第7話 査察官に生存名簿へ印を押させ、給金請求まで通す

 空荷車は、よく喋る。


 荷がないくせに、

 何を持って帰るつもりかだけは、車輪が先に喋る。


 俺がそう言うと、門前に妙な静けさが落ちた。


 査察官バルト・ヘインズは、細い口髭をひくつかせてから、ようやく答えた。


「……予備だ」

「何のです」

「査察には何が起こるかわからん。予備の荷車を連れてきて何が悪い」


 なるほど。

 苦しい。


 俺は机の横へ半歩ずれ、六台の荷車を順に指した。


「床板は洗ってある。荷縄は新しい。車輪の軸油も差し直してる。しかも全部、側板の内側に荷印札を掛けられるよう穴まで空いてる」


 兵たちの視線が、空荷車へ向く。


 バルトの顔がほんの少しだけ硬くなった。


「査察に必要なのは筆と印です。空荷車六台じゃない」


 ガレス軍曹が後ろで低く笑った。


「違いねえな」

「黙れ、軍曹」


 セレナがたしなめるが、口元は少しだけ上がっていた。


 その横で、ミレイユが涼しい顔で言う。


「商人としても同意します。しかもあの車輪、帰り荷を積む前提で締め直してありますね。長距離の空荷より、重い荷を載せるときの調整です」

「商人風情が口を出すな」

「今日ここにいる第三者としては、かなり出したいですね」


 いい。

 空気がこっちへ傾く。


 俺は入城記録簿を開いたまま、ペンを置いた。


「どちらでも構いませんよ、バルト査察官」


 わざと穏やかに言う。


「目的欄に“査察”と書くか、“資産回収”と書くかだけです」

「……何だと?」

「査察なら歓迎します。回収なら話は別です。まだ木箱をひとつも開けていないのに、何を持ち帰るつもりだったのか、先に聞かないといけないので」


 バルトの後ろで、書記が小さく息を呑んだ。


 いい反応だ。

 自分でもわかっている。

 ここで雑に踏み込めば、紙の上で死ぬのはこっちじゃない。


 バルトは俺を睨んだ。


「言葉遊びはいい。私は監査局査察官だ。門を開けろ」

「もちろん」


 俺は記録簿をさらに押し出した。


「なので、入城記録を。お名前、所属、随伴人数、搬入荷車数、目的」


 しばらく、沈黙。


 風が吹き、白地に青の天秤旗が鳴った。


 ミレイユの書記が、わざとらしいほどきれいな紙を横で広げる。

 写しを取る準備だ。


 バルトは舌打ちを飲み込み、ついにペンを取った。


 筆圧が強い。


 王都第三遠征団会計監査局

 査察官 バルト・ヘインズ

 騎兵二十 歩兵三十 書記二

 搬入荷車数 六

 目的――


 そこで、ほんの一瞬だけペン先が止まる。


「続きを」


 俺が促す。


 バルトは乱暴に書いた。


 目的 査察


「ありがとうございます」


 俺は記録簿を受け取った。


 これでいい。


“回収”と書かなかった以上、こいつは今から“見て確認する側”に固定された。

 見ていないことにはできない。


「副司令。門を」

「開けろ!」


 セレナの号令で、門が軋んで開く。


 査察隊が中へ入る。


 その瞬間、湯気と塩肉の匂いが流れた。


 中庭では、兵たちがわざとらしいくらい忙しく動いている。

 いや、半分は本気だ。


 鍛冶場前では六番車から回収した矢尻が小分けにされ、

 壁の上では補修班が鉄釘を打ち込み、

 医務室の前ではイネスが治癒薬を配りながら怒鳴っている。


「次! 次! 死ぬ暇があるなら座りな!」


 浴槽代わりの大桶からは、まだ白い湯気が上がっていた。

 包帯は洗われて棚に並び、

 当直表と在庫表は掲示板に貼られている。


 死んだ砦には見えない。


 見えないどころか、

 思ったよりずっと、ちゃんと暮らしている砦だ。


 バルトの眉間に深い皺が寄る。


「……ふざけた真似を」

「生活です」


 俺は答えた。


「ふざけて見えるなら、王都はよほど汚い倉庫しか見てないんでしょう」


 バルトは何も返さなかった。

 代わりに、視線が中庭を速く動く。


 小麦袋。

 塩肉樽。

 治癒薬箱。

 冬布。

 矢束。

 そして、破城槌を組み替えた門。


 欲しい物を見る目だ。


「案内しろ」


 吐き捨てるように言う。


「喜んで」


 俺は最短で歩いた。


 奪還した荷車の列を見せる。

 破城槌だった三番車の残骸を見せる。

 医務室で、イネスに傷兵の処置を続けさせたまま見せる。

 掲示板の前では、当直表と在庫表をわざと読める位置に立つ。


 そのたびに、バルトの顔が少しずつ悪くなる。


 見れば見るほど、

“機能停止状態”から離れていくからだ。


 最後に、中庭の樽机へ戻る。


 そこには、もう三枚の紙を並べてある。


 一枚目。

 北辺第八砦 生存名簿。


 二枚目。

 奪還物資目録。


 三枚目。

