第32話 来原自刃
「桂さん、あんた一昔前に水戸の激派と何やら握っとっただろう。水戸は桜田門と坂下門をやった。今度は薩摩が生麦をやった。みんながやっとるのに長州は何もやらんのなら、長州はただ吠えるだけの犬じゃ。幕閣だけでなく、水戸や薩摩からも足元を見透かされ、侮られるだけでしょうが。長州の人間が誰もやらんのなら、おれはひとりでもやるよ」
桂さんはなんのかんのといい繕ったが、来原さんは取り付く島もなかった。
「俊輔、昔寅次郎がいっていただろう。初手は攘夷でこの国に気概を取り戻して、その後は開国、武備増強。そうして最後に、もう一度攘夷で王手をかけるのだ、と。おれは初手の攘夷をやるから、お前は王手の攘夷をやれ」
ひたすらまくし立てる来原さんの、この言葉がおれの胸に残った。
来原さんはその後三日も土蔵相模に入り浸り、藩の人間にあたり散らしていた。来原さんに会った人たちは皆、
「来原は本気で異人斬りをやるらしい」
といっていた。実際、来原さんは横浜での異人斬りと異人街焼き討ちを計画していたようだ。
そんな来原さんを、世子は見兼ねて、君命にてすぐ帰れ、と土蔵相模に遣いを出した。噂では、世子自ら土蔵相模に行って、攘夷は早晩やるが軽挙は身を損なう、といって説教したらしい。
世子が来原さんを呼び戻した次の日、八月二十八日はいつもと同じ朝になるはずだった。
おれが桂さんの部屋で朝餉の準備をしているときのことだ。慌てた様子で、志道さんが部屋に駆け込んできた。
「桂さん、ちょっと来てもらえますか。俊輔、お前もこい」
連れられたのは来原さんの部屋だった。
そこには――布団の上に突っ伏している来原さんの姿があった。
腹を掻っ捌いて喉を突き、残る力で目の前の畳に脇差を突き刺していた。布団は全面真っ赤に染まっていたが、不思議なことに畳に飛び散った血はほとんどなかった。
「世子には伝えてあります。至極残念だ、との仰せでした。亡骸は義兄の桂さんに弔わせよ、とのことです」
志道さんはそういい残すと、静かにその場を去っていった。
「来原さんは、殿のお気持ちを代弁したのかもしれないね」
桂さんは、静かに合掌した。
来原さんは、異国を打ち払うには異国と同じものを持て、といった。
来原さんは、攘夷をやるなら異国を深く知るべし、といった。
来原さんは、攘夷でこの国に気概を取り戻せ、といった。
そして、あの夜には――「お前は最後の攘夷をやれ」といった。
来原さんの言葉が、おれの頭を駆け巡った。来原さんは、自分がやりたいことを何もやらせてもらえず、ただ武士の気概だけを示して逝った。
おれは、おれがやりたいことをやらねばならない、と思った。
おれは、来原さんの亡骸に跪き、頭を深く下げて手を合わせた。
桂さんは来原さんの義兄として葬儀を取り持った。世子はもちろん、藩のお歴々も揃って弔った。亡骸は藩の菩提寺、芝青松寺に埋葬した。
おれは二人目の師を失った。
「俊輔、国元の来原家に来原さんの遺髪を届けてくれないか」
そう桂さんにいわれたおれは、おれにしかできない用事だと光栄に思い、来原さんの遺髪を携え国元に帰った。萩では来原家や国元のお歴々に来原さんの最後を伝えたり、国元での来原さんの葬儀を手伝ったりした。
おれは四十九日まで来原さんの弔いを務めた。
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