第36話 信者爆誕

 朝の冷気が肌を刺す広場には、すでに大勢の村人たちが集まっていた。


 明智が昨夜のうちに村の重役たちと話をつけてくれていたおかげだろう。病に伏せっていた者、家族に肩を貸されながら歩いてきた者、不安そうな表情を浮かべる母親たち。誰もが期待と疑念の入り混じった視線をこちらへ向けていた。


 人だかりを割るようにして、村長らしき白髭の老人が進み出てくる。


 老人は俺の前まで来ると、深々と腰を折った。


「お初にお目にかかります、薬師様」


 それに倣うように、背後に控えていた大人たちも一斉に頭を下げる。


「昨夜、明智様から事の次第を伺いました。まさかグランタリアの作物が原因だったとは」

「上手い話には裏があるもんだ。死人が出る前で良かった」


 俺が淡々と告げると、村長は眉をひそめ、手元のガラス瓶へ視線を落とした。


「それはそうかもしれませんが……失礼ですが、本当にポーションなんぞで、私たちの病が治るのでしょうか」

「飲めばわかる」


 余計な説明はしない。


 俺たちは手分けして、小瓶に入ったポーションを村人たちへ配っていった。


 しかし、その反応は鈍かった。


 半信半疑――いや、それ以上だ。


 彼らはポーションそのものに強い不信感を抱いているらしい。


 誰もが小瓶を握りしめたまま、中身の液体をじっと見つめている。栓を抜こうとする者すらほとんどいない。


 病に苦しみ続けた末に辿り着いたのが、この得体の知れない液体なのだ。警戒するのも無理はなかった。


 重苦しい沈黙が広場を支配しかけた、その時だった。


「ポーションを飲んだくらいで、人間そう簡単に死にゃせんわ」


 人だかりの奥から、齢八十を超えていると思われる小柄な老婆が歩み出た。


 老婆は迷う素振りすら見せず、栓を抜くと一気に中身を飲み干した。


 周囲の村人たちが息を呑む。


 次の瞬間だった。


「なっ、なんじゃこれ!?」


 老婆が目を見開き、その場で自分の身体を見回した。


「ばっ、ばあさんどうしたんだ!」

「や、やはりこんなもの――」

「か……体が軽いぞ!?」


「へ?」


 誰かの間抜けな声が漏れる。


 これまで深く折れ曲がっていた老婆の背筋が、まるで若者のように真っ直ぐ伸び上がっていた。


 それだけではない。


 老婆は自分でも信じられないといった様子で両腕を振り回し、その場で何度も足踏みをした後、ぴょんぴょんと軽快に跳びはねてみせた。


「お、おおっ! こりゃすごいわ! 腹の奥に溜まっておった嫌な怠さが綺麗さっぱり消えとる! 息も苦しくない! まるで肉体年齢が三十年は若返ったようじゃ!」


 いや、そんな効果はない。


 ない……はずなのだが。


 しかし、老婆の変化は誰の目にも明らかだった。


 それが決定打になった。


 疑心暗鬼だった村人たちが、我先にとポーションの栓を抜き始める。


「お、おい! 本当に効くぞ!?」

「マジだ! 身体が軽くなった!」

「咳が止まったぞ!」

「頭の痛みも消えてる!」

「これ、本当にポーションなのか!?」

「しかも、めちゃくちゃ美味いってどういうことだよ!?」


 広場のあちこちから驚愕と歓喜の声が上がる。


 つい先ほどまで母親の足元でうずくまっていた子どもが元気よく走り回り始める。


 今にも倒れそうだった男は、自分の身体を確かめるように深く腰を落とし、何度もスクワットを繰り返していた。


 青白かった顔色はみるみる血色を取り戻し、絶望に沈んでいた村人たちの表情には笑顔が戻っていく。


「本当にすごい……!」

「こんなポーション見たことがない!」

「まさに神の奇跡だ!」


 熱を帯びた視線が一斉に俺へ集まった。


 その中心で、村長が自らの腕を握ったり開いたりしながら、信じられないものを見るような顔で呟く。


「痛みが……消えておる……」


