第13話「冷蔵庫の中身が、毎朝消えている件」
最初に異変に気づいたのは、火曜日の朝だった。
悠真がプリンを買って冷蔵庫に入れたのは、月曜の夜。仕事の進捗が予定より早かったので、自分へのご褒美として買ったやつだ。コンビニの限定プリン。三百八十円。エンジニアにとっては、ささやかだが大事なご褒美だ。
翌朝、冷蔵庫を開けた。
プリンは、消えていた。
「…………」
悠真は冷蔵庫の中身を確認した。
昨日入れたはずのプリンが、ない。容器ごと、ない。何かを食べた跡もない。証拠隠滅まで完璧だ。
「……まあ、ありえなくはない」
そう思うことにした。
シェアハウスでは、たまにある。「これ食べていい?」が「黙って食べる」になることはある。普通の家でもあることだ。
(プリンくらいで騒がない。大人は、騒がない)
(プリン、食べたかったが)
(食べたかった、けど)
(でも、まあ、いいか)
(でもなあ)
悠真は朝食用の卵を取り出して、その日はそれで終わった。
---
二日目も、消えた。
水曜日、悠真は仕事の合間にスーパーで買い物をした。鶏もも肉、ねぎ、調味料、それと、ささやかな心の栄養としてバニラアイス。
冷凍庫にアイスを入れた。
翌朝、冷凍庫を開けた。
アイスが、消えていた。
「……」
冷蔵庫を確認した。
入れたはずの鶏もも肉も、半分なくなっていた。
「…………これは」
悠真は腕を組んだ。
プリン一個なら、まだ流せた。アイス一個なら、まあギリ。だが鶏もも肉まで半分消えるとなると、これはもう「気の利いた住人がうっかり食べた」レベルではない。
(犯人がいる)
(犯人が、いる)
(プリンとアイスと鶏もも肉、共通点は——食べ物全般、ということになる)
(つまり犯人の好みが特定できない。範囲が広すぎる)
エンジニアの脳が動き始めた。
問題発生。原因特定。再現性の確認。対策の実装。
(よし、調査する)
---
昼、悠真はキッチンに住人を集めた。
「みなさん、ちょっとお時間いいですか」
全員が集まった。澪、紅、ましろ、みつき、白音。管理人は呼んでいない。十中八九、来ない。
「実は、冷蔵庫の中身が消えています」
「え?」とみつき。
「……何が?」と澪。
「プリン、アイス、鶏もも肉半分」
「贅沢じゃない、悠真くん」と紅。
「贅沢な話じゃないです。誰が食べたか、心当たりのある方は、いますか」
全員が、互いの顔を見た。
「……ましろじゃないよ」
「俺は最初からましろさんを疑ってないですよ」
「ほんと?」
「ほんとです。ましろさんは普段から堂々と俺の卵焼きを取りに来るので、隠れて食べるタイプじゃない」
「えへへ」
(褒めてはいない)
「……私も、食べてない」と澪。
「澪さんは料理が好きで自分で作る派なので、人のものを取らないと思ってます」
「……そう」
澪が少し、嬉しそうにした。
「あたしも食べてないよ?」とみつき。「アイスは食べたいけど、勝手に食べたりしない」
「みつきさんは何かあると首伸ばして報告してくる人なので、こっそり食べるタイプじゃないですね」
「ふふん」
「私もよ」と紅。「九尾は人間の食べ物にあまり執着しない」
「紅さんは"私のセンスで選んだ食べ物以外は食べない"と思ってます」
「正解」
白音が小さく手を挙げた。
「……私も、食べていないわ。来て三日目で、勝手に冷蔵庫を漁る勇気はないの」
「白音さんは、まだ遠慮があるので、違うと思ってました」
「鋭いわね」
(ということは)
(全員、自己申告では犯人ではない)
(でも何かが食べている)
(妖怪の家で、食べ物が消える、というだけなら、これは——)
「……家自体に、妖怪がいる、とかはないですか」
全員が、悠真を見た。
「……あるかも」とみつき。
「妖怪の家には、たまにそういうのがいるのよ」と紅。「住人ではないけど、住み着いてる小さな妖怪。塵塚怪王とか、垢嘗とか、悪戯系のやつ」
「冷蔵庫の中身を食べる妖怪は、いますか」
