第101話 王冠塔第一正式便、昇降機券と物見湯槽の鍵が出る
最前線へ行く便は、出る前に帰りの湯と給金が見えている方が強い。
塔は、登ってから降りるまでが寒いからだ。
王冠供給線主になった翌朝。
王都兵站区の黒金便車は、夜明け前から妙にきれいだった。
黒金の外板。
温食箱用の保温棚。
薬箱用の細棚。
前線向けの厚い緩衝布。
しかも今日は、側板へ新しい木札まで打ってある。
王冠塔第一正式便
悪くない。
こういう札は、見ているだけで少し気分がいい。
ノイルが、白毛皮の親衛隊長外套を着たまま黒金便車の前で止まった。
顔が、だいぶ本気だ。
「王冠供給線主」
「何です」
「これ、ほんとに最初の正式便なんですよね」
「そうですね」
「俺、今ちょっと緊張してます」
「正常です」
「でも、かなり嬉しいです」
「それも正常です」
若い親衛隊長は、一度だけ深く息を吸ってから、荷台の固定具をもう一度確かめに行った。
良い動きだ。
こういう日の兵は、少し忙しいくらいでちょうどいい。
ミレイユは王都兵站区の机を抱えたまま、こちらへ歩いてくる。
今日は同行しない。
王都側を回す顔だ。
「王冠供給線主」
「何です」
「王都兵站区は回します」
「お願いします」
「その代わり」
「何です」
「塔の帰り便札、もう三つ売れました」
商人女は、平然と帳簿を見せた。
王冠塔帰り便先行札 三
王冠塔夜番便相談 二
高所外套予約 四
「早いですね」
「塔って書いてあるだけで、人はちょっと高い席を想像しますから」
「商人ですね」
「知っています」
悪くない。
やはりこの女は早い。
メイナも今日は同行しない。
零号医療棟と王都兵站区の診札机を回すためだ。
その代わり、小箱を三つ持ってきた。
咳止め滴。
凍傷油。
夜番用の胸開き塩袋。
それぞれ、小さな印までついている。
「王冠塔の風は、王都より悪い」
若い救護長は短く言う。
「夜番は喉と胸を先にやられる」
「だからそれ、先に持っていって」
「助かります」
「あと」
一拍置いて、少しだけ笑う。
「いい箱が出たら、持って帰ってきて」
好きな言い方だ。
だいぶ好きだ。
ハルバードは、今日は便車の横で待っていた。
青黒い外套。
眠そうな目。
だが、こういう朝はちゃんと起きている目だ。
第一兵站評議官は黒金の小箱を一つ差し出した。
「持っていけ」
開ける。
中には、銀貨と小札が入っていた。
王冠塔第一正式便手当 銀貨二枚
「いいですね」
俺が言うと、評議官は短く返す。
「最初の便は、手当を先に見せた方が走る」
「同感です」
ノイルに二枚。
セレナに二枚。
リンネにも二枚。
若い親衛隊長は、銀貨を掌へ受け取った瞬間に顔を上げた。
「王冠供給線主」
「何です」
「最初の便って、やっぱりいいですね」
「そうですね」
「かなり走れます」
「見ればわかります」
リンネは、銀貨より先に黒金便車の連結金具を見ていた。
黒便番らしい女だ。
「主線は一つだけ」
彼女が言う。
「王都南三区」
「離宮北館」
「王冠塔」
「今日はその三つの切替を、全部こっちが持つ」
「好きです」
「そういう朝」
悪くない。
やはり、速さの女は話が早い。
出る。
黒金便車が、王都兵站区の裏線へ静かに入る。
王都の石の下。
零号中央庫の先。
王冠供給線の主線だ。
車輪の音は小さい。
だが、速い。
体感でわかるくらい速い。
王都の匂いが、三刻もしないうちに薄くなる。
代わりに、乾いた石と高所の冷えた鉄の匂いが混じり始めた。
塔が近い。
そういう匂いだった。
ノイルが、窓のない便車の中でそれでも目を輝かせていた。
「王冠供給線主」
「何です」
「今、けっこうすごい速度で進んでますよね」
「そうですね」
「俺、ちょっと王都に戻れなくなりそうです」
「仕事があるので戻ってください」
「ですよね」
悪くない。
こういう時の冗談は悪くない。
便車が止まったのは、昼を少し回った頃だった。
最後の制動が短い。
いい止まり方だ。
扉が開く。
空気が、一気に変わる。
冷たい。
鋭い。
それでいて、上へ抜ける風だ。
目の前に、塔があった。
高い。
まっすぐだ。
石と鉄で積んだ、縦の砦だ。
上層は雲へ近い。
中腹には細い窓列。
下層には荷揚げ口と小さい広場。
広場の隅では、薄い粥の列までできている。
悪くない。
いや、よくない。
だが、欲しい物の位置が見えやすすぎる。
夜番が、冷えている。
寝台も足りていない顔だ。
だから強い。
やることが、すぐ見えるからだ。
まず近づいてきたのは、痩せた男だった。
外套は擦り切れている。
だが、立ち方だけは崩れていない。
塔の夜番頭という感じの顔だ。
「……本当に来たのか」
第一声が、それだった。
「来ました」
俺が答える。
「王冠塔第一正式便です」
「名前を」
「夜番頭ロルフ」
「あと二日だ」
早い。
好きな言い方だ。
必要な情報から出すやつは、だいたい使える。