 長年の農作業で固まった関節を動かしながら、老人はしばらく言葉を失っていた。


 やがて我に返ったように顔を上げる。


 その指先は小刻みに震えていた。


「そ、それで、その……気になるお値段のほうは、いかほどに」

「いらん」


 即答した。


「は?」

「いらん」

「……いや、しかし、これほどの代物を戴いて、それでは道理が通りませぬ!」

「礼ならこの地を治める領主のエレノア=レンバースにでも言ってやれ」

「領主様に、ですか?」

「俺は今、レンバース家の世話になっている。これはその恩返しみたいなもんだ」

「そういうことでしたか」


 エレノアの名を聞き、村長たちもようやく得心がいったようだった。


「失礼ながら薬師様。貴方様は一体何者なのです? このような至高のポーションをたった一晩で、それもこれほどの量を作りあげてしまうなど、人間技ではございません!」


 大袈裟だな。


 ただのポーションだ。


 俺がそう言いかけた、その時だった。


「良くそこに気がついたわね! いいわ! あたしが特別に説明してあげる!」


 突如として、背後から有栖川の声が割り込んできた。


彼女は俺の隣へとすっと並び立つと、集まった村人たちを見渡しながら朗々と声を張り上げた。


「聞いて驚き、そして平伏しなさい! この影山という男はね、光劫清森幸福論という有難い教えを世に広めるべく、天上から使わされた偉大なる教祖様なのよ! あなた達にも分かりやすい言葉で言うなら、そう――聖人様よ!」


「「「おおおおおおっ!」」」


 広場を埋め尽くす村人たちが、一斉にどよめきを上げた。


 つい先ほどまで病に苦しみ、絶望の淵に立たされていた人々だ。


 その病を一瞬で治した張本人が聖人だと言われれば、信じてしまう者がいても不思議ではない。


「影山は世界中で苦しむ人々を救うために、各地を旅しているの。今日この日、あなた達が命の危機を脱し、影山と出会えたのは偶然ではないわ。まさに光劫清森幸福論の深遠なる導きによるものよ」


 ……は?


 何を言っているんだ、こいつは。


 俺は早くも頭痛を覚えながら、有栖川の方へ向き直った。


「……お、おい! 何適当なこ――」

「今いいところだから黙ってて」


 有栖川は俺の抗議を一秒たりとも聞く気がなかった。


「あなた達は、今まで神に祈りを捧げて助けられたことはあるかしら? あたしはない! いいえ、なかったと言うべきね! だけど、それも過去のこと!」


 有栖川は大きく両手を広げる。


「――あたしはあの日、影山に出会い、光劫清森幸福論の尊き教えに出会い、救われたのよ!」


 完全に嘘である。


 だが、本人は一切の迷いなく言い切った。


「……――見なさい!」


 有栖川は身にまとっていた外套を勢いよく脱ぎ捨てた。


 朝日に照らされた白い肌。


 そして、その胸元に刻まれた奴隷の証を、この場にいる全員へ見せつけるように突き出した。


 村人たちの間から驚きの声が漏れる。


「あたしはかつて毒に侵され、惨めな奴隷として売られていたわ。未来も希望もない絶望の中で、あたしは神の声を聞いたのよ」


 有栖川は胸に手を当てる。


 その表情は真剣そのものだった。


「神はあたしに告げたわ。いずれあたしの前に、神の使者が現れると。その者は【光劫清森幸福論】を世界へ広め、この汚れた世界を聖水の力で清める選ばれし聖人であると!」


 そして勢いよく俺を指差した。


「そう! この影山こそが、その神託にあった神の使い――聖人様なのよ!」


「な、なんと……!」

「では私たちが今口にした、これは……」


 村人の一人が、空になったガラス瓶を震える手で掲げた。


 有栖川はゆっくりと頷く。


「そうよ。あなた達が今飲み干したのは、ポーションという名を借りた奇跡の聖水!」


 ――なわけあるかッ!


