。
「グランタリアの重要人物を死んだと偽り、他国に奴隷として売り飛ばしたらしいのよ。それが露見して、お家を追放されたって話ね」
その話を聞き、俺は隣の有栖川へ視線を向けた。
有栖川はしばらく無言のまま前方を見つめていた。
何かを思い出しているのか、それとも興味がないだけなのか、その表情からは読み取れない。
やがて彼女は小さく息を吐き、心底どうでもよさそうな声音で口を開いた。
「ああ、ぶっ飛ばした奴の中にそんな奴がいたかもしれないわね」
一瞬、その場の空気が止まった。
桐島と水瀬が勢いよく有栖川へ振り向く。
明智は扇子を閉じる手をぴたりと止め、アルマンは面白そうに目を細めた。
「……有栖川殿」
「なによ」
どこか引きつった明智の声に、有栖川は視線すら向けない。
「今、とんでもないことをおっしゃいませんでしたか」
「前歯を二本折ってやっただけよ。それだけ」
有栖川は平然と言い放つ。
そこには武勇を誇る様子も、罪悪感もない。
本当に些細な出来事だったと言わんばかりの態度だった。
俺はゆっくりと天を仰いだ。
額に手を当て、深いため息を吐く。
「間違いなく、追放の原因は有栖川殿でしょうな」
「知らないわよそんなこと。向こうが勝手にやらかしたんでしょ」
あまりにも素っ気ない返答に、アルマンの喉からくつくつと笑い声が漏れた。
「なるほどねえ。道理で執念深いわけだわ」
「執念深い?」
俺が聞き返すと、アルマンは笑みを残したまま肩をすくめた。
「ロベル家の三男坊が盗賊団を作った理由の一つが復讐らしいのよ。金と女も目的みたいだけど、一番は異世界人への恨みを晴らすためだって話ね」
その言葉にも、有栖川は「ふん」と鼻を鳴らしただけだった。
「何度でも返り討ちにしてやるだけよ」
「あら、随分頼もしいわね」
アルマンは有栖川を見つめた。
先ほどまで浮かべていた笑みは薄れ、その双眸だけが静かに細められる。
有栖川も視線を逸らさない。
短い沈黙が流れた。
「でも気をつけなさいよ」
アルマンがそっと言う。
「相手は宰相――オズワルド=ヴァーンに片腕を奪われた上に、祖国を追放された身よ。失うものがない人間ってのは、それだけで脅威なんだから」
有栖川は答えなかった。
ただ、その右手が腰の刀へと伸びる。柄に添えられた指先に力が入る。
だが、その仕草だけで十分だった。
来るなら迎え撃つ。
そう告げているように見えた。
◆
有栖川たちが荷馬車へ戻るのを見届けると、アルマンは部下の一人を引き寄せ、何事かを耳打ちした。
指示を受けた部下は即座に動き出し、馬車を少し離れた場所へ移動させていく。
やがて周囲から人の気配が遠ざかり、その場には俺とアルマンだけが残された。
アルマンは周囲を睥睨すると、ゆっくりと俺へ向き直った。唇には相変わらず艶やかな笑みを浮かべているが、その声音は先ほどまでよりも一段低い。
「前に貰ったポーション、すごい評判よ」
「使ったのか?」
「何本か闇オークションに出したわ。随分いい値がついたわね」
「……そうか」
「聖王国では聖水として教皇さまに献上されたって話よ。他にも興味を示している人間が何人かいてね」
そこでアルマンは言葉を区切り、俺の反応を窺うように沈黙した。
風が木々の梢を揺らし、葉擦れの音だけが静かな空間に響いていた。
「グランタリアの方からも、嗅ぎつけてきた人間がいたわ」
俺は喉元まで込み上げた言葉を飲み込み、無言のままアルマンを見据えた。
「安心して、調合師が誰かまではわかっていないはずよ。今のところはね」
「今のところは、か」
「ええ、今のところは」
アルマンが意味深な笑みを浮かべる。
それが忠告なのか、それとも牽制なのか。真意は読み取れない。
短い沈黙が流れた。
「お前は、どっちの味方だ」
「あたし?」
アルマンの双眸がわずかに細められる。
笑みは消えていない。
だが、その奥に潜む光だけが鋭さを増していた。
「あたしはマフィアよ。味方も敵もない。ただ、面白い方に――金のなる方に乗るだけ」
「それが今は俺だと」
「今のところはね」
アルマンは先ほどと同じ言葉を口にした。
その一言だけで十分だった。
これ以上探りを入れたところで、本音を引き出せる相手ではない。
俺は追及を打ち切った。
アルマンが踵を返し、部下たちの待つ馬車へ向かって歩き出す。
乾いた地面を踏む足音が遠ざかっていく。
「世話になった」
背中に向けて声をかける。
アルマンは足を止めなかった。
振り返りもしない。
ただ、こちらに背を向けたまま右手をひらりと一度だけ振ってみせた。
やがて、遠くから馬の鋭い嘶きが響いた。
アルマンを乗せた馬車は土埃を巻き上げながら、夕暮れの街道へ消えていった。
その姿が完全に見えなくなるまで見送ってから、俺は明智たちの荷馬車へと戻った。
緊迫した空気の余韻が残るはずの荷馬車では、当の明智がそんなものとは無縁の顔でスマホを取り出している。
「玄兎殿! メロキュアの11話、本当に神回ですぞ。村へ帰ったら一緒に鑑賞会をいたしましょう!」
「断る」
俺が荷台に乗り込むと、明智が手綱を鳴らした。
「つれないですな」
馬がゆっくりと歩き出し、荷馬車が帰路へ向けて進み始める。
俺は木々の並ぶ街道の先へ目を向けた。
来た道を引き返す。
再び村へ辿り着く頃には、すっかり夜になっているだろう。
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