第55話 白牙襲来、動く城壁と重弩車で馬ごと止めて銀袋を拾う
動く宿は、止まった瞬間に城になる。
雪の道では、なおさらだ。
吹雪夜救援便が旧冬宿小屋の跡から少し北へ移り、
風を避ける浅い窪地へ車列を止めた頃には、
空はもう完全に白かった。
第八湯。
第八窯。
第三寝台車。
第八預り庫。
昨日までの四台に、今朝はさらに二台が追いついていた。
第五重弩車。
第六城柵車。
第三烽火砦からの火文を受け、
中枢砦が夜明け前に追い出してきたやつらだ。
悪くない。
いや、だいぶいい。
ノイルが、真っ先に第六城柵車の脇板を見上げていた。
「砦監」
「何です」
「これ、ほんとに壁ですか」
「そう書いてあります」
「車なのに」
「車です」
「すごいな……」
ブラムはもう車輪と馬具の方しか見ていない。
「浴場車六頭」
「厨房車四頭」
「寝台車四頭」
「金庫車四頭」
「重弩車四頭」
「城柵車は六頭だ」
「重いですね」
「壁だからな」
助かる。
こういう時、
馬場頭が迷わないのは強い。
マルタは厨房車の窯口を覗き込み、
粉の残りを指で確かめてから言った。
「一窯分は回せるよ」
「次は」
「今日の夜までに粉が来なきゃ、明日は薄くなる」
「知っています」
「なら、敵の袋を取ってきな」
「そのつもりです」
エルザは小室の鍵を指で鳴らしたまま、
窪地をぐるりと見回した。
雪。
浅い風除け。
城柵車。
重弩車。
それから、湯気。
「ここで受けるのね」
「動いてる列は噛まれやすいので」
「止まった方が安全?」
「壁があるなら」
「今は?」
「あります」
「好きだわ、その言い方」
彼女はそこで金貨を一枚追加で置いた。
「包囲手当」
「高いですね」
「安いわよ。ここまで来たら逃げるより高い方に乗る」
「助かります」
フリッツも続く。
「うちも寝台延長」
「毛布二枚追加で」
「それもだ」
「銀貨二枚です」
「払う」
こういう時に、
暖かい席そのものへ金が落ちるのは強い。
乗る場所が価値になる。
かなりではなく、
本当に強い。
ミレイユが、雪の上へそのまま机を出した。
「吹雪夜継続札」
「寝台延長札」
「毛布追加札」
「浴場優先札」
「金庫継続預かり札」
「今ならまとめて切れますよ」
商人の声が、雪の朝でもよく通る。
救援便というより、
小さな宿場そのものだ。
そこへ、第三烽火砦から鏡光が来た。
白い空でも、リオネの合図は見える。
一短。
二短。
一長。
ハルンがすぐに読む。
「北稜線、騎影十五」
次の光。
「後続、さらにあり」
最後に、短く一つ。
「白牙」
来た。
しかも、探りじゃない。
取りに来た数だ。
セレナが、すでに槍を持ち直していた。
「始めるぞ」
「ええ」
俺は第六城柵車へ手をついた。
折り畳まれていた脇板が、
左右へ開く。
鉄帯が伸びる。
支え脚が雪へ噛む。
浴場車と厨房車、寝台車、金庫車の外側へ、
そのまま板壁がつながっていく。
列だったものが、
輪になる。
正面に重弩車。
中央に寝台車と金庫車。
両翼に浴場車と厨房車。
そして、その外側に城柵車の板壁。
悪くない。
いや、相当いい。
「砦監」
ノイルが、第三寝台車の扉脇からこっちを見る。
「案内係のままでいいんですか」
「半分は」
「半分は?」
「もう半分は、寝台と客を守る係です」
「わかりました」
若い小隊長の顔が、少しだけ引き締まる。
悪くない。
選ばれた席を守る仕事は、
人を少しだけ格好よくする。
バスコや薬商隊の主は、
寝台車の窓から外を見ていた。
「本当に城になったな」
「暖かいまま戦う気か」
「そのための金貨です」
俺が答えると、
薬商隊の主は苦い顔で笑う。
「高い席だったが、今は安く見える」
「うれしい評価です」
白牙の最初の音は、笛だった。
長くない。
乾いた、短い音。
次の瞬間、
北稜線から白い影が一気に滑り出した。
騎兵だ。
