第27話 報告
決闘の熱狂が冷めやらぬ中、レンバース邸の外壁の影に身を潜め、雨宮彼方は憲兵に連行されていく鎌倉英二の背中を眺めていた。
夜風が、目深に被ったカエルの垂れ耳フードを揺らす。タータンチェックの裏地が覗く緑の外套は闇に溶け込み、その姿をどこにでもいる冒険者の一人へと変えていた。
Bグループに属し、剣術に絶対の自信を持っていた鎌倉英二。
その男が、かつてCグループの最底辺と蔑まれていた影山玄兎に敗れた。
それも完敗だ。
最前線で剣を振るうはずの剣士が、非戦闘職のポーション生成士に拘束され、石畳へと這いつくばらされる。
その光景は、この世界の常識を嘲笑うかのように歪で、そしてどこか美しかった。
雨宮の口元がゆっくりと吊り上がる。
「影山玄兎……やっぱり、期待以上に面白いね」
王都を追放され、いずれ野垂れ死ぬと思われていたクラスメイト。
それが生き延びただけではない。
【剣聖】を従え、ルクセリアの有力貴族を後ろ盾にし、今夜はかつてのクラスメイトを自らの力で叩き伏せてみせた。
この先、その運命がどこまで加速していくのか。
「もう少し、特等席で見物させてもらおうかな」
そう呟くと、雨宮は音もなく夜の路地へと消えていった。
数日後。
雨宮はグランタリア王城へ帰還していた。
宰相オズワルドへの報告は簡潔だった。
鎌倉英二が独断でルクセリア王国へ越境し、影山玄兎へ決闘を挑んだこと。
そして敗北し、現地の憲兵に拘束されたこと。
事実のみを淡々と伝える。
報告を聞き終えたオズワルドは、窓から差し込む陽光を受けながら目を細めた。
「……独断で、と言うたか」
「うん。誰の差し金でもないよ。本人なりの正義感で突っ走った結果」
「愚かなものよ」
吐き捨てる声に感情はなかった。
価値を失った駒を盤上から取り除くような、冷淡な一言だった。
「影山と有栖川の監視は継続せよ。ただし、手は出すでない」
「はいはい。何度も言われなくてもわかってるって」
雨宮は軽く手を振り、そのまま執務室を後にする。
扉が閉まった瞬間、黄緑色の瞳が冷ややかに細められた。
「本当に慎重だよね。慎重を通り越して臆病なんじゃないかな」
だが、その慎重さは雨宮にとって都合がよかった。
余計な指示も急かしもない。
好きなように観察できる。
「まあ、ボクはボクのペースで楽しませてもらうよ」
影山玄兎。
彼はこれから、この世界をどこまで掻き乱すのだろうか。
その行く末を見届けるまでは退屈しなさそうだ。
雨宮はクラスメイトたちへの報告も欠かさない。
情報を与えれば誰かが動く。
誰かが動けば状況が変わる。
状況が変われば、もっと面白くなる。
「玩具には適度に刺激を与えないとね。放っておくと、すぐ錆びついて動かなくなるから」
そう呟きながら、雨宮は薄く笑った。
◆
石造りの訓練所には、重苦しい空気が漂っていた。
召喚から五ヶ月あまり。
かつて抱いていた野心や緊張感はすでに削り取られ、残っているのは終わりの見えない疲労と倦怠ばかりだった。
雨宮彼方が口を開くと、自然と周囲に人が集まってくる。
鎌倉英二がルクセリアへ向かったことは誰もが知っていた。しかし、その後どうなったのかを知る者はいなかった。
「鎌倉くんが影山くんに決闘を挑んで、こてんぱんに負けちゃった。今はルクセリアの憲兵に捕まってるよ」
その一言で訓練所にざわめきが走った。
「鎌倉くんが……影山くんに?」
最初に声を上げたのは皇蒼真だった。
整った顔には隠しきれない困惑が浮かんでいる。厳しい訓練を終えた直後にもかかわらず、その姿には疲労の色がほとんど見えなかった。
「影山って……確かポーション生成士だったよな。なんで鎌倉が負けるんだよ」
「嘘じゃないよ。ボク、この目で見てたからね」
雨宮は肩を竦めた。
「鎌倉くん、本気だったよ。でも全然歯が立たなかった。影を操る妙な力で一方的にねじ伏せられてたよ。たぶん魔道具じゃないかな」
周囲の表情が次々と強張る。
剣道部の実力者であり、この世界でも高い適性を持つ鎌倉が敗北した。
それも影山玄兎に。
その事実は、彼らが信じていた力の序列を大きく揺るがすものだった。
「しかも今は他国の憲兵に捕まってる。立派な犯罪者扱いだね」
