第24話 夜会

 ある日のことだ。


 屋敷で寛いでいると、エレノアから夜会に出席してほしいと頼まれた。


「夜会……俺が?」

「レンバース邸の広間で定期的に開催している社交界の集まりですわ。ここ数年は開いておりませんでしたが、わたくしもこの通り、影山様のおかげで人前に出られるようになりました。そこでクロードとも相談した結果、今年は久しぶりに開催しようという話になったのです」


 エレノアはそこで一度言葉を切り、優雅に微笑んだ。


「ですから、影山様と有栖川様には、此度の主賓の一角としてご出席いただきたいのです」


 まるで決定事項を伝えるかのような口調だった。


「俺まで出る必要があるのか? ポーション生成士としては、裏方に徹したほうが効率的だと思うんだが」

「ありますわ」


 間髪入れない返答だった。


「【剣聖】である有栖川様が表舞台で貴族社会との接点を持つことには、大きな政治的意味があります。そして影山様、あなたも同じです。優れた薬師として名を広めておくことは、この国で長く活動していく上で、金貨を積むよりも確かな財産になりますわ」


「……なるほど。確かに一理あるな」


 俺は込み上げてきた溜息をどうにか飲み込んだ。


 エレノアの穏やかな微笑みは崩れない。しかし、その瞳の奥に宿る意思の強さは明白だった。


 どうやら今回ばかりは、大人しく出席するしかなさそうだった。


 出席が決まったとなれば、最大の問題は衣服だ。


 俺が持っているものといえば、魔物の返り血を浴びても問題ない平服ばかりだ。

 とても貴族の夜会で着られるような代物ではない。


「その点についても、心配はご無用ですわ」

「……?」


 俺の懸念など、エレノアにとっては想定の内だったらしい。


 翌日には腕利きの仕立屋が部屋を訪れ、手際よく採寸を済ませていった。そして当日の午後には、濃紺の礼服が数着届けられていた。


 袖を通すと、上質な生地が自然に身体へ馴染む。鏡に映る自分の姿は、普段の冒険者らしい泥臭さが消え、どこか別人のように見えた。


 慣れないネクタイに悪戦苦闘していると、不意に部屋の扉が開く。


「待たせたわね」


 振り返った瞬間、俺は言葉を失った。


 有栖川が、紅蓮のドレスを纏って立っていた。


 白い肩を覗かせる鮮烈な赤のドレス。その上で金糸のような髪が優雅に揺れ、深い碧眼が真っ直ぐこちらを見つめている。


 いつもの戦場で見せる鋭い表情とは違う。


 その瞳には、こちらの反応を待つような色がわずかに宿っていた。


「……似合ってるんじゃないか」


 どうにかそれだけを口にすると、有栖川の口元がわずかに緩んだ。


「もっと素直に褒めなさいよね。ポーションの効能を説明するときみたいに」


 不満そうな口調とは裏腹に、その表情はどこか満足げだった。



 ◆



 街の高台にそびえ立つレンバース邸は、夜の闇に浮かぶ白亜の城のようだった。


 夜会の開始時刻が近づくにつれ、門前には紋章を刻んだ豪華な馬車が次々と到着し、車輪の音が夜に響いていた。


 会場へ足を踏み入れると、天井を埋め尽くす無数のクリスタル・シャンデリアが眩い光を降り注ぎ、その下では色とりどりのドレスと仕立ての良い礼服が華やかな光景を作り出していた。