 未払い給金・危険手当・緊急補給請求書。


 そして、その横にもう一枚。


 北辺第八砦 機能停止に伴う損耗整理草案。


 バルトの目が、それを見た瞬間だけ止まった。


 ほんの一瞬だが、十分だ。


「覚えがありますか」


 俺が聞くと、バルトはすぐに顔を戻した。


「草案だ」

「でしょうね」


 俺はうなずいた。


「だから、訂正してもらいます」


 その場の空気が、また静まる。


 兵たちが手を止めた。

 ガレスが腕を組む。

 セレナは槍を立てたまま、俺の横に立つ。


 ミレイユの書記だけが、さらさらと何かを書き続けていた。


 いい音だ。


「何を言っている」


 バルトの声は低い。


「生存名簿です」


 俺は一枚目を指で叩いた。


「今朝、全員に自署か指印をもらいました。副司令、軍曹、老軍医、負傷兵、補修班、見張り、炊事番。全員分です」

「それがどうした」

「あなたは今日、ここへ来て、俺たちが生きていて、この砦が機能しているのを見た」


 俺は一語ずつ置く。


「なので、確認印を」


 ざわり、と兵たちの間に空気が走る。


 バルトは鼻で笑った。


「私に命令する気か」

「訂正です」

「草案は草案だ。正式記録ではない」

「だから、正式記録にしないための印です」


 セレナが低く言った。


「査察官。私は第八砦副司令として証言する。この砦は昨日も今日も落ちていない」

「老軍医としてもね」


 イネスが薬瓶を机に置いて言う。


「死体だったら、朝から包帯も薬もこんなに減らないよ」

「契約相手としても証言します」


 ミレイユが続ける。


「昨日、正式契約を結び、前金も支払いました。死んだ砦とは商売になりませんので」

「君たちの証言など――」

「証言だけじゃない」


 俺は生存名簿の横へ、入城記録を置いた。


 バルト・ヘインズ。

 騎兵二十、歩兵三十、書記二、荷車六。

 目的、査察。


 黒々とした筆跡が、さっきのままだ。


「あなた自身が、今ここで査察している」


 俺は言う。


「見ていない、来ていない、知らない、はもう使えません」


 バルトの後ろで、書記の一人が目を逸らした。


 さらに一枚、俺は紙を出した。


 今朝、わざわざ用意しておいたものだ。


 確認印拒否理由記載欄


 見出しだけで十分に嫌な紙だ。


「……何だこれは」


「もし確認印を押さないなら、拒否理由をこちらへ」


 俺は穏やかに答えた。


「本日正午、査察官バルト・ヘインズは、第八砦が機能していることを現認した上で、生存名簿への確認印を拒否した。その理由を自筆で、どうぞ」

「貴様……!」


 バルトの声が一段低くなる。


「用紙まで用意していたのか」

「ええ。押さない可能性が高いと思っていたので」

「性格が悪いな」

「生活がかかっているので」


 後ろで、若い兵がぽつりと言った。


「……俺、死んだことにされるの嫌です」

「行かせません」


 俺は振り向かずに答えた。


「そのための紙です」


 別の負傷兵が、包帯だらけの腕を上げた。


「母ちゃんに死亡通知行ったら、俺、帰っても怒られる」

「かなりです」

「それは困る」

「だから押してもらいます」


 兵たちの間に、低い笑いが走った。


 重すぎる空気を、少しだけ抜く。

 その程度でいい。


 だがバルトには、その笑いが一番効いたらしい。


 こめかみの血管が浮く。


「くだらん芝居だ」

「芝居なら、空荷車六台のほうが上ですよ」


 俺が返した瞬間、

 柱に縛られていたエドガーが、とうとう耐えきれず叫んだ。


「バルト殿! こんなはずじゃなかっただろう! 砦は落ちる、名簿はまとめて戦死扱い、荷は回収、それで――」

「黙れ!」


 バルトが怒鳴る。


 遅い。


 十分遅い。


 ミレイユの書記は、もうそこまで書いていた。


 俺は静かに、損耗整理草案をバルトの前へ押しやった。


「局の事前印つきの草案」

 次に生存名簿。

「全員の自署と指印」

 次に入城記録。

「あなた自身の筆跡」

 最後に拒否理由記載欄。

「それでも押さないなら、理由をどうぞ」


 バルトは、しばらく何も言わなかった。


 怒りじゃない。

 計算している顔だ。


 ここで押せば、予定していた“死んだ砦”の処理は崩れる。

 押さなければ、商人と兵と副司令と老軍医の前で、見たものを否定した理由まで残る。


 どっちも嫌だろう。


 だから、押させる。


 ミレイユがやわらかく言った。


「査察官殿。私、損をするのが嫌いなんです」

「君は黙っていろ」

「無理です。今日は当事者ですので」

「商人が軍務へ――」

「軍務が商人の荷へ手を出したのが先です」


 最高だ。


 セレナが槍の石突きを鳴らした。


「査察官。私は命令系統上、正式な確認を求める」

