第17話「澪が、危険指定された件」
月曜日の朝、雨が降っていた。
悠真がコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、地域欄に、小さな記事が載っていた。
*【杉並区】未明、住宅街の一角で氷柱が大量発生 原因不明*
(…………)
悠真は、もう一度、記事を読んだ。
深夜二時頃、杉並区某所の住宅街で、複数の家の窓ガラスが内側から凍結。家の前に氷柱が大量に発生した。原因は不明。被害者は数名。重傷者はなし。
場所が、書いてあった。
(百鬼荘から、徒歩で十分くらいの場所)
(深夜二時)
(……澪さん)
(深夜二時に、外、出ていたのか?)
悠真が顔を上げた。キッチンに澪はいなかった。今日は珍しく、降りてきていない。
紅が、新聞を覗き込んだ。
「……これ」
「気づきましたか」
「気づくでしょ」紅が眉を寄せた。「これは、まずい」
「澪さんが、やったと、思いますか」
「……可能性はある。深夜二時、杉並区、氷柱。雪女の力以外で説明がつかない」
「でも、なぜ深夜に外へ?」
「それは、本人に、聞くしかない」
(……嫌な予感がする)
(前にも、似たようなことがあった気がする)
(3話のとき、ましろさんが暴走しかけて、街に低気圧が発生した)
(あれと、似た構造だ)
(澪さんも、何か、感情の揺れがあった?)
白音がキッチンに入ってきた。新聞を見て、すぐに状況を察したらしい。
「……澪、今朝、起きてきていないの?」
「いません」
「……様子を見てくる」
白音が二階に上がっていった。
しばらくして、戻ってきた。
顔色が、よくなかった。
「……澪、部屋にいない」
「いない?」
「窓が開いていた。布団は乱れている。出ていった、たぶん」
「いつ?」
「わからない。でも、布団の温度から、少なくとも、夜中には」
(夜中に、出ていった)
(深夜二時、杉並区の氷柱)
(つながる)
---
紅と白音、ましろ、みつき、悠真がキッチンに集まった。
「……澪を探しに行く」と紅。
「俺も、行きます」
「あなたは、残って」
「なぜですか」
「あなたが外に出ると、上層部の格好の口実になる」
「でも、澪さんが——」
「私たちが、探してくる。あなたは、家にいて」
紅の声が、いつもより、強かった。
「ましろちゃん、白音、みつきちゃん。手分けして、探す」
「うん」とましろ。
「了解」とみつき。
「……」と白音。
白音が悠真を見た。
「悠真くん、ここを動かないで。あなたが家にいることが、澪を呼び戻す力になる」
「……アンカー、ですか」
「そう。あなたが家に居続けることで、澪は、戻ってこられる」
「……わかりました」
紅たちが、家を出ていった。
悠真は、リビングで、一人になった。
時計を見た。午前九時。
(澪さん、戻ってきてください)
(無事で、戻ってきてください)
---
午前十時半、スマートフォンが鳴った。
また、知らない番号だ。
出た。
「岬さん」
低い男の声。前と同じ、上層部の人間だ。
「……何のご用ですか」
「先ほど、氷室澪を、危険指定に格上げしました」
「……は?」
「昨夜の杉並区の事件、彼女の仕業と判断されました」
「証拠は」
「現場の状況、能力の特殊性、過去の挙動。総合的判断です」
「現行犯逮捕でもしないと、確定的な証拠にはならないのでは」
「我々は、警察ではありません」
(言い切った)
(陰陽庁の論理だ)
(証拠より、判断、というやつ)
「……それで?」
「危険指定に格上げされた以上、即時の対応が、可能になりました」
「対応というのは」
「封印、または、消滅」
(…………)
(来た)
(具体的に、来てしまった)
「待ってください。澪さんは、家を出ていますが、戻ってきます。戻ってきたら、状況を確認して——」
「岬さん」
男の声が、少し、低くなった。
「あなたに、選択肢を、提示します」
「選択肢?」
「選択肢A:あなたが百鬼荘から退去する。氷室澪に対する処分は、一旦、保留する」
「……Bは」
「選択肢B:あなたが残る。氷室澪は、本日中に、対応されます」
(……)
(俺を、人質に取った)
(俺の、選択次第で、澪さんの命運が、決まる)
「……一日、待ってもらえますか」
「いいえ」
「半日でも」
「いいえ」
「……今、決めろ、ということですか」
「はい」
悠真は、しばらく、沈黙した。
(落ち着け)
(情報を、整理しろ)
(俺が出る、と言えば、澪さんは助かる。一旦は)
(でも、それは、上層部の言いなりになる、ということだ)