 立食形式の会場では、洗練された所作の給仕たちが銀のトレイを手に歩き回り、料理や酒を滞りなく運んでいる。


 俺は会場に入った瞬間、強烈な場違い感を覚えた。


 ここに集う貴族たちは、この空間に生まれた時から馴染んでいたかのように自然に振る舞っている。対して俺は、完全な部外者だった。


 エレノアは迷いなく会場の中央へ進み、最も人目を集める場所で足を止めた。


 周囲の視線が集まるのを確認すると、彼女は澄んだ声で口を開く。


「皆さま、ご紹介いたします。こちらはグランタリア王国によって召喚された、剣聖――有栖川様です」


 途端に会場がざわめいた。


 この国において【剣聖】という称号が持つ重みを、その反応が雄弁に物語っている。


 だが有栖川は眉一つ動かさなかった。


 無数の視線を浴びながらもゆったりとした動作で会釈を返し、その美しい所作を崩さない。


 堂々とした立ち居振る舞いに、貴族たちの視線は次第に驚嘆の色を帯びていった。


「続いて、こちらの方は――」


 エレノアが隣の俺へ視線を向ける。


「例のポーションを生み出した、稀代の薬師様にあらせられます」


 紹介はそれだけだった。


 名前も素性も経歴も語られない。


 だが、その一言だけで十分だった。


「例の……まさか、あの奇跡の?」

「まあ、なんてお若い方」

「あのお方が……」


 会場の空気が一変する。


 今度は好奇心と期待に満ちた視線が、一斉に俺へ向けられた。


 俺は愛想笑いを浮かべながら、内心で苦笑した。


 余計な説明をせず、想像だけを膨らませる。


 なるほど、実にエレノアらしいやり方だ。


「ご挨拶はこの程度でよろしいでしょう。後は、お二人でうまくやってくださいね」


 そう言い残すと、エレノアは優雅な足取りで知人らしき貴族たちの輪へと入っていった。


 その背中を見送った直後だった。


 貴族たちが、待っていたかのようにこちらへ歩み寄ってきた。


「薬師様、少しお時間をよろしいかしら」


 最初に声をかけてきたのは、華やかな宝飾品を身につけた四十代ほどの夫人だった。


 気品ある美貌に目を奪われる暇もない。


 次々と人が集まり、気がつけば俺は色とりどりのドレスを纏った夫人たちに囲まれていた。


「例のポーションをいただければ、わたくしもレンバース伯爵のように若さを取り戻せるのかしら?」

「近頃、お肌の張りが失われて悩んでおりますの。何か良い処方はありませんこと?」

「どうすれば例のポーションを分けていただけますの? 報酬なら惜しみませんわ」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、俺は笑顔を崩さないよう注意しながら答えた。


