第56話 給料日と親衛昇進、暖かい寝台と専用車室が増える
暖かい寝台は、銀貨より少しだけ遅れて効く。
だが一度効くと、
たいていの命令より強く人を立たせる。
白牙襲来の翌朝、
雪窪地の中は、妙に明るかった。
第八湯の湯気。
第八窯の煙。
第三寝台車の曇った窓。
第八預り庫の重い錠前。
その外側に、
昨夜奪った白牙の馬が二頭つながれ、
白毛皮の外套が四枚、干し綱に吊られている。
悪くない。
いや、だいぶいい。
ノイルが、まだ少し寝不足の顔で走ってきた。
「砦監」
「何です」
「見てください」
「見てます」
「白いです」
「外套ですね」
「俺、あれ着るやつですか」
「働けば」
「めっちゃ働きます」
わかりやすい。
かなりではなく、
本当にわかりやすい。
ブラムが白牙馬の肩を撫でながら言う。
「こいつら、いいぞ」
「どのくらいです」
「雪を怖がらねえ」
「それは強い」
「しかも脚が長い。斥候向きだ」
「助かります」
「高くつくぞ」
「そうでしょうね」
マルタは厨房車の窯口を覗き込み、
昨夜奪った銀袋をちらりと見てから言った。
「今日は何人分だい」
「何がです」
「祝い鍋だよ」
「全員分です」
「いいね」
「昨日は勝ったので」
「それなら肉も増やす」
好きだ。
こういう鍋の返しは好きだ。
ミレイユは、もう帳簿机を広げていた。
その横に、
新しい木札まで並んでいる。
包囲撃退手当 銀貨一枚
白牙馬回収賞 銀貨一枚
白毛皮外套支給 本日査定
親衛候補査定 本日
専用車室増設工事 銅貨五枚
暖房石当番 銅貨三枚
悪くない。
露骨でいい。
「早いですね」
「勝った翌朝の札は、早いほど効きます」
「同感です」
「それと」
ミレイユは帳簿をめくった。
「昨夜の湯札、パン札、寝台延長、金庫継続預かり、白牙撃退追加評価」
「はい」
「合計で銀貨二十六、大銀貨一枚」
「上出来です」
「しかも銀袋が別」
「好きな数字ですね」
「知ってます」
よし。
今日は、払う日だ。
しかもただ払うだけじゃない。
暖かい寝台と鍵まで落とす。
そこまでやると、
人は露骨にこっち側の顔になる。
「聞け」
俺は雪を踏んで、四台の中央へ出た。
救われた隊商。
第八街道護衛。
第一小隊。
白牙から拾った馬の手綱を握るブラム。
鍋を持ったマルタ。
みんなが顔を上げる。
「今日は三つやる」
一拍置く。
「一つ。白牙撃退の手当」
「二つ。親衛査定」
「三つ。専用車室の鍵渡し」
空気が一段熱くなる。
ノイルの喉がごくりと動くのが、ここからでも見えた。
「砦監」
「何です」
「三つ目、かなりいいですね」
「見ればわかります」
まずは手当だ。
白牙包囲撃退に出た護衛列へ、
銀貨を一枚ずつ落とす。
ノイル。
ルッツ。
ヘルム。
ダロ。
ハーゲン。
歩荷上がりの大男。
第一小隊の残り。
白牙馬を抑えたブラムにも銀貨一枚。
暖房石を一晩守った浴場番にも銅貨。
銀が掌へ落ちるたび、
昨日の夜の冷えた顔が、少しずつほどけていく。
「砦監」
ノイルが銀貨を見下ろしたまま言う。
「俺、寝台案内しただけじゃないですよね」
「ええ」
「戦ってもいましたよね」
「見ればわかります」
「じゃあ両方で銀貨一枚ですか」
「上出来でしょう」
「すごいな……」
次に、白牙給付札を机へ広げる。
支払保留。
欠配帳。
その横に、
昨日奪った白毛皮外套を四枚並べた。
ただの鹵獲品じゃない。
ここから親衛外套に変える。
ベリクがすぐに火床の前から歩いてくる。
「縫い直した」
見ればわかる。
白毛皮を裏返し、
青灰の縁布と護衛印の留め具が打ってある。
白牙の色だったものが、
第八側の印に変わっていた。
強い。
これは強い。
エルザが、思わず腕を組み直した。
「いいわね、それ」
「欲しいですか」
「着るのはそっちでしょう」
「売れば高いですよ」
「着せたほうがもっと高いわ」
その通りだ。
親衛は、見た目から作る。
それが客にも部下にも一番効く。
「ノイル・フェス」
「はい!」
若い兵が一歩前へ出る。
「第八街道護衛第一小隊長から、兵站城親衛小隊長へ昇進」
一瞬、空気が止まる。
それから、
ノイルの顔が本当にわけがわからないみたいになる。
「……はい?」
「聞こえませんでしたか」
「聞こえました!」
「では前へ」
「はい!」
白毛皮の親衛外套を肩へかける。
意外なほど似合った。
若さと、ちょっとした背伸びと、
昨日までの必死さが、そのまま形になる。
胸元へ、新しい真鍮札を留める。
第八兵站城親衛小隊長。
さらに、小さな鉄鍵を一つ。
「第三寝台車前室一号鍵です」
「……鍵」
「専用車室です」
「専用」
「寝台、箱棚、暖房石箱、朝湯優先つき」
ノイルの喉が、もう一度ごくりと動く。
「俺のですか」
「今のところは」
「ほんとに?」
「見ればわかります」
そこで、あの若い行商娘が小さく声を漏らした。
「……似合う」
空気が一拍だけ静まる。
ノイルの耳が、一気に赤くなった。
わかりやすい。
だが悪くない。
ガレスが肩を揺らす。
「お前、今日忙しいな」
「今それ言わないでください!」
「いい顔だよ」
「知ってます……!」
笑いが広がる。
よし。
次だ。
「ルッツ」
「おう」
「兵站城受入副長」
鉄鍵を二つ。
ひとつは寝台車の後部小室。
もうひとつは金庫車の副鍵庫。
「白牙・灰狼・流れ者の受入、名簿、仮寝台割り、全部お前持ちです」
「責任重いな」
「その分、銀貨二枚追加」
「悪くない」
親衛外套を渡す。
ルッツはそれを肩へかけ、
小さく鼻を鳴らした。
「……こっちの方が温かいな」
「でしょうね」
「嫌な補給官だ」
「砦監です」
「どっちでもいい」
次。
「ハーゲン」
「はい」
「重弩車長」
重弩車の側鍵。
弦箱鍵。
専用寝台札。
銀貨二枚。
白牙の弩引きだった男が、
今は第八側の車長札を握る。
これも強い。
「ダロ」
「おう」
「雪路斥候頭」
白牙馬の前庫鍵。
軽装外套。
銀貨二枚。
「道の先を読むのは、お前が一番早い」
「悪くない役だ」
「助かります」
「知ってる顔だ」
そして、最後に。
「リオネ分は預けます」
信号士の分だけは、
第三烽火砦へ急信便で送る。
信号頭札。
鍵。
銀貨二枚。
暖房石優先札。
見えない場所でも、
役と金と鍵は落とす。
そこまでやって初めて、網は太くなる。
エルザが、その昇進列を見ながら言った。
「こういうの、かなり高く見えるわね」
「装備がですか」
「違う。人よ」
毛皮商の女は、雪原の空気を吸ってから続けた。
「銀貨と鍵と役職がついたやつは、もう昨日までの寄せ集めには見えない」
「うれしい評価です」
「だから次の便、また金貨を積める」
フリッツも同じ顔をしていた。
「寝台車の前に白毛皮着た親衛が立つなら、客は払うだろうな」
「悪くないでしょう」
「高くなるぞ」
「そのつもりです」
悪くない。
その時だった。
ミレイユが第三寝台車の中から手を振った。
「砦監」
「何です」
「前室、増えました」
行く。
第三寝台車の中は、昨日より明らかに変わっていた。
上段二つを潰し、
白牙毛皮と第六城柵車の板で仕切った小室が二つ増えている。
前から、
一号室。
二号室。
三号室。
四号室。
それぞれに鍵。
熱石箱。
小棚。
毛布二枚。
しかも、
白毛皮を裏地にしたせいで、体感温度まで違う。
強い。
これは強い。