「……心当たりはないけど、いてもおかしくない」
(候補が増えた)
「とりあえず、調査します」
「どうやって?」とみつき。
「監視カメラを設置します」
全員が、悠真を見た。
「……エンジニアらしい解決方法ね」と白音。
「家にカメラ仕掛けるの?」とましろ。
「冷蔵庫の前だけです。ネットワークカメラなら、安いやつで五千円くらいで買えます」
「悠真くん、本気で犯人捕まえる気だ」と紅が笑った。
「本気です。プリンを食べた犯人は、絶対に許しません」
「重い」
「重いです」
---
夕方、悠真はAmazonでネットワークカメラを注文した。即日配送で、夜には届いた。
設置場所はキッチンの天井の角。冷蔵庫が映る位置だ。Wi-Fi経由でスマートフォンに映像が転送されるタイプ。動体検知付き。
設置していると、ましろがやってきた。
「おにいさん、何してるの?」
「カメラの設置です」
「すごい」
「ましろさん、俺がいない間、冷蔵庫の前に変な気配感じたことありますか」
ましろが少し考えた。
「……ない、と思う」
「そうですか」
「でも、家の中の気配は、いっぱいあるよ」
「いっぱい?」
「百鬼荘だから、いっぱい」
(百鬼荘)
("百"の鬼)
(看板に偽りなしか)
「……一応、覚悟しておきます」
設置が終わって、悠真はスマートフォンで映像を確認した。冷蔵庫の前が、きれいに映っている。動体検知も問題ない。
「これで、犯人を特定する」
ましろが目を輝かせた。
「おにいさん、刑事みたい」
「刑事じゃないです、ただのエンジニアです」
「同じだよ、論理で犯人を見つけるんだから」
(ましろさん、たまに核心を突くな)
---
その夜、悠真は冷蔵庫に新しいプリンを入れて寝た。
囮プリンだ。
犯人を釣るための、餌。
「待ってろよ、犯人」
布団の中で呟いた。
(俺は本気だ)
---
翌朝、悠真は飛び起きた。
スマートフォンを確認した。
動体検知の通知が、深夜二時十七分に来ていた。
(来た)
映像を再生した。
まずキッチンが真っ暗。動体検知が反応した瞬間、何かが映った。
映ったのは——畳半畳くらいの、白いふわふわしたもの。
(……は?)
なんだこれ。
動物ではない。布でもない。なんというか——綿菓子に近い。白くて、ふわふわしていて、形が一定じゃない。
それが、冷蔵庫の前で、ぐねぐね動いている。
冷蔵庫を、開けた。
(手はない)
(手はないのに、開けた)
(ふわふわが、冷蔵庫を開けた)
プリンを取り出した。
(手は——やっぱりないのに、取り出した)
プリンを、なんかこう、自分の中に取り込んだ。
(吸収した)
(プリンを、吸収した)
映像の中のふわふわは、満足そうに——いや、満足そうかどうかは表情がないからわからないが——少しぷるんと震えてから、冷蔵庫を閉めて、すうっと壁を抜けて消えた。
(壁を抜けた)
(つまり、これは妖怪だ)
「…………」
悠真は映像を、もう一度見た。
(これ、なんていう妖怪なんだ)
(綿菓子妖怪)
(いや、そんな雑な分類でいいのか)
悠真はキッチンに飛び降りた。
---
朝のキッチン。
全員に映像を見せた。
「これです」
全員が、スマートフォンの画面を覗き込んだ。
「……何これ」とみつき。
「……」と澪が黙った。
「……あら、まあ」と白音。
「……これは」と紅が眉を寄せた。
「ましろ、わかる!」とましろが手を挙げた。
全員がましろを見た。
「これ、座敷童の仲間!」
「仲間?」と悠真。
「白い座敷童! ましろみたいに人型になれない子!」
「ましろさんは人型ですよね」
「うん、ましろは特別! 普通の座敷童は、こういう形が多いよ!」
(座敷童って、ふわふわなのか)
(ましろさんが特別なんだな)
「ましろちゃん」と紅。「これ、知ってる子?」
「うーん、わからない。でも、座敷童の感じはする」
「家から出ていきたがらない、ということ?」
