第35話 調合

 北の森から戻ったのは、夜も深まった頃だった。


 宿の扉を開けると、室内には張り詰めた空気が満ちていた。ランプの淡い灯りに照らされた部屋の中で、桐島と水瀬が並んでベッドの端に腰かけている。


 どうやら眠れなかったらしい。


「待ってたの?」


 有栖川の問いかけに、桐島が力なく苦笑した。


「眠れなかったから」


 その顔色はまだ優れない。だが、先ほどよりは幾分落ち着いているようだった。


 水瀬の視線が、俺の手に抱えた薬草へ向けられる。


「それが薬草ですか?」

「ああ」

「見せてもらっていいですか」


 俺は細い紐で束ねた薬草をテーブルの上へ広げた。


 青みがかった葉、黒ずんだ根、白い産毛の生えた茎。森で採取したばかりの薬草はまだ湿り気を帯びており、青臭い匂いがふわりと漂う。


 水瀬は椅子を引き寄せると、身を乗り出すようにして薬草を覗き込んだ。桐島も興味を引かれたらしく、その隣へ移動してくる。


「触ってもいい?」

「構わない」


 桐島は恐る恐る葉先に触れた。


「なんか……普通の雑草みたいに見えるけど」

「見た目はそうだな」

「【薬草鑑定】って、視界に入った植物の成分を自動解析できるスキルでしたよね?」

「ああ」

「では、この薬草の成分も全部わかるんですか」

「そうだな」


 俺は青い葉を摘み上げた。


「この葉に含まれる成分が体内の瘴気毒を中和する。で、こっちの黒い根から抽出した液体と組み合わせることで、その効果が何倍にも増幅される」

「なるほど。その二つを掛け合わせることで相乗効果が生まれるわけですね。なんというか、化学的な発想ですね」

「理科の実験に近いかもな」


 水瀬が感心したように何度も頷く。


 彼女の職業は機械工学士という、この世界では少し珍しい分類だ。物作りに関わる職業だからなのか、こういう工程には人一倍興味があるらしい。


 桐島も薬草を眺めていた。


 表面を指先でなぞりながら、何かを考えるように目を細める。


「どうかしたか?」

「ううん。ただ、影山くんってお医者さんみたいだなって」

「この世界に医者なんていても、役立たず扱いされるだけだろうな」

「……魔法って便利だけどさ」


 桐島は薬草から目を離さず呟いた。


「その分、人の成長を止めちゃってる気もするんだよね」

「地球とは文明の発展の仕方が違うからな。一概には言えないんじゃないか」

「へぇ」

「なんだよ?」


 桐島は少しだけ口元を緩めた。


「この世界に魔法なんてなかったら俺の天下だったのに、って言い出すと思ってた」

「ほとんどの男子なら言いそうですもんね」


 水瀬まで笑いながら同調する。


「言わねぇよ」


 桐島が肩を揺らして小さく笑った。


 つい先ほどまで死人みたいな顔をしていたのに、その表情にはわずかだが生気が戻っている。


「バカなこと言ってないで、さっさと作るぞ」

「うん」


 俺は調合作業を始めた。


 薬草の葉を一枚ずつ選別しながら机の上へ並べる。


 傷んだ部分を取り除き、残った部分だけをナイフで細かく刻んでいく。


 シャッ、シャッ、と刃が木板を叩く音が静かな部屋に響いた。


 次に黒い根を石臼へ放り込み、すり潰していく。


 ごり、ごり、と重たい音が鳴るたび、独特の苦い香りが立ち上った。


 やがて根は粘り気のある泥状へ変わり、そこから濃い色の抽出液が滲み出てくる。


 水瀬は顎に手を当てたまま、その一連の作業を食い入るように見つめていた。


「影山くん、その調合の割合はどうやって決めているんですか?」

「スキルで最適な配合が数値として表示される」

「すごい……」


 感嘆の息が漏れる。


「私、最初に訓練所でポーション生成士って聞いた時は、正直一番のハズレ職だと思っていました」

「俺もそう思ってた」

「でも、影山くんを見ていると全然そんなことありませんね。むしろ、かなり便利なスキルだと思います」


 水瀬は素直な口調でそう言った。


 桐島も隣で何度か頷いている。


「この世界で一般的に流通しているポーションは、とにかく性能が低い。傷痕は残るし、使いすぎれば中毒症状も出る」


 俺は薬液を混ぜながら続ける。


「だから本来は便利なはずのポーションが、あまり信用されていない」

「でも影山くんが作るポーションは違うんですよね?」

「そうだな」

「具体的に何が違うの?」

「ポーション生成士のスキルが、素材の持つ能力を限界近くまで引き出してくれる。ポーションそのものは手順を知っていれば誰でも作れるが、正しい効果を持つ本物を作れるかは別問題だ」


