第102話 王冠塔到着、薄粥の列へ温食箱をぶち込む
最初の一食は、命令より早く塔の空気を変える。
冷えた夜番の前なら、なおさらだ。
王冠塔の荷揚げ口前に着いた時、最初に見えたのは塔じゃなかった。
薄粥の列だ。
鉄鍋の前に、夜番上がりらしい兵が十数人。
その後ろに、荷揚げ人足。
索道番。
補修班。
みんな、同じ顔をしていた。
冷えていて、
腹が減っていて、
でも、文句を言うだけの力は残していない顔だ。
悪くない。
いや、良くはない。
だが、やることが一目でわかる景色だった。
「王冠供給線主」
「何です」
「ほんとに薄いです」
ノイルが、鍋の中を見て言った。
「見ればわかります」
「俺、王都の待機宿よりこっちの方が嫌です」
「その感想は正しいですね」
若い親衛隊長は、白毛皮の襟を少しだけ握り直した。
いい顔だ。
腹の減った列を見ると、こいつはちゃんと顔が変わる。
そういうのは悪くない。
ロルフが、薄粥列の前で立ったまま言う。
痩せた夜番頭の顔は、やはり夜の風を吸いすぎた顔だった。
「今朝の分は、これで終わりだ」
「何人です」
「夜番十八」
「荷揚げ七」
「索道四」
「補修三」
「上には別だ」
そこへ、ラザルがすぐに口を挟んだ。
王冠塔代行監は、相変わらず首元だけ温かそうな顔をしている。
「上層分を先に上げろ」
「夜番は後だ」
「塔を守るのは上からだ」
好きな敵だ。
そういうことを一言目で言ってくれるやつは、本当に好きだ。
どこを折ればいいか、すぐわかるからだ。
「違います」
俺は答えた。
「塔を守るのは、まず物見と索道です」
「今冷えている方から入れます」
ラザルの顔が、露骨に歪んだ。
「何だと」
「第一正式便は、夜番飯を先に回します」
「王冠供給線主の権限で?」
「見ればわかります」
俺は王冠塔第一正式便起動箱から出した昇降機運行板と夜番寝台札束を、わざと薄粥鍋の横へ広げた。
さらに、黒金便車の荷台へ手をつく。
《野戦工房》を流す。
【《野戦工房》起動】
【資材を認識します】
【夜番膳箱 四】
【病み番粥箱 二】
【塩肉温箱 一】
【高所外套束 十】
【暖房石箱 八】
【夜番搬入手当袋 一】
いい。
欲しい物しか入っていない。
かなり好きな箱だ。
「ノイル」
「はい」
「夜番飯札を切ってください」
「先に夜番十八」
「荷揚げ七」
「索道四」
「補修三」
「それから上です」
「わかりました!」
若い親衛隊長の声が、薄粥列の前でよく通る。
いい。
今日はあの声がよく効く。
黒金便車の一番上に積んであった夜番膳箱を、そのまま薄粥鍋の前へ下ろさせる。
ごとり、と重い音。
ラザルが露骨に顔をしかめた。
「勝手に開けるな!」
「開けます」
温食箱北鍵を差す。
かちり、と鳴る。
蓋が開く。
白い湯気ではない。
もっと低い、肉と脂の温気だ。
塩の匂い。
柔らかい肉。
崩した豆と小麦。
夜番用の濃い箱だ。
列の顔が、一瞬で変わる。
「……肉だ」
誰かが小さく言った。
「温い」
「本当に来たのか」
その反応で十分だった。
マルタほどじゃないが、塔の鍋番も手が遅いわけじゃない。
夜番膳箱の中身を大鍋へ移す。
薄粥に塩肉と脂が落ちる。
匂いが変わる。
それだけで列が半歩前へ寄った。
いい。
こういうのは本当に強い。
「上層が先だと言っただろう!」
ラザルが怒鳴る。
だが、その声より先に、夜番頭ロルフの喉が鳴っていた。
夜番頭は、鍋の匂いを吸ってからようやく言う。
「……夜番、先でいいのか」
「そのために来ました」
俺は答えた。
「夜番飯札、一人一枚」
「今朝はこっちです」
ノイルが、急いで木札を配る。
王冠塔夜番飯札。
夜番先行。
小さい札だ。
だが、かなり良い札だ。
「王冠供給線主」
ノイルが、札を配りながら言う。