(一度、譲歩したら、次もある。次は、紅さんかもしれない。次の次は、ましろさんかもしれない)
(俺がいなくなれば、住人は、じわじわ消える、と管理人は言っていた)
(つまり、俺が出るのは、結局、住人を守ることにならない)
(じゃあ、どうする)
「……どちらも、選びません」
「は?」
「Aも、Bも、選ばない。第三の選択肢を、提示します」
「岬さん、これは交渉ではない」
「交渉でなくても、提示はします」
男が、少し、沈黙した。
「……どうぞ」
「澪さんが、本当に、昨夜の事件を起こしたのか、確認させてください。彼女から事情を聞いた上で、対応を協議する」
「協議?」
「あなたたちが、判断する前に、事実関係を確認したい」
「それは——」
「神代さんを、呼んでください」
(……出した)
(神代の名前を、出した)
「神代さん経由で、対応してください。それが、できないなら、俺は、退去しません。澪さんも、対応されたら、後で、必ず問題になります」
男が、また、沈黙した。
「……問題、というのは」
「あなたたちが、証拠も確定的でないまま、危険指定で対応した、という事実が、外に出た場合、どうなりますか」
「外には、出ません」
「俺、フリーランスのエンジニアで、SNSアカウントを、いくつか持っています。情報発信、得意です」
「……」
「もちろん、これは、最終手段ですが」
(脅し返した)
(俺、脅し返した)
(こんなこと、人生で初めてだ)
(でも、澪さんを、守るためなら、何でもする)
男が、しばらく、考えた。
「……神代に、対応させます」
「ありがとうございます」
「ただし」
「はい」
「次は、ありません」
「次は、起こさないよう、努めます」
電話が、切れた。
悠真は、しばらく、スマートフォンを見ていた。
(手が、震えている)
(俺、本当に、上層部に脅し返したのか)
(こういうの、フリーランスでも、滅多に、ない経験だ)
(でも、選択肢が、なかった)
---
十五分後、玄関のチャイムが鳴った。
悠真が出ると、神代玲司が立っていた。
「……来てくれましたか」
「上層部から指示が、来ました。"岬悠真の対応を、お前に任せる"と」
「ありがとうございます」
神代が、少し悠真を見た。
「……上層部に、何を言ったんですか」
「脅しを、返しました」
「は?」
「俺、SNS、得意なので、と」
神代が、しばらく、悠真を見ていた。
そして、ふっと、口元を緩めた。
「……あなたは、本当に、面倒な人ですね」
「すみません」
「いえ、悪い意味では、ありません」
(前にも、これ言われた)
神代を、リビングに通した。
お茶を、出した。
神代が、湯呑みを、両手で持った。
「岬さん」
「はい」
「氷室澪のこと、信じていますか」
「信じています」
「昨夜の事件、彼女が、起こしていない、と?」
「起こしているかもしれません。でも、理由がある、と思います」
「理由?」
「澪さんが、何の理由もなく、街を凍らせる人ではないので」
神代が、お茶を一口、飲んだ。
「……私も、同じ意見です」
(え?)
「氷室澪の能力履歴を、見直しました。彼女が、過去に、人間に明確な被害を与えた事例は、ありません。今回も、彼女がやったと仮定して、原因を、確認するべきだと、私は思います」
「神代さんが、そう言ってくれるなら、助かります」
「ただ、上層部は、判断を急いでいます」
「具体的には」
「氷室澪を、確保し、状況を、確認する。その上で、必要なら、封印」
「確保、というのは」
「拘束です」
(拘束)
(澪さんを、拘束する)
「……拘束は、避けられませんか」
「上層部の判断を、覆すには、確保した上で、無実を証明する必要があります」
「証明できなければ?」
「封印です」
(条件付きの拘束)
(証明できれば、解放される。できなければ、封印)
悠真は、少し、考えた。
「……俺が、立ち会うことは、可能ですか」
「立ち会う?」
「澪さんから事情を聞くとき、俺が、立ち会いたい」
「なぜですか」
「澪さんは、人見知りなので、知らない人ばかりだと、話せない可能性が高い」
神代が、少し、考えた。
「……許可します」
「ありがとうございます」
「ただし、私の指示には、絶対に従ってください」
「従います」
(紅さんと同じ条件だ)
(陰陽庁の人間、みんな、こういうこと言うな)
---
午後一時、紅から電話が来た。
「悠真くん、澪、見つけた」
「どこですか」
「中野駅の北口、商店街の路地の奥。倒れてる」
「倒れてる?」
「意識はある。でも、衰弱してる」
(衰弱)
(雪女が、衰弱?)