「そう。家にいたいから、住み着いてるんだと思う」
(住み着いている)
(無賃で)
(プリンとアイスと鶏もも肉を食べて)
「……どうすれば、いいですか」
「追い出すのは難しいわ」と白音が言った。「座敷童は、家を選んで住み着く性質があるの。気に入った家にしかいない」
「気に入られているんですか、百鬼荘」
「ましろちゃんがいるから、たぶん」
「なるほど」
(ましろさんと同種なら、邪険にできないな)
「お話してみる」とましろが言った。
「お話?」
「ましろ、座敷童の言葉、わかるよ」
(言葉、というか、たぶん感覚的なやつだろうな)
「お願いします」
---
夜中、二時十七分の少し前。
悠真とましろは、キッチンで待ち伏せた。電気は消した。冷蔵庫の前に、プリンを一個と、メモを置いた。
メモには、こう書いた。
*"こんばんは。プリンを食べてくれているのは、あなたですか? 一個ずつなら、毎日提供します。代わりに、他のものは食べないでください。よろしくお願いします。岬悠真"*
「メモで通じるかな」とましろが小声で言った。
「通じなければ、ましろさんが翻訳してください」
「うん」
待った。
十分くらい経った。
冷蔵庫の前に、ふわっと、白いものが現れた。
何もないところから、すうっと。
「来た」と悠真が小声で言った。
白いふわふわが、メモを見た。
(読めるのか?)
しばらく、メモの上で揺れていた。
「……話してみる」
ましろが、白いふわふわに近づいた。
しゃがんで、何か小声で言った。何を言っているかは、悠真には聞こえない。
白いふわふわが、ぷるぷる震えた。返事をしているらしい。
数分、やり取りが続いた。
ましろが立ち上がった。
「……話、ついた」
「マジですか」
「マジ。プリン一個、毎日でいいから、ここに住ませてって」
「家賃代わりに?」
「そんな感じ」
「了解しました。それは飲みます」
悠真がメモに「了解しました」と書き足した。
白いふわふわが、少しぷるんと跳ねて、満足そうにプリンを吸収した。それから、また壁を抜けて消えた。
「……解決しましたね」
「したね」
「ましろさん、ありがとうございます」
「えへへ」
ましろが、満面の笑みになった。
「ましろ、役に立てた?」
「立ちました。すごく」
「やった!」
(ましろさん、こういう瞬間は普通の子どもだ)
(座敷童だってことを忘れる)
(忘れたほうが、いいときもある)
---
翌朝、悠真は新しいルールを作った。
*【百鬼荘 冷蔵庫ルール 改訂版】*
*1. プリンを一個、冷蔵庫の手前に置く。これは「家賃」である。*
*2. プリン以外のものは、住人の所有物として扱う。手をつけないこと。*
*3. 住人各自の食べ物には、名前を書く。*
*4. ふわふわ(仮称)は、勝手にプリン以外を食べてはならない。*
貼ったメモを見て、紅が笑った。
「ふわふわ、って書いてあるじゃない」
「正式名称がわからないので」
「座敷童って書けばいいのに」
「ましろさんと混同するので」
「あ、なるほど」
澪がメモを読んでいた。
「……プリン、毎日?」
「毎日です」
「……贅沢」
「妖怪に贅沢の概念があるのか不明ですが、まあ、家賃と思えば安いです」
「……でも、今月の予算は、私が出す」
「え?」
「……電気代の借りも、ある」
「澪さん、もう返してもらいましたよ」
「……でも、もう少し、出したい」
「……ありがとうございます」
(澪さん、こういうところで几帳面だ)
(雪女らしい、と言うべきなのか、わからないが)
白音が縁側の方からひょいと顔を覗かせた。
「悠真くん、ふわふわのこと、上手くまとめたわね」
「ましろさんのおかげです」
「あなたが冷静に対処したからよ」
「対処というか、家賃を取ることにしただけです」
「それが冷静ってこと」
(褒められているのか、そうでもないのか、よくわからない)
白音がふっと笑って、引っ込んだ。
