第26話 決闘
決闘の舞台は、夜会の熱狂をそのまま切り取ったかのようなレンバース邸の庭園となった。
館の大窓には貴族たちが鈴なりになり、誰もが身を乗り出すようにして庭園を見下ろしている。普段は優雅さを装う彼らも、この手の見世物には抗えないらしい。興奮と好奇心に染まった視線が、庭の中央へと集中していた。
月光が石畳を白く照らす中、鎌倉は抜き身の剣を正眼に構え、じっと俺を見据えていた。
俺はゆっくりと呼吸を整えながら、上着の内側へと手を滑らせる。
指先が触れたのは、腰に下げた真新しい鞘だった。
ベルク森林での凄惨な戦いを経て、俺は自らの戦闘手段の乏しさを痛感していた。そんな話を何気なく漏らした数日後、エレノアはまるで菓子でも渡すかのような気軽さで、この魔道具を差し出してきた。
秘匿オークションで落札した品だという。
実戦で試す機会もないまま今日に至ったが、皮肉なことにこれ以上ない実験台が目の前にいた。
俺はゆっくりと鞘から短剣を引き抜く。
現れたのは、闇そのものを削り出したような漆黒の短剣だった。
それを見た鎌倉の口元がわずかに歪む。
短剣か。
そんな侮りが透けて見えた。
剣と短剣では間合いが違う。
まともに戦えば自分が圧倒的に有利だと、鎌倉はそう判断したのだろう。
俺は腰のホルスターからスピードポーションを取り出し、一気に飲み干した。
直後、世界が変わる。
視界の解像度が跳ね上がり、夜風に揺れる木々の葉がゆっくりと流れていく。遠くで鳴く虫の羽音すら鮮明に聞こえ、鎌倉の呼吸、筋肉の緊張、重心移動の兆候までもが手に取るように理解できた。
「……まだ始まってもねぇのに、ビビってそんなもん飲んでんのかよ」
「悪いか? それとも、この決闘にはポーション禁止のルールでもあったのか」
「てめぇのそういう……人を食ったような態度がッ、昔から気に食わねぇんだよ!」
開始の合図など存在しなかった。
鎌倉が石畳を砕かんばかりの勢いで踏み込み、一瞬で間合いを詰める。
振り下ろされた初撃は鋭かった。
元剣道部という肩書きは伊達ではない。
空気を裂く一撃が俺の頭部を狙う。
俺は紙一重で身をずらしながら、手にした短剣へ意識を集中させた。
短剣が脈動する。
まるで生き物の鼓動だった。
次の瞬間、刃の縁から黒い影がどろりと溢れ出した。
それは闇を編み上げるように伸び続け、瞬く間に長剣を凌駕する長さへ到達する。
観客席から息を呑む声が上がった。
「な……っ!?」
鎌倉の顔から余裕が消えた。
俺は完成した影の刃を横一線に薙ぐ。
漆黒の斬撃が夜気を切り裂き、鎌倉は反射的に後方へ飛び退いた。
だが、その距離ですら安全圏ではない。
俺が踏み込むと同時に影刃はさらに伸び、鎌倉を追う。
「くっ!」
鎌倉が渾身の突きを放つ。
鋭い。
速い。
だが見えている。
俺は身体を半歩ずらして突きを外し、そのまま側面へ回り込んだ。
続けざまに影刃を振るう。
すると漆黒の刃は鞭のように大きくしなり、常識ではあり得ない軌道で鎌倉へ襲いかかった。
「なっ……!?」
鎌倉の身体が大きく泳ぐ。
剣術の経験があるからこそ対応が追いつかない。
相手にしているのは剣でありながら剣ではない存在だった。
だが、それでも鎌倉は倒れなかった。
膝をつきかけながらも歯を食いしばり、強引に体勢を立て直す。
その瞳にはなおも消えぬ闘志が燃えていた。
一合。
二合。
三合。
鎌倉は追い詰められるたびに泥臭く食らいついてきた。
肩を裂かれ、腕を打たれ、呼吸は荒く乱れている。それでも後退しない。
勝てる見込みなどとうに失われているはずだった。
それでも剣を握る手だけは決して緩まない。
敗北を認めるくらいなら折れるまで戦う。
そんな執念が全身から噴き出していた。
ベルク森林以来、俺も有栖川から死線を越えるための稽古を受けてきた。
荒削りながら実戦的な動きは身についている。
だが、それでも鎌倉の剣には確かな積み重ねがあった。
基礎に裏打ちされた鋭さ。
反復によって磨き上げられた技術。
その点だけなら、今の俺より上だったかもしれない。
だからこそ、正面から付き合う必要はない。
俺は一度後退し、短剣を胸元へ引き寄せた。
そして刃へ意識を集中させる。
「……終わりだ」
短剣を石畳へ突き立てた。
「!?」
刹那。
俺の足元から伸びた影が生き物のように蠢いた。
それは黒蛇の群れにも似た不気味な動きで石畳を這い、鎌倉の足首へ絡みつく。
「なんだ……!?」
鎌倉が飛び退こうとする。
だが遅い。
影は足首から膝へ。
膝から腰へ。
腰から両腕へ。
黒い鎖のように絡み付きながら全身を侵食していった。
「くっ……!」
鎌倉は力任せに振り払おうとする。
しかし影は抗うほどに締め付けを強めていく。
筋肉が軋み、関節が悲鳴を上げる。
そしてついに限界が訪いた。
鎌倉の身体は石畳へ押し付けられ、そのまま完全に拘束される。
カラン――。
乾いた音を立てて剣が手から転がり落ちた。
勝負は決した。
誰の目にも明らかだった。
だが。
「ぐ……っ、うぅ……!」
鎌倉はなおも抗った。
顔を歪め、歯を食いしばり、それでも俺を睨み続ける。
そこにあったのは死への恐怖でも敗北への絶望でもない。
ただ一つ。
燃え盛る怒りだった。
「影山ぁああああああああ!!」
魂を削るような絶叫が夜空へ響き渡る。
庭園を包んでいた喧騒は完全に消え失せていた。
貴族たちは誰一人として言葉を発せない。
ただ月光の下で拘束された鎌倉と、その前に立つ俺を呆然と見つめている。
鎌倉の叫びだけが、静まり返った夜の庭園へいつまでも虚しく響き続けていた。
◆
間もなく、静まり返った庭園に統制の取れた足音が響き始めた。
駆けつけたのは、レジャスの治安を担う憲兵団だった。
レンバース邸からの緊急通報を受けて出動したのだろう。彼らは庭園へ足を踏み入れるなり状況を把握し、迷いなく鎌倉のもとへ向かった。
俺が短剣を引き抜くと同時に影の拘束が霧散する。
その瞬間を待っていたかのように、屈強な憲兵たちが鎌倉を取り押さえた。
「離せ! 離せってんだ!」
鎌倉はなおも暴れた。
泥に塗れた身体をよじり、必死に拘束から逃れようとする。
「まだ終わってねぇ……! 俺は……俺は影山から有栖川さんを助け出さなきゃならねぇんだよ!」
喉が潰れそうなほどの絶叫だった。
しかし憲兵たちは眉一つ動かさない。
狂人の妄言としか映らなかったのだろう。
鎌倉は抵抗を続けたまま、夜の闇の向こうへと連行されていった。
その叫び声が完全に聞こえなくなった頃、俺はようやく息を吐いた。
乱れた礼服を整え、再び夜会の会場へ戻る。
扉をくぐった瞬間、待っていたのは称賛の嵐だった。
「見事な立ち回りでした」
「まさか薬師様があれほどの腕前をお持ちとは」
「魔道具の扱いも実に鮮やかでしたな」
「ポーションのみならず武にも秀でておられるとは」
次々と飛んでくる賛辞に、俺は曖昧な笑みを浮かべながら頭を下げ続けた。
だが内心は違う。
疲労感と気怠さで胃が重かった。
決闘に勝った高揚感など、欠片もない。
ふと視線を感じて顔を上げる。
少し離れた柱の陰から、有栖川がこちらを見ていた。
氷のような碧眼にはわずかな熱が宿り、その表情にはどこか満足そうな色が浮かんでいる。
「……まあ、あたしが鍛えたんだから、あの程度で負けられたら困るけど」
「ああ。お前に鍛えられてなかったら、今頃どうなってたか分からなかった」
素直に礼を言うと、有栖川はふいと顔を背けた。
だが月明かりに照らされた耳は、ほんのり赤く染まっていた。
俺は小さく笑い、それ以上は何も言わなかった。
そして視線を窓の外へ向ける。
鎌倉が消えていった夜の闇が、そこにはあった。
考えなければならないことがある。
なぜ鎌倉は、俺たちの潜伏先をここまで正確に突き止められたのか。
単独で国境を越え、この街まで辿り着いたとは考えにくい。
ましてや領主であるレンバース家の屋敷にまで乗り込んでくるなど、不自然にも程がある。
導き出される結論は一つだった。
グランタリアは、すでに俺たちの居場所を把握している。
鎌倉はその尖兵に過ぎない。
もしそうだとすれば、次に来るのは誰だ。
あの国は、どこまで俺たちを追ってくる。
シャンデリアの眩い光と貴族たちの笑い声が満ちる華やかな会場の中で、俺だけがまるで別の景色を見ていた。
かつてのクラスメイトたち。
かつて同じ教室で過ごした仲間たち。
その彼らが、今度は敵として俺たちの前に現れるかもしれない。
そんな予感が胸の奥に重く沈む。
夜会はまだ終わらない。
だが俺には、この先に待つ戦いの幕開けを告げる鐘の音が、すでに聞こえている気がした。
――――――――――――――――――――
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます!
下記について、ご理解いただけますと幸いです!!
面白い!
続きが気になる!
と思っていただけましたら、☆で応援や作品フォローよろしくです!!
励みになります!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。