「すぐ行きます」
「神代を、連れてくる?」
「神代さんは、隣にいます」
「……話、ついてるの?」
「ついています。経緯は、後で説明します」
「わかった。早く来て」
悠真は、神代に状況を伝えた。
神代が、頷いた。
「行きましょう」
---
中野駅の北口、商店街の路地の奥。
紅と白音、みつきが、澪を囲んでいた。
澪は、地面に座り込んでいた。
いつもより、肌が、青白い。雪女の特徴なのか、衰弱しているからなのか、判別できない。でも、明らかに、いつもの澪じゃない。
「澪さん」
悠真が、近づいた。
澪が、顔を上げた。目が、少し焦点が合っていない。
「……悠真」
「大丈夫ですか」
「……寒い」
(澪さんが、寒い、と言った)
(雪女が、寒い、と言うのか)
「神代さんが、来ています」
澪の目が、少し、焦点を取り戻した。
「……陰陽庁?」
「事情を、確認しに来ました」
「……封印、される?」
「させません」
「……でも」
「させない、と、決めました」
澪が、しばらく、悠真を見た。
そして、少し、力を抜いた。
「……話す」
「無理しないでください」
「……話せる、今なら」
澪が、深呼吸した。
悠真は、隣に座った。
神代も、少し離れた場所に、座った。
---
澪が、語ったのは、こういうことだった。
「……昨日の夜、夢を見た」
「夢?」
「……悠真が、いなくなる夢」
(……)
「……陰陽庁から、退去させられて、いなくなる夢」
「澪さん」
「……目が覚めて、寒くて、外に出たくなった。寝ぼけてた」
「……」
「……気づいたら、住宅街にいて、感情が、止まらなかった。寒くて、悲しくて、止まらなくて、それで、たぶん、力が、漏れた」
(夢を見て、感情が揺れて、寝ぼけて、外に出て、力が漏れた)
(不可抗力に、近い)
(でも、結果として、街を凍らせた)
「悠真がいなくなる、と思ったら、止まらなかった」
澪が、悠真を見た。
「……ごめんなさい」
「澪さん——」
「……人を、傷つけるつもりは、なかった」
「わかってます」
「……でも、結果として、傷つけた」
「……」
「……封印されても、しょうがない」
(……)
(澪さん、自分の罪を、認めている)
(封印を、受け入れる気だ)
悠真は、神代を見た。
神代も、悠真を、見ていた。
「神代さん」
「はい」
「澪さんは、自首しています。状況も、共有してくれました」
「……はい」
「上層部の指示は、確保。確認後、必要なら封印」
「はい」
「俺は、こう、提案します」
悠真が、深呼吸した。
「澪さんを、確保しないでください。代わりに、俺が、責任を負います」
(言った)
(言ってしまった)
「責任を負う、というのは」
「澪さんが、二度と、同じことを起こさないよう、俺が、見守ります。万が一、再発した場合、俺が、責任を取ります」
「具体的には?」
「百鬼荘の俺が、退去する」
(言った)
(自分の存在を、賭けた)
澪が、目を見開いた。
「……悠真、それは——」
「澪さん、大丈夫です」
「……ダメ」
「ダメ、じゃないです」
「……ダメ」
澪が、悠真の腕を、掴んだ。
「……あなたが、いなくなる、それが、原因で、こうなった」
「だから、いなくならない方法を、提案しています」
「……でも、再発したら、出ていく、って」
「再発しないように、します」
「……」
神代が、しばらく、考えた。
「……岬さん、それは、あなたに、責任が、重すぎます」
「重くても、引き受けます」
「氷室さんの感情を、あなた一人で、管理するのは、不可能です」
「不可能じゃないです。澪さんと、ちゃんと、話します」
「話して、解決する問題ですか」
「……解決します」
(言い切った)
(言い切ってしまった)
(解決する保証は、ない。でも、解決させる、しかない)
神代が、しばらく、考えた。
「……上層部に、伝えます」
「伝える?」
「あなたの提案を、上に上げます。判断は、上層部が下します」
「ありがとうございます」
「ただし、判断が下りるまで、氷室さんの行動は、制限されます」
「制限?」
「外出禁止。百鬼荘から、出ない。私が、定期的に確認します」
「澪さん、いいですか」
澪が、頷いた。
「……いい」
「……決まりですね」と神代。
(一旦、最悪の事態は、回避できた)
(でも、まだ、終わってない)
(上層部の判断次第で、また、変わる)
---
百鬼荘に戻ったのは、夕方だった。
澪は、自分の部屋に、戻った。疲れていたらしい。すぐに眠ったようだ。
紅、白音、みつき、ましろ、悠真がキッチンに集まった。
「悠真くん、無茶したね」と紅。
「無茶しました」
「再発したら、退去って、何それ」