 ガレスが腕を組んだまま続ける。

「俺は給金が消えるのが困る」

 イネスが鼻を鳴らす。

「私は生きてる患者を死体にされるのが嫌いだよ」


 そして最後に、俺が言う。


「俺は、家族に届く金が紙一枚で消えるのが嫌です」


 静まり返る。


 バルトはゆっくりと手袋を外した。


「……確認印だ」


 吐き捨てるみたいな声だった。


「承認ではない」

「十分です」


 俺はすぐに印箱を開いた。


 監査局の金属印が、陽の光を鈍く返す。


 バルトは生存名簿を見下ろし、そして、強く押した。


 鈍い音。


 黒い印が、紙の上で花みたいに広がる。


 一つ目。


 兵たちの息が、同時に動いた。


 次に、奪還物資目録。


 二つ目。


 さらに、俺は三枚目を差し出した。


 未払い給金・危険手当・緊急補給請求書。


 バルトの眉が跳ねる。


「調子に乗るな」

「生きていると確認されたので、次は給金です」

「図々しい補給官だ」

「かなり」


 ガレスが笑った。


「好きだぜ」

「ありがとうございます」


 バルトは露骨に嫌そうな顔をしたが、ここまで来た以上、受け取り拒否の形も作りにくい。

 まして商人の書記が横で写しを取っている。


 ついに、三枚目の受領欄にも印が落ちた。


 三つ目。


 いい音だった。


 釘を打つ音に少し似ている。

 壁が増える音だ。


 若い兵が小さく呟く。


「……俺、生きてるって紙に残った」

「残りました」


 俺は押印された名簿を持ち上げた。


「今日からは、ちゃんと生きている兵として給金を請求できます」

「補給主任」

「何です」

「最高です」

「知っています」


 中庭に、ようやく本当の笑いが広がった。


 その笑いを、バルトはひどく不快そうに聞いていた。


「これで満足か」

「かなり」


 俺は答えた。


「でも、まだ請求は請求です。物が届かなければ困ります」

「……」


 バルトは一拍黙り、それから受領済みの請求書を乱暴にめくった。


 下の余白へ、書記からペンを奪うようにして何かを書き付ける。


 最短処理便

 三日後夜半

 灰爪渓谷経由


 さらに、その下に小さく加えた。


 給金箱・乾燥豆・鉄塊同送予定


 俺の目がそこへ止まる。


 給金箱。


 未払い分と危険手当。

 兵の家族に届くはずの金だ。


 乾燥豆は飯になる。

 鉄塊は壁と矢尻になる。


 どれも欲しい。


 いや、欲しいどころじゃない。

 全部、必要だ。


 バルトはその紙を俺へ突き返した。


「受け取っただけだ。届くとは言っていない」

「脅しですか」

 セレナが低く言う。

「助言だ」


 バルトは手袋をはめ直した。


「北辺では、最後に槍がものを言う」

「知っています」

 俺は請求書を折りたたみながら答えた。

「だから、給金箱も自分で拾いに行きます」


 バルトの目が、そこでわずかに細くなる。


 何も返さず、彼は踵を返した。

 騎兵が向きを変え、歩兵が続き、空荷車六台がそのまま南街道へ引き返していく。


 持って帰れなかったからだ。


 気分はいい。


 かなりいい。


 しばらくして、土煙が遠ざかったあと、

 ガレスが俺の肩を叩いた。


「で、補給主任」

「何です」

「次は灰爪渓谷か」

「ええ」

「給金箱、豆、鉄塊」

「全部です」

「欲張りだな」

「生活がかかっているので」


 セレナが請求書を覗き込む。


「灰爪渓谷は細い。待ち伏せには最悪だ」

「待ち伏せする側には最高です」

「そう来ると思った」


 ミレイユが横から紙を見て、にやりと笑った。


「乾燥豆まで載るなら、帰りに私も荷を積みたいですね」

「まず砦の分です」

「ですよね」

「そのあとなら」

「好きですよ。そういう順番を守る男」


 俺は押印された生存名簿をもう一度見た。


 副司令。

 軍曹。

 老軍医。

 負傷兵。

 見張り。

 炊事番。

 そして、俺。


 全員が、ちゃんと生きていることになった。


 だったら次は、その紙に見合うだけの金と物資を、本当にこの砦へ連れて帰る番だ。


「全員聞け!」


 俺は中庭へ向かって声を張った。


「生存名簿には印がついた! 次は給金箱だ! 三日後夜半、灰爪渓谷へ出る! 俺たちの給金と豆と鉄塊は、俺たちで迎えに行く!」


 兵たちの顔が一斉に上がる。


 死んだことにされかけた兵の目じゃない。


 金の行き先を自分で取りに行く兵の目だ。


 いい顔だ。


 その顔のまま、俺たちは次に行ける。


 灰爪渓谷。

 夜半。

 給金箱。


 次の当たりは、もうはっきり見えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る