「どうです」
ミレイユが得意げに言う。
「客に売れます」
「まずは親衛に与えます」
「その方が高く売れますね」
「でしょう」
「はい」
ノイルが、一号室の扉をそっと開けた。
小さい。
だがちゃんと部屋だ。
寝台。
毛布。
箱棚。
熱石箱。
そして、扉にかかる鍵。
若い親衛小隊長は、しばらく何も言わなかった。
「砦監」
「何です」
「これ、俺が寝るんですか」
「働けば」
「もう働いてます」
「では寝てください」
「……すごいな」
「上出来ですね」
ノイルは中へ入り、
毛布を一度だけ撫でてから出てきた。
顔が変わっていた。
兵舎の顔じゃない。
ちゃんと“選ばれた席”をもらったやつの顔だ。
好きだ。
こういうのは本当に好きだ。
その後ろで、
昨夜救われた隊商主たちまで、露骨にそわそわし始めていた。
薬商隊の主が、遠慮なく聞く。
「それ、次は客にも売るのか」
「高くなります」
「どのくらいだ」
「金貨一枚から」
「……高い」
「吹雪の中で鍵つきです」
「なるほど」
エルザが横から口を挟む。
「その値段なら、逆に早く埋まるわね」
「同感です」
「客は“高い席”ほど奪い合うもの」
「知ってますね」
「商人だから」
いい。
完全に見えてきた。
寝台車の席そのものが、
もう一段高く売れる。
しかも、その売れ方は、
親衛を置いた方が太くなる。
読めた。
だいぶ読めた。
そこで終わらせない。
俺は、昨日奪った銀袋から三枚分だけ抜き、
ミレイユの机へ置いた。
「何です」
「送金です」
「家に?」
「ええ」
「増やしますか」
「冬前なので」
「悪くありません」
「今回は、母へ二枚、妹へ一枚」
「名目は」
「毛布と薬です」
ミレイユは、少しだけ真顔になった。
「届きます」
「お願いします」
「その代わり」
「何です」
「次の寝台車価格、もっと上げます」
「商人ですね」
「知っています」
昼過ぎ。
包囲の向こうから、白布が一つ見えた。
雪の上で、やけに小さい。
第一小隊がすぐに槍を構える。
ノイルは前室の鍵を腰へ差したまま、
白毛皮外套で外へ出た。
見た目が昨日と違う。
だが、動きはまだノイルのままだ。
「止まれ!」
声はちゃんと通る。
悪くない。
白布の影は、そこで膝をついた。
男だ。
白牙の外套。
だが、腰の剣は鞘ごと外して両手で持っている。
その後ろに、もう二人。
痩せている。
腹が減った顔だ。
先頭の男が、雪へ小さな木札束を置いた。
白牙給付札。
支払保留。
見覚えがありすぎる。
「話を売りたい」
男が言う。
声が掠れている。
「値段は」
俺が聞くと、
そいつは迷わなかった。
「銀貨一枚」
「鍋一杯」
「寝る場所」
一拍置く。
「できれば……その白い外套の、一番下でもいい」
窪地の空気が、少しだけ変わった。
ノイルが思わず自分の白毛皮外套を見下ろす。
わかる。
あれが“欲しい物”に見えているんだ。
強い。
かなりじゃない。
本当に強い。
ガレスが、肩を揺らして笑う。
「来たな」
「ええ」
俺は答える。
「向こうから寄ってきました」
男は顔を上げた。
「白牙は今夜も薄粥だ」
「それは困りますね」
「こっちは湯気が見える」
「見えてますか」
「よく見える」
一拍置く。
「団長レヴァンの冬陣割りを、銀貨一枚で売る」
悪くない。
どころではない。
最高だ。
暖かい寝台。
白毛皮外套。
銀貨。
鍋。
その全部が、
もう白牙の兵まで引き寄せ始めている。
だったら次は、
この窪地そのものを、
冬の道の真ん中の市にしてやればいい。
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