第31話 生麦事件
あとの顛末は想像に難くないだろう。
おれは気が強そうな旦那の奥方を思い浮かべながら、旦那に幾松さんから手を引くよう、懇切丁寧にお願いした。あとからおれは、市井の旦那を刀で脅して手を引かせた、なんていわれもしたが、そんなことはいわせておけばいい。おれは誠心誠意、話し合いで解決したのだ。
話し合いが終わると、旦那は叱られた子どものように肩を落として、吉田屋の方へと歩いていった。きっとこの後、お座敷で幾松さんの帯に差された紅屋印の山吹色の手拭いを見るはずだ。あれを見れば、おれのお願いをわかってくれるに違いない。
五日目の暮六つ、おれは瀧中の女将に会いにいった。旦那は女将に、身を引くことを伝えていたようで、女将はおれに、幾松さんの身請け料(百五十両!)をすんなり教えてくれた。
「ほんにご主人はん想いの伊藤はんのおかげで、うちは五十両も取りはぐれてしもうたわ」
女将は、芝居がかった苦笑いを浮かべていた。
桂さんが何といって藩から金を用立てしたのかは知らない。桂さんは江戸に出立する直前に瀧中に寄って、身請金をおさめてきたようだ。桂さんの実家は金持ちなので、返す当てくらいいくらでもあるのだろうが。
お陰で道中の桂さんは大変なご機嫌だった。
八月十六日、江戸藩邸に入ったおれたちは、江戸の空気が一変していることを感じた。幕閣が薩摩のいいなりになっていたのだ。
いや、正しくは薩摩の国父様が伴ってきた勅使の意見なのだが――幕閣は首脳部の交代と、大樹公の上京、攘夷志士の赦免を丸呑みしていた。
世子の方はといえば、こちらも江戸入り後すぐに、幕閣への勅諚伝達を行った。内容は(一)下田条約破棄と即今攘夷、(二)故水戸烈公(斉昭様)への贈官、(三)安政以降の国事犯復権、の三点だ。
ところが薩摩の国父様は、勅諚だというのに、世子の申し入れが気に入らなかったらしい。八月二十日に、京への引き上げの挨拶だと、わざわざ長州桜田藩邸にやってきた。後から志道さん――この時志道さんは、世子の江戸入りに合わせて世子小姓役を拝命していた――から聞いた話だが、国父様は(三)の安政以降の国事犯の中に、国父様が京で上意討ちした面々が入っていると知って、挨拶にかこつけて長州に文句をいいにきたそうだ。
薩摩の国父様は江戸を去った。これでようやく落ち着くかと思いきや、薩摩はもう一つ、置き土産のような事件を起こしていた。八月二十一日の昼過ぎに、神奈川宿の生麦あたりで、イギリス人を無礼討ちにしたのだ。
聞けば、イギリス人数名が騎馬のまま薩摩の国父様の行列に割って入ったらしく、自業自得ではあるが、それでも薩摩は異人を問答無用に斬って捨てた。
江戸市中は、よくやった、日頃の鬱憤を晴らしてくれたと、薩摩人気はうなぎ登りだ。
一方で藩邸内は、薩摩に異人斬りを先駆けされた、またしても薩摩にしてやられた、と恨み節でいっぱいだった。
その中でも、いち早く、最も過激に反応していたのは来原さんだった。おれは来原さんの反応を意外に思った。あれほど航海遠略策に入れ込んだ来原さんが、だ。
翌日、来原さんは桂さんを品川の料理屋「土蔵相模」に誘ってきた。
ひと通りの酒肴が出ると、来原さんはすぐに人払いをした。座敷が静まり返るや、桂さんとおれの二人を説教するかのように、一方的に早口でまくし立ててきた。
「おれは、今も長井様は間違ってはいないと思っている。ただ、航海遠略で開国しても、武備増強に繋がらなくては意味がない。航海遠略策の真の目的は武備増強だ。即今攘夷が武備増強の近道だと皆がいうのであれば、おれは攘夷を率先する」
「長州は即今攘夷を藩論としたのにもかかわらず、口先ばかり。誰も実行せぬではないか。しかも薩摩に先を越されるとは……情けない。恥だと思わないのか!」
来原さんは烈火のごとく怒っていた。
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