第3話 出会いと再会、そして隣国へ
城門が閉ざされた後、俺は一度も振り返らなかった。
王都の大通りを歩きながら、頭の中で状況を整理する。所持金は金貨2枚。日本円に直せば約20万円といったところか。悪くない額に聞こえるが、右も左も分からない異世界で、身寄りも後ろ盾もない人間が生き延びるには、あまりにも心許ない。
異世界の定石に従えば、まずは冒険者ギルドだろう。そう当たりを付け、大通りの一角に構えられた、無骨な石造りの建物の扉を押し開けた。
「登録をお願いしたいんですが」
「承ります。……お名前を」
「
受付の女性が淡々と台帳をめくり、俺の名を確認した瞬間、その指先が止まった。
「……申し訳ございませんが、貴方の登録はお断りしております」
「理由をうかがっても?」
「お答えしかねます。お引き取りを」
食い下がっても、彼女の瞳には事務的な拒絶が宿るだけだった。その後、商業ギルド、職人ギルドと足を運んだが、結果は判で押したように同じだった。台帳に記された俺の名を見た途端、受付の表情が凍りつき、門前払いを食らう。
あの宰相が、各ギルドに手を回したのだ。
この国においてギルド未登録であるということは、社会的な存在価値を否定されるに等しい。ポーションを生成したところで、正規の店では買い取ってくれず、露店を出す許可すら下りない。
「くそ……」
追放するだけに留まらず、俺の息の根を社会的に止めようという底意地悪い執念を感じる。
「どうせポーションなんて売ったところで、二束三文にもならないんだけどな」
俺は思考を切り替え、華やかな大通りを捨てて王都の北側に位置するスラムへと足を向けた。
路地裏へ深く潜り込むにつれ、街の色彩は灰色に沈み、空気の質が変質していく。鼻を突く腐敗臭と、質の悪い煙草の煙。石壁には殴り書きのような隠語が踊り、路肩には虚ろな目をした物乞いや、泥酔した男たちが折り重なるように転がっている。
建物の陰からは獲物を品定めするような、昏く鋭い視線が絶え間なく俺に向けられていた。
路地に入ると、俺は【薬草鑑定】を発動させた。
これはポーション生成士に付随する初期スキルで、視界に入った植物の薬効成分を自動的に解析するものだ。路傍に生える雑草、石畳の隙間から顔を出す名もなき草。普通の人には踏みつけるだけの存在でも、このスキルを通して見れば、それぞれが持つ薬効成分が数値として浮かび上がる。
……これも、これも、あれも使える。
スラムの路地裏には、驚くほど豊富な素材が眠っていた。誰も見向きもしない雑草が、ポーション生成士である俺の目には宝の山に映る。金を使わずとも、材料は足元に溢れていた。
俺は手早く薬草を回収し、人目を盗んで調合を開始した。完成したのは、深い森の奥底を思わせる、澄んだ薄緑色の液体。市販の濁った安物とは一線を画すそのポーションは、細胞の再生を促す圧倒的な治癒力を秘めていた。
問題は、これをどう換金するかだ。思案に暮れながら、スラムのさらに奥まった路地へと入り込んだ、その時。
突き当たりの壁際に、その「影」はいた。
崩れ落ちるように壁に背を預けた男。その左手は右脇腹を強く圧迫していた。指の隙間からはどす黒い血液が絶え間なく溢れ出し、石畳を赤く染めている。
深手だ。内臓にまで達している可能性が高い。適切な処置がなければ、助からないレベルの重傷だった。
それはもう一つのスキル、【状態解析】を使えばひと目で分かった。
俺が数歩近づいた瞬間、死に体と思われた男の瞳がカッと見開いた。
その眼光は、数多の修羅場を潜り抜け、死線を踏み越えてきた者だけが宿す、極限の鋭利さを備えていた。男の全身から噴き出す濃密な殺気が、目に見えない圧力となって俺の喉元を締め上げる。常人ならば、その場に膝をつき、恐怖で呼吸さえ忘れるほどの威圧感だ。
俺は無言のまま、男の射抜くような視線を受け流し、ゆっくりと歩み寄った。そして、調合したばかりの薄緑色のポーションを男の足元へ置いた。
一言も発さず、俺はそのまま踵を返して立ち去った。
背後では、小瓶の栓が抜かれる微かな音が響いていた。
これが、裏社会の大物――アルマン・デュシャンとの奇妙な邂逅だった。