白い牙飾り。
軽い毛皮。
短弓。
投げ鉤。
白牙遊撃団。
速い。
そして、迷わない。
先頭の三騎は、最初から浴場車を見ていた。
湯気を吐く一台を、
止めたいのがよくわかる。
好きな敵じゃない。
だが、狙いが見える敵は扱いやすい。
「前列は浴場車へ来ます」
「見えてる」
セレナが答える。
「重弩車、正面」
「ええ」
重弩車の上で、ヘルムが車輪留めを蹴った。
鈍い音。
照準が北稜線へ上がる。
白牙の先頭は、
まだこっちを“車列”だと思っている。
板壁が立ち切る前に噛めば終わると読んだんだろう。
だから遅い。
「撃て」
《穿狼》ではない。
重弩車の量産型だ。
だが、冬道の馬には十分すぎる。
太いボルトが、先頭の白馬の胸を抜いた。
馬が前につんのめる。
後ろの二騎が避けきれず、雪と一緒に転がる。
悪くない。
後ろからどっと笑いが漏れた。
だが、白牙は止まらない。
左右へ分かれる。
浴場車へ三。
金庫車へ四。
残りは重弩車と城柵車の隙間を探ってくる。
手慣れている。
まともな冬賊だ。
「浴場車、湯抜き一」
俺が言うと、
ブラムと浴場番がすぐに弁を捻った。
熱い湯が、浴場車の外側から雪の斜面へ流れ落ちる。
じゅっ、と嫌な音。
白い蒸気が立つ。
湯はそのまま雪を溶かし、
下の氷へ混ざって、ぬるい泥の皮を作った。
そこへ、浴場車狙いの三騎が突っ込む。
一騎目の前脚が滑った。
二騎目も。
三騎目だけが無理やり飛ぼうとして、
浴場車の支え脚へ膝をぶつけて転げる。
いい。
よく滑る。
悪くないどころではない。
「風呂へ来るなら、足を洗ってからにしてください!」
ノイルが緊張を飛ばすように叫んだ。
寝台車の中で、
子どもが一人、思わず笑ったのが聞こえた。
強い。
こういうのは強い。
白牙の右列は、今度は火矢を使ってきた。
浴場車と厨房車の間を燃やし、
板壁へ火を回すつもりらしい。
だが、そこも遅い。
「防火布!」
マルタたちが厨房車の脇から布を投げる。
濡らしておいた厚布だ。
火矢が刺さる。
燻る。
だが燃え広がらない。
その上から、
浴場車の残り湯をさらに一桶。
火は死ぬ。
「熱パン守れ!」
「湯も守れ!」
「寝台に火を入れるな!」
市みたいな怒号が、
戦場の真ん中で飛び交う。
嫌いじゃない。
むしろ、こういう戦い方は好きだ。
白牙の後列が、そこでやっと金庫車へ狙いを変えた。
わかる。
暖かい車だけじゃなく、
高い箱も欲しくなったんだろう。
その中に銀も薬も書類もある。
正しい読みだ。
だが、正しくても取れない形にしてある。
「第三寝台車、扉締めろ!」
「はい!」
ノイルがすぐ返し、
案内係の札をぶら下げたまま扉を閉める。
寝台車の下段では、
昨夜拾った子どもが毛布を被り直している。
上段のフリッツが、
窓の隙間から外を見て苦い顔で言った。
「おい、寝台車で戦争見るのは初めてだぞ」
「追加料金はいりません」
「そういう問題か?」
「今は半分そうです」
その時、
金庫車の後ろで鈍い音がした。
白牙の一騎が、投げ鉤を放ったのだ。
金庫車の外輪へ噛んだ。
引けば、傾く。
遅い。
だが、放っておくと面倒だ。
「ルッツ!」
「見えてる!」
元灰狼の受入係長が、躊躇なく飛び出した。
投げ鉤の縄を拾う。
引かずに、逆に自分の腰へ巻く。
「おい!」
白牙の騎手が驚いた顔をした。
そこへルッツが雪の斜面を利用して横へ滑る。
縄が一気に角度を変える。
金庫車じゃなく、騎手の手首が引かれる。
さらに、重弩車から二本目。
馬の前脚へ。
刺さらない。
だが、止まる。
それで十分だ。
騎手が雪へ落ちる。
縄がほどける。
ルッツはすぐに鉤だけを拾って戻った。
「補給品だ」
「その判断、好きです」
「知ってる顔だな」
そこで初めて、白牙の本隊が見えた。
北稜線の奥。
騎兵十数騎のさらに後ろ。
一頭の白い馬。
長い白毛皮。