みつきが首だけで天井からひょっこりと現れた。
「悠真くん、それで、犯人捕まえた感想は?」
「捕まえてないですよ。話し合いで解決しました」
「でも、刑事みたいだったよ?」
「刑事じゃないです」
「カメラ仕掛けて、罠を張って、犯人を特定して、対話で解決」
「……エンジニアの仕事の流れに似てますね」
「ね」
(みつきさん、今日もちゃんと核心を突いてくる)
---
昼過ぎ、ましろが悠真の部屋に来た。
「おにいさん、ふわふわ、見たい?」
「いいんですか?」
「うん、ましろが連れてくる」
(連れてこれるのか、座敷童を)
(仲間意識みたいなのがあるのか)
しばらくして、ましろが戻ってきた。手のひらに、白いふわふわを乗せていた。
(小さい)
(手のひらサイズだ)
(昨日、冷蔵庫の前で見たやつより、小さく見える)
「大きさ、変えられるんだ」と悠真が言った。
「うん。安心してると、小さくなる」
「……可愛いですね」
「でしょ?」
ふわふわが、悠真の机の上にちょこんと置かれた。ぷるぷる震えている。
「触ってもいいですか」
「いいって、言ってる」
悠真はそっと、指でつついた。
柔らかかった。雲のような触り心地。
「……これ、なんで百鬼荘にいるんですか」
「家を探してたみたい」とましろ。「前のおうちが、壊されたって」
「壊された」
「再開発、って言ってた」
(再開発で家を失った座敷童)
(東京には、こういう妖怪が、たくさんいるのかもしれない)
(住む場所をなくした妖怪が、最後に辿り着く場所が、百鬼荘なのか)
(白音さんも、白蛇も、似たような感じだったな)
悠真はふわふわを見た。
「……毎日、プリン、ちゃんと用意します」
ふわふわが、ぷるんと震えた。
「これ、ありがとうって言ってる」とましろ。
「どういたしまして」
(座敷童相手に丁寧語で話すのも変な気がするが、まあいいか)
(変なことばかりだが、悪い変なことじゃない)
---
夜、澪が部屋に来た。
「……ふわふわ、見た」
「俺の部屋に?」
「……ましろが、連れてきてた」
「ですね」
「……かわいい」
「澪さんもそう思いましたか」
「……うん」
(澪さんの「かわいい」、貴重だな)
(あまり言わない人だ)
「……悠真」
「はい」
「……今日のこと、すごかった」
「カメラを設置しただけですよ」
「……それを思いついて、実行できるのが、すごい」
「エンジニアの習性です」
「……普通の人は、できない」
「そうですかね」
澪が少し悠真を見た。
「……悠真は、自分が普通だと思いすぎてる」
「普通じゃないんですか」
「……普通じゃない」
(あれ、これ、褒められてるのか)
(そうなのか)
「……ありがとうございます」
「……うん」
澪が立ち上がった。部屋を出る前に、振り返った。
「……毎日、話したい、って言ったの、覚えてる?」
「覚えています」
「……今日、話した」
「話しました」
「……明日も」
「明日も話しましょう」
「……うん」
澪が出ていった。
悠真はしばらく、ドアを見ていた。
(毎日話す、って約束を、ちゃんと守ろうとしてる)
(澪さん、不器用だが、約束には誠実だ)
(俺も、ちゃんと、応えていこう)
(白音さんに言われた「あなたから手を差し出して」のこと、まだ実行できていないが)
(少しずつ、考えよう)
---
岬悠真、百鬼荘生活十三日目。
冷蔵庫の中身が消えた。犯人をカメラで特定した。座敷童の仲間だった。家賃をプリン一個に設定した。新ルールを貼った。ふわふわが机に来た。澪と毎日の約束を守った。
それ以外は——
穏やかな一日だった。
妖怪が一匹増えた、というだけの、穏やかな一日。
(……穏やか、なのか?)
(穏やかってことにしておこう)
---
*【第14話「澪が、何かを伝えようとしている件」に続く】*
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