雨宮は事実だけを並べ、反応を窺うように周囲を見渡した。
しばしの沈黙の後、壁際にいた篝火乃香が口を開く。
「……まあ、ウチは鎌倉くん、自業自得やと思うけどな」
灰色がかった長髪を払うと、翠色の瞳がゆっくりと一同を見渡した。
「他国に無断で乗り込んで、貴族の屋敷まで襲ったんやろ? 捕まって当然やし、自業自得って言われても仕方ないと思うわ」
「まじそれな」
東雲綺羅が腕を組み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
その隣では、取り巻きの一人である彩花が、左目の眼帯を隠すように俯いている。
「つーか、あっしらには関係なくね? 鎌倉が勝手に暴れて勝手に捕まっただけじゃん」
「そうかもしれない。――でも」
皇がためらいがちに口を開く。
「鎌倉くんは有栖川さんを助けようとしたんだ。動機はどうあれ、それは仲間を想った行動だったと思う」
「はあ?」
東雲が呆れたように眉をひそめた。
「本気で言ってんの? どう見ても下心じゃん。つーか蒼真っち、たまにマジでお人好しすぎてウザいんだけど」
「……だとしても」
皇は引かなかった。
「仲間が他国で捕らえられているのに、僕たちは何もしないのか?」
「うーん……」
篝が小さく首を傾げる。
「気持ちはわかるんやけどな。でも助けに行って、今度はウチらまで国際問題に巻き込まれたらどないするん?」
落ち着いた声だった。
だが、その言葉には重みがあった。
「今のウチらに、そこまで他人の面倒を見る余裕なんてないと思うんよ」
「でも、それじゃ見捨てることになる」
「見捨てるわけやない」
篝は即座に否定した。
「ただ、今は動けへんってだけや。無理して動いて、また誰かが傷ついたり欠けたりしたら……そのほうがずっと辛いと思う」
皇は言葉を失った。
篝の口調は終始穏やかだった。
だからこそ、その拒絶には反論の余地がなかった。
東雲が追い打ちをかけるように皇を睨んだ。
「てかさ、個人的な理由で勝手に動いて、しくじって捕まって。なんでその尻拭いをあっしらがしなきゃいけないわけ? 義理なくない?」
「それは……そうかもしれないけど」
「蒼真っちさ、勇者だからって全部を救えると思ったら大間違いじゃん。実際、誰も救えてないし。名ばかりの勇者じゃん」
その言葉に、誰も反論しなかった。
皇の周囲にいた女子たちも視線を伏せる。
重苦しい沈黙が訓練所を支配した。
「……皇、お前の気持ちはわかるよ」
やがて一人の男子生徒が口を開いた。
「でも今は、鎌倉のことより魔族を倒して元の世界に帰ることが先だろ? 魔王を倒せば、鎌倉のことだって何とかなるかもしれない。今は耐えるしかないんだ」
クラスメイトたちが小さく頷く。
皇は拳を握り締めた。
納得したわけではない。
だが、反論の言葉も見つからなかった。
魔王を倒し、日本へ帰る。
それだけが、この世界で戦い続ける理由だった。
「馬鹿か、てめぇらッ!」
怒声が訓練所に響き渡った。
重厚な扉が乱暴に開かれ、鮫島秋彦が姿を現す。
百九十センチを超える巨躯が一歩踏み込むだけで、周囲の空気が張り詰めた。
背後には数人の不良たちが続いている。
「そんなくだらねぇ与太話、本気で信じてんのか? どんだけお花畑なんだよ」
一瞬で場の空気が変わった。
「……与太話って」
皇が問い返す。
「国王陛下が約束してくれたんだ。魔王を倒せば、僕たちを日本に帰してくれるって……!」
「だから、それが与太話だって言ってんだよ」
鮫島は鼻で笑った。
「連中が適当こいてる可能性は考えねぇのか? 召喚は一方通行で、帰る方法なんざ最初から存在しねぇ。そういう可能性だってあるだろうが」
鋭い視線が皇を射抜く。
「この国の連中がCグループに何をしたか、てめぇも知ってるよな?」
「……」
「それとも何か? 高貴な勇者様にとっちゃ、使い潰された連中のことなんざどうでもいいってか?」
「僕は……そんなつもりじゃ……!」
「鮫っち、さすがに言い過ぎだって」
「そういう言い方は和を乱すだけやわ」
「言い過ぎだぁ?」
鮫島は篝と東雲を睨み返した。
「じゃあ聞くが、てめぇらは今でも本気で信じてんのか?」
誰も答えない。