 俺の心の叫びなど当然届くはずもなく、広場には本日二度目となる地鳴りのようなどよめきが広がった。


「聖水だってよ!」

「だからあんなに効いたのか!」

「なるほど!」

「なるほどじゃねぇだろ……」


 思わず小声で呟いたが、誰も聞いていなかった。


 もはや群衆は完全に有栖川のペースである。


「あなた達は本当に幸運よ。今この瞬間に光劫清森幸福論へ入信すれば、教祖と神、その両方から多大なる御加護が得られるんだもの」


 有栖川はにっこりと微笑んだ。


「……で、どうする? 今なら入信費は無料だけど?」


 一瞬の静寂。


 そして次の瞬間。


「お、おらは入るだよ!」

「俺もだ!」

「ぜひ入れてくれ!」

「わたしもお願いします!」

「家族全員まとめて入信します!」


 広場は瞬く間に大混乱となった。


 村人たちは我先にと有栖川の元へ殺到し、入信希望を叫び始める。


 病が治った直後という極限の高揚状態だったとはいえ、あまりにも素直すぎる。


 何より恐ろしいのは、有栖川自身だった。


 群衆心理を煽り、熱狂を作り出し、気付けば全員を同じ方向へ向かせている。


 さすがはカルト宗教の娘と言うべきか。


 その淀みのない手腕に、俺は心底寒気を覚えた。


「――でしたら」


 そこで明智が前へ出た。


 荷馬車から年季の入った大きな木箱を運び出し、その蓋を開ける。


 中には怪しげな御守らしきものや、お世辞にも出来が良いとは言えない木彫りの像が大量に詰め込まれていた。


「こちらは光劫清森幸福論の大変有難い御守と、聖人様の御像でございます。本日に限り特別価格にてご提供させていただきますぞ」


 村人たちの目が輝いた。


「おおっ!」

「御守だ!」

「聖人様の像まで!」


 完全にただの在庫処分である。


 だが、誰も疑っていなかった。


 有栖川が民衆へ慈愛に満ちた微笑みを向けた、その直後だった。


 彼女は首だけを動かし、隣の明智を射殺しそうな目で睨みつけていた。


「あんた、いい度胸じゃない」


 笑顔のまま言う。


 逆に怖い。


「いやはや。どこかで在庫処分できないものかと、ずっと荷馬車に積んでおいたのですぞ」

「っんなこと聞いてないわよ。あたしの信者にどさくさ紛れでガラクタ売りつけようとしてんじゃないわよ」

「売上の二割をお布施として奉納したいと思っておりますぞ」

「六割よ」

「……それはいくらなんでも強欲が過ぎますぞ」

「なら五割」

「三割」

「あんた、ここで死にたいわけ?」

「……四割で」

「五割つってんでしょ」

「……わかりましたぞ」


 満面の笑顔で利益交渉を続ける二人。


 傍から見れば慈善活動の相談でもしているようにしか見えない。


 しかし実態は、極めて生々しい金の話だった。


 その姿は悪魔よりも恐ろしく見えた。


 一方その頃、広場では村人たちが在庫処分品へ殺到していた。


「御守を三つくれ!」

「俺は像だ!」

「いや、最後の一体は俺のだ!」


 誰も彼も必死だった。


 ありがたみを感じているのか、単純に雰囲気に流されているのかは分からない。


 だが、売れていることだけは間違いなかった。


「……はぁ」


 俺は深いため息を吐く。


 そして騒ぎの中心からそっと距離を取った。


 できることなら、あの手の連中とは関わりたくない。


「影山くんって、ああいう人たちに振り回されるタイプなんだね」


 いつの間にか隣へ来ていた桐島が、混沌と化した広場を眺めながら言った。


「……こっちの世界に来てからだ」

「でも、嫌いじゃないって顔に書いてあるよ」

「……そんなことはない」


 即答した。


 だが桐島は信じていないらしい。


 肩をすくめながら小さく笑う。


「ふふっ」


 その向こうから、水瀬が安西の手を優しく引きながらこちらへ歩いてくるのが見えた。



 ◆