翌日、スラムの淀んだ空気の中を歩いていると、背後から艶のある、それでいて地を這うような低い声に呼び止められた。
「ちょっと待ちなさい、坊や」
振り返ると、極彩色の衣装をまとった異様な男が立っていた。186センチという、圧倒的な巨躯の持ち主だ。
頭上の煌びやかなフェザーが揺れ、顔には鮮血を思わせる赤と、死を象徴する白の道化師を模した化粧。昨日の瀕死の重傷が嘘のように、その立ち姿からは圧倒的な存在感が放たれていた。
「あのポーション、市販品じゃないわよね? ……どこで手に入れたの?」
「自分で作りました」
「へぇ……」
男の切れ長な目が、薄い膜を張ったように細められる。品定めするような沈黙が流れた後、彼は紅を引いた唇の端を、ゆっくりと、愉悦を含んだ形に吊り上げた。
「坊やが作ったポーションを買うわ。それと、寝床も用意してあげる。どうせ今は宿もないんでしょ?」
「……条件は?」
「うちへのポーションの優先供給。それだけよ。悪くない話だと思わない?」
俺は少しの沈黙ののち、短く頷いた。何もない俺には、これくらいヤバそうな後ろ盾が必要だった。
こうして、グランタリア王都の深部、光の届かないスラムでの生活が幕を開けた。
アルマン・デュシャン。
表の顔は稀少な香料を扱う商人だが、その実体は”
商業ギルドから締め出された俺のポーションを、彼は独自の闇ルートで、ありえない値段で売りさばいてみせた。
用意された住処は古びた石造りのアパートの一室。剥き出しの壁はボロだったが、スラムにしては悪くない。むしろ、追放者の俺には十分すぎる拠点だった。
それから二週間が経過した、ある日のことだ。
素材の採取を終え、夕闇に沈むスラムの路地を歩いていた時のことだ。聞き覚えのある軽妙な声が、風に乗って聞こえてきた。
突き当たりを曲がると、アルマンの部下とおぼしき三人の男たちが、細身の男を取り囲んでいた。派手な柄のシャツを翻し、手元でパタパタと扇子を仰いでいる。
絶体絶命の状況下にあっても、どこか他人事のような笑みを浮かべるその横顔は、見間違えようはずもなかった。
「明智!」
「おお、玄兎殿! いやはや、まさかこのような掃き溜めの中で再会を果たすとは。これぞ正に
狂犬のような男たちに囲まれておきながら、よくもそんな呑気な台詞が吐けるものだ。
俺は男たちに視線を向けた。
「そいつは俺の知り合いです。スラムの作法に疎い男なので、この場は俺の顔に免じて引いてくれませんか」
男たちは顔を見合わせ、舌打ち混じりに道を空けた。アルマンから、俺の動向には干渉するなと命じられているのだろう。
「助かりましたぞ、玄兎殿」
「なぜ城を出た。あそこなら食うに困らなかったはずだろう」
明智はゆっくりと扇子を閉じ、その表情からいつもの軽薄さを消した。
「あそこに留まれば、拙者は近いうちに確実に消されると悟りました。女子の中には、夜の勤めを強要されている者も出始めております。男の拙者とて、いつ同じ憂き目に遭うか。あるいは、都合の悪い真実を知りすぎたとして口封じに遭うか……何れにせよ時間の問題でございましたな」
城の中は、想像以上に腐敗が進行しているらしい。
「それに」と、明智は再び飄々とした笑みを顔に張り付けた。
「玄兎殿の調合するポーション、あれを拙者が売れば、王都を揺るがすほどの稼ぎになると踏みましてな。玄兎殿のことですから、スラムに身を潜め、虎視眈々と牙を研いでいるであろうと踏んでおりましたからな」
「お前が売るのか?」
「拙者の職業は【商人】。市場の動きを読み、富を築くことこそが拙者の本分にございます」
「命からがら逃げ出してきた割には、随分と強欲な奴だな」
「死にたくない、かつ、どうせ生きるなら金が欲しい。これが拙者の偽らざる本心にございますよ」
俺は深く溜息をつき、背中を向けて歩き出した。
「ついてこい。今夜の飯くらいなら奢ってやる」
「おお、かたじけない! ところで玄兎殿、先ほどの恐ろしげな御仁たちは何者なのですかな……?」
「この辺りを根城にしてるマフィアのボス――
明智の顔から初めて余裕の色が消え失せ、頬が激しく引き攣った。
その夜、アルマンが融通してくれた石造りのアパートの薄暗い一室で、俺と明智は安酒の瓶を挟み、現状の整理を始めた。
「やはり、玄兎殿も商業ギルドへの登録を弾かれましたか」
「ああ。冒険者ギルドも、職人ギルドもだ。名乗った瞬間にお引き取りをだとさ」
「拙者も城を脱した直後に幾つか回ってみたのですが……。宰相め、執念深いというか、徹底しておりますな」
明智は使い込まれた扇子を広げ、所在なげにパタパタと風を送りながら、煤けた天井を見上げた。
「つまり、このグランタリアという国においては、我々二人はどれほど有用な技能を持っていようとも、経済活動を封殺されている……ということですな」
「表の世界では、俺たちは存在しないも同然。死人と同じ扱いだ」
「完全に詰んでますな」
「だな」
湿った空気の中に、重苦しい沈黙が居座る。やがて明智は扇子をパチンと閉じ、いつになく真剣な眼差しを俺に向けた。
「玄兎殿、他国へ移りませんか。この国に義理立てする理由は、一欠片もございませんからな」
「他国か。だが、あの宰相の息がかかっていない保証はあるのか?」
「少なくとも、ここに留まってじり貧になるよりかは、幾分ましでございましょう」
「当てでもあるのか?」
「脱出の算段を立てるついでに、王城の書庫から地図と地政学の書物を少々『拝借』しましてな」
明智の用意周到さには、呆れるのを通り越して感心するら覚える。こいつは逃走を考えた瞬間から、すでに盤面全体を俯瞰していたのだ。
「ここから東へ、馬車で三日ほど進んだ先に、ルクセリア王国という国があるんですぞ。そこなら、ギルドの登録も可能かと。我々のような後ろ盾のないよそ者でも、問題なく受け入れられるはずですぞ」
「話はわかったけど……ルクセリアへ行く手段はどうするんだ? 国境の検問は厳しいはずだろ?」
「まさに、そこが最大の難関でしてな」
明智は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「城を抜ける際に確保できた路銀は微々たるもの。馬車を雇う余力はなく、かと言って徒歩では魔物の餌食になるのが関の山。護衛を雇うだけの蓄えもございませぬ」
俺は少しの間、思考を巡らせた。
そして、極彩色の衣装を纏った、あの底知れない道化師の顔を思い浮かべる。
「……一つ、心当たりがある」
「おお、頼もしいですな!」
「毒を食らわば――というやつだ」
翌日、俺はアルマンのアジトを訪ねた。
「折り言って頼みがある。俺たちをルクセリアへ逃がしてほしい。あんたなら可能なんだろう?」
アルマンは派手な衣装の袖を翻し、けらけらと不敵な笑い声を上げた。
「あらぁ、随分と薄情ね。やっと可愛いポーション職人さんと仲良くなれたと思ったのに、もうお別れ?」
「礼はさせてもらうつもりだ。この国を去る前に、予備のポーションを纏めて置いていく」
「……何本?」
「特製のやつを10本。市場に出せば、金貨100枚でも足りないはずだ」
アルマンの瞳が獲物を見つけた猛獣のように妖しく輝いた。
「話が早くて助かるわね。好きよ、そういう子」
「なら」
「ええ、交渉成立よ」
三日後の深夜。俺と明智はアルマンが手配した荷馬車の荷台に身を潜めた。ガタガタと揺れる車輪の振動と、御者と兵士の緊迫したやり取りが耳に届く。
そのたびに、凄まじい緊張感に襲われた。
やがて国境を越え、グランタリアから脱したことを知らされた瞬間、明智が肺の中の空気をすべて吐き出すかのような、盛大な溜息をついた。
「寿命が三日は縮まりましたぞ。生きた心地がいたしませんでしたな」
「全然縮んでねぇじゃねぇかよ!」
「人生最後の三日間ともなれば、三日は十分過ぎる時間ですぞ」
俺は荷台の隙間から、遠ざかる景色を眺めていた。夕闇に溶けていくグランタリアは、思ったよりもずっと綺麗な国だった。
しかし、金貨二枚で捨てられた屈辱を、俺が忘れることはない。
……必ず戻る。そして、受けた屈辱のすべてを、あの糞宰相の顔面に叩き返してやる。
復讐の炎を胸の奥で燃やしながら、俺は未知なるルクセリアの地へと顔を向けた。
◆
気がつくと、有栖川の背中から、あの醜く這い回っていた黒い痣が、跡形もなく消え去っていた。
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