牙飾りの数が違う。
遠い。
だが、真ん中にいる。
「……あれだな」
セレナが低く言う。
「誰です」
「団長だろうよ」
白牙遊撃団長レヴァン。
たぶん、そうだ。
まだ手を出さない。
こっちを測っている。
いい目だ。
都合は悪いが、
敵としてはわかりやすい。
その時、
白牙の中列から一頭の荷馬が出た。
軽騎兵の後ろに隠していたやつだ。
背に細長い革袋が三つ。
白牙の給付袋か、
あるいは薬袋か。
どっちでもうまい。
「ヘルム」
「見えてます」
「馬を落とせますか」
「やってみます」
重弩車が少しだけ角度を変える。
白牙の騎兵は、まだ正面の板壁ばかり見ていた。
だから、遅い。
三本目のボルトが、
荷馬の前へ落ちる。
刺さったんじゃない。
雪を跳ね上げて、馬を怖がらせた。
荷馬が暴れる。
背の革袋がほどける。
銀の音がした。
袋が一つ、雪の上へ転がった。
強い。
音だけで十分強い。
白牙の前列が、一瞬だけ後ろを見た。
そこだ。
腹の減った連中だ。
給付袋が転がれば、目が行く。
「今です!」
俺が叫ぶと、
セレナが左から飛び出した。
槍が一閃。
白牙の先頭騎を馬ごと横へ払う。
そこへガレス。
板壁の切れ目から出て、
落馬した騎手の肩を踏みつけ、
そのまま給付袋の方へ転がす。
「銀が好きか!」
「……っ」
「こっちもだよ!」
鍋をすすっていた後列の兵たちが、
どっと笑った。
怖いだけで終わらない。
ここが強い。
白牙の列はそこで初めて乱れた。
湯で滑る。
火がつかない。
板壁が抜けない。
重弩が飛ぶ。
しかも給付袋が雪へ転がる。
団長レヴァンが、そこでやっと笛を吹いた。
短くない。
長い。
引きだ。
損切りの笛だ。
好きな敵じゃない。
だが、上手い。
「追うな!」
俺はすぐに言った。
「馬と袋! それから投げ鉤と弓!」
第一小隊が動く。
ノイルは寝台車の扉を閉め終えたばかりなのに、
今度は外へ飛び出していた。
「砦監!」
「何です!」
「銀袋です!」
「生きて戻ったら賞です!」
「やります!」
若い小隊長は雪へ膝まで埋まりながら、
転がった袋へ手を伸ばす。
その横で、ルッツとダロが白牙の馬を二頭抑えた。
ブラムまで合流し、手綱を奪う。
動きが早い。
馬に詳しい人間がいると、
こういう時に差が出る。
白牙はそれ以上深追いしなかった。
白い馬の影だけが、遠い稜線で一度止まり、
こちらを見てから消える。
レヴァンだ。
たぶん。
顔は見えない。
だが、次も来る顔だ。
十分だ。
悪くない。
戦いが止んだあと、
窪地の中は妙に静かだった。
馬の荒い鼻息。
重弩の弦を戻す音。
浴場車の湯気。
厨房車の窯口。
寝台車の中から聞こえる小さな寝息。
生きている。
全部、まだちゃんと生きている。
「被害!」
セレナが短く言う。
返事はすぐに返ってきた。
「死者なし!」
「軽傷五!」
「客側はゼロ!」
上出来だ。
かなりじゃなく、
本当に上出来だ。
エルザが小室から出てきた。
外套の裾を払って、
白牙が引いた稜線を一度見てから、俺を見る。
「悪くないわね」
「ありがとうございます」
「動く風呂と寝台を本当に守るとは思わなかった」
「高い席だったので」
「そういう返し、好きよ」
彼女はそこで腰袋から金貨を一枚出した。
雪の上でも、硬い音はよく通る。
「何です」
「包囲撃退追加評価」
「早いですね」
「毛皮も客も一枚も減ってないもの」
フリッツも続く。
「こっちもだ」
銀貨二枚。
「下段は高かったが、今は安く見える」
「良い寝台でしたか」
「外で寝るより十倍な」
こういうのだ。
守った直後に金が落ちる。
それでようやく、
戦いは商売になる。
ノイルが、ほとんど転びそうになりながら戻ってきた。
両腕で革袋を抱えている。
「砦監!」
「何です」
「銀です!」
「見ればわかります」
「重いです!」
「良かったですね」
