第38話 合流地点
「まさか……まさかこのような異世界の地において、再びメロキュアが観れる日がこようとは……!?」
御者台のほうから、歓喜と驚愕の入り混じった明智の野太い声が荷台へと響き渡った。
俺は荷台から身を乗り出し、御者台を覗き込む。
明智は片手で手綱を握ったまま、もう片方の手でスマホを掲げ、その画面に食い入るように見入っていた。
「明智、前を見ろ!」
思わず声を荒らげると、明智はスマホから視線を外さないまま、呑気な口調で答えた。
「ご心配なく、玄兎殿。ここからの道は遮るものなき一本道、真っ直ぐですぞ」
「そういう問題じゃない」
「いやしかしっ! 数カ月ぶりのメロキュアですぞ! あのクソ忌々しいグランタリアの王城にいた間中、拙者はずっと続きが気になって気になって、夜も眠れぬほどに仕方がなかったんですぞ! この胸を焦がす拙者の熱き気持ちが玄兎殿には分かりますまい!」
「……」
わかるわけがない。
俺は言葉を失い、冷めた視線を明智の背中へ向けた。
「ねえ、メロキュアって何?」
隣から有栖川が怪訝そうに眉をひそめながら俺の顔を覗き込んできた。
「知らん」
「魔法少女ものですぞ!」
俺が短く答えた瞬間、御者台から即座に明智の声が飛んできた。
「可憐なるメロキュアたちが、世界の平和のために悪の組織から街を守るため、己の身を賭して戦うのですぞ! 特に第10話において一度は絶望的な窮地に陥り、変身を強制解除されてからの、翌第11話で新たなるフォームへと覚醒を遂げる一連の流れはまさに神がかっており、拙者はあの回だけを実に三十回は見返しましたぞ!」
「三十回……」
有栖川が呆れ果てたような、あるいは少し引き気味の眼差しを俺へ向けてきた。
俺はただ首を横に振るだけで、何も言わなかった。
「メロキュアなら私も好きだよ! 歳の離れた妹がお気に入りだったからさ、毎週土曜の朝に一緒に並んで観てたんだよね」
荷台の奥から、今度は桐島がどこか懐かしそうに微笑みながら声を上げた。
「おお! 桐島殿もメロキュアをご存知でしたか! なれば、件の第10話における変身解除シーンの演出について、拙者の熱き見解を申し上げますと――」
「明智」
「なんですかな?」
「頼むから前を見ろ」
俺が威圧感を込めて告げると、明智は一瞬だけ、それこそ瞬きをするほどの僅かな時間だけ前方へ視線を向けた。
「見ましたぞ」
「そういう意味じゃない」
しかし次の瞬間には、再びスマホの画面へ意識を戻していた。
俺の忠告など完全に右から左だった。
有栖川が隣で小さくため息を漏らす。
俺もまったく同じ気持ちだった。
額に手を当てながら、押し寄せる頭痛をどうにか堪える。
目的地である合流地点まで、あとどれくらいかかるのだろうか。
俺は気を紛らわせるように街道の先へ視線を向けた。
見上げる空はどこまでも高く青い。
雲はほとんど見当たらず、初夏を思わせる穏やかな風が草原を撫でていた。
街道の両脇には背の低い草が一面に広がり、その緑の海が地平線の彼方まで続いている。
これほど見通しが良い場所も珍しい。
木々も岩場もなく、身を隠せそうな場所すらほとんど存在しなかった。
周囲を見渡しても旅人の姿はない。
商隊も冒険者も見当たらず、ただ一本の街道だけが真っ直ぐ遠方へ伸びている。
乾いた大地を叩く馬の蹄の音。
車輪が軋む音。
そして明智のスマホから流れ続ける、場違いなほど明るいメロキュアの主題歌。
緊張感とは無縁の、あまりにも平和な時間だった。
◆
アルマンとの合流地点は、街道から少し外れた林の入口だった。
背の高い木々が空を覆うように枝葉を広げており、昼間だというのに内部は薄暗い。
風が吹くたびに葉擦れの音が重なり合い、どこか不気味な気配を漂わせていた。
御者台に腰掛けていた明智が、ようやくスマホを衣服の奥へと仕舞い込み、握り締めた手綱を力強く引く。
馬が小さく嘶き、その場で足を止めた。
車輪が土を削る鈍い音を立てながら、荷馬車がゆっくりと停止する。
静まり返った林の奥。
木々の影から、一つの人影がゆっくりと姿を現した。
その体躯は百八十センチを優に超える巨体。
周囲の景色から完全に浮き上がるほど派手な色彩の服装。