「これ、かなり好きです」
「どうぞ」
「だって、並んでる人がちょっとだけ笑いました」
「見ればわかります」
夜番の兵が、一口目を飲む。
次に、もう一口。
止まらない。
薄粥の列だった顔が、少しずつ戻っていく。
ロルフも遅れて椀を受け取った。
夜番頭は、匂いを確かめるみたいに少しだけ止まってから、ようやく口へ運ぶ。
それから、小さく息を吐いた。
「……三日ぶりだ」
「何がです」
「肉の匂いがする朝飯」
短い。
だが、十分だ。
好きな種類の一言だった。
その横で、荷揚げ人足まで鍋を抱えている。
索道番もだ。
補修班の手まで、ちゃんと温まる位置へ来た。
悪くない。
かなり悪くない。
そこで終わらせない。
手当袋を開ける。
中には、銀貨じゃなく銅貨だ。
だが、今の塔にはそれで十分強い。
「王冠塔第一正式便、夜番搬入手当です」
俺は言った。
「荷を下ろしたやつから、銅貨五枚」
夜番の顔が、もう一度変わる。
鍋のあとで手当まで見えると、人はかなりわかりやすい。
「……今払うのか」
若い索道番が聞く。
「今日運んでるので」
「嫌な供給線主だな」
「知っています」
ロルフが、そこでようやく少しだけ笑った。
悪くない。
こういう夜番頭は悪くない。
かなり悪くない。
ラザルだけが、それを見て苛立ちを隠さなかった。
「上層の朝食はどうする」
「次です」
「後回しか」
「今冷えてる順です」
「塔を守る気があるのか」
「かなり」
俺は答えた。
「そのために、次は昇降機です」
一拍、空気が止まる。
ロルフの顔が変わる。
夜番の兵たちまで、こっちを見た。
その反応で十分だった。
「昇降機?」
夜番頭が低く聞く。
「止まってますか」
「上層専用扱いだ」
ロルフが吐き捨てる。
「近習と代行監の書類箱だけだ」
「夜番は階段」
「負傷兵も階段」
「湯も寝台も、自分の足で上がるか下がるかだ」
いい。
欲しかった答えだ。
かなり良い。
ノイルまで、あからさまに顔をしかめた。
「それ、嫌ですね」
「そうですね」
「だいぶ嫌です」
「わかります」
起動箱から、王冠塔昇降機券の綴りを出す。
それをロルフの前で一枚切る。
さらに、物見湯槽鍵をその横へ置く。
重い音がした。
夜番頭の目が、そこへ釘付けになる。
良い顔だ。
喉が見えている顔だ。
「王冠供給線主」
ロルフが言う。
「それ、夜番に回す気か」
「そのために来ました」
「……上層が怒るぞ」
「見ればわかります」
「俺は好きだな」
ロルフの後ろで、若い夜番が本気でそう言った。
痩せた顔だ。
でも、さっきより目に色がある。
こういうのは効く。
かなり効く。
ラザルは、それを見て顔をしかめたままだった。
「昇降機も湯槽も、上からだ」
「決めるのは俺だ」
「今日まではそうでした」
俺は答えた。
「明日からは違います」
わざと、昇降機券の束をもう少しだけ見える位置へ置く。
夜番寝台札も、その横へ並べる。
高所外套支給札まで出す。
欲しい物が、一目で並ぶ。
それで十分だ。
夜番の顔が、列のままこっちへ寄る。
薄粥じゃなく、温食箱でもなく、その先を見た顔だ。
良い。
かなり良い。
最後に、ロルフが椀を空けて言った。
「王冠供給線主」
「何です」
「飯はわかった」
「ええ」
「じゃあ次は、物見湯槽と昇降機だ」
「その通りです」
上出来だ。
答えとしては、かなり上出来だった。
薄粥の列へ温食箱をぶち込んだ。
夜番の腹は少し戻った。
手当も見せた。
だから次は、もう一段上の話ができる。
湯と券と寝台の話だ。
だったら次は、
物見階の湯槽を開けて、
夜番と狙撃帰りを“塔の上の湯”へ並ばせればいい。
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