第80話 正式認可、王都兵站区主になって湯も寝台も送金窓口も俺の札で回る

 仮鍵は、受け取った夜より、一晩客を回した朝のほうが重い。


 湯気と売上が、その鍵を本物に近づけるからだ。



 団長章を机へ置かせたその夜、俺たちはすぐに動いた。


 第三待機宿区画。


 簡易預り倉七番。


 送金取次窓口二番。


 ハルバードから受け取った仮鍵を、全部その日のうちに使う。



 閉まっていた待機宿は、思ったよりひどかった。


 冷たい。


 暗い。


 布団が薄い。


 だが、壊れてはいない。


 鍵があるなら、十分だ。



「前線本営主」


「何です」


「王都の鍵って、でかいですね」



「利権もでかいので」



 ノイルが、白毛皮の親衛隊長外套を着たまま、やけに真面目な顔でうなずいた。


 悪くない。


 だいぶ悪くない。



 主車から湯差しを運び込む。


 第八湯の熱を、第三待機宿区画の浴場壺へ回す。


 第三寝台車から毛布を抜き、王都宿の寝台へ足す。


 第八預り庫の棚番号を、そのまま簡易預り倉七番へ移す。


 送金取次窓口二番には、ミレイユが即座に封蝋台と受領控え机を置いた。



「兵站城主」


「何です」


「名前、どうします」



「何の」



「区画の」



 ミレイユが言った。


 帳簿箱を抱えたまま、すでに板を出している。



「第三待機宿、簡易預り倉七番、送金取次窓口二番」


「このままだと、誰も覚えません」


「名前がいる」


「商人ですね」



「知っています」



 俺は少しだけ考えて、それから答えた。



「王都兵站区で」



 ノイルが、すぐに顔を上げた。



「そのままですね」



「わかりやすいので」



「好きです」



「どうぞ」



 若い親衛隊長は咳払いして言い直した。



「俺も、それがいいと思います」



 板が上がる。


 王都兵站区。


 それだけだ。


 だが、十分に強かった。



 最初の客は、やっぱり兵だった。


 大石壇の聴取を最後まで見ていた王都兵が、列の先頭で銀貨を置く。



「寝台二」


「湯二」


「家族届け札、一」



 次に文官。


 その次に商人。


 さらに、貴族家の執事まで来る。


 夜の待機地で、今すぐ欲しい物はだいたい同じだ。


 暖かい寝台。


 湯。


 鍵つきの箱。


 今日中に届く金。



 いい。


 わかりやすすぎるくらい、いい。



 ミレイユが、もう新しい札板を立てていた。



 王都兵站区夜越し札

 寝台

 湯

 即送金控え

 朝パン

 銀貨四枚


 王都兵站区上位札

 小室

 湯差し

 箱棚

 金貨一枚から



 ベルナールの待機宿より安い。


 しかも早い。


 しかも、もう灯りがついている。


 列が伸びないわけがなかった。



 ノイルが、夜の案内札を首から下げたまま、小さく言う。



「前線本営主」


「何です」


「王都でも、やること同じですね」



「湯と寝台と箱なので」



「そう考えると、ちょっと安心します」



 悪くない感想だ。



 その夜だけで、第三待機宿区画の寝台はほとんど埋まった。


 簡易預り倉七番も半分埋まる。


 送金取次窓口二番には、最後まで列が残った。


 向かいの待機宿は、明らかに薄くなった。


 好きな景色だ。


 かなり好きだ。



 翌朝。


 王都兵站区の前には、昨日より長い列ができていた。


 寝台を使った兵が、朝湯札を追加で切る。


 その兵が家族届け札をまた買う。


 その隣で商人が、見える箱札から上位預り札へ変える。


 連動している。


 回り始めた場所の顔だ。



 ミレイユが、朝の帳簿をそのまま俺へ差し出した。



「兵站城主」


「何です」


「寝台三十四」


「湯四十六」


「即送金三十一」


「箱預り二十四」


「主車卓十一」



「上出来です」



「悪くありません、の段階は越えました」



 そこへ、青黒い外套が三つ並んで近づいてきた。


 第一兵站評議官ハルバード。


 王都兵站商同盟頭ベルナール。


 それから、昨日は見なかった会計局の上席書記だ。


 どれも朝から嫌そうな顔をしていた。


 湯気の立つ列を見る顔だ。



「前線本営主」



 ハルバードが言う。



「一晩でよく回したな」



「列があったので」



「知っている」



 第一兵站評議官は、王都兵站区の板と、その下の列を見た。



「第三待機宿は満床か」



「昨夜のうちに」



「送金窓口は」



「朝分がもう半分終わっています」



「預り倉は」



「今見える分で二十四箱」



 ベルナールが、そこで苦い顔のまま言った。



「だからといって、三日だけの仮鍵で常設みたいな顔をするな」



「では、今この場の列をどこへ回します」



 俺は聞いた。



「湯四十六」


「寝台三十四」


「送金三十一」


「箱二十四」



 一語ずつ置く。



「今すぐ引き受けられますか」



 兵站商同盟頭は、何も言えなかった。


 顔が全部答えていた。


 できないのだ。


 だから昨日から嫌がっている。



 その時、列の中から本当に声が飛んだ。



「俺は嫌だぞ!」



 北巡回帰りの騎兵だった。



「今から向こうへ戻れって言われても嫌だ!」


「湯も寝台も、もうこっちで回ったんだ!」



 次に文官。


 その次に商人。



「送金が遅いのも困る!」


「箱を今さら動かしたくない!」



 いい。


 列が喋ると、紙は弱くなる。


 かなり気持ちいい瞬間だった。



 ハルバードは、そこで一度だけ目を閉じた。


 少しだけ考える顔だ。


 そして、昨日と同じように、書記へ手を出した。



「紙を」



 若い書記が、新しい巻紙を差し出す。


 第一兵站評議官は、その場で書いた。



 王都外城兵站区第三待機宿区画

 簡易預り倉七番

 送金取次窓口二番

 以上三区画を統合し、王都兵站区として常設運用を認める。


 さらに、兵站浴場西棟一号を併設区画として追加。


 管理責任者を一名置く。



 そこまで読み上げたところで、ざわめきが一段熱くなる。


 兵も。


 商人も。


 文官も。


 みんなわかったのだ。


 三日じゃない。


 常設だ。



「ベルナール」



 ハルバードが、兵站商同盟頭へ向いた。



「旧管理鍵を置け」



 かなりいい言葉だった。



「……何だと」



 ベルナールの顔が、はっきり嫌そうになる。



「第三待機宿区画」


「簡易預り倉七番」


「送金取次窓口二番」


「それから浴場西棟一号」


「今からは、こいつの区画だ」



 兵站商同盟頭は、しばらく動かなかった。


 だが、列が見ている。


 兵も、商人も、見ている。


 ここで渋れば、さらに顔が悪くなる。


 結局、男は腰の鍵輪を外した。


 重い音がする。


 四本。


 ちゃんと太い鍵だ。


 机へ置かれる。


 かちり、と鳴った。



 好きだ。


 こういう音は本当に好きだ。



 ノイルが、思わずみたいに息を呑んだ。



「……でかい」



「ええ」



「王都の鍵って、やっぱりでかいですね」



「利権もでかいので」



 若い親衛隊長は、少しだけ笑った。


 昨日より、だいぶ良い顔だ。



 ハルバードはそこで、最後の一文を読んだ。



「管理責任者」


「王都兵站区主、カイル・ルーヴェン」



 一拍の静けさ。


 そのあとで、王都兵站区が爆ぜた。



「おおっ!」


「主だ!」


「常設だぞ!」


「兵站区主!」



 いい。


 かなりではなく、本当にいい。



 ハルバードは青黒い小箱を開く。


 中から出てきたのは、新しい印だった。


 車輪。


 槍。


 鍋。


 それに、城壁と小さな窓。


 王都兵站区主印。



「受け取れ」



「はい」



 掌へ落ちる。


 重い。


 ちゃんと重い。


 湯も。


 寝台も。


 送金窓口も。


 もう、こっちの札で回る重さだ。



 さらに、四本の鍵。


 第三待機宿主鍵。


 簡易預り倉七番主鍵。


 送金取次窓口二番主鍵。


 兵站浴場西棟一号主鍵。


 悪くない。


 いや、最高だ。



 ミレイユが、横で本気で笑っていた。



「兵站区主」


「何です」


「好きです」



「どうぞ」



「今夜から、小室の値段を少しだけ上げます」



「商人ですね」



「知っています」



 そこへ、エルザが待ってましたとばかりに金貨袋を鳴らした。



「王都兵站区主」



「何です」



「常設なら、第三待機宿の小室を二つ」


「浴場西棟の優先札も四」


「送金窓口は毎朝一本押さえる」



「早いですね」



「今聞いたもの」


 灰色の外套の毛皮商は笑う。