 そこで水瀬が、ぱっと顔を上げた。


「職人が精密に削り出したネジと、素人が見様見真似で作ったネジでは強度も精度も全然違う――そういうことですね!」

「……たぶん、そんな感じだ」


 少なくとも俺より説明は上手かった。


 水瀬がしばらく視線を落とし、黙って考え込んだ。


 やがて、指先でメガネのブリッジをきゅっと押し上げる。


「ということは、影山くんは今、この世界で唯一本物のポーションを作れる人ということですか!」


 興奮を抑えきれない様子だった。


「ポーション生成士が俺だけなら、そうなるんだろうな」

「凄いです!」

「大げさだ」

「大げさじゃないと思います」


 水瀬は真剣な顔で首を横に振った。


 その瞳には純粋な尊敬の色が浮かんでいる。


 静まり返った部屋の中で、俺は細心の注意を払いながら解毒ポーションの精製を続けた。


 薬液をかき混ぜるたび、淡い青色の液面がゆっくりと揺れる。


 失敗は許されない。


 薬草の分量をわずかに間違えるだけでも、効果は大きく変わってしまう。


 そんな緊張感に包まれていた時だった。


 背後の扉が静かに開く。


 村人たちとの話し合いに出ていた明智が戻ってきたのだ。


「村人への説明も、何とか終わらせてきましたぞ」


 明智は深く息を吐きながら部屋へ入ると、懐から使い込まれた扇子を取り出し、胸元をぱたぱたと扇いだ。


 さすがの明智も疲れているらしい。


「最初は半信半疑で、こちらの言葉に耳を貸そうともしませんでしたが、グランタリアとの交易に関する不審な点を一つずつ説明したところ、ようやく観念しましてな。明朝、広場に村人全員を集めるということで話がまとまりました」

「そうか」

「村長の話によると、グランタリアからこの村へ作物を売り込んできたのは商人ではなく、どうやらグランタリアの正規兵らしいですぞ」

「それはまた、随分ときな臭い話だな」


 明智は意味ありげに目を細めた。


「これはあくまで拙者個人の憶測に過ぎませんが、グランタリアは汚染された作物を食べた際、どのような症状が現れるかという実験を、ここルクセリアの地で密かに行っていたのではありませんかな」


 部屋の空気がわずかに重くなる。


 桐島と水瀬の表情からも笑みが消えた。


「……なるほどな」


 あり得ない話ではない。


 むしろ、今まで見てきたグランタリアのやり方を考えれば十分にあり得る話だった。


「この辺りはレンバース伯爵家の領地だったな。エレノアが王都から戻り次第、この事実を伝えるとしよう」

「それがよろしいかと」


 俺は短く頷き、再び調合作業へ意識を戻した。


 今は考えるべきことが他にある。


 朝までに村人全員へ配る解毒ポーションを完成させなければならない。


 明智は作業台の脇へ積まれた薬草の束をちらりと眺め、それからベッドの端に並んで座る桐島と水瀬へ視線を向けた。


「お二人とも、体調はどうですかな」

「私たちは平気。ありがとう」


 桐島が答える。


 声にはまだ少し力がない。


 だが、森へ向かう前と比べれば明らかに顔色は良くなっていた。


「こうして工程を見ているだけでも、本当に面白いです」


 水瀬も素直に頷く。


 機械工学士らしく、未知の技術に対する好奇心が勝っているらしい。


「お前たちはまだ病人なんだ。少しは寝ておけ」


 俺は調合を終えたばかりのポーションを小瓶へ流し込みながら言った。


 透明なガラス瓶の中で、青い液体がゆっくりと満ちていく。


「そうだね。お言葉に甘えて少し横にならせてもらうね」

「影山くんも、あまり無理をなさらないでくださいね」

「ああ」


 二人は大人しくベッドへ移動した。


 ほどなくして毛布の擦れる音が聞こえる。


 しかし、完全に眠るつもりはないのだろう。


 桐島も水瀬も、ときおりこちらへ視線を向けていた。


 ガラス瓶が触れ合う微かな音だけが静かな部屋に響く。


 一本。


 また一本。


 完成したポーションを並べながら、俺は黙々と作業を続けた。


 肩や腕にはじわじわと疲労が蓄積している。


 それでも手を止めるわけにはいかなかった。


 世話になっているレンバース家が統治する領民たちを、見殺しにするつもりはない。


 夜はまだ長かった。



 ◆



 翌朝。


 夜が完全に明けきった頃、ようやく起き上がってきた桐島と水瀬に、完成したばかりの解毒ポーションを手渡した。


 透明な小瓶の中では、淡い青色の液体が朝日を受けて静かに輝いている。


 二人は受け取ったポーションをしばらく見つめていた。


 昨夜、俺が一晩かけて作り続けていたものだ。


 その効果を信じたい気持ちと、本当に効くのかという不安が入り混じっているのだろう。


 やがて桐島と水瀬は小さく頷き合うと、意を決したように一気に喉へ流し込んだ。


 直後、二人が同時に目を見開く。


「苦くないです!?」

「それどころかすごく甘い!」


 二人は驚いた顔で互いを見た。


 ポーションは苦くて不味い。


 この世界の常識が、一瞬で覆されたのだろう。


「普通のポーションとは別物だからな」


 俺が答えると、水瀬は空になった小瓶を何度も見つめていた。


 だが、本当の変化はその直後だった。


 一分も経たないうちに、桐島が不思議そうな顔で自分の腹部へ手を当てる。


「あれ……?」

「どうした?」

「なんか、お腹のあたりが……さっきまでずっとキリキリ痛んでたのに」


 桐島は何度か腹部を押さえ、それから身体を捻った。


 痛みを探すような仕草だったが、すぐに驚いた表情へ変わる。


「痛くない……」

「私もです!」


 水瀬が勢いよく声を上げた。


「四肢にまとわりついていた、あの鉛みたいな重だるさが綺麗になくなっています!」


 彼女は信じられないというように腕を回し、その場で屈伸を繰り返した。


 昨日まで病人だったとは思えないほど動きが軽い。


「ちゃんと効いたみたいだな」


 俺は椅子の背にもたれながら大きく伸びをした。


 徹夜明けの身体は重い。


 それでも胸の奥に張りついていた不安は、ようやく消えていた。


 水瀬が勢いよくこちらを振り返る。


 その瞳には昨夜の知的好奇心とは違う、確かな確信と興奮が宿っていた。


「影山くん、これ本当にすごいです! あんなにダルかった身体が、嘘みたいに一瞬で軽くなりました!」

「だから言ったでしょ。影山のポーションは本物だって」


 なぜか有栖川が得意満面に胸を張る。


 まるで自分が褒められたかのような態度だった。


「有栖川さんが作ったわけじゃないですよね?」

「細かいことは気にしないの」

「気にします」


 水瀬が即座にツッコミを入れる。


 久しぶりに部屋の中へ笑い声が広がった。


 昨日まで漂っていた重苦しい空気は、もうほとんど残っていない。


 その後、桐島と水瀬は安西のもとへ向かった。


 まだ意識の戻らない彼を二人がかりで支えながら、慎重に解毒ポーションを飲ませていく。


 俺はその様子を少し離れた場所から見守った。


 安西にもすぐに効果が現れるはずだ。


 俺は椅子に深く身体を預けた。

 窓から差し込む朝日が、徹夜明けの目には少し眩しい。


 薬草採取から始まり、解毒薬の調査、そして一晩がかりの調合。


 長い夜だった。


 だが、その苦労は決して無駄ではなかった。


 重くなった瞼を閉じながら、俺は小さく息を吐く。


 長い夜が、ようやく終わろうとしていた。

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