「何がです」
「暖房石だ」
「湯槽は?」
「止めてる」
「給金は?」
「三日遅れ」
「薄粥は」
「今見てる通りだ」
十分だ。
塔の喉が、全部見えた。
その時、上層から別の足音が下りてきた。
乾いた。
急がない。
しかし待たせる側の足音だ。
長い外套。
細い顔。
首元だけやけに温かそうな毛皮。
王冠塔代行監ラザル・ドーン。
そう名乗る前から、そういう男だとわかった。
「王冠供給線主」
男はまず、俺の印章を見た。
「来るのが早い」
「最速便なので」
「その荷は」
「温食箱」
「薬箱」
「毛布」
「高所用外套の予備を少し」
代行監の目が、そこで少しだけ細くなる。
「上層分を先に寄こせ」
「夜番は後だ」
早い。
好きな敵だ。
何を握りたいかが、一言目でわかる。
「まず起動箱です」
俺は答える。
「着任箱の場所は」
「塔務箱は二階中継室だ」
「だが」
一拍置いて、ラザルは嫌そうに続けた。
「昇降機券は今止めている」
「上層だけで回す」
いい。
かなりいい。
これで次に何を取る話か、一発で決まった。
ロルフが小さく吐き捨てた。
「だから夜番は階段だ」
「湯槽も止められてる」
「物見階まで上がって、冷えたまま戻ってくる」
ノイルが、そこで露骨に顔をしかめた。
「それ、嫌ですね」
「かなり」
「でも、好きです」
「どういう意味です」
「取った時、気持ちよさそうなので」
若い親衛隊長のそういう本音は悪くない。
だいぶ悪くない。
塔の二階中継室は、狭いが固かった。
扉が二重。
札箱が三つ。
帳面箱が二つ。
その中央に、黒金の小箱が一つ置かれていた。
王冠塔第一正式便起動箱。
いい名前だ。
好きだ。
王冠供給線主印と王冠通行印輪、さらにハルバードの青黒印で開く。
かちり。
ごん。
低い音が二つ。
好きな箱の音だ。
蓋が開く。
中は、思った以上に露骨だった。
王冠塔昇降機券 一綴り
物見湯槽鍵 一
夜番寝台札束 一
高所外套支給札 一綴り
夜番給金箱副鍵 一
暖房石残量板 一
昇降機運行板 一
いい。
箱の中身の時点で、もう一話ぶん気持ちいい。
「……すごい」
ノイルが、小さく言う。
「兵站区主」
「何です」
「欲しいものしか入ってません」
「そうですね」
「塔って感じがします」
「かなり」
若い親衛隊長のその感想は、かなり正しい。
縦の拠点ってのは、結局こういう物の束になる。
昇降機券。
湯槽鍵。
寝台札。
外套札。
給金箱鍵。
全部、生活と戦場の間にあるやつだ。
ラザルが、そこで初めて少しだけ本気の声を出した。
「それは上層管理分だ」
「夜番へ回すな」
もう遅い。
ロルフの目が、昇降機券と夜番寝台札に釘付けになっていた。
痩せた夜番頭の顔が、わかりやすく変わる。
いい。
こういう時の顔は本当にいい。
「王冠供給線主」
ロルフが、低く言う。
「それ、夜番分もあるのか」
俺は昇降機運行板を開いた。
短い。
だが、十分に良い紙だ。
夜番交代便 朝一・夕一
物見階往復 夜番優先
高所外套支給 夜番先行
物見湯槽 夜番開放可
暖房石残 二日
最後の一行が、とても良かった。
悪い意味で、かなり良かった。
「二日ですか」
俺が聞くと、ロルフは短くうなずく。
「塔全体で」
「上層が先に使えば、夜番はもっと短い」
ラザルが、そこで口を挟む。
「だから上から配る」
「逆です」
俺は即答した。
「今冷えてる方から入れます」
代行監の顔が、はっきり歪んだ。
よろしい。
その顔が見たかった。
黒金箱の底には、もう一枚だけ細い札が入っていた。
王冠塔第一正式便手当
銀貨二枚
夜番搬入手当
銅貨五枚
いい。
好きだ。
こういう箱は本当に好きだ。
戦う前に、ちゃんと銀が見えるからだ。
「兵站区主」
ノイルが、札を見たまま言う。
「手当まで入ってます」
「そうですね」
「かなりやる気出ます」
「見ればわかります」
ロルフが、その手当札を見た瞬間に、本当に少しだけ顔を上げた。
夜番頭のそういう顔は強い。
薄粥より銀と湯の方へ、少しだけ首が向く顔だ。
「ラザル代行監」
俺は暖房石残量板を指で叩いた。
「残二日です」
「知っている」
「物見湯槽は止めている」
「そうだ」
「夜番寝台は」
「上層優先で回す」
「昇降機は」
「近習と士官だけだ」
良い。
言質として十分だ。
全部、次にひっくり返す場所として綺麗に見えた。
塔の外では、黒金便車の荷下ろしが始まっていた。
温食箱。
薬箱。
毛布。
高所外套。
見えるだけで、広場の薄粥列の顔が少しだけ変わる。
その横で、風が物見階の方から吹き下ろしてくる。
冷たい。
でも、その高さに湯槽鍵がある。
そこがいい。
すごくいい。
だったら次は、
薄粥の列へ温食箱をぶち込んで、
昇降機券と物見湯槽の鍵をそのまま夜番へ流せばいい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます