第79話 団長レイスに団長章を机へ置かせ、王都兵站区の仮倉庫鍵を拾う

 肩書きは、

 剥がす前より、

 自分で机へ置かせた時のほうがよく鳴る。


 紙と印と見物人が揃っていれば、

 なおさらだ。



 公開聴取の日、

 王都中央軍務院前大石壇は、昨日よりさらに人が多かった。


 壇の上には評議机。


 壇の下には、軍務院前兵站市。


 第八湯の湯気。


 第八窯の煙。


 第三寝台車の窓。


 主車待合卓の白い湯差し。


 見える箱棚の番号札。


 全部が、朝からきれいに動いている。


 悪くない。


 かなりではなく、

 かなりはっきり悪くない。



 ノイルが、白毛皮の親衛隊長外套を着たまま走ってくる。


 今日は妙に背筋がいい。



「前線本営主」


「何です」


「上、すごい人多いです」


「見ればわかります」


「でも下も多いです」


「湯があるので」


「王都って、偉い人がいても結局湯に寄るんですね」


「かなり」



 若い親衛隊長は、妙に納得した顔でうなずいた。


 悪くない。


 そういう顔は悪くない。



 机の上には、もう全部並べてある。


 生存名簿。


 給金台帳。


 前線本市売上。


 橋通行記録。


 送金控え。


 軍務院前兵站市の売上帳。


 それから、昨夜ダーンが持ち込んだ横流し仮台帳三冊。


 灰爪渓谷の回送指示書。


 工兵荷車の工兵図。


 南庭破却図。


 第三遠征団私印つきの払出し札束。


 好きだ。


 こういう机は好きだ。


 机の上で、向こうの喉がどこにあるか全部見えるからだ。



 第一兵站評議官アルゼン・ハルバードが、すでに壇の中央へ座っている。


 細い銀縁眼鏡。


 長い指。


 冷たい顔。


 だが今日は、その視線が兵站市の列へ二度も落ちた。


 悪くない。


 現物を見る目になっている。



 その右へ、

 団長レイス・ヴァルド。


 左へ、

 第三遠征団会計官リディア。


 少し離れて、王都兵站商同盟頭ベルナール。


 さらに後ろに、ダーンと軍務院書記。


 役者は揃っている。



 ハルバードが、低く言う。



「始める」


「公開聴取対象は、王都第三遠征団長レイス・ヴァルド」


「争点は三つだ」


「補給物資の横流し」


「第八砦関係者の虚偽損耗処理」


「王都兵站区および前線兵站の私的運用」



 ざわめきが走る。


 壇の下の王都兵が、思わずみたいに顔を上げる。


 商人たちも、主車待合卓の上からこっちを見ている。


 いい。


 見られている方が強い。



 レイスは、相変わらず座り方だけは偉そうだった。


 だが、目だけは少しだけ細い。



「馬鹿馬鹿しい」


「辺境で拾った紙切れで、王都の団長を裁けると思うな」



 好きな言い方だ。


 高い席から落ちるやつは、だいたい最初にそう言う。



「紙切れではありません」



 俺は答えた。



「帳簿です」



 ダーンが、横流し仮台帳の一冊目を開く。


 俺がその横へ、狼の私印つき払出し札を並べる。



「小麦十七袋」


「塩肉二樽」


「矢束二百」


「治癒薬五十」


「冬布六十」


「第八砦向け補給便より欠損」



 一行ずつ読む。


 その横に、払出し札の番号を置く。


 ぴたりと合う。


 見ればわかるくらい合う。



 ハルバードが、払出し札へ視線を落とす。



「狼の私印か」


「ええ」


 俺は答える。


「団長レイスの私印です」



 レイスは鼻で笑った。



「私印など、いくらでも偽造できる」



 遅い。


 そこはもう、用意している。



「では次です」



 俺は二冊目を開いた。



 未払給金仮差止欄。


 対象は、第三遠征団補給列下士卒と臨時付兵。


 理由、補給事故に伴う整理。



 その頁の下には、青い補筆がある。


 俺が指で叩くと、リディアの肩が目に見えて固くなった。



「この青補筆」


 俺は言う。


「昨日、会計官リディア本人に、公開の場で照合済署名をもらいました」



 別紙を出す。


 青補筆確認済。


 リディア。


 会計官本人の署名入りだ。



 ざわめきが広がる。


 王都兵の列が、少しだけ前へ寄った。


 自分の給金の話だと理解した顔だ。



「会計官」



 ハルバードが低く呼ぶ。



「この署名は、お前のものか」



 リディアは一拍だけ黙った。


 だが、昨日の机で逃げ道は塞いである。


「……私のものです」


「青補筆も、私です」



 いい。


 それで十分だ。



 レイスが、そこで初めて声を荒げた。



「リディア!」


「軽々しく認めるな!」



 会計官は、ちらりとそちらを見る。


 だが、もう昨日の顔ではない。


 少なくとも、机の上では戻れない顔だ。



「団長」


 彼女は低く言った。


「昨日、私は三冊の仮台帳を照合済として受領しました」


「今ここで否定すると、会計官として私が終わる」



 いい返しだ。


 好きだ。


 かなり好きだ。



 ダーンが、そこで一歩前へ出る。



「俺が清書した」


「リディアが青補筆を入れた」


「団長執務室で、レイスが荷番号を言った」



 静まり返る。


 壇の下の兵たちまで、息を止めたのがわかる。



「どの荷番号だ」



 ハルバードが聞く。



 ダーンは、迷わず答えた。



「第八砦向け第一便」


「第三便」


「灰爪渓谷便」


「それから、工兵荷車の裏付け番号」



 良い証言だ。


 短くて、具体的で、逃げ道が少ない。



 レイスは、そこで初めてダーンを睨んだ。



「倉庫鼠風情が」



「それは昔のカイルにも言ったろう」



 ダーンが乾いた声で返す。



「でも今、お前を刺してるのはその倉庫と帳簿だ」



 悪くない。


 かなり悪くない。



 俺はさらに、灰爪渓谷で拾った回送指示書を机へ置く。



 支給箱・豆・鉄塊は北の私庫へ回送。


 第八砦関係者は既報損耗扱いを優先。


 五日後、団長レイス自ら北辺入り。



 その下に、狼の私印。



「これも偽造だと言いますか」



 俺が聞くと、

 レイスは今度は鼻で笑えなかった。



「……誰でも押せる」



 好きな返しだ。


 その程度まで落ちた返しは、好きだ。



「では次です」



 工兵荷車から回収した工兵図を広げる。


 南庭破却図。


 第二柵。


 荷車置き場。


 盾車と弩車の侵入線。


 日時つきの進行工程。


 そこにも、補給番号がある。


 第三遠征団の工兵枠番号だ。



 セレナが、短く言った。



「第八市庭を焼く図だ」



 ガレスも笑わなかった。



「実際に来たぞ」


「盾車ごと奪ったがな」



 壇の下がどっとざわめく。


 商人の顔が変わる。


 王都兵の顔も変わる。


 自分たちが昨日湯札を買ったあの場所が、実際に焼かれる予定だったと理解した顔だ。



「ベルナール」



 ハルバードが、兵站商同盟頭へ視線を向ける。



「王都兵站商同盟は、これに関与しているか」



 ベルナールは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


 だが、すぐに顔を上げる。



「ない」


「高くて遅い相場はうちの仕事だが、焼き討ちは別だ」



 その言い方は嫌いじゃない。


 ろくでもないが、線引きはある顔だ。



 レイスはそこで、一つの逃げ道へ飛びついた。



「全部、現場の暴走だ!」



 声を張る。


 大きい。


 だが、もう少し大きいだけの声だ。



「エドガーが勝手に動いた!」


「リディアが勝手に補筆した!」


「ダーンが勝手に清書した!」


「私は知らん!」



 その時だった。


 俺は最後の紙を出した。


 拘束命令差戻し。


 昨日、リディア本人に二重線を引かせた紙だ。



 現地確認の結果、執行不能。


 上位判断へ差戻し。



 その下に、リディアの署名。



「これもです」



 俺は机へ置く。



「会計官は、昨日、第八砦で実物と生存名簿と契約書を見た」


「その上で、拘束と契約無効化は執行不能と自分で書いた」



 ハルバードが、そこで初めてレイスを真正面から見た。


 冷たい目だ。


 好きな目だ。


 紙で人を斬る時の目だ。



「団長レイス・ヴァルド」



 第一兵站評議官が低く言う。



「お前は今、部下三人がそれぞれ別の形で、お前の指示と私印と運用を認めた」


「払出し札」


「仮台帳」


「回送指示書」


「工兵図」


「拘束差戻し」


「さらに、前線本営の生存名簿と支給記録も揃っている」



 一拍置く。



「それでも、全部が現場の暴走だと言うか」



 静かだった。


 今度は本当に。


 主車待合卓の湯差しの音まで聞こえそうな静けさだ。



 レイスは、何も言えなかった。



 その沈黙だけで、十分だった。



 壇の下の王都兵が、ぽつりと言った。



「……俺の給金も止めたの、こいつか」



 次に、別の声。



「北便の支給、二回飛んだ」



「うちの荷も軍宿で止められたぞ」



「だからあいつの待機宿は高いのか」



 嫌いじゃない。


 こういう繋がり方は嫌いじゃない。


 自分の不満と相手の悪事が、一度に噛み合う瞬間だからだ。



 レイスは、それでも最後に吠えた。



「私は団長だぞ!」



 やっと出た。


 それが喉だ。



「王都第三遠征団長だ!」


「辺境の荷車ごときが、私の席に触れるな!」



 好きな台詞だ。


 だからこそ、ここで切る価値がある。



「では」



 俺は言った。



「その席に紐づいている物だけ、先に外してもらいましょう」



 ハルバードが、机の上へ手を置いた。


 そして、短く命じる。



「団長章を外せ」



 静まり返る。


 かなりいい静けさだった。



「……何だと」



 レイスの顔が、はっきりと崩れた。



「聞こえなかったか」



 ハルバードの声は低い。



「王都第三遠征団長レイス・ヴァルド」


「横流し、虚偽損耗、補給私物化、前線本市停止未遂、王都兵站区不正利用の疑いにより」


「本公開聴取の時点で、団長職を停止する」


「団長章を机へ置け」



 いい。


 かなりではなく、本当にいい。



 レイスの喉が動く。


 太った指が、自分の胸元へ伸びる。


 狼章だ。


 第三遠征団長の銀章。


 今まで、それを見せて人を黙らせてきた男が、

 今、その章を自分で外そうとしている。



 時間がかかった。


 だが、逃げられない。



 ついに、銀章が外れた。


 レイスはそれを握ったまま、しばらく机を見ていた。


 それから、置く。


 かちり、と小さく鳴った。



 団長章が、机へ落ちる音だ。



 最高だ。


 こういう音は、本当に好きだ。



 壇の下で、誰かが息を吐いた。


 次に、低い歓声。


 次に、もっと大きいざわめき。


 止まらない。



「落ちた」


「本当に置いたぞ」


「団長章だ」



 ノイルが、もう隠しもしない顔で叫ぶ。



「前線本営主!」



 若い親衛隊長外套の白毛皮が、朝日にやけに映えた。



「何です」



「今の、かなり気持ちいいです!」



「でしょうね」



 若い兵のそういう返しは、いつだって正しい。



 だが、ここで終わらせない。


 章を外させたあとで、

 残るのは空席と空区画だ。


 それを拾うのが、本当の回収だ。



 ハルバードが、今度はベルナールへ向いた。



「王都兵站商同盟頭」



「……何だ」



「レイス側に割り当てられていた外城待機宿区画、送金取次窓口、簡易預り倉、即時閉鎖は可能か」



 ベルナールは、露骨に嫌そうな顔をした。



「可能だが、今閉じると待機地が詰まる」



「そうだろうな」



 ハルバードは短く返した。



「だから、閉じる代わりに仮差押えする」



 一拍置く。



「前線本営主カイル・ルーヴェン」



 来た。


 好きな呼ばれ方だ。



「何です」



「本日より三日」


「レイス停止に伴い、外城兵站区第三待機宿区画、簡易預り倉七番、送金取次窓口二番を仮管理しろ」


「正式認可は後日審査する」


「だが、今日ここで止めるわけにはいかん」



 壇の下がまたどっと沸いた。


 商人の顔が変わる。


 兵の顔も変わる。


 待機地の真ん中で、

 使える区画がそのままこっちへ落ちてきたからだ。


 具体物だ。


 区画。


 倉庫。


 窓口。


 大好きなやつだ。



 ハルバードは青黒い小箱を開き、

 三つの仮鍵を机へ滑らせた。



 第三待機宿仮鍵。


 簡易預り倉七番仮鍵。


 送金取次窓口二番仮鍵。



 いい。


 かなりいい。


 いや、かなりでは足りない。


 素直に最高だ。



 俺はそれを受け取った。


 重い。


 ちゃんと重い。


 紙だけじゃない。


 今夜から人が入り、金が落ちる区画の重さだ。



 ベルナールが、苦い顔のまま言う。



「三日だけだぞ」



「三日あれば、かなり回ります」



 俺が答えると、

 兵站商同盟頭は本気で嫌そうな顔をした。



「……嫌な本営主だな」



「知っています」



 レイスは、机の上の団長章と仮鍵を見比べていた。


 顔が死んでいる。


 良い顔だ。


 かなり良い。



 リディアは、その横で何も言わない。


 もう、言う段階は過ぎた顔だ。



 ダーンだけが、小さく息を吐いた。



「終わったな」



「まだです」



 俺は答えた。



「鍵を開けてからです」



 好きな返しだ。


 こういう時の本音として、かなり好きだ。



 壇を下りる。


 その瞬間、

 エルザが真っ先に金貨袋を鳴らした。



「前線本営主」



「何です」



「第三待機宿区画、今夜から使えるなら小室を二つ押さえる」


「送金窓口も一枠」


「預り倉も一つ」



 早い。


 最高に良い客だ。



「高いですよ」



「今見たもの」


 灰色の外套の毛皮商は笑う。



「団長章が机に落ちた直後の区画なんて、安いはずがないわ」



 好きだ。


 こういう女は本当に好きだ。



 フリッツも続く。



「うちもだ」


「寝台札より先に倉を押さえる」


「送金も一本追加」



 王都兵たちまで、仮鍵を見た瞬間に列の位置を変え始めた。


 湯札だけじゃない。


 今度は常設に近い席だ。


 さらに刺さる。



 ミレイユが、もう本気で笑っていた。



「兵站城主」


「何です」


「かなり高くなりました」


「どのくらいです」


「今夜だけで、待機宿一棟の顔が変わります」



「上出来ですね」



「悪くありません、の段階は越えました」



 ノイルが、白毛皮を揺らしながら鍵を覗き込む。



「前線本営主」



「何です」



「これって、今夜から向こうもこっちなんですか」



「仮ですが」



「すごいな……」



「見ればわかります」



 若い親衛隊長の目は、もう次の景色を見ていた。


 良い目だ。



 団長レイスは落ちた。


 団長章は机へ置かれた。


 外城待機宿区画と倉と送金窓口の仮鍵は、こっちへ来た。


 だったら次は、


 その鍵を開けて、


 王都兵站区そのものを、


 こっちの暖かい方へ変えればいい。

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