「王都で常設になった暖かい席なんて、安いわけがないもの」



 良い客だ。


 本当に良い。



 王都兵たちまで顔を変えていた。


 湯札と寝台札だけじゃない。


 常設の区画だ。


 今日だけじゃない。


 明日も、次も、ここへ来られる。


 それが兵の顔を少しだけ軽くする。



 ノイルが、本気で嬉しそうに言った。



「王都兵站区主」



「何です」



「俺ら、王都にも根が生えましたね」



「そうですね」



「すごいな……」



 悪くない。


 その表現は悪くない。



 そこで終わらせない。


 鍵は、開けてからが本番だ。



 第三待機宿主鍵で、区画の一番奥を開ける。


 古い主室だ。


 だが、広い。


 机がある。


 帳簿棚がある。


 寝台もある。


 しかも、兵站浴場西棟と渡り廊下でつながっていた。


 いい。


 かなりいい。


 王都の席は、やはり机と鍵が重い。



 ノイルが、扉の外から呆然としている。



「……でかい」



「ええ」



「机もあります」



「あります」



「風呂まで近い」



「そうですね」



「王都兵站区主、だいぶ偉いですね」



「少しだけです」



「どこがです!?」



 笑いが起きる。


 よし。


 こういう温度は必要だ。



 主室の机へ、最初に置いたのは銀だった。


 王都兵站区の常設前受。


 エルザの金貨。


 主車卓の予約金。


 送金窓口の手数料。


 全部が、もう王都の中で回り始めている。



 次に置くのは、母と妹の分だ。



「ミレイユ」



「はい」



「南三区の部屋、九十日分前払いで」



「できます」



「炭箱は二つ」


「寝台も一つ増やしてください」


「妹の机も」



 商人は、すぐに帳面へ書き込んだ。



「王都南三区、石段裏九」


「家賃九十日分」


「炭箱二」


「机一」


「寝台一」


「今夜のうちに入ります」



 好きだ。


 こういう金の減り方は好きだ。


 減る。


 だが、ちゃんと部屋と机と炭になる。


 そこまで落ちると、やっぱり強い。



 その時だった。


 ハルバードが、まだ主室の扉を閉めずに立っていた。


 第一兵站評議官は、こちらを見たまま薄い黒封筒を一つ差し出した。



「王都兵站区主」



「何です」



「ここから先は、湯と寝台と送金だけじゃ済まない」



 受け取る。


 封は重くない。


 嫌な軽さだ。



 表題を見る。



 零号中央庫照合請求



 かなりいい。


 いや、良くはない。


 だが、次としては最高だ。



「王都の一番奥の倉だ」



 ハルバードが言う。



「第三遠征団の不正だけで終わると思うな」


「もっと上の帳簿がある」



 一拍置く。



「お前のやり方は、そこでも通るかもしれん」



 嫌いじゃない言い方だ。



「知っている顔ですね」



 俺が言うと、第一兵站評議官はほんの少しだけ口元を動かした。



「嫌な兵站区主だ」



「知っています」



 主室の窓の外では、


 王都兵站区の湯気が上がり、


 寝台札の列が伸び、


 送金窓口がまだ動いていた。


 王都の真ん中で、


 暖かい方が、ちゃんと勝っている。



 悪くない。


 かなりではなく、本当に悪くない。



 王都兵站区主印。


 第三待機宿主鍵。


 簡易預り倉七番主鍵。


 送金取次窓口二番主鍵。


 兵站浴場西棟一号主鍵。


 机の上へ並べるだけで、気分がいい。



「王都兵站区主」



 ノイルが最後に聞いてきた。



「何です」



「俺ら、次も行くんですか」



「たぶん」



「どこへ」



 俺は黒封筒を指で弾いた。



「王都の一番奥です」



「……すごいな」



 若い親衛隊長のその声は、感動と少しの不安が半分ずつだった。


 ちょうどいい。


 今の俺たちには、それがちょうどいい。



 前線本営は取った。


 王都兵站区も取った。


 母と妹の部屋も、ちゃんと前へ進んだ。


 湯も。


 寝台も。


 送金窓口も。


 今は、こっちの札で回る。



 だったら次は、


 王都のいちばん深い倉の帳簿まで、


 拾いに行けばいい。



 ――第八章・王都逆上陸編 了

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