第33話 彦根潜入

 ようやく気持ちも落ち着き、萩を立とうとしていたときだった。おれは藩から呼び出しを受けた。京の久坂さんが人を探しているそうで、暇そうなおれに白羽の矢がたったらしい。

 暇とは失礼な。

 と思いながらも、特段断る理由もないので、江戸への途上に京に立ち寄った。


「久坂さん、務めって何ですか?」

 十月の紅葉真っ盛りの京藩邸に着くと、おれは早速久坂さんを訪ねた。

「俊輔、すまんなあ。お前にしかできない務めで、ちと頼まれてくれないか」

 国元には暇な奴なら誰でもいい、とかいっておきながら、おれに会ったらこれだから久坂さんも調子がいい。

 久坂さんの脇には、おれと同じ歳頃のいかつい顔した男が座っていた。

「こちらは堀真五郎君。俊輔と共に今度の役目を務めてもらうつもりだ。こちらは伊藤俊輔君、長く来原さんや桂さんの手子をやっている。有能だぞ」

 おれは堀と呼ばれた若者と、互いによろしくと礼を交わした。それにしても今日の久坂さんはやたらにおれを持ち上げる。


「それでおれたちは何をやるんです?」

 説明を求めると、久坂さんは務めの内容を話し始めた。

「最近、佐幕の元締めの彦根藩が、城の修復工事に精を出しているという噂がある。御門を攫って城に幽閉する計画があるそうだ」

「朝廷はこの噂捨て置けずと、長州に探索しろといってきた。京藩邸からも数名、彦根に潜入させようとしたのだが、彦根の警戒が厳しくて上手く捗らない。そこでお前たちだ。彦根に入って真贋を確かめて欲しい」

「用件はわかりましたが、何か取っ掛かりはないですか。裸で彦根に乗り込んでも右往左往するだけですよ」

「彦根の隣り、八幡の武佐宿に西川という町人の勤王家がいるらしい。そこから手繰るというのはどうだ」

 久坂さんの言葉は頼りないが、他に当てもなかった。

 仕方ない。

 おれと堀さんは武佐宿に行ってみることにした。務めが務めだけに支度金はたんまりもらえたので、首尾は宿でゆっくり考えることにしよう。


 武佐まで中山道を歩きながら堀さんと話してみると、堀さんはおれの三個上だとわかった。それなら互いに、堀さん、俊輔でいこうとなった。だが、これから探索に行くのに実名はまずかろう。お互い道々偽名を考えた。宿に着く頃には、おれは越智斧太郎に、堀さんは有田又太郎になった。


 武佐についてみると、西川という町人は大店の旦那らしく、すぐに見つかった。恰幅が良く、人のよさそうな親父だ。こちらが小出しに事情を話すと、それなら多賀大社の車戸禰宜ねぎを訪ねればいい、といった。

 おれたちはそうしよう、と今日は武佐宿に一泊した。金はある。使い出があって実にいい。


 そういう次第で、次の日は車戸禰宜を訪ねた。こちらにも事情を話すと、彦根の渋谷騮太郎りゅうたろうという町医者を紹介してくれた。渋谷先生は彦根随一の勤王家で通っているそうだ。

 その足で、おれたちは彦根に入った。渋谷先生の町家も難なく見つかった。初見で手ぶらもまずかろうと、一升徳利二本を手土産に持って渋谷先生を訪ねた。


 渋谷先生は白髪坊主の眼光鋭い初老だが、話すと物腰の柔らかい気さくな爺様だった。

「先生は勤王家だと聞きましたが、彦根ではさぞ肩身が狭いことでしょう」

 そんな風に水を向けてみたところ、

「とんでもない」

 渋谷先生は即座に否定した。

 先生がいうには、彦根は先の事変で十万石を削られ、天下の信望もなくして大層悔しい。こうなれば、いっそ藩論を尊攘に転換し、天下に彦根の声をもう一度とどろかせよう、と話しているところだそうだ。

「せっかく彦根にいらしたのです。有田さん、越智さんにうちの藩士を紹介しましょう」

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