「すごくです!」
袋を開ける。
銀貨が十二。
銅貨少し。
それと、薄い木札束。
白牙給付札。
裏には、やっぱりこうあった。
支払保留
強い。
この手の札は本当に強い。
ダロが、それを見て鼻を鳴らした。
「やっぱりな」
「知ってますか」
「白牙も似たようなもんだ」
「腹が減ったまま戦わせるんですね」
「そっちの方が多い」
ルッツが横から袋の底を探る。
「帳面もあるぞ」
薄い。
だが、ある。
白牙欠配帳。
めくる。
冬路襲撃手当。
半額保留。
暖房略奪分、後日精算。
馬糧差引。
ひどい。
だが、わかりやすい。
ミレイユが、静かに言った。
「嫌ですね」
「都合は悪いですね」
「でも、こっちには使える」
「かなり」
そこへ、ブラムが二頭の白牙馬を引いてくる。
毛並みが違う。
蹄も強い。
冬道用だ。
「こいつら、うちの車につけられる」
「良い馬ですか」
「高い。しかも雪に慣れてる」
「助かります」
さらに、白牙が捨てていった白毛皮の外套も二枚あった。
温かい。
見た目もいい。
ノイルが、それを見て目を丸くする。
「これ、着ていいですか」
「まだです」
「なんでです」
「似合うやつに渡したいので」
「俺です!」
「後で考えます」
笑いが起きる。
いい。
怖い戦いのあとには、
こういうので少し空気を戻した方がいい。
その時だった。
第三寝台車の中から、
あの若い行商娘が顔を出した。
毛布を肩へ巻いたまま、
こっちを見る。
「……小隊長さん」
ノイルがぎくりと止まる。
「はい!」
「さっき、ちゃんと寝台の前で立ってたの、よかった」
若い小隊長の顔が、一気に赤くなる。
だが、笑われたわけじゃない。
ちゃんと“見られていた”顔だ。
悪くない。
ガレスが肩を震わせる。
「お前、戦ってる時より今のほうが危ないな」
「今それ言わないでください!」
「いい顔だよ」
「知っています!」
窪地の中で、また笑いが広がる。
いい。
戦いの後に、
金も、
馬も、
銀袋も、
白毛皮も、
ちょっとした承認まで落ちる。
これなら十分だ。
俺はその場で、小さな机を出させた。
「聞け」
白牙の馬二頭を横へつなぐ。
銀袋を机へ置く。
白牙給付札と欠配帳を並べる。
「白牙襲撃、撃退成功」
「包囲撃退手当、銀貨一枚」
「馬回収賞、銀貨一枚」
「銀袋奪取賞、銀貨一枚」
「外套回収賞、銅貨五枚」
どっと声が上がる。
第一小隊が笑う。
水桶班の子どもまで顔を輝かせる。
こういうのは、
その場で出した方が効く。
「砦監!」
ノイルが、もう隠しもしない顔で言う。
「今日、すごいです」
「そうですね」
「寝台案内して、戦って、銀もらって、馬まで増えました」
「忙しいですね」
「でも悪くないです!」
「見ればわかります」
白牙欠配帳を閉じる。
銀袋もある。
冬馬もいる。
白毛皮もある。
そして、腹の減った白牙の連中がいる。
これで次が見えた。
かなりはっきり見えた。
暖かい寝台。
銀貨。
毛布。
専用車室。
そういう物を前へ出せば、
向こうからこっちへ来るやつが出る。
悪くない。
いや、次はそこがうまい。
「副司令」
「何だ」
「次の給料日は、少し見せ方を変えます」
「どう変える」
俺は白毛皮の外套を指で弾いた。
「親衛を作ります」
セレナの目が細くなる。
ガレスは笑う。
ノイルは、自分のことかと一瞬だけ息を止めた顔をした。
いい反応だ。
かなりいい。
雪は、まだ止まない。
だが、窪地の中の湯気も、
パンの匂いも、
笑い声も、
銀の音もまだ残っている。
白牙は噛みに来た。
だが噛み切れなかった。
しかも馬と銀袋を落としていった。
だったら次は、
こっちの護衛にもっと良い外套と良い寝台を与えて、
この動く城の“親衛”を作ればいい。
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