「あのポーションは非常に希少な素材を使用しておりまして、一生に一度出会えるかどうかという代物なのです」


 素性は明かさない。


 若返りの効能についても、期待を持たせつつ核心には触れない。


 事前にエレノアから教え込まれた通りに受け答えするが、問題は質問だけではなかった。


 夫人たちとの距離が、少しずつ近づいてくるのだ。


「ねえ、もう少し……二人きりでお話を聞かせていただけないかしら?」


 一人の夫人が俺の腕にそっと手を添えた。


 シルク越しに伝わる体温に思わず肩が強張る。


 顔を上げると、彼女は意味ありげな微笑みを浮かべながら身を乗り出してきた。


「は、はあ……何分、秘伝の部分が多くございまして」


 どう返したものか分からず、俺は曖昧な笑みを浮かべた。


 すると今度は別の夫人が反対側へ回り込み、自然な仕草で腕を取ってくる。


 明らかな色仕掛けだった。


 エレノアから「影山様のポーションを狙って近づく方は必ず現れます」と忠告されていたが、ここまで露骨だとは思わなかった。


「薬師様はおいくつですの? 本当にお若いですわね」

「肌も綺麗ですこと」


「は、はあ……どうも」


 もはやまともな受け答えすらできない。


 そんな俺を、少し離れた場所から有栖川がじっと見つめていた。


 手にしたグラスは微動だにしない。


 だが、その視線だけは恐ろしいほど鋭かった。


 夫人たちが俺へ近づくたびに、有栖川の表情は目に見えて険しくなっていく。


 そして誰かが俺の腕を抱くように身を寄せた瞬間――。


 グラスを握る彼女の指先に力が入った。


 ピキッ。


 小さな音が響く。


 有栖川の碧眼が、すうっと細められた。


 そのときだった。

 空気を読まない声が割り込んだ。


「失礼、貴女のような美しい方がお一人でいらっしゃるとは、この夜会にとって損失です。よろしければ、この私と――」


 若い貴族の男が、自信に満ちた笑みを浮かべて有栖川へ歩み寄った。


 整った容姿に高価な礼装。


 自らの魅力に相当な自信を持っていることが見て取れる。


 だが、有栖川は振り向きもしなかった。


 その視線は会場の向こう――夫人たちに囲まれている俺へ向けられたままだ。


 男の存在など、まるで気付いていないかのようだった。


「あの……聞こえていらっしゃいますかな?」


 なおも声をかける男に対し、有栖川は何も答えない。


 ただそっと息を吐いた。


 それだけだった。


 しかし男は、その横顔を見た瞬間に言葉を失った。


 氷のように冷えた碧眼。


 張り詰めた空気。


 そして、自分がまったく意識の外に置かれているという事実。


 男の顔からみるみる血の気が引いていく。


「ひ……っ」


 小さな声を漏らし、男は半歩後ずさった。


 周囲で様子を見ていた友人たちも異変を察したらしい。


 誰一人として口を開かず、いつの間にかその場から距離を取っていた。


 やがて男たちは逃げるように人混みへ紛れ、その場から姿を消した。


 一方その頃。


 俺は夫人たちの包囲網に完全に捕まっていた。


 質問は途切れず、距離は近づく一方だ。


 そして夫人たちがさらに迫ろうとしたその時だった。


「皆さま、これほど有望な御方を一箇所で独占してしまってはいけませんわ」


 涼やかな声が割って入る。


 エレノアだった。


 いつの間に戻ってきたのか、夫人たちの間へ自然に入り込み、優雅な微笑を浮かべている。


「まあ、エレノア様……」


 夫人たちは名残惜しそうな表情を見せながらも、少しずつ距離を取っていった。


 エレノアはその様子を確認すると、俺の隣へ並ぶ。


「楽しんでいただけましたか?」


「……それなりに、命の危険を感じる程度には」


 小声で答えると、エレノアはわずかに目を細めた。


「随分とお疲れのようですわね」


 ねぎらうような口調だった。


 だが、その声音にはどこか面白がっている気配が混じっている。


 俺は反論する気力もなく黙り込んだ。


 そのとき、ふと視線を感じる。


 顔を上げると、会場の向こうで有栖川と目が合った。


 彼女は無言だった。


 だが、その表情を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。



 ◆


 同じ頃、レンバース邸を囲む鉄柵の向こうでは、一人の男が夜の闇に紛れるように立っていた。


 鎌倉英二だ。


 目立たない冒険者風の装いに身を包み、貴族街の外縁から白亜の館をじっと見上げている。


 館の窓からは黄金色の光が溢れ出し、弦楽器の音色と華やかな喧騒が夜風に乗って微かに届いていた。


 しばらく監視を続けていた鎌倉の視線が、ふと一点で止まる。


 窓の向こう。


 豪奢なシャンデリアの光に照らされた鮮やかな金髪。


 有栖川アリスだった。


 鎌倉は息を呑み、その姿を見据える。


 燃えるような深紅のドレス。


 周囲には貴族たちが集まり、そして彼女の視線は――。


「……っ」


 鎌倉は拳を握り締めた。


 有栖川は夫人たちに囲まれた影山を見つめていた。


 その碧眼は鋭く細められ、今にも刺し貫かんばかりの冷たさを帯びている。


 やはりそうだ。


 俺の考えは間違っていなかった。


 路地裏で再会したあの日も、彼女は俺を遠ざけるために冷たい態度を取っただけだ。


 誇り高い有栖川が、自ら望んであの男の傍にいるはずがない。


 今もきっと耐えている。


 胸の内に怒りを押し込みながら、自由を奪われた日々に。


 助けを待ちながら。


「もう大丈夫だからな、有栖川……」


 鎌倉は低く呟いた。


 視線の先では、何も知らない影山が貴族たちに囲まれている。


 有栖川の苦しみにも気付かずに。


「……影山」


 鎌倉の目に冷たい光が宿る。


「てめぇだけは――絶対に許さねぇ」


 白亜の館を睨み据えたまま、鎌倉は踵を返した。


 その胸には、もはや迷いなど欠片も残っていなかった。

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