「本当はわかってんじゃねぇのか。連中に都合よく使われてるだけだってよ」
沈黙が落ちた。
篝は視線を落とし、東雲も口を閉ざす。
皇の周囲にいた女子たちも居心地悪そうに目を逸らした。
皇だけが鮫島を見据えていた。
その瞳は揺れていたが、それでも逸らさなかった。
「……それでも、信じるしかないんだ」
皇は絞り出すように言った。
「信じなかったら、僕たちは何のためにここで命を懸けてるんだ……!」
鮫島は鼻で笑う。
「それってよ、現実から目ぇ逸らしてるだけじゃねぇのか?」
「……っ」
「まあ好きにしろ。こっちも好きにやるだけだ」
吐き捨てると、鮫島は仲間たちを連れて歩き去った。
誰も呼び止めない。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
皇は拳を握り締めたまま俯いた。
爪が掌に食い込む痛みだけが、かろうじて意識を現実に繋ぎ止めているようだった。
雨宮は壁際から、その光景を眺めていた。
誰も壊そうとしていない。
それでも少しずつ軋み、少しずつ崩れていく。
鮫島の言葉は、皇が支えにしてきたものへ確かに亀裂を刻んだ。
雨宮の口元が、わずかに吊り上がる。
実に面白かった。
◆
鎌倉の襲撃が残した不穏な余韻を抱えたまま、数日が過ぎた。
【万屋 明智商会】の看板は、今日も朝日を浴びながら街の一角に掲げられている。
早朝の店内は相変わらず閑散としていた。
カウンターの奥では、店主の明智が扇子をひらひらと動かしながら、窓の外を眺めている。
「おや、玄兎殿。このような早い時間においでとは、何か急用でも?」
「……少し、込み入った話がある」
俺は店内に他の客がいないことを確認してから話を切り出した。
レンバース邸の夜会で起きた一件。
鎌倉英二が単身で乗り込んできたこと。
庭園で決闘を行い、俺が勝利したこと。
そして、憲兵によって連行されていったこと。
一通り話を聞き終えると、明智は扇子をぱちりと閉じた。
「……鎌倉英二、ですか」
「ああ」
「グランタリア王城にいるはずのクラスメイトが、単身で国境を越え、ここレジャスまで辿り着いた、と」
「問題はそこじゃない」
俺は明智を見据えた。
「なぜ有栖川がこの街にいて、俺の傍にいると知っていたのかだ」
明智は扇子の先を顎に当てる。
細められた瞳の奥で思考が巡っているのが見て取れた。
「誰かが意図的に情報を流した。そう考えるのが自然ですな」
「俺もそう思う」
「となれば――やはりグランタリアが関与している可能性が高いですな」
明智の表情から商人らしい軽薄さが消える。
扇子の動きも止まった。
「つまり奴らは、すでに我々の正確な居場所を把握している可能性がある。そう考えておいた方がよろしいでしょうな」
「……」
「鎌倉殿の件が、こちらの反応を見るための先触れだったとすれば、本命は別にあるかもしれません。玄兎殿、しばらくは不用意な外出を控え、慎重に行動されることをお勧めいたしますぞ」
「慎重も何も、俺はポーションを作って生活しているだけなんだがな」
「その平穏こそが、連中には気に入らないのでしょう」
明智は肩を竦めた。
「では拙者の方でも、引き続きグランタリア側の動向を探っておきますかな」
「頼りにしている」
「ふふ、承知いたしましたぞ。……ただし、情報料はそれなりに弾んでいただきますが」
いつもの調子で口角を上げる明智に、俺は苦笑した。
打算的な男だ。
だが、打算で動くからこそ信用できる。
店を出ると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
グランタリアという巨大な影は、確実にこちらへ近づいている。
鎌倉の襲撃は、その存在を知らせる前触れに過ぎなかったのかもしれない。
次に来るのが刺客なのか、それとも別の策なのか。
まだ何も見えてはいない。
だが、見えていないからこそ備える必要がある。
最悪を想定し、できる準備を積み重ねる。
それだけは変わらない。
俺は外套の襟を立てると、ゆっくりと朝の街へ歩き出した。
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