「あの場で、ほかに方法が、なかったので」
「……バカ」
紅が、本気で、怒っていた。
でも、悠真は、引かなかった。
「紅さん、澪さんを助けるためなら、俺は、何でもします」
「……」
「俺が、ここで判断したのは、澪さんを、助けるためです」
「……それでも、自分を、賭けるのは」
「賭けないと、助けられなかったので」
紅が、しばらく、悠真を見た。
そして、ふっと、息を吐いた。
「……あなた、本当に、面倒な人ね」
「みんなにそう言われます」
「悪い意味じゃ、ないけど」
「ありがとうございます」
白音が、口を開いた。
「悠真くん」
「はい」
「澪が、感情を、また揺らしたら、本当に、退去するの?」
「再発させない、つもりです」
「させない、には、努力では、限界がある」
「努力します」
「……」
白音が、しばらく考えた。
「……一つ、提案、いいかしら」
「どうぞ」
「澪と、関係を、深めなさい」
「……関係を?」
「彼女が、感情を揺らす原因は、あなたへの、不安。それが、解消されれば、感情の暴発は、減る」
「……」
「具体的に、どうすればいいかは、あなたが、考えて」
(白音さん、また、ヒントだけ落として、考えさせる)
(教育者っぽい)
(前に、紅さんも、白音さんは「ヒントだけ落とす」と言っていた)
(でも、的確だ)
「……はい。考えます」
紅が、ちらっと、悠真を見た。
「……私のこと、忘れないでね」
「忘れていないです」
「……いいけど」
紅が、少し、寂しそうな顔をした。
(紅さんも、苦しい立場)
(澪さんを助ける優先度が高い、ということに、本人も、気づいている)
(でも、紅さん本人も、悠真のことを、好きになりかけている)
(……これ、ますます、難しい)
---
夜、ましろが部屋に来た。
いつもより、少し、神妙な顔をしていた。
「おにいさん」
「はい」
「澪さん、大丈夫?」
「眠っています。たぶん、回復します」
「……ましろの、せいかも」
「え?」
「ましろが、最近、おにいさんに、しがみつきすぎて、澪さんが、不安になったかも」
(…………)
(ましろさんが、自分のことを、責めている)
(こんな顔の、ましろさんは、初めて見る)
「ましろさんは、悪くないですよ」
「……でも」
「ましろさんは、ましろさんとして、ここにいてくれていいです。澪さんも、それは、わかっています」
「……でも、ましろが、いなければ、澪さんとおにいさん、もっと、仲良くなれた、かも」
「ましろさんが、いるから、俺は、ここに、いやすいんですよ」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
ましろが、しばらく、悠真を見た。
そして、少し、笑った。
「……えへへ」
「……ましろさん、最近、自分のことを、考える時間が、増えましたね」
「うん」
「成長してます」
「成長?」
「子どもが、大人になる過程です。たぶん」
「……ましろ、大人になるの?」
「ゆっくり、なるかもしれないですね」
ましろが、しばらく、考えた。
「……大人に、なったら、おにいさんと、対等に、話せる?」
「今でも、対等ですよ」
「ほんと?」
「ほんとです」
ましろが、ぱっと、笑った。
「えへへ」
(ましろさん、こういうとき、すごく、子どもらしい)
(ヤンデレと、子どもの、両方を、持っている)
(俺、両方、ちゃんと、見てあげたい)
---
深夜、廊下に、冷気は、来なかった。
澪は、まだ、眠っているらしい。
悠真は、布団の中で、考えていた。
(白音さんが言った、関係を深める、というのは)
(具体的には、何だろう)
(毎日コーヒーを淹れてくれる、という、澪さんの行動への、応答)
(俺も、何か、できることが、あるはず)
(明日、考えよう)
眠りに落ちる前に、ふと、思った。
(俺、澪さんを、助けたい)
(紅さんのことも、好きだ)
(白音さんのアドバイスも、ちゃんと、聞きたい)
(でも、今は、澪さんを、助ける)
(それが、優先)
(紅さん、ごめん)
(後で、ちゃんと、向き合います)
---
岬悠真、百鬼荘生活十七日目。
澪が、街を凍らせていた。陰陽庁に危険指定された。上層部に脅し返した。神代と話した。澪を見つけた。事情を聞いた。自分の退去を賭けて、澪を、守った。
それ以外は——
人生で、一番、長い、一日だった。
でも、澪さんを、守れた。
たぶん。
まだ、終わって、いない。
---
*【第18話「俺と澪が、ちゃんと、向き合うことにした件」に続く】*
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