顔面には特徴的なペイントが施されている。
一度見たら二度と忘れられない。
そんな強烈な存在感を放つ人物だった。
そして鼓膜にまとわりつくような独特の声も、俺ははっきりと覚えていた。
「久しぶりじゃない、坊や! それに明智ちゃんも、待っていたわよ」
アルマンの背後には数人の部下たちが控えていた。
全員が無駄口ひとつ叩かず、荷を大量に積み込んだ馬車の傍らに立っている。
その様子は商人というより、訓練された私兵集団に近かった。
何とも言えない空気の中、俺が荷台の縁に手をかけ、地面へ降りようとしたその時だった。
「アルマンさん!」
弾けるような桐島の声が背後から響いた。
驚く俺の脇をすり抜けるようにして、桐島と水瀬が荷台から飛び降りる。
二人はそのままアルマンのもとへ駆け寄っていった。
ただ一人。
安西だけは荷台の奥で膝を抱えたまま動かなかった。
誰とも目を合わせず、ただ黙ってその様子を見つめている。
「あら、あなたたちは――」
アルマンが大きな目を丸くした。
普段の計算尽くされた甘ったるい口調の奥に、彼にしては珍しく飾らない驚きが滲んでいる。
「その節は本当にありがとうございました! アルマンさんが手を貸してくださったおかげで、私たち、無事に国境を超えることができたんです。まさか命の恩人のアルマンさんと、こんな場所でまた再会できるなんて!」
桐島は興奮を隠しきれない様子で言葉を続けた。
俺は荷台から降りると、ゆっくりアルマンへ視線を向ける。
「やっぱりお前だったか」
アルマンは俺を見るなり、その不気味な口元に笑みを浮かべた。
「あら、影山ちゃん。この子たちの知り合いだったのね」
「クラスメイト――同郷の連中だ」
「あらまあ、それはそれは。随分と奇妙な偶然があったものね」
アルマンが芝居がかった仕草で桐島と水瀬を見比べる。
それを聞いた桐島が目を丸くした。
「影山くん、アルマンさんと知り合いなの?」
「まあな」
「すごい偶然だね」
「偶然……ね」
俺は小さく呟きながら、アルマンの瞳の奥を見据えた。
桐島はその意味が分からないらしく、不思議そうに首を傾げている。
「お前、最初から桐島たちが俺の知り合いだって気づいていたんじゃないのか?」
問いかけると、アルマンは大きな手をひらひらと振った。
「さあ、どうかしらね。目の前で困っている子を見かけたら放っておけないのが、あたしの哀しい性分だもの」
口元の笑みがさらに深くなる。
その表情を見ていると、どこまでが本音でどこまでが嘘なのか分からなくなる。
隣では水瀬が眼鏡のフレームを静かに押し上げていた。
アルマンと俺の顔を交互に見比べるその瞳は、何かを計算するように鋭く細められている。
「では、以前アルマンさんが仰っていた、危ないところをお人好しの異世界人に助けられたというあの話は……」
「ええ、そうね。あれはまさに、そこにいる影山ちゃんのことよ」
アルマンが答えると、桐島がこの日一番の大声を上げた。
「ええっ!? 影山くんが、アルマンさんを助けた人だったの!?」
「たまたま持っていたポーションが邪魔だったから、その辺に捨てただけだ。それをそこのアルマンが勝手に拾っただけだ」
「あら、そうだったかしら? あたしの記憶が確かなら、ひどく心配そうな顔をしたお人好しの坊やが、動けないあたしの目の前に、わざわざそれを置いていってくれた気がするのだけれど」
「何ヶ月も前の話だ。細かいことは覚えてない。それに結果的にグランタリア脱出の時は、世話になったのは俺たちの方だ」
「それならあたしは、見返り目当てに動いただけよ。それに――」
アルマンは一歩だけこちらへ近づいた。
「影山ちゃんに嫌われたくはなかっただけ」
喉の奥を鳴らしながら楽しそうに笑う。
周囲の空気は和やかなはずなのに、なぜか俺だけはその笑顔を素直に信用する気になれなかった。
アルマンは確かに恩人だ。
だが同時に、決して底の見えない男でもある。
その笑みの奥で今何を考えているのか、俺にはまるで分からなかった。
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