 昼過ぎには、いよいよアルマンとの合流地点へ向けて出発する運びとなった。


 出発の時刻が近づくにつれ、村人たちが続々と広場へ集まってくる。


 病に苦しんでいた者たちも、今ではすっかり元気を取り戻していた。


 子どもたちは走り回り、大人たちは笑顔で談笑している。


 ほんの一日前まで、村全体を覆っていた重苦しい空気はどこにもなかった。


 人混みを割るようにして村長が進み出る。


 老人は俺の前まで来ると、目に涙を浮かべながら深々と頭を下げた。


「本当に、本当にありがとうございました。お礼の言葉もございません」


 その後ろでは村人たちも揃って頭を下げている。


「ああ……まあ」


 俺は視線を泳がせながら、歯切れの悪い返事をするしかなかった。


 病を治したことについて感謝されるのは分かる。


 だが、その一方で、あの二人が在庫処分品のガラクタを法外な値段で売りつけたという事実もある。


 感謝されればされるほど、胸の奥が妙にむず痒い。


 罪悪感というほどではないが、何とも言えない申し訳なさがチクチクと心を刺していた。


「薬師様のおかげで村は救われました」

「うちの息子も元気になりました」

「一生忘れません」


 口々に向けられる感謝の言葉に、俺は曖昧な笑みを返すしかない。


 いや、本当に感謝されるべきなのはエレノアだろう。


 そう思いながらも、いちいち訂正する気力は残っていなかった。


 やがて明智が御者台へ上がり、出発の準備を整える。


「それでは皆様、そろそろ参りますぞ」


 手綱が軽く鳴った。


 馬が鼻を鳴らし、荷馬車がゆっくりと動き始める。


 すると村人たちが一斉に手を振り始めた。


「聖人様ー! どうかお気をつけてー!」

「光劫清森幸福論に栄光あれ!」

「また来てください!」

「御加護がありますように!」


 割れんばかりの歓声が響く。


 そして、そのほとんどの人間が例の歪な木像を大事そうに抱えていた。


 どう見ても粗悪品だ。


 だが、本人たちは宝物でも持っているかのような顔をしている。


「……はぁ」


 俺は思わず額を押さえた。


 結局最後まで、聖人扱いを否定する機会はなかった。


 荷台には桐島たち三人の姿もある。


 彼女たちの最終目的地もレジャスらしく、ここからはしばらく行動を共にすることになったのだ。


「ふふっ、なかなかの滑り出しじゃない」


 有栖川が満足そうに腕を組む。


「この調子で各地に信者を増やしていければ、いずれ教会を乗っ取ることも可能なんじゃないかしら。そのためにも、影山の設定をもう少し練る必要があるわね」

「勘弁してくれ。お前はこの異世界で宗教戦争でも始めたいのかよ」

「あら、負ける気がしないわね」

「俺は死んでも願い下げだ」


 有栖川は楽しそうに笑った。


 まったく反省している様子がない。


 おそらく今も頭の中では、俺を神格化するための新しい設定でも考えているのだろう。


 できればその才能を別の方向へ使ってほしい。


 御者台の明智が手綱を引く。


 応じるように馬が低く鳴き、荷馬車は泥道をゆっくり進み始めた。


 村の景色が少しずつ遠ざかっていく。


 俺はもう一度だけ振り返った。


 村人たちはまだこちらへ向かって大きく手を振っている。


 その手には揃いも揃って光劫清森幸福論の御像が握られていた。


 朝日を浴びて掲げられる大量の木像は、どこか異様で――そして少しだけ間抜けに見えた。


 もっとも、そのおかげで皆が笑顔になっているのだから、悪いことばかりでもないのかもしれない。


 そんなことを考えながら、俺は前を向く。


 アルマンとの合流地点まで、まだしばらく距離がある。


 こうして俺たちは、新たな騒動が待っているとも知らぬまま、次の目的地へ向けて